WBCをNetflixが独占。公共放送の意義とは?
この記事の要点
・今年のWBCはNetflix有料独占放送
・海外のanti-siphoningを取り入れるべき(無料アクセスを必須にする規制)
・注目度が高いものこそ、公共放送の出番では?
来月から始まるWBC。
放送はNetflixの独占放送になるようです。
これまで日本ではテレビ放送で見られていましたが、今年はそうもいかないようです。
Netflixを契約していない私は、完全にみられないことになりました。
もちろん『見たいならNetflix契約』に尽きるんですが、
本当にそれで良いんでしょうか?
WBCといえば、日本野球の結集として国民的イベントだったと思います。
イチローのWBC決勝打、大谷翔平が優勝を決めたスライダー、などは繰り返し使われています。
そんな多くの国民が注目しているイベントを、海外の一企業が独占放送、かつ有料契約必須というのはいかがなのかと思うのです。
独占禁止法の規制範囲
そもそもこれは独占禁止法に引っかからないのでしょうか?
結論からいうと、独占禁止法には引っかかりません。
独占禁止法は、『独占状態そのもの』を規制するのではなく、
『上下関係による独占、恣意的な価格操作』などを禁止しています。
つまり、『正当な契約による独占は問題ないが、「うち以外とは契約するな」といった力による独占を禁止する』といったイメージです。
アンチサイフォニングという考え方
正当な契約であれば独占禁止法では取り締まれない。
では独占放送は仕方ないのか?
そうとも限りません。
欧州やオーストラリアなどでは、アンチサイフォニング(anti-siphoning)という考え方があります。
要は、『国民にとって大事、注目度の高いイベントは、無料での視聴機会を必須とする』ものです。
ここでいう注目度の高いイベントには、
・オリンピック
・FIFAワールドカップ
などが含まれています。
また『無料』と一言で言っても、完全無料の必要はなく、
・決勝などだけ無料
・配信プラットフォームが独占放送するが、視聴は会員登録すれば無料
など各国で規制に幅はあります。
一方アメリカでは、このような規制はなく、放映権は自由市場で取引されています。
スポーツは娯楽か文化か
このような規制の有無は、スポーツそのものの捉え方が表れているように思います。
スポーツを娯楽として捉えれば、
『見たい人がお金払って見れば良い』
『どんなビジネススキームも自由』
となるでしょう。
一方、文化として捉えれば、
『自国の象徴として守っていくべき対象』
『誰もが平等にアクセスできるべき』
となります。
読書を娯楽と捉えれば、本屋での自由取引のみ。となるが、
本を文化の象徴と捉えれば、図書館ができるイメージです。
グローバル化への許容度
この問題は、グローバル化の代償と言えると思います。
数年前であればA国の放映権をB国のテレビ局が買う。なんてありえませんでした。
しかしグローバル化した現代では、それがあり得てしまいます。
ともすると、A国の考え方、価値観を知らずにB国の企業がビジネス目的で買い占めるかもしれません。
今回のテーマであるWBCであれば、
日本国内での注目度は高く、無料でのアクセスが一般的でありました。
前回優勝という箔がついた状態なら、さらに注目度は上がるでしょう。
そこを狙い囲い込む戦略は、常套手段かもしれません。
しかしスポーツを文化と捉えるなら、
国民がアクセスしやすい環境を作ることも必要だと思います。
すでに挙げたように、欧州などではアンチサイフォニングという考えが普及しています。
日本にはこれに沿った法律や規制がないため、
極論、オリンピックすら独占有料放送可能ということです。
もちろん、オリンピックもWBCも放映権を買わなければいけないので、
NHKや民放に金銭負担が回るのは事実です。
しかしそこに優先交渉権をつけたり、
『海外配信プラットフォームによる独占可だが、無料枠は確保』などの明文は必要だと思います。
またNHKが公共放送としての意義を保つならば、国民注目度の高いイベントは是非とも放送していただき、国民の共通体験を作ってもらいたいものです。
