見出し画像

不登校の娘と学校に行きたくなかった私

「それは“ずるい”じゃなくて“羨ましい”っていうんじゃない?」

子供が大きくなってきて友達同士の交流が出来上がってくると、自慢や嬉しかった事の報告のやりとりも増える。
『Aくんはゲームを買ってもらった』
『Bくんの家には玩具がいっぱいある』
それに対して「ずるい」という子供への言葉として、考えた言葉がこれだった。

一番下の小学生にこの言葉を言いながら、自分の気持ちも見つめ直す。

#嫉妬祭り の字面のインパクトの強さと、周りのnoterさんの騒ぎにつられて「嫉妬」について考える事にしたのがきっかけだった。


ずるいと思う気持ちは嫉妬だ。
羨ましいと思う気持ちから逃げる為に、相手を「何かずるい事をしたんだ」と貶めて自分を安心させる。

羨ましいという思いは、大抵自分も相手と同じ立場ならいいのにという感情がつきまとう。
上手く活用すれば自分の行動の起点にもなるから“羨ましい”それ自体を否定するものではないと考えている。


私には子供が3人いる。
ここから話の焦点はその内の真ん中の子供、中学生の次女へと移る。
私と、現在不登校の中学生の娘の話。

デリケートな出来事も含んでいる。辛くなる前に読むのをやめて頂いてもいい。

読んだ末、スキを押せなくてもいい。

私自身、今もって口頭で言う事を想定すると、所構わず涙が溢れる話題でもある。

それでもnoteという場所で文章に起こそうとするのは、誰か一人だけに聞いてもらう話でもなく、自分の中に閉じ込める感情でもないと考えたから。

同じ思いを抱いた「私はだめな母親だ」と思う人へ届けばいい。






予防接種へ連れて行こうとした次女の様子がおかしい事に気づいた私は、娘が必死に腕を隠そうとするのに気づいた。

そこで初めて、次女が自傷行為をしている事に気づいたのだった。
両腕いっぱいについていた傷の記憶は、未だ私を苦しめている。

その後、学校へ行かなくなった次女。

彼女を守るのに必死だった。

娘を傷つける教室の環境から。
娘自身の自傷したくなる自分への気持ちから。
私の言葉や態度から。

何が娘を追い詰めているのかわからないまま、ひたすら彼女を守る行動を取ろうと必死だった。



学校に行く・行かないどちらの返事でも同じテンションで「わかったよ〜」と返す。


子供達は同じ場所で寝ているため、朝起こす時は平等なテンションで起こす。
その際次女は起きなくても構わないと思っているけれど、朝御飯の支度が心配なので個別に声をかける。


私の仕事は平日に休みの日があるので、そんな日は昼間2人で家にいた。
学校へ行かなくなった当初、娘は自室に籠もることが多かったが、次第に彼女の好きなYouTuberの番組を2人で見たり、外出したり、一緒に遊んだりと親子での時間が増えた。


月日が経ち

娘の自傷行為はなくなり

腕の傷痕も癒えて




それでも、学校へは行けていない。



よく、不登校のゴールは必ずしも再登校ではないと言われる。
けれど、私は子供に学校へ行って欲しい。

「何故?」と、深く考えた時に

微かに

僅かに

子供を想うのとは違う澱みが、心の奥底に見えた。


すぐに蓋をした


言いたくない
見つめたくない

それを言ってしまうのは


母親失格のような気がしたから


「ただ普通に学校へ行って欲しい」
その言葉で澱みを覆おうとしたけれど、そんな浅はかな殻だってすぐに剥がれることになる。

「学校へ行きたくない」それを言えなくて
朝、普通に家を出て、近所の人気のない場所に隠れて。
両親が仕事に行くのをやり過ごし。
自分で欠席や遅刻の連絡を入れ。
成績表が親に直接手渡しではないのを利用して欠席の欄を修正していた。

私が中学生の時の事だ。

今の次女を見ていると


もう、行けるんじゃない?
何故、行けないの?
頑張りなよ
私は無理して行ったんだよ

「ずるい」
擁護してくれる母親がいて
父親だって、勉強にはうるさいけど「学校へ行け」の一点張りじゃないでしょ
あなたも多少無理して行ってみなよ


と、あの頃の私が顔を出す。
娘の環境に嫉妬している。


羨ましいよ
いいな
あなたをそのまま受け止めてくれる親がいて


蓋をした羨ましいという思いが、娘の環境をズルいと思う幼さが、自分の子供への嫉妬が
「私も親に受け止めてもらえたら良かったのに」
と、声をあげた。

そうか。

私は、私がして欲しかった事を子供にしているんだ。

そして、私自身が嫉妬するくらいに、あの頃の私が羨むほどの事を、私は親として子供にしているじゃないか。


反転した


私は、精一杯この子の親をやれているじゃないか。

正直他人に言われてもピンとこなかった。
「お母さん、頑張ってますよ」って言われても、「私は次女がこれ以上どうにかなるのが怖かっただけだ」と思っていた。

娘の腕の傷を見て、これ以上の事が起こったら…という恐怖があった。
けれども、それ以上に私を動かしたのは、私に傷を見つけられた時の彼女の怖がり方だった。その姿に、昔の私を重ねていたのだ。

私がしてもらいたかった受け止めるという行為を、精一杯頑張った。
頑張っているから、いい加減なにか進展が欲しいと言う気持ちもある。


娘の状況をみて感じた澱みの正体をまっすぐ見つめると、娘と私との境界線が見えた。

娘に嫉妬している私を認めて、羨ましいと思うになったまでの環境を作っていた私を褒めてあげよう。

羨ましいと思う気持ちが、嫉妬が、妬み・嫉みにならない様に、娘と私の違いを見つめていこう。

「娘に学校へ行って欲しい」という願いから「私は無理して行ったのに」という感情を手放していこう。

娘が、自分自身どうしたいかを見つけられた時に受け止められる様に。


ここまで読んでもらったあなたに

正直に言うと、私が娘の状況に重ねた、私自身に起きた出来事を意識的に書きませんでした。
そしてそれを誰かに言う事は、この先ずっとないでしょう。

だから、娘が何を理由に苦しんでいるのかを私が知る必要もないのではないかと思っています。

もちろん、話してくれると嬉しいけれど。

もしも、娘が私に話してくれる日が来たら。

その時私はまた、娘を羨ましいと思うのかもしれません。


池松潤さんの #嫉妬祭り 参加記事です。
#フィードバック希望 です。
よろしくお願いいたします。

斉藤ナミさんの婦人公論の連載を読んで、ストレートに嫉妬を語る姿に清々しさを感じた。こんなふうにまっすぐに自分の嫉妬を見つめると、私はどうなるのだろうと思ったのがきっかけだった。

「嫉妬」を考えた時に、今一番に浮かんだのが娘の事でした。

noteで出会えた記事たち、noterさん達との交流で気づかされる事が沢山あります。

そしてありがたい事に、その出会いのどれもがタイミングがいいんです。

皆様にはいつも感謝しております✨
読んで頂いてありがとうございます✨


いいなと思ったら応援しよう!

波 香月 -なみ かづき- サポートして頂いたら、とんでもなく舞い上がります。 「頑張ってるね」の気持ちを素直に嬉しく受け取る体験をしたのはnoteが初めてかもしれません。 あなたのサポートを糧に、他の誰かに「頑張ってるね✨」を届けたい✨

この記事が参加している募集