『国宝』感想 “ナニカ”を感じていた時間
汗だくだった。
映画を観終わって席を立つ時、座面についていた部分の汗が凄くて、次にこの席に座る人がいたら申し訳ない位だった。
帰る道中のショッピングモールの中も、暑いのか涼しいのかわからない。
ちなみに一緒に観た夫は汗ひとつなく、至って平然としていた。
いや、それが普通。
映画『国宝』を観た
あらすじ
後に国の宝となる男は、任侠の一門に生まれた。
この世ならざる美しい顔をもつ喜久雄は、 抗争によって父を亡くした後、上方歌舞伎の名門の当主・花井半二郎に引き取られ、歌舞伎の世界へ飛び込む。
そこで、半二郎の実の息子として、生まれながらに将来を約束された御曹司・俊介と出会う。
正反対の血筋を受け継ぎ、 生い立ちも才能も異なる二人。
ライバルとして互いに高め合い、 芸に青春をささげていくのだが、多くの出会いと別れが、 運命の歯車を大きく狂わせてゆく...。
キャスティングとシナリオ
喜久雄【花井東一郎】(吉沢亮)
俊介【花井半弥】(横浜流星)
花井半二郎(渡辺謙)
その他の俳優陣も、経歴まで紹介するとそれだけで記事が書けてしまうほどの豪華なキャスティングだ。
この俳優さんのファン。ってわけでも特にないんだけれど。
吉沢亮さんは、長く続いているCMで「何を考えてるかわからない不思議な感じ」が今回の喜久雄役と通じる所があるように見えた。あと、女形の化粧が映える人。
横浜流星さんは、映画『正体』を観ていたので彼がどんな女形の演技をするのか気になった。立ち居振る舞いも含めた演技。たぶん役を突き詰めて行く中で、自分の身体も厭わない人なんじゃないかっていう直感。
キャストのお二人を目で追ってはいて、歌舞伎の世界の話だというのはわかっていた。
興味をひいたのは、役柄の二人の対照的な生い立ちだった。
#国宝 を本格的に観ようと決めた原因は「ガラスの仮面」の主人公と好敵手キャラの境遇が似ているからだったんだけど、noteで書きたい感想はそこに焦点当てないからここで出しちゃう。
— 波 (@IzayoiNami) June 24, 2025
マヤと亜弓さんじゃんって。そりゃ「ガラスの仮面」読んで演劇部入った位なんだから、観たくなるよね。
人が自分以外を演じる魅力と、エグさと、熱量と、人生の色々を『ガラスの仮面』で叩き込まれた小学生高学年〜中学生時代。
比較論評とかでもなんでもなく、思い出さざるを得ないでしょうよと、恐れを知らずに言いますけどね。
原作から映画化するにあたって、李相日監督が『筆頭にくるのは俊介との関係性であり……』とパンフレットのインタビューで語っていらっしゃる通りに脚本化となり、映画となったこの作品は
好敵手との切磋琢磨が好きな日本人の興味をひくあらすじになっています。
さて、前置きはこの位にして。私の感想の本題に入ります。
ここからはある程度のネタバレ有りで語っていくので、ご了承下さい。
“ナニカ”に選ばれた人
“ナニカ”に間違いなく選ばれた人だと皆が感じる、人間国宝、小野川万菊の『鷺娘』の演目に魅入られていくように見える喜久雄。
それは“ナニカ”に喜久雄が見出された瞬間なのではないだろうか。
万菊との顔合わせの時。
喜久雄は万菊に呼び止められて「顔が邪魔をする」と声をかけられます。
私も今思い出して苦笑しました。
そうですね。後ほどまた出しますが、そうですね(苦笑)
万菊さんも“ナニカ”に魅入られた側なんでしょう。
いえ、あの凄味は、“ナニカ”そのものが万菊さんではないのかな。
今際の際の「ここには美しいものがないでしょう」は、やっと人間に戻れる安堵も示しているのではないかと感じました。
手を引くモノ
花井半二郎の代役として花井東一郎が立った『曽根崎心中』
お初が徳兵衛の手を引いて花道を退場していくシーン。
お初を演じる東一郎は、手を引いて退場するとともに成功への道を歩きだします。
代役以上として、お初を自分のモノとした東一郎。
悪魔に願掛けした辺りから、“ナニカ”が東一郎を支配するかのような表情になっていきます。
何と『死ぬ覚悟』なのかを、決めたからなのでしょうか。。。
一方、春江に手を引かれて表舞台から消える俊介
パンフレットでは「春江の心変わりが悪女にみえるのではないか」と危惧していた様子もありましたが、映画の中できちんと「春江が喜久雄のプロポーズを断る」ので悪女には見えませんでした。
悪女の様な心変わりではなく
ナニカに選ばれた人
ナニカの恐怖から守りたい人
その選択の結果なだけなのかな、と。
春江の選択の先は、この後の彰子の選択と対照的ですよね。
彰子に引かれる喜久雄
先程出た、「顔が邪魔をする」件がここですよね。まごうことなく「彰子を利用したれ」感が出た瞬間。“ナニカ”の支配より、人間の欲が出た瞬間だったかな。
ひょっとしたら、襲名披露時の「俊ぼん…」の言葉で既に外れかけたのかもしれない。
彰子に手を引かれていく喜久雄の表情は
「こんなはずじゃなかった」という感情として見る方が一般的だろう。
けれど私は“ナニカ”から外れてしまう恐怖の表情に感じた。
どちらにせよ、悲しいかな「この選択は間違っていた」という表情。
ムキになって喜久雄の手を引いた彰子も、身を賭して喜久雄を支えるが…
選択肢の先は、「何やってるの」
一人、わらっている喜久雄が人間に戻っていて。
悲しくて
美しくて
大人時代唯一、人間として崩れた場面だったのだと思う。
半二郎・半弥での『曽根崎心中』
喜久雄の最後の人間味を取り戻せる俊介をも奪っていく“ナニカ”
いや、俊介にも“ナニカ”は居て、二人もろとも引きずり込んでいく。
パンフレットを読んで、ここの解釈がハッキリとしたんです。
不勉強だったのですが、『曽根崎心中』の原本は徳兵衛がお初の手を引いての花道からの退場だったんですね。
そうすると、もうどちらがどちらの手を引いても、なんなら劇中の様に二人もろとも花道を退場していっても構わないわけです。
半弥にも、“ナニカ”は確実にいます。だって、あの父親の子供なんですから。生まれが生まれだけに、おそらく本人も気づきにくかっただけなのでしょう。
(余談ですが、年嵩を増した時の特殊メイク、心なしか渡辺謙さんの老い方に似せていた様な気がするのですが、気のせい?)
付けるモノ
最初は俊介、次に喜久雄が“ナニカ”から外れた時があります。
それぞれ女性から手を引かれた時。
そして、それを再び付ける者もいます。
それが小野川万菊さん。
俊介が戻ってきた時
稽古をつけていた万菊さん。
単に生まれが生まれだから。という立ち位置の表現にも見えるけど、万菊さんがこの稽古を通して“ナニカ”の目を引き戻しているようにも感じる。
喜久雄が人間に戻った時
ひとしきり自分をわらった次の日。
まるで見えていたかのように“ナニカ”を渡す様な病床の万菊さん。
ちなみに、ここの竹野が呼び出すシーンの『あのばあさん・・・じいさんか』で「フッ」と息を漏らして笑ってしまった。
唯一の和みシーンで徐々に上がっていった竹野の好感度が最大値になったのは言うまでもない。
Luminance
実は、映画を観る事を決める以前に坂本美雨さんのラジオを聞いてました。
主題歌の作詞にあたって坂本美雨さんは「喜久雄に幸せになって欲しい」といった想いを込めているそうです。
人間国宝になった喜久雄の花井半二郎としての幸せは人間にとって幸せとは言い難く
そこから、“ナニカ”から解き放たれてようやく手に入れる幸せは本当に幸せなのか
そんな事を考えながら、映画の圧倒的な熱量を浴びて汗だくになっていた私でした。
ここまで、なにを言っているかわからない感想を読んで頂きありがとうございます。
私も、何を伝えたいのかよくわかっていません。
人が己をかけて表現するものには必ず熱があります。
その熱が、必ずしも結果を伴うとは限りません。
けれどその熱を好む“ナニカ”がいることは、この映画に感じたのです。
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