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 あ、録音するんですね。いえ、大丈夫です。そっか、先生は心療内科のお医者さんじゃないのか。私が話しやすいと思って、先生がわざわざ来てくれたんですね。うん、確かに、初めて会う先生よりずっと、先生の方が話しやすいです。

 まず、何から話せばいいのかな。あの日は……まあ、話さなくても先生は知っていると思うんですけど、外泊許可が出て三日間家に帰っていました。でも、帰ったって言っても、昼間は家に誰もいないし。別に楽しいわけでもなかったです。私、弟がいるじゃないですか。弟とは、半分しか血が繋がってないんです。お母さんの連れ子が私で、弟は、新しいお父さんと私のお母さんの間にできた子だから。それで、お父さんもお母さんも仕事だし、弟は学校だから、私は家でずっとぼうっとしているだけなんですよ。みんな帰ってきたって、夕ご飯の時なんかも、全然会話もないし。むしろ、今まで三人だったのに私が入って歪になっちゃったような感じが凄いしていたんです。連れ子の私より、お父さんもお母さんも弟の方が可愛いんです。きっと。いや、絶対。だから私のことは、凄く邪魔なんだと思います。でも、お父さんもお母さんもプライドが凄く高いから、周りとか、近所の人には仲のいい家族って思われたいみたいで、家から一歩でも外に出ると、途端に優しくなるんです。先生と話している時のお父さんとお母さん、優しくて気さくだと思いませんか。あれ、全部嘘なんですよ。だから、私が病気になって、心底面倒だと思っているはずです。でも、「可哀想な娘」に「お金を惜しまない親」を頑張って演じているんです。気持ち悪いですよね、本当。

 きっと、お父さんもお母さんも、私が死ぬのを待ってる。毎日毎日、まだ生きてる、まだ生きてるって……あ、すみません。それで、外泊二日目の日、家にいてもすることないので、外に出たんですよ。行ったのは、近所の本屋さんと公園です。本屋さんで少し立ち読みして、公園でぼんやりしていたんですけど、すぐに飽きちゃって。それで、帰り道です。私が攫われたのは。本当に一瞬のことで、何が起こったんだろうって思いました。ガードレールのない歩道で、すぐ横に車が停まって、ドアが開いたと思ったらすぐに車の中に引きずり込まれました。腕はガムテープでぐるぐるにされたので、動けなかったですけど、目隠しとかはされませんでした。運転している人と、後部座席に一人、乗っていました。二人ともマスクをしていて、運転している人は眼鏡もかけてました。どちらも男の人でした。怖い、とはあまり思いませんでした。殺されるのかなとか、考えたけど、結局死ぬのなんて、あと何年後かには決まってる未来なんだから、少し早まっただけだなとか、そんなこと思っていて。むしろ、身代金とか要求される方が困るなとか、お父さんとお母さんは、可愛くもない私のためにそこまでするかなとか、考えたりしちゃって。被害者なのに、自分でもすごく冷静だったなと思います。

 車が停まったのは、どこかの住宅街の奥の、綺麗な一軒家でした。後部座席に乗っていた人が私を降ろして、運転していた人が私の肩に手を乗せて一軒家の中に入れました。車は、後部座席に乗っていた人が運転席に移動して、そのままどこかへ走って行ってしまいました。運転していた人は、私を家の中に入れると、靴を脱がせて、二階の奥の部屋に入るように促したんです。奥の部屋に一緒に入ると、その人はガムテープを綺麗に剥がしてくれました。それで……あ、その部屋、凄く広くて綺麗だったんです。モデルルームっていうか、私が住みたい部屋をそのまま作ったみたいな。ベッドも机もテレビも、本棚もあって、布団のカバーは私の好きなオレンジ色で。いい匂いがするなって思ったら、花瓶に百合の花が飾ってありました。ずっと、誰かに住んでもらうのを待っていて、毎日掃除されてたのかなってくらい埃一つない綺麗な部屋でした。それで、その、男の人が、初めて喋ったんです。「ごめんね、怖い思いは絶対にさせないから。僕は……カンザキっていうんだ」って。凄く優しい声でした。低いんだけど、威圧感はなくて、丁寧で、一音一音躊躇うように話すんです。カンザキさんは、私をベッドに座らせると、私の両手に自分の手を重ねて「叶うなら、君にずっとここにいてほしい。死ぬまでずっと。外に出してあげるのは、ちょっと難しいかもしれないけど、君は怖がることは絶対にしないし、不自由な暮らしはさせないよ。欲しいものがあればなんでもあげる」って言うんです。眼鏡とマスクで表情はあんまりわからなかったけど、嬉しそうな、少し泣きそうな、懇願しているみたいな目で、私をじっと見つめるんです。私は……外に出れないのは、どこにいたってあんまり変わらないし、病室か、居心地悪い家か、好きな色の布団の上かだったら、もうここにいたっていいんじゃないかなって思って。カンザキさんに頷いたんです。そうしたら、凄く嬉しそうな声で「ありがとう」って言うんですよ。私も、なんだか嬉しくなっちゃって。誘拐されているって感じはしなかったです。誘拐ってもっと、狭くて暗い地下室とかに閉じ込められて、ご飯もろくに貰えずに、酷いことされる、みたいなイメージだったので。

 カンザキさんはまず、家中を案内してくれました。一階にはリビングとキッチンと、和室が一部屋。あと、お風呂とトイレ。二階には私の部屋ともう二部屋。一つがカンザキさんの部屋で、ベッドとパソコンが置いてある机があって。もう一部屋は物置、みたいな所でした。玄関のドアは内側からも鍵がないと開かないようになっていて、ここだけは「ごめんね、ここの鍵は渡してあげられないんだけど、他の部屋は自由に行き来していいから」って言われました。でも、鍵がなくたって、リビングには窓もあるし、逃げようと思えば逃げられるんです。だから私は、あくまでも自分の意思でそこにいて、それで……。

 ……それで、私は、カンザキさんがくれた私の部屋で、テレビを見て、夕方のニュースが始まったくらいに、リビングに下りたんです。カンザキさんがキッチンに立って、何か作っていました。眼鏡とマスクをしたままで。私が思わず笑ったら、カンザキさんが「どうしたの?」ってびっくりしたように言うから、「どうしてマスクしたままなんですか」って訊いたら、カンザキさんは少し考えてから「照れ屋なんだよ」って言うんです。ふふ、なんだか面白くて、「外した顔が見たいです」って言ってみたら「ううん、困るなあ」って。私が何か言うたびに、喜んだり、びっくりしたり、困ったりするのが、凄く楽しくて。そうしたら、カンザキさんが「お風呂が沸いているから入っておいで」って。本当に、二人暮らししているだけみたいな、何の不自由も、何の恐怖もありませんでした。お風呂から出たら、用意されていたタオルで体を拭いて、用意されていた下着と服を着て……下着まで用意されていたら普通きっと、気持ち悪いって思うんだろうけど、特に何も思わなかったです。部屋も、服も、下着も、きっとカンザキさんは、私と一緒にここで暮らすのをずっと待っていたのかなって思うと、むしろ少し嬉しいくらいで。私のことをどこで知ったのかはわからないけど、私の知らない所で、私のことをずっと想って、ずっとこの時を待っていてくれたのかと思うと……。

 リビングに戻ったら、ちょうどご飯ができていました。カレーライスとサラダが並べてあって、相変わらずカンザキさんはマスクをしたままでした。それで、一緒にカレーを食べたんですけど、カンザキさん、マスクを右手で摘んで左手でスプーンをマスクの隙間に入れて食べるんです。ふふ、変な人ですよね。そうそう、カンザキさんは左利きなんですよ。それで、ご飯を食べ終わると、カンザキさんは、何か、冊子みたいなものを私に見せてきて、「欲しい服とかがあったら言ってね」って、中高生の女の子向けの服が沢山載っているカタログをくれました。私は自分の部屋でカタログを見たり、部屋にある本を読んだりして、眠くなるまで過ごしました。お父さんとお母さんのことは、あんまり思い出さなかったです。帰りたいな、とかも思いませんでした。

 そろそろ寝ようかなと思って、電気を消して布団に入って、少ししたら誰かが部屋に入ってきました。静かにベッドに近づいてきて、立ち止まったかと思うと私の頭を撫でて、その手は……私の思い違いかもしれないけど、少し、震えているような気がしました。私が、寝てるふりをしていると、右耳に何かが触れたんです。柔らかくて、少しだけ乾燥してる、誰かの唇、でした。少し息遣いが聞こえたあと、「ずっと、君とこうして二人だけでいたかった。今、凄く嬉しいよ。君が死ぬまで、いや、死んでもずっと愛しているよ。永遠に、ここで二人でいよう」って、カンザキさんの声がしました。そんな、海外のドラマみたいな台詞、誘拐犯に言われたらきっと怖くて逃げだしたくなるはずなのに、私には凄く、優しくて、甘い言葉みたいに感じたんです。

 毎日、私は何不自由ない暮らしをしていました。カンザキさんは、ご飯も、欲しい服も、欲しい本も、全部与えてくれた。ご飯を「美味しい」と言えば喜んでくれたし、新しい服を着ると「可愛い」と褒めてくれた。新しく読んだ本の感想を言えば「凄いね、面白かったんだね」と共感してくれる。寝る前には必ず、少しくすぐったいけど、愛を囁いてくれる。家より、病院より、ずっと楽しかったんです。

 でも、すぐにそんな生活も終わってしまいました。あの家に住み始めてから二週間くらい経った日の、朝。カンザキさんが起きる前に目が覚めた私は、リビングに下りて、少しカーテンを開けました。いつもは窓に近づくことはないんですけど、早起きしたから、朝の光を浴びたくて、もう自分の家みたいにくつろいでいたから、私は本当に、何も考えて
なかったんです。それで、カーテンの隙間から、ちょうど、外を歩いている人と目が合ってしまったんです。私は急いでカーテンから離れて、でも、目が合った人は、私の顔を見て、驚いたような、何かに気付いたような顔をしていたんです。私、怖くなって、自分の部屋に戻ったら、少ししてカンザキさんが入ってきました。ベッドで蹲っている私に、カンザキさんが「どうしたの」って隣に座ってくれたんです。私が、「外を歩いている人と目が合っちゃった」って言ったら、驚いていたけど、私のことを怒りはしなかったんです。「大丈夫、何があっても傍にいるから」って私の頭を撫でてくれました。

 でも、やっぱり、警察が来たんです。近所の人から通報があったって。私は二階の自分の部屋にいたんですけど、警察の人は中々帰らなくて、家の中に上がり込んできたんです。まずリビングを見て、ゆっくり二階に上がってきました。カンザキさんの部屋を見て、物置を見て、最後に私の部屋を開けました。警察の人は私を見て「いたぞ」って大きな声で叫んで……。婦人警官の人が私に駆け寄ってきて「怖かったね、もう大丈夫だよ」って言うんです。怖いことなんか何もなかったのに。私は警察の人に連れられて外に出されました。別の警察の人がカンザキさんを取り押さえていました。私が「カンザキさん」って叫んだら、カンザキさんは「絶対迎えに行くから、ずっと傍にいるから」って初めてマスクを外して叫んでくれました。それで、もう、カンザキさんとはお別れでした。

 これで、全部です。私は今でも、凄く後悔しています。あの日、少しカーテンを開けてしまったこと。あんな些細なことで、カンザキさんとの生活が壊れてしまったのが、凄く悲しくて。私にとっての幸せは、病気を治して、居心地の悪い家に帰ることなんでしょうか。愛されもしていない両親に看取られて死ぬことなんでしょうか。どうして、ずっと傍にいてくれると誓ってくれた人とは引き離されて、世間の幸せを押しつけられて、可哀想、可哀想って、言われながら、生きていくことを強要されなければいけないんですか。

 心的外傷後ストレス障害、でしたっけ。病気なんですね、これも。初めて、誰かに必要とされて、愛してもらえるってこんなに素敵な気持ちなんだって、気付けたのに、この感情も病気なんですね。異常で、異質で、取り除かなければならないもの。愛してくれる人がいて、二人が暮らす家があって、私が嬉しい気持ちになって……それで、いいじゃないですか。他に何もいらないじゃないですか。

 ずっと、そう思って生きてきました。この五年間。私、二十歳になったんです。五年もしぶとく生きて。ねえ先生。時計、右手に付けてるんですね。あとは、マスク外してください……ありがとうございます。あ、やっぱり、唇の左端にほくろがありますね。ねえ、私ずっと待っていたんです。「絶対迎えに行くから」ってカンザキさんの言葉を信じて。今、私凄く嬉しいです。やっぱり、迎えに来てくれたんですね。神崎先生。

#創作大賞2023  


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