「みんな同じ」はもうやめよう。
みんな同じは、もうやめよう。
一人でやりたければ、一人でやればいい。
グループでやりたければ、グループでやればいい。
興味がないことをやるのは、もうやめよう。
興味があることを学べばいい。
子どもを評価するのも、そろそろやめよう。
たった一人の評価なんて、生きていくうえで必要ない。
世界には、いろいろな考えや価値観がある。
お互いに違いを認め合えば、それでいい。
楽しいこと、面白いと感じること、興味があることは、一人ひとり違う。
だから、自分で学びたいことをどんどん学べばいい。
教室で学んでもいい。
ネット上で学んでもいい。
外で学んでもいい。
どこで学んでもいいし、
誰から学んでもいいし、
何を使って学んでもいい。
その環境を、大人たちが整えればいいだけの話。
それぞれに合った教育のかたちがある。
いまのように、小さな教室に30人を押し込めて、
一斉に一律の内容を教える形がその子にとって最良なら、それでもいい。
でも、そうじゃない子もいる。
だから、一人ひとりに合わせた授業形態にすればいい。
大人の考えた枠組みに、無理やり子どもを押し込めようとするのは、もう終わりにしよう。
一人ひとりは違う。
その違いを、尊重しよう。
多様性の時代に逆行している、画一性を求める学校って、どうなんだろう?
学校は、なにかと違いを排除しようとする。
社会が少しずつ違いを受け入れ始めているのに、
「学校だから」
「○年生だから」
「○歳だから」
「男だから」
「女だから」
と、枠組みをつくってしまう。
その枠からはみ出した人は、
「変な人」と捉えられてしまう。
そこから始まるのが——
偏見、いじめ、排除。
先生たちが、社会の流れと逆行してまで画一性を求めるのはなぜだろう?
きっと、先生たち自身が受けてきた教育に縛られているから。
・先生は子どもの上に立つ人
・先生の言うことを聞く子が「いい子」
・先生の教えをすぐに理解できる子が「いい子」
・先生と同じように考える子が「いい子」
・みんなと同じようにできる子が「いい子」
そんな「大人の都合のいい子ども」を育てても、社会では必要とされない。
学校は、未来で活躍できる人を育てる場のはずなのに、
いまはまったく逆の方向に向かっている。
時代は流れているのに、
学校だけが、その流れに逆らってとどまろうとしている。
だから、社会とはかけ離れてしまっている。
そして、社会から見れば異質な存在になっていることに——
気づいていない。
もしくは、気づかないようにしている。
でも、変化はそんなに難しくない。
たった一つ——
「違いを認め合えばいい」
それだけで、世界は変わる。
まずは、先生や、子どもに関わる大人たちの意識から変えていこう。
そうすれば、未来の社会は、きっともっと生きやすくなる。
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