「お母さん型社会」の息苦しさについて 議論なき正しさが支配する時代に
※本稿で使う「お母さん型社会」という言葉は、特定の性別や職業を指すものではありません。あくまで、説明なき正しさや感情的な同調圧力を象徴する比喩表現として使っています。
「ダメなものはダメ」「そんなこと、みんなやらないよ」
このような言葉に、どこか思い当たる節がある人も多いのではないでしょうか。説明も根拠もありません。ただ、何となく“そういうものだから”と通される理不尽。私はこれを、「お母さん型社会」と呼ぶことにしようと思います。
もちろん、すべてのお母さんがそうだというのではありません。けれど、戦後の日本社会が感情的な安心や調和を最優先し、「議論」や「異論」を避けてきた構造は、母親的なるものの悪い側面が拡大した結果に見えるのです。
本来、健全な社会は“母性”と“父性”のバランスで成り立つべきです。前者が包摂や共感なら、後者は論理や責任。ところが今は、前者ばかりが強調され、後者が悪とされているようにも感じます。
“みんなそうしてる”で押し通される正しさ
「なぜそれがダメなのか?」「誰が決めたのか?」
私は子供の頃から、そういう疑問をよく先生にぶつけていました。教師の中には真摯に向き合ってくれる先生もいらっしゃいましたが、頭ごなしに否定するだけの先生もいらっしゃいました。
ある数学の先生は、「教えた解法と違うから」という理由で私の正解にバツをつけました。答えが合っているのに。それは本質的に「なぜ?」に答えていません。結局、その先生との話し合いで正解と認められましたが、この“手続き通りでなければ正しくない”という発想には、子ども心に強い違和感を覚えました。
なぜ議論を避けるのか?
この社会では、議論が面倒がられ、「空気」が議論の代わりを務めることが多いと思います。
本来、「何が正しいのか」は論理や事実に基づいて議論されるべきなのに、「言い方が気に入らない」「不快に感じた」という理由で、その前に話が遮られることもあります。
発言の本質より、感情的リアクションや“誰かが傷ついたかもしれない”という想像のほうが優先される。つまり、「話の中身より、場のムードを壊さないこと」が重視される社会と言えます。
これが「お母さん型社会」の特徴であり、弱点でもあると考えます。
突出したものを許容しない風土
お母さん型社会では、すべてにおいて70点を取ることがよしとされます。
突出した才能より、平均的な「ちゃんとした人」が評価されますよね。
でも、社会を動かし、歴史を変えてきたのは、時に極端で、他の部分では“社会不適合”とされるような人物たちでした。突出した何かを持つ人間の価値が見えにくくなったとき、社会はじわじわと停滞していくと感じています。
憲法と“言霊”信仰
この傾向は、国の根幹に関わる議論にも影を落としています。
たとえば「憲法を変えるべきか」と口にした瞬間、
「戦争に賛成なのか?」
「第9条があるから日本は平和なんだ」
という反応が返ってきますよね。
これは議論ではなく、感情的な拒否反応です。
なぜ改正が必要と考えるのか、どこをどう変えたいのか、それを冷静に聞いてから判断すべきなのに、「その話題を出すこと自体が悪」とされてしまう風潮に嘆きと危険性を感じます。
第9条は神託ではありません。
1946年、敗戦国の立場でGHQの意向に従って作られた条文です。
つまり、人が議論して作った“ただの言葉”なのです。
誰かが形だけでも議論して決めたのなら、それは人の手で作られたものであり、絶対不可侵の存在(それを神というのかもしれませんが)が私たちに与えたもうたものではないわけのです。その議論した人たちを信じているってことですか。その人たちって、おそらくあなたたちが大嫌いな軍人さんもいたのではないですか。
それを「触れてはならない神聖なもの」のように扱うのは、もはや言霊信仰そのものだと思います。
変えないためにも議論が必要
誤解してほしくないのは、私は憲法を変えろと言っているのではありません。
ただ、「変えない」と決めるにしても、それは議論の末にこそ導き出されるべきだということです。
なぜなら、それは単なる現状維持ではなく、議論の過程を経ることによって、それは自分たちの意志で選んだ形になるからです。
未来の人に
「なぜ変えなかったのか?」
と問われたときに、
「こう考えたからだ」と言える社会。
それが本当の意味で、大人の社会であり、責任ある民主主義なのだと思います。
異論が言えない社会に未来はない
「お母さん型社会」は、善意でできています。
でも、その善意が行き過ぎると、**異論が言えない“やさしさの独裁”**になります。
気に入らない言葉は排除する。
聞きたくない話は「不適切」とラベルを貼る。
汚いもの、見たくないものは“存在しないこと”にする。
けれど、本当に必要なのは、不快であっても問い続ける勇気ではないでしょうか。
最後に
多くのお母さんは優しく、子供を全力で保護します。それはきっと理屈ではありません。
ただし、それが「お母さん型社会」となると、感情による同調圧力、空気での支配、理屈より“感じの良さ”が優先される社会です。平均的ないい子でいることを強いられます。
そんな今の世の中の空気は、私には息苦しいですね。
おかしいことをおかしいと言える、理屈を通す、人と違うことを言ってもよい、自分の意見を表明し議論しあう社会もあってよいでしょう。
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