宗教の話から想定外の面白さにつながる本ーー『宗教の起源』
僕らがやっている「問い読」では1冊の本を6回に分けて読む、オンライン読書ゼミである。春に2コースを開催したが、それぞれ課題図書は、『神々の沈黙』と『NEXUS』であった。
『NEXUS』はあのヴァル・ハラリの最新刊であり、人類の歴史を情報ネットワークを軸に解き明かし、今後AIがネットワークに加わる未来の課題をあぶり出すものだ。一方の『神々の沈黙』は人類が意識を持つようになったのはいつからか?という壮大な問いを掲げる。全く異なるジャンルの本でありながら、共通しているのは「宗教」の存在である。
『NEXUS』では、人は神話や宗教など、それが真実でなくても物語として伝播する力のあるものに大きな影響を受けることが示される。一方の『神々の沈黙』では、意識を持つ前の人間は「神の声」が聞こえていたというのだ。
つまり人類の歴史を辿ろうとすると、宗教の存在は避けられないのであろう。とかく日本人は無宗教だと言われ、今日の世界でも起こる宗教を起点とした紛争についても実感が持ちにくい。とはいえ、人の進化や社会が形成されてきた歴史を考えるにあたって、この問題は避けて通れない。宗教の本質や役割について読んでみようと探していて、出会ったのがこの本だ。
『宗教の起源』の著者は人類学者であり、進化心理学者でもあるロビン・ダンバーであり、「ダンバー数」の提唱者としても知られる。この数字は「人が関係を築ける人数の上限は150人」というものである。聞いたことのある人もいるかもしれない。この数字、顔と名前が覚えられる組織の人数や、あるいはSNSで親しい間柄になれる数は「150人」だという。僕自身、この数字が妙に信憑性があるように感じてしまう。
そんなわけで、ダンバーに興味があったこともあり、この本に行き着いたのだ。
本書は正確には「宗教の進化」を扱う(現代は"How Religion Evolved")。なぜ人類は宗教を必要とし、いつ頃形成され、そして今日までどのような変遷を辿ってきたのかがテーマである。
ここで扱う宗教とは、キリスト教やイスラム教、仏教などの今日の大勢を占める宗教ばかりではない。本書でダンバーは宗教を「霊もしくは力が存在する超自然的世界に対する信仰」(p.19)と定義している。それが一神教なのか多神教なのかは問わない。神という存在さえ問わず、つまりそれは「見えないものを信じる力」と言い換えてもいい。このような力を人類はなぜ持つようになったのか。
本書は著者の専門分野のみならず、考古学、神学、神経科学、そして経済学などの知見も紹介される。そこから宗教の生い立ちに迫るのだが、最も印象な概念は「メンタライジング」である。これは、他者の意図を理解する力のことである。相手の「志向」を理解する姿勢という意味で「志向姿勢」とも言われる。
例えば、自身の心の状態について考察できることを、一次志向性があるという。そして相手のことを理解することが二次志向性となる。「あなたが知っていると私は知っている」がそれである。こうして次元を重ね、概ね人類は五次元の志向性をもつという。これは人の心理状態を深く考えることのできる力のことだ。人が見知らぬ人の話を聞いて、共感したり痛みを感じたりするのは、このメンタライジングの力があるからである。
この他者の心を理解し、想像することができること。この力の延長に「見えない存在を信じる」こと、つまり宗教に繋がったというのだ。このような人間の共感する力と宗教に関連があるという話は考えても見たことがなかった視点である。
本書はこれ以外にも、神秘的なものが持つ誘因力や、トランス状態のメカニズムなど興味深い話が絶え間なく続く。
そんな中、この本が宗教の話を超えて、想定外の面白さを味わうことができる。
僕が最も面白かったのが、社会の規模と宗教の関係である。ここではダンバー数が登場する。人は社会性のある生き物として集団を形成するようになった。しかし、集団で一緒に生活することはストレスでもある。人数が多くなればなるほど、このストレスを解消する仕組みがより強固なものとして必要になる。150人規模であれば、どうにかそれらのストレスを収めることがきるのだが、人類は集団を大きくしていく。そこで宗教の役割が重要になる。「高みから道徳を説く神」の存在が、不特定多数の人たちを束ねる大きな役割を担うようになったというのだ。
この集団規模の話でカギとなるのは、自己のアイデンティティと帰属意識である。集団が大きくなればなるほど、人の帰属意識は希薄化していく。いわば一体感が失われていくのだ。学校では校歌や校長先生のメッセージが、あるいは入学式などの儀式がこの一体感の醸成を担おうとしており、企業でもミッション、バリューなどの設定は、社員に共通意識を持ってもらい人同士を繋ぎ合わせようとする方策の一つと読み替えられる。
そう考えると、僕らの社会は、常に「どうやってまとまるか」という知恵を働かせて、さまざまな施策を生み出してきたことがよくわかる。その一つとして宗教が本書で取り上げられているが、それ以外にも、音楽や踊り、そして物語の力についても言及されている。このあたり、ハラリの『NEXUS』との共通点が多いのも興味深い。
この「どうやってまとまるか」の裏返しは、人はそれぞれ別々な存在であるという前提である。多様性は今日盛んに言われているが、そもそも人ぞれぞれ別の存在なのだ。だからといって、僕ら人類はひとりでは生きていけない。勝手気ままな存在ではあるものの、「まとまる」必要があり、このジレンマの中で人類はさまざまな工夫と仕掛けをしてきた。これが人類の歴史であるとも言える。
近代は科学が一層飛躍し、個人主義も勃興してきている。こんな中で、宗教の影響は相対的に小さくなってきており、著者も「教義宗教のほとんどが、誕生してせいぜい2000年程度であることを考えると、2000年後の宗教の顔ぶれはずいぶん変わっているのかもしれない」(p.284)と述べる。
この時間軸の中で、人類は異なる存在としての自由と「他者とつながる」のバランスをどう取るのであろうか。
本書では、この「他者とつながる」原型としてサルの毛づくろい(グルーミング)が紹介されている。グルーミングは信頼関係と協力関係を築く最も原始的な方法であるが、一度にひとりしか相手にできないので効率は悪い。そこからさらに大勢の人と効率よく結びつく方法として、笑うこと、歌うこと、そして宗教儀式へと発展していったという。それでは、この人と関係を築くグルーミングの役割は今後どう変わっていくのだろうか。
宗教の役割とその変遷を描いた本書は、人と人が結びつき、人々を束ねる仕掛けが今後どう変わっていくのかを考えさせられる本である。デジタルとネットワークの力が、ますます「ひとりで生きる」可能性を広げてくれる時代に、社会的結びつきの変遷をこの次元で考えてみる、宗教の話を超えて想像以上に面白い本である。
追伸:「問い読」秋のコースの一つで、この『宗教の起源』を課題図書に。ご興味のある方は下記をご覧ください。
