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工具かばんの重さ|ポケベルが鳴っていた頃、私はFAXを直していた



※本作は実体験をもとにしたフィクションです。登場する人物名・会社名・団体名・出来事の一部は創作であり、実在のものとは関係ありません。

あらすじ

平成のはじめ、私は情報処理の専門学校を出たものの、思い描いた道には進めず、FAX保守会社のカスタマーエンジニアとして働き始める。教わる仕組みもないまま、ポケベルに呼ばれ、工具かばんを抱えて東京中の現場へ向かう日々。初日の修理、払わない会社、自転車で走り続けた都心、事故、大手町の夜、消えた部品、辞めていく新人、土曜深夜の電話。機械を直しているはずだった私が、現場で本当に向き合っていたのは、人間の焦りと、時代のほころびだった。これは、教わらないまま働き始めた若者が、仕事の重さと、自分の立ち方を少しずつ知っていく物語である。


土曜の夜、電話が鳴る

土曜の夜に鳴る電話は、少しだけ音が違って聞こえる。

同じベルの音だ。
受話器も同じ。
会社の電話機も、昼間と何も変わらない。

それなのに、夜になると音が少し尖る。
人の少なくなったフロアに、まっすぐ刺さるように響く。

私はその日、夜間受付の当番だった。

この時の私は、もう入社して八年ほどが経っていた。
若手と言い切るには少し現場を知り、ベテランと呼ばれるにはまだ足りない。そんな中途半端な場所に立っていた。

だから、この夜の私は、これから書いていく若い頃の私を、少し離れたところから思い出している。
あの頃はまだ何も知らなかった。
工具かばんの重さも、電話の向こうにいる人間の重さも。

十八時から翌朝八時半まで。
数字だけ見れば、ただの長い勤務時間である。
だが、実際にその椅子へ座ると、時間の重さが少し変わる。
昼間の十四時間半と、夜の十四時間半は同じではない。

夜は、世界が少し不親切になる。

電話の向こうの声は荒くなる。
待つ余裕がなくなる。
相手は焦っている。
こちらも眠気と緊張の間で、頭の奥が少し鈍くなる。

それでも、取らなければならない。

全国から入る電話を、その夜は二人で受けていた。
もう一人は、同じCEの佐伯だった。
佐伯とは、現場で頻繁に組んだわけではない。昼間はそれぞれ別の担当エリアを走っていたし、顔を合わせるのは朝と夕方、あるいはこうした夜間当番の時が多かった。

だからこそ、佐伯は私にとって少し不思議な同僚だった。
現場の細かい苦労を全部共有しているわけではないのに、夜の電話を一緒に受けていると、妙な連帯感だけが生まれる。

佐伯は私より少し年上で、煙草をやめたばかりの男だった。
やめた、と本人は言う。
だが引き出しにはいつも、吸いかけの箱が入っていた。

「やめたって言ってるだけで、吸ってないとは言ってない」

そういう、よくわからない理屈を平気で言う男だった。

フロアは静かだった。
昼間なら、誰かの電話の声、コピー機の音、部品棚を開け閉めする音、営業の足音、そういうものが入り混じって、会社という場所の雑音になっている。

だが夜は、その雑音が剥がれ落ちる。

残るのは蛍光灯の白さと、壁掛け時計の針の音と、いつ鳴るかわからない電話だけだった。

机の上には、夜間用の受付票が並んでいる。
契約番号。
機種名。
設置先。
症状。
受付時間。
対応内容。

書式はきれいに整っている。
だが、実際の電話はそんなふうには整ってこない。

「動かないんだよ」
「何もしてないのに止まった」
「今すぐ来てくれ」
「さっきの人に言ったんだけど」
「これじゃ仕事にならない」

夜中に電話してくる人間は、たいてい困っている。
そして困っている人間は、自分の困り方を正確には説明できない。

FAXなのか。
複合機なのか。
専用機なのか。
こちらの契約機なのか。
他社のものなのか。
単なる紙詰まりなのか。
通信回線なのか。
相手先の問題なのか。
機械そのものが死んでいるのか。

受話器を耳に当てた瞬間から、こちらは見えない現場の中へ手を伸ばすことになる。

その夜、二十二時を少し過ぎた頃だった。
電話が鳴った。

佐伯が弁当の残りを片付けていたので、私が取った。

「はい、東都通信機サービス、夜間受付です」

受話器の向こうから、荒い息が聞こえた。
男の声だった。
年齢はわからない。
ただ、かなり焦っているのはわかった。

「FAXが送れないんだよ。全部止まってる。どうなってんだ」

怒りは、たいてい困惑の上に乗ってやってくる。

私は受付票に時刻を書き込みながら、設置先名を聞いた。
相手は早口だった。
何度か聞き返す。
聞き返すたびに、声が少し荒くなる。

地方の営業所だった。
契約はある。
ただ、機種名を聞いた瞬間、頭の中に形が浮かばなかった。

嫌な感じがした。

夜間当番を始めてから何年か経っていたが、それでも知らない機械は出てくる。
会社の扱う機械は、思っているより広い。
FAXだけならまだしも、周辺機器、特殊な通信端末、古い業務用機、地域ごとに残っている妙な構成。

全部を知っている人間など、たぶんいない。
少なくとも私は、知らなかった。

「今、画面には何か表示されていますか」

そう聞くと、相手は少し黙った。

「……Eの、たぶん四十いくつ」

「四十いくつ、ですね」

「だから、来てくれって言ってるんだよ」

来てくれ。

夜間受付でいちばん重い言葉である。

行けばいい。
理屈としてはそうだ。
契約内容に応じて、必要なら出動する。
それが仕事だ。

だが、夜中の出動は簡単ではない。

都内なら私たちが行く。
地方なら、現地の当番者へ連絡を取る。
その当番者がすぐつかまればいい。
つかまらない時もある。
寝ていることもある。
電話に出ないこともある。
出ても、部品を持っていないことがある。
行っても、直せないことがある。

夜は、昼間なら誰かが拾ってくれる小さな穴が、そのまま落とし穴になる。

私は端末で契約情報を確認しながら、相手に状況を聞いた。
紙は入るのか。
受信はできるのか。
送信だけなのか。
回線ランプはどうか。
電源を入れ直したか。
相手先は一件だけか。
全件か。

質問を重ねるほど、相手のいらだちが増していく。

「そんなのわからないよ。こっちは使う側なんだから」

そう言われて、私は一瞬だけ黙った。

使う側。

確かにそうだ。
相手は機械を使う人であって、機械を直す人ではない。
こちらは直す人間だ。
だから聞く。
聞かなければわからない。

だが、聞くことそのものが相手には負担になる。
夜の電話は、いつもこのあたりで少しねじれる。

私は受話器を肩に挟み、古い機種別のトラブル一覧をめくった。
冊子の角はすり減っている。
何人ものCEの指で汚れた紙だった。

その紙の匂いを嗅いだ瞬間、不思議と昔のことを思い出した。

ポケベルの数字。
汗を吸った作業服。
油と紙粉の混ざった匂い。
自分の字で埋まっていくメモ帳。

まだ何も知らなかった頃の私が、工具かばんを持って東京の真ん中を走っている。

あの頃の私は、電話の向こうで怒っている人間が、なぜ怒るのかもわかっていなかった。
故障したから怒る。
仕事が止まるから怒る。
そういう理屈は知っていた。

だが、それだけではなかった。

人は、機械が止まっただけで怒るのではない。
その先にある段取りが崩れる。
誰かに怒られる。
約束が守れなくなる。
自分の仕事が信用を失う。
そういうものが全部、FAXの紙詰まりや通信エラーに乗ってこちらへ飛んでくる。

それを知るまでに、私はずいぶん時間がかかった。

電話の向こうの男は、まだ何か言っていた。

私は現地の当番者へ連絡を取るため、佐伯に合図を送った。
佐伯は黙ってうなずき、別の電話機に手を伸ばした。

夜間受付のフロアに、二つの声が重なる。

私は受話器を握り直した。

「状況は確認します。少しお時間ください」

そう言いながら、ふと思った。

どうして私は、まだこの仕事をしているのだろう。

それは、若い頃から何度も自分に問いかけてきたことだった。
向いているのか。
向いていないのか。
続けたいのか。
辞めたいのか。

答えはいつも曖昧だった。
ただ、気がつけば現場へ向かっていた。
ポケベルが鳴れば電話をかけ、修理依頼があれば地図を見て、自転車を漕ぎ、地下鉄に乗り、工具かばんを持ってドアを叩いた。

最初から覚悟があったわけではない。
むしろ、何もなかった。

ただ、始まってしまったのだ。

私のCE人生は、そんなふうに始まった。

現場へ向かうまで

私は最初から、機械に強かったわけではない。

こう書くと少し変だ。
工業高校へ進み、情報処理の専門学校へ行き、そのあと通信機器の保守会社に入った人間が、「機械に強くなかった」と言うのは、どこか矛盾している。

だが、本当にそうだった。

嫌いではなかった。
触ることに抵抗はなかった。
分解されたものを見れば、どう動くのか知りたくなった。
けれど、それは「得意」とは違う。

得意な人間は、最初から何かが違う。
手の入り方。
目の置き方。
怖がらなさ。

私は、怖がるほうだった。

小学校と中学校は、世田谷のごく普通の学校に通った。
昭和の終わりから平成のはじめにかけての世田谷は、今よりもう少し雑で、もう少し生活の匂いが濃かった気がする。
家の前を豆腐屋のラッパが通り、夕方になると商店街の惣菜の匂いがした。
道は狭く、車は今より荒く、子どもはまだ外に転がっていた。

高校は技術系へ進んだ。

その頃、自分が何になりたいのか、はっきりしていたわけではない。
大学へ行くという道もあった。
だが、時代の空気も、家の事情も、自分の学力も、すべてがきれいに一本の線へ並ぶほど、人生は親切ではない。

工業系の高校なら、何か手に職がつくかもしれない。
そんな程度だったと思う。

アーク溶接。
ガス溶接。
旋盤。
製図。

いかにも工業高校らしい授業があった。
鉄を削る匂い。
油のついた床。
青焼きの図面。
作業服の袖口。

あの頃はまだ、手を動かすことに価値があるという感覚が、今よりはっきり残っていた。
もちろん、きれいごとだけではない。
うまい奴はうまい。
不器用な奴はすぐわかる。
自分の手が思ったように動かないことを、十代の私は何度も突きつけられた。

旋盤で金属を削る時、ほんの少し送りを間違えれば、音が変わる。
溶接は、見た目以上に感覚の仕事だった。
熱の入り方、手の速度、距離。
教科書に書いてあることと、手元で起きることの間には、いつも薄い溝があった。

その溝を埋めるのは、結局、回数だった。

何度もやる。
失敗する。
やり直す。
少しだけわかる。
また失敗する。

今思えば、現場仕事の基本はその頃にすでに始まっていたのかもしれない。
ただ、その時は何もわかっていなかった。

高校を出る時、進路で少し迷った。
就職する者もいた。
大学へ進む者もいた。
専門学校へ行く者もいた。

私は情報処理の専門学校へ進んだ。

今ならIT系という言葉で済むのだろう。
だが、当時の情報処理は、今のそれとはずいぶん違っていた。

まだMS-DOSの匂いが残っていた。
黒い画面に白い文字。
コマンドを打つ。
ディレクトリを移動する。
フロッピーディスクを差し替える。

Windowsが当たり前になる前の、少し乾いた世界だった。

アセンブラ。
COBOL。
C言語。

どれも華やかではなかった。
だが、機械の奥にある理屈へ触れている感じはあった。

私は特別優秀ではなかった。
それでも、プログラムが動いた時の小さな達成感は覚えている。
たった数行の処理でも、思った通りに動くと、少しだけ世界を支配したような気分になる。

もちろん、そのあとすぐにエラーで現実へ引き戻される。
人生とだいたい同じである。

専門学校を出る頃、周囲の多くはSEを目指していた。
システムエンジニア。
当時、その響きにはどこか新しい時代の匂いがあった。
コンピューターに関わる仕事。
これから伸びる仕事。
机に向かって、何かを作る仕事。

私も、ぼんやりとはその方向を見ていた。

だが、就職は簡単ではなかった。

時代は少しずつ冷えていた。
バブルの熱はすでに遠くなり、求人票の向こうにあったはずの明るさは、思っていたほどこちらへ届かなかった。
選ぶというより、まず入ることがひとつの関門だった。

何社か受けた。
落ちた。
手応えのない面接もあった。
自分が何を売り込めばいいのか、よくわからなかった。

卒業して、すぐには決まらなかった。

二十歳そこそこの私は、焦っていた。
焦っているくせに、それをうまく言葉にできなかった。
まわりは少しずつ先へ進んでいく。
自分だけ、ホームに残されているような感じがした。

そうして、卒業から二か月ほど経った頃、私は東都通信機サービスという会社に入ることになった。

FAXの保守会社だった。

カスタマーエンジニア。
略してCE。

聞こえは悪くなかった。
エンジニアという言葉には、若い人間を少しその気にさせる力がある。

ただ、入ってからわかった。
そこは、白衣を着て静かな部屋で機械を扱うような場所ではなかった。

現場へ行く。
機械を触る。
構造を読む。
客の話を聞く。
状況を見て、その場で判断する。
そして直す。

机の知識だけでは足りない。
手先の器用さだけでも足りない。
覚えるだけでも足りない。

その場所で、どう立つか。

CEという仕事は、そこを問われる仕事だった。

最初は、そこまで考えていなかった。
私はただ、仕事が決まったことに少し安心していた。
そしてその安心は、入社して数日で、あっさり薄くなっていった。

会社は古かった。

建物が古いという意味でもあるが、それ以上に空気が古かった。
紙の書類。
手書きの伝票。
部品棚。
灰皿。
電話のベル。
壁に貼られた担当エリア表。

朝、机の上に修理依頼の紙が置かれる。
そこから一日が始まる。

まだメールで依頼が来る時代ではなかった。
コールセンターからFAXで修理依頼が送られてくる。
FAXを直す会社に、FAXで修理依頼が届く。
今考えると、少し笑える。

だが当時は、それが当たり前だった。

担当エリアは東京の中心部だった。
中央区、千代田区、港区の一部。
地図で見ると狭い。
しかし、狭いから楽というわけではない。

東京の中心は、密度がおかしい。
ビルの中に会社があり、その会社の中に部署があり、その部署の奥にFAXがある。
銀行、証券会社、商社、役所、法律事務所、制作会社、小さな貿易会社、医療機関、飲食店の事務所。

一台のFAXの向こうには、それぞれの仕事があった。

私はそれを、あとから知ることになる。

入社して最初の半年ほどは、先輩について回った。
先輩の名前は矢野さんといった。
細身で、いつも眠そうな目をしていた。
口数は少ない。
だが、機械の前に立つと手が早かった。

教えてくれる人、ではなかった。
見せてくれる人、だった。

「ここ、見といて」

そう言ってカバーを外す。
私は覗き込む。

「この辺が汚れる」

そう言って綿棒でセンサーを拭く。
私はうなずく。

「戻す時、ここ噛むから」

そう言って、もう組み上げてしまう。

早い。
早すぎる。

私はメモを取ろうとするが、文字にする前に次の工程へ進んでいる。

「今の、もう一回いいですか」

そう聞くと、矢野さんは少しだけこちらを見る。

「現場で覚えるしかないよ」

それが答えだった。

冷たいわけではない。
ただ、本当にそう思っているのだ。
矢野さんも、そうやって覚えたのだろう。

会社には、体系立った研修などほとんどなかった。
マニュアルはあった。
分厚いファイルもあった。
だが、現場で必要なことは、そこに書かれているだけでは足りなかった。

どのネジが固いか。
どこを無理に引くと爪が割れるか。
どの機種はデータ保持が危ういか。
どの客は時間に厳しいか。
どのビルは搬入口から入らないと怒られるか。
どの受付は機嫌が悪いか。

そういうものは、紙にはあまり載っていない。

私は小さなメモ帳を買った。
胸ポケットに入るくらいのものだ。
そこへ機種ごとの癖、現場で聞いたこと、先輩の手元で見えたこと、失敗しそうになったことを、片っ端から書いた。

字は汚かった。
油で黒くなった指で触るから、紙の端もすぐ汚れた。
雨の日にはふやけた。

それでも、私にはそれが命綱だった。

最初の四か月ほど、私が主にやっていたのは改修だった。
ある業務用FAXの一機種だけ。
市場に出ている機械に、将来不具合が起きそうな箇所があり、先回りして部品を交換する。

来る日も来る日も、その機種ばかり触った。

おかげでその機種だけは、だんだん手が覚えた。
どのカバーを外すか。
どの順番で基板にアクセスするか。
どこに指を入れればいいか。

だが、世界は一機種だけではない。

五か月目になると、点検へ入った。
定期的に契約先を回り、清掃し、ローラーやセンサーを確認し、必要に応じて部品を交換する。

そして、六か月を過ぎた頃、私は少しずつ一人で現場へ出るようになった。

矢野さんが急にいなくなったわけではない。
会社へ戻れば普通に席にいたし、部品棚の前ですれ違うこともあった。詰まれば電話で聞くこともできた。

ただ、横にはいない。

それだけで、世界はかなり違った。
同じ会社にいても、同じ東京を走っていても、現場のドアを開ける瞬間は一人だった。
矢野さんの背中は、もう目の前にはない。あるのは、思い出した手順と、自分の汚いメモ帳だけだった。

独り立ち。

言葉は立派だ。
だが実際には、背中を押されるというより、後ろの足場がなくなる感じに近かった。

聞ける人がいない。
詰まっても横に誰もいない。
客は目の前にいる。
次の予定もある。
ポケベルは鳴る。

そういう中で、私は自分が本当に何も知らないことを知っていった。

初日の二時間

独り立ち初日の朝、私はいつもより早く会社へ行った。

始業は九時だったが、八時前には席についていた。
早く行ったところで、仕事が減るわけではない。
だが、少しでも先に紙を見ておきたかった。

机の上には、修理依頼の紙が置かれていた。

一枚。

たった一枚なのに、胸の奥が少し沈んだ。

会社にいた頃は、修理依頼の紙など毎日のように見ていた。
先輩が見て、予定を組み、部品を確認し、現場へ向かう。
その横に私はいた。

だが、その紙が自分宛てに置かれていると、意味が変わる。

設置先は、京橋の小さな印刷会社だった。
症状は、送信時に原稿がうまく入らない。重送することがある。
機種名を見た。

知らない。

いや、見たことはある。
遠目に見たことはある。
だが、開けたことはない。

十年近く前の古い機種だった。

私は部品棚へ行き、可能性のありそうな給紙ローラーと分離パッドを探した。
どれを持っていくべきか、迷う。
図面を見ればわかるはずだが、図面の読み方もまだ怪しい。

近くにいた矢野さんに聞いた。

「この機種、原稿重送だとどこ見ればいいですか」

矢野さんは煙草を灰皿でもみ消し、修理依頼の紙をちらっと見た。

「ローラーだろうね。古いからパッドも見たほうがいい。あと、データ飛ぶかもしれないから気をつけて」

「データ、ですか」

「短縮とか設定。電源落とすなら、プリントしとけよ」

それだけだった。

本当はもっと聞きたかった。
どこから開けるのか。
ローラー交換にどれくらいかかるのか。
電源を落とさずできるのか。
バッテリーはどこにあるのか。

だが、聞いても全部は返ってこないだろう。
そういう空気があった。

私は必要そうな部品をかばんに入れた。
工具を確認する。
ドライバー。
ラジオペンチ。
ピンセット。
綿棒。
接点復活剤。
テスター。
小さな懐中電灯。

工具かばんは重かった。

革ではなく、黒い合皮のような素材で、角が少し擦れている。
肩にかけると、ベルトが鎖骨のあたりに食い込んだ。
まだ、自分のかばんという感じはしなかった。
借り物の責任だけが詰まっているようだった。

私は地図を見て、京橋へ向かった。

当時、スマホなどない。
地図帳を開き、駅からの道を覚える。
わからなくなれば、公衆電話の近くで地図を広げる。
ビル名と住所を頼りに歩く。

印刷会社は、細長いビルの三階にあった。
エレベーターは古く、少し湿ったような匂いがした。

ドアを開けると、紙の匂いがした。
インクの匂い。
古いコピー機の熱。
狭い事務所の奥に、問題のFAXが置かれていた。

「朝からこれ、使えないんだよ」

応対してくれたのは、五十代くらいの男性だった。
作業着の上にカーディガンを羽織っている。
怒ってはいないが、困っている。
その困り方が、余計にこちらへ重かった。

「見させていただきます」

私はそう言って、機械の前にしゃがんだ。

まず症状を確認する。
原稿を数枚セットし、送信操作をしてもらう。
確かに、紙の入りが悪い。
二枚重なって引き込まれることもある。

給紙系だ。

そこまではわかった。
問題は、どう直すかだった。

私はカバーを開けた。
内部には紙粉がたまっていた。
古い機械特有の、少し乾いた匂いがした。

メモ帳を見る。
この機種のページは、まだほとんど空白だった。
先輩の横で一度だけ見た時に書いた走り書きがある。

「上カバー 爪注意」
「右側奥ネジ」
「電源注意」

それだけ。

頼りなさすぎて笑えてくる。
もちろん、その場では笑えない。

私は会社へ電話することにした。

当時、会社から携帯電話は支給されていなかった。
ポケベルで呼び出され、公衆電話から連絡するのが建前だった。
ただ、現場ではそんな悠長なことをしていられない。

私は持ち歩いていた小さな外部電話機をかばんから取り出した。
FAX回線を借り、そこへつないで会社へ電話する。

「通信テストも兼ねて確認します」

そんな顔をしながら。

今ならアウトかもしれない。
だが当時は、現場がそういう小技で回っていた。

会社につながり、矢野さんに手順を聞いた。

「その機種はね、上開けて、右のユニット外して、奥にローラーがある。ネジ二本。だけどコード引っ張るなよ。あと、電源はできれば落とすな」

「電源落とさずにできますか」

「慣れればできる」

その言い方が、いちばん困る。

慣れていない人間に、慣れればできると言われても、ただ遠い。

私は一度深呼吸した。

電源を落とさずに作業するのは怖かった。
データが飛ぶのも怖い。
ショートさせるのも怖い。
感電するほどの場所ではないにしても、何かを壊す可能性はある。

結局、私は電源を落とすことにした。
その前に、短縮ダイヤルや設定内容をプリントした。
客に説明する。

「念のため、登録内容を出しておきます」

「そんなことも必要なの」

「古い機械なので、念のためです」

自分で言いながら、念のためという言葉にすがっていた。

プリントが出る。
長い紙に、登録先が並んでいた。
会社名、番号、短縮番号。
この紙一枚にも、その会社の仕事が詰まっている。

私は電源を切った。

静かになったFAXは、急に重い箱に見えた。

カバーを外す。
ネジを外す。
右側のユニットに手をかける。

固い。

力を入れすぎると割れそうだ。
入れなければ外れない。

機械修理には、こういう場面が多い。
どこまで力をかけていいのか。
それがわからない。
わからないうちは、すべてが怖い。

私は少しずつ揺らしながら外した。
コードが見えた。
引っ張らないように注意する。
奥にローラーが見える。

そこまでたどり着くのに、すでに汗をかいていた。

冬だったはずだ。
それでも背中に汗が滲んでいた。

給紙ローラーは、見た目にも硬くなっていた。
表面のゴムが少し光っている。
これでは紙をうまくつかめない。

交換自体は、そこまで難しくないはずだった。

はずだった。

だが、はじめての現場では、すべてが倍くらい難しくなる。
クリップが外れない。
小さなバネが飛びそうになる。
指が入りにくい。
客が後ろに立っている。
電話が鳴る。
別の社員が「まだかかりそうですか」と聞く。

「もう少しです」

私は何度もそう答えた。

その「もう少し」が、どれくらいなのか自分でもわからない。

ようやくローラーを交換した。
分離パッドも清掃し、摩耗が大きいものは交換した。

問題は、戻すほうだった。

外す時にどう動いたか。
どの角度で抜けたか。
どのコードがどこを通っていたか。
頭の中では覚えているつもりだった。
だが、いざ戻そうとすると、少しずれる。

ずれると、入らない。

無理に入れれば壊す。
壊せば、修理どころではない。

私はもう一度メモ帳を見た。
何も書いていない。
当然だ。
さっきまでの私が書いていないのだから。

結局、私は自分の記憶と手の感覚だけで戻した。

ネジを締める。
カバーを戻す。
電源コードを確認する。

そして電源を入れた。

ピッ。

小さな起動音。
次の瞬間、嫌な表示が出た。

設定初期化。

一瞬、胃のあたりが冷えた。

やはり、バッテリーが死んでいた。
電源を落としたことで、内部のデータ保持ができなかったのだ。

予想していた。
だからプリントしておいた。
だが、予想していたからといって、嫌なものは嫌だ。

客に説明する。

「内部の保持電池が弱っていたようです。先ほど出した登録内容をもとに、再入力します」

男は少し困った顔をした。

「時間かかる?」

「少し、いただきます」

少し。

便利な言葉だ。
何も具体的ではない。

私は会社に電話した。
バッテリーの位置を確認する。
幸い、部品は持っていた。
基板を外し、ハンダごてを使う必要があった。

初日にハンダか。

思わず心の中でつぶやいた。

高校時代に溶接やハンダ付けをした経験はある。
だが、学校の机でやるのと、客先の狭い事務所で、実際に使われている機械の基板を扱うのは違う。

私は机の一部を借り、新聞紙を敷かせてもらった。
基板を外す。
静電気に気をつける。
古いバッテリーを外す。
新しいものを取り付ける。

手が震えた。
大きくではない。
自分にしかわからないくらいの震えだった。

それでも、ハンダごての先は正直だ。
わずかな震えが、狙いを鈍らせる。

何とか交換した。
基板を戻す。
電源を入れる。
今度は保持されている。

そこから短縮ダイヤルの再入力が始まった。

紙を見ながら、ひとつずつ入れる。
番号を間違えないように確認する。
会社名を入力する。
古い機種なので、文字入力も面倒だった。

「まだ?」

と誰かが言った。

私は聞こえなかったふりをした。

ようやくすべて入力し、テスト送信を行う。
原稿はきれいに一枚ずつ送られた。
重送しない。
紙も詰まらない。

直った。

その瞬間、胸の中で何かがほどけた。

客の男も、ようやく少し笑った。

「よかった。これ、今日使えないと困るんだよ」

その言葉で、私は初めて気づいた。

この機械は、ただの箱ではない。
この会社にとっては、今日の仕事をつなぐ線なのだ。

私は作業報告書を書いた。
交換部品、作業時間、症状、確認内容。
サインをもらう。

時計を見る。

二時間が経っていた。

数年後の私なら、おそらく十五分で終わらせた内容だ。
だがその日の私には、二時間かかった。

会社へ戻る途中、ポケベルが鳴った。

数字が表示される。
会社の番号だった。

公衆電話を探してかけ直す。

「次、納品入ったから。あと午後に修理二件。戻ったら部品持って行って」

受話器の向こうで、事務の女性が淡々と言った。

初日の修理が終わった感慨など、会社にはない。
現場にもない。
東京にもない。

ただ次が来る。

私は受話器を置き、工具かばんを持ち直した。
肩が痛かった。

けれど、少しだけ思った。

終わらせた。

それだけは、確かだった。

メモ帳とポケベル

CEの一日は、朝の紙から始まる。

少なくとも、私が入った頃はそうだった。

八時過ぎに出社する。
机の上を見る。
修理依頼の紙があるか確認する。
前日から残した修理、納品、集金、契約の用件があれば、それも並べる。

そこから一日の段取りを組む。

時間指定のある客を先に入れる。
午前中しか対応できない場所を押さえる。
修理を優先する。
その周辺にある点検先をついでに回る。

言葉にすれば簡単だ。
だが、実際は毎日、小さなパズルだった。

午前中に三件。
うまくいけば四件。
大企業なら一社で何十台も点検することがある。
その場合は、一件といっても一件ではない。
ビルの中を移動し、部署ごとに担当者へ挨拶し、機械の設置場所を探し、使用状況を聞き、カバーを開け、清掃し、テストし、記録する。

一台終わっても、また次の一台がある。

その間にも、修理依頼は入る。
ポケベルが鳴る。
数字を見る。
公衆電話を探す。
会社へかける。

「日本橋で紙詰まり」
「銀座で送信不良」
「大手町、至急」

至急。

この言葉は便利で、そして厄介だった。
客にとっては全部至急である。
会社にとっても、なるべく早く行けという意味である。
だが、こちらの身体は一つしかない。

私は地図を開き、頭の中で順番を組み替える。
徒歩、地下鉄、自転車。
部品は足りるか。
昼に会社へ戻れるか。
戻らなければならないか。

昼に会社へ帰るCEは多かった。
弁当を食べるためだけではない。
部品を取りに戻る。
図面を見る。
注文する。
納品物を積む。
午前中の報告を入れる。
午後の予定を組み直す。

昼休みなど、あってないような日も多かった。

現場が近ければ、会社へ戻って食べる。
遠ければ、立ち食いそばで済ませる。
時間がなければ、コンビニのおにぎりを移動しながら食べる。

まだ若かったから、それで動けた。
今なら無理だ。
身体も胃も、そこまで従順ではない。

午後も同じように回る。
修理。
点検。
納品。
集金。

十七時頃に帰社する。
そこから事務作業がある。
部品発注。
日報。
精算。
工具の確認。
部品整理。
翌日の準備。

紙、紙、紙。

会社は驚くほどアナログだった。
書類が積まれ、ファイルが増え、伝票が回る。
入社して何年かしてから、ようやくPCが本格的に入ってきた。
ポケベルから携帯へ変わっていったのも、その頃だった。

それまでは、テレホンカードが支給されていた。
ポケベルで呼び出され、公衆電話から会社へ連絡する。

建前はそうだった。

だが、時間がない時に公衆電話を探すのは面倒だった。
駅前にあればいい。
ビルの中にあればいい。
しかし、現場から出た場所に都合よくあるとは限らない。

結局、自分の携帯を使うことも多かった。
料金は自分持ちだった。

今なら、いろいろ言える。
会社が持つべきだ。
業務連絡なのだから当然だ。

だが当時は、そういうものだった。
そういうもの、という言葉で、多くの理不尽が片づけられていた。

私のメモ帳は、日に日に厚くなっていった。

機種名。
エラーコード。
部品番号。
カバーの外し方。
注意点。
客先の癖。
受付担当の名前。
ビルの入館方法。
昼しか入れない場所。
夕方は絶対に避けたほうがいい会社。

中には、今見ると意味のわからないメモもあった。

「右奥、泣く」
「絶対に上からいくな」
「村瀬課長に聞くな。矢野さん」
「床、黒い」

その時の私にはわかったのだろう。
今の私には少しわからない。

だが、そのメモ帳は、私が現場で自分の足場を作ろうとしていた証拠だった。

教えてくれる人がいないなら、自分で残すしかない。

誰かが体系立ててくれないなら、自分で線を引くしかない。

もちろん、それは美談ではない。
本来なら、会社がやるべきこともあった。
新人を現場に出すなら、最低限の教育は必要だ。
人が折れない仕組みも必要だ。

だが、当時の現場はそうではなかった。

皆、自分のやり方で何とかしていた。

矢野さんには矢野さんの手順がある。
村瀬課長には村瀬課長の考えがある。
別の先輩は、また違うことを言う。

「その機種は電源落としていい」

と言う人もいれば、

「絶対落とすな」

と言う人もいる。

どちらが正しいのか。
場合による。

新人にとって、「場合による」ほど困る言葉はない。

場合が読めないから新人なのだ。

だが、現場はその「場合」を容赦なく投げてくる。

私は失敗しながら覚えた。
小さな失敗は毎日のようにあった。
ネジを落とす。
カバーの爪を割りかける。
部品を取り違える。
予定を詰めすぎて遅れる。
客への説明で言葉を間違える。

大きな失敗もあった。
それらはまだ、この時の私の少し先で待っていた。

ただ、どの失敗にも共通していたのは、身体が覚えるということだった。

冷や汗をかいた場所は忘れない。
怒られた受付の顔は忘れない。
狭い床にしゃがみ込み、部品を探した時間は忘れない。

人は、うまくいったことより、うまくいかなかったことのほうをよく覚えている。
少なくとも私はそうだった。

それでも、続けていると少しずつ見えるものが増えてくる。

音でわかる。
紙の入り方でわかる。
汚れ方でわかる。
客の説明の曖昧さから、逆に原因が見えることもある。

「何もしてないのに壊れた」

という言葉も、だんだん聞き慣れてくる。

何もしていない。

人はよくそう言う。
だが、機械はたいてい何かされている。
紙を無理に引っ張った。
カバーを強く閉めた。
純正ではない紙を使った。
埃がたまっていた。
電源を何度も抜いた。

もちろん、それをそのまま言ってはいけない。

「使用状況を確認します」

そう言う。

現場では、正しさより先に、相手の面子を守らなければ話が進まないことがある。

若い頃の私は、それが下手だった。
事実を言えばいいと思っていた。
原因を説明すれば納得してもらえると思っていた。

だが、事実は時々、人を傷つける。
正しい説明が、相手を追い詰めることもある。

機械を直す仕事なのに、人間の扱いのほうが難しい。

それを知るまでにも、ずいぶん時間がかかった。

自転車で走るCE

私たちCEは、思っている以上に自転車に乗っていた。

少なくとも、私が担当していた東京の中心部ではそうだった。
中央区、千代田区、その周辺。
地図で見れば狭い。
しかし実際に、工具かばんを肩にかけ、部品を積み、業務用自転車で走ると、その狭さは簡単に牙をむく。

東京の中心部は、平らなようで平らではない。
橋がある。
坂がある。
大きな交差点がある。
車道は車で詰まり、歩道は人で詰まる。
ビルの谷間を風が抜ける。
雨の日はマンホールが滑り、夏はアスファルトから熱が立ち上る。

その中を、毎日走っていた。
走っていたのは、修理のためだけではなかった。小型FAXの代替機を自転車に積んで運ぶこともあった。トナーやロール紙、細かな消耗品を届けることもあった。いつも積んでいるわけではない。必要になれば、いったん会社へ戻る。部品棚を開ける。伝票を確認する。代替機を積む。消耗品を積む。そしてまた、別の現場へ向かう。

修理の合間に、別の用件が割り込んでくる。

点検。
代替機の搬入。
消耗品の配達。
保守契約の話。
集金。
納品。
再訪問。

今思えば、ずいぶんいろいろなものを、一人のCEに背負わせていた。

もちろん、担当エリアによって負担は違った。近場でまとまる者もいれば、移動だけで一日の体力を削られる者もいた。ビルが密集していて回りやすい場所もある。駅から遠い場所もある。坂の多い場所もある。橋を何度も越える場所もある。

私は、よく走る側だったと思う。

修理だけなら、まだ気持ちの持ちようがある。

故障している。
見に行く。
原因を探す。
直す。

流れはわかりやすい。

だが現実の一日は、そんなにきれいではなかった。

午前中の修理が長引く。次の点検へ遅れる。会社からポケベルが鳴る。消耗品を届けてほしいと言われる。別の客先で代替機が必要になる。戻れば、保守契約の書類が机に置かれている。集金の伝票もある。

現場は、いつも予定表の通りには進まない。

そして、天気もこちらの都合など聞いてくれない。

雨でも行った。

雪でも行った。

台風の日も、結局は現場へ向かった。

カッパを着ても濡れる。靴の中まで冷える。伝票を濡らさないように気を使う。工具かばんの中の部品が気になる。代替機を積んでいる日は、段差ひとつにも神経を使う。

それでも行く。

誰かが待っているから、という美しい理由だけではなかった。

会社から行けと言われる。契約がある。予定がある。こちらにも次がある。行かなければ、あとでさらに面倒になる。

そういう現実的な理由も、たくさんあった。

ずっと後のことだが、東日本大震災の日でさえ、仕事の線は完全には切れなかった。

東京の道がいつもと違う顔をしていても、電話は鳴る。機械は止まる。どこかで誰かが困っている。こちらの足元が揺れていても、現場のことを考えてしまう自分がいた。

あの日のことを思い出すと、今でも胸の奥に少し重いものが残る。

CEの仕事は、機械の前に立つ仕事だった。

けれど実際には、その機械の前にたどり着くまでに、すでにたくさんのものを背負っていた。

工具。
部品。
代替機。
消耗品。
伝票。
契約。
集金。
天気。
距離。
客の都合。
会社の都合。
そして、その日の東京の空気。

それらが少しずつ、工具かばんの重さに混じっていった。

業務用の自転車は、丈夫だった。
そのかわり、重い。
今どきの軽い自転車とは違う。
鉄の塊のような自転車に、工具かばんと部品と、その日の焦りまで積んで走っているようだった。

代替機を積んだ自転車は、さすがに少し笑えた。
いや、笑うしかなかった。

こちらは現場へ急いでいる。
後ろには機械。
肩には工具かばん。
胸ポケットにはメモ帳。
ポケベルはいつ鳴るかわからない。

その姿を、今の自分が遠くから見たら、少し止めたくなる。
そんなに急がなくていい、と言いたくなる。

だが、当時は急ぐしかなかった。

担当エリアによって、負担はかなり変わった。
近場が多い人もいた。
ビルがまとまっていて、比較的回りやすい人もいた。
逆に、範囲が広く、坂が多く、移動だけで体力を削られる人もいた。

私は、どちらかといえば後者だった。

主力というほど立派な言葉ではない。
ただ、前面に出ざるを得ない立場ではあった。
修理が多い場所。
時間指定が多い場所。
大きな会社が並ぶ場所。
面倒な客先。
遠い現場。
そういうものが自然と回ってくる。

会社の都合もある。
人の配置もある。
誰かがやらなければならない。

そういう言葉で、だいたいのことは片づいていく。

私は自転車を漕いだ。

午前中に日本橋。
昼前に大手町。
午後に銀座。
そこから京橋。
さらに新富町。
夕方にもう一件、神田。

実際には、こんなきれいな順番にはならない。
ポケベルが鳴れば予定は崩れる。
部品が足りなければ会社へ戻る。
ハマれば次の現場へ遅れる。
客に謝る。
また自転車を飛ばす。

急ぐ。

この言葉は、CEの日常にべったり貼りついていた。

別に、誰かが毎回怒鳴って急がせるわけではない。
もちろん、怒鳴る客もいた。
だが、それ以上に、自分の中に急ぐ声があった。
次がある。
待たせている。
遅れたらまた電話が来る。
戻ったら部品を発注しなければならない。
日報も書かなければならない。

自転車は、その焦りをそのままペダルへ伝える道具だった。

若い身体は、よく動いた。

二十代の頃は、多少無理をしても翌日には戻った。
雨に濡れても、夏に汗だくになっても、昼を抜いても、何とか走れた。
三十代前半の頃には、太ももが競輪選手のようになっていた時期もあった。

もちろん、競輪選手に失礼である。
あちらは鍛え上げられた本物だ。
こちらは、仕事に追われて勝手に太くなっただけだ。

それでも、自分の脚を見て、少しおかしくなったことがある。

機械を直しているはずなのに、なぜ太ももが育っているのか。

だが、それが現実だった。

CEの仕事は、手先だけの仕事ではなかった。
頭も使う。
客とも話す。
紙も読む。
回線も見る。
そして、身体を使う。

階段を上る。
狭いビルを行き来する。
かがむ。
しゃがむ。
重いカバーを持つ。
部品を運ぶ。
自転車を漕ぐ。

その全部が積もっていく。

最後の頃には、電動自転車も入った。
あれは本当に楽だった。
初めて乗った時、少し感動した。
坂道で背中を押されるような感じがある。
若い頃の自分に渡してやりたいと思った。

だが、私のCE人生の大半は、重い業務用自転車だった。

車で回る人もいた。
正直、うらやましいと思うことはあった。
雨の日などは特にそうだ。
荷物が多い日もそうだ。
真夏の午後、背中に作業服が張りつくような時も、車なら少しは違っただろうと思う。

ただ、都心で車を使うのは、それはそれで大変だった。
止める場所がない。
駐車場は高い。
一方通行も多い。
道路は混む。
ビルの前に少し止めるだけでも気を使う。

その点、自転車は強かった。

ビルの脇に置ける。
細い道に入れる。
混雑を抜けられる。
時間の読みも、車よりしやすい。

だから自転車だった。

天候の影響は大きい。
雨の日は、カッパを着ても濡れる。
手は冷える。
伝票を濡らさないように気を使う。
工具かばんの中身も気になる。
夏は汗でメモ帳が湿る。
冬は耳が痛くなる。

それでも、慣れてしまう。

人間は、かなりのことに慣れる。
慣れてしまうから、怖い。

重い工具かばんを肩にかけ、自転車で都心を走ることも、いつしか普通になった。
雨の中を走ることも、汗だくで客先へ入ることも、昼飯を抜いて次へ向かうことも、普通になった。

普通になってはいけないことまで、普通になっていく。

今、私の膝や腰の調子はあまり良くない。
もちろん、それがすべて当時の仕事のせいだとは言えない。
年齢もある。
運動不足もある。
体重の増減もある。
生活もある。

だが、あの頃の酷使が何も関係していないとは、とても思えない。

若い頃の身体は、未来の自分から借りているのかもしれない。
その時は返済日など考えない。
今日を回すことで精一杯だ。

そして何十年か経ってから、膝や腰が静かに請求書を持ってくる。

ああ、あの時の分か。

そんなふうに思うことがある。

もちろん、後悔ばかりではない。
あの自転車で走った東京の景色は、今でも身体のどこかに残っている。
朝の日本橋。
昼の銀座。
夕方の大手町。
雨上がりの京橋。
冬の神田。

ビルの谷間を抜ける風。
信号待ちの焦り。
ポケベルの数字。
工具かばんの重さ。

それらは、紙の記録には残らない。
作業報告書にも書かれない。

だが、私の脚には残っていた。

仕事は、心だけで覚えるものではない。
身体にも刻まれる。

CEという仕事は、機械の前に立つ仕事だった。
だが、その機械の前にたどり着くまでにも、すでに仕事は始まっていたのだ。

自転車を漕ぎながら、私はいつも次の現場のことを考えていた。

どの機種だ。
部品は足りるか。
客は怒っているか。
何時までに終わるか。
その次はどこだ。
会社へ戻れるか。

東京の道を走っていたのではない。
焦りと責任の間を走っていた。

そして、その焦りは時々、人の判断を少しずつ削っていく。

そのことを、私はあとになって知ることになる。

払わない会社

その案件は、突然回ってきた。

九十年代半ばだった。
世の中では、たまごっちが異様な熱を帯びていた。
小さな卵型のゲーム機が、店頭から消えていた。
持っている子どもは自慢し、持っていない子どもは欲しがり、大人たちはその熱に妙な商売の匂いを嗅ぎつけていた。

そういう時代だった。

ある日の午後、村瀬課長に呼ばれた。

「悪いけど、これ行ってきて」

渡されたのは、集金の伝票だった。
修理代の現金回収。

場所は都心の共同ビル。
社名は、青葉通商。

名前だけ見れば、何の変哲もない。
どこにでもありそうな会社名だった。

「修理した担当は?」

私は伝票を見ながら聞いた。

「今日は別件で出てる」

村瀬課長は目を合わせずに言った。

その時点で少し嫌な感じはした。
だが、集金だけならすぐ終わる。
そう思った。

まだ、私は甘かった。

ビルは古かった。
一階に小さな飲食店が入り、二階から上は事務所になっている。
エレベーターはなく、狭い階段を上がる。
壁には古い看板がいくつか貼られていた。
会社名の一部は剥がれ、何をしている会社なのかわからない。

青葉通商は四階にあった。

ドアの前に立つ。
ノックする。

「どうぞ」

中から低い声がした。

ドアを開けると、部屋は思っていたより狭かった。
入ってすぐのところに机があり、奥にもう一つ机がある。
椅子が二つ。
壁際に棚。
窓はあるが、ブラインドが半分閉まっている。

空気が重かった。

煙草の匂い。
古いカーペットの匂い。
どこか湿ったような、逃げ場のない匂い。

中にいたのは、六十代くらいの男が二人だった。
一人は机の奥に座り、もう一人は横の椅子に腰かけていた。
どちらもスーツ姿だったが、会社員という感じではなかった。

私は名刺を出し、修理代の集金に来たことを伝えた。

奥の男が、ほとんど間を置かずに言った。

「払わないよ」

声は大きくなかった。
だが、部屋の空気を一瞬で固めるには十分だった。

私は伝票を見直した。
金額を確認する。
会社名も間違いない。

「先日修理させていただいた分のご請求になります」

「直ってないから払わない」

男はあっさり言った。

私は少し困った。
修理を担当したのは私ではない。
何をどう直したのか、詳しい経緯もわからない。
ただ、こちらとしては集金に来ている。

「恐れ入ります。どういった症状が残っていますでしょうか」

そう聞くしかなかった。

男は面倒くさそうに顎を動かし、部屋の隅に置かれたFAXを指した。

「あれだよ。送れたり送れなかったりする。直ってないんだよ」

私は機械を見た。
古い業務用FAXだった。
見たことはある。
触ったこともある。
ただ、あまり出来のいい機種ではなかった。
癖が強く、通信系のトラブルが出ると原因を絞るのに時間がかかる。

「確認させていただいてもよろしいでしょうか」

そう言った時だった。

背後の空気が変わった。

振り向く前にわかった。
人が入ってきたのだ。

若い男が三人。
いつの間にか、私の後ろに並んで立っていた。

ドアが閉まる音がした。

胸の奥が、ひやりと冷えた。

私は自分の立ち位置を確認した。
ドアは後ろ。
机は前。
左右にはあまり余裕がない。
工具かばんは足元。

逃げる、という言葉が一瞬だけ頭をかすめた。
だが、逃げられる状況ではない。
逃げる理由も作れない。

奥の男は、私の顔を見ていた。
そして、わざとらしく袖をまくった。

腕に彫り物が見えた。

なるほど。

担当者が行きたがらなかった理由が、その瞬間に全部つながった。

私は心の中で、村瀬課長の名前を一度だけ呼んだ。
もちろん、声には出さない。
出したところで助けには来ない。

「直ってないから払わない」

男は繰り返した。

「では、症状を確認して、必要であれば再調整いたします」

私はそう言った。
自分でも、よくそんな言葉が出たと思う。

手は少し汗ばんでいた。

工具かばんを開ける。
ドライバーを取り出す。
まずは動作確認から始めた。

送信テストをする。
一度目は通る。
二度目も通る。
三度目でエラーが出た。

通信エラー。

回線の問題か。
機械側か。
相手先か。
設定か。

私はテスト先を変え、何度か試した。
症状は不安定だった。
こういうのが一番嫌だ。
完全に壊れていればまだ楽である。
壊れたり壊れなかったりするものは、人間と同じで面倒くさい。

奥の男は煙草を吸いながら見ていた。
横の男は黙っている。
背後の若い三人は、壁のように立っている。

私はなるべく余計なことを見ないようにした。

見ない。
聞かない。
感じすぎない。

機械を見る。
紙を見る。
音を聞く。
表示を見る。

そう自分に言い聞かせる。

原因は、通信制御系の接触不良と、読み取り部の汚れが重なっているように見えた。
完全な故障というより、古い機械があちこちで機嫌を損ねている状態だった。

私はカバーを外し、内部を清掃した。
コネクタを確認する。
基板を軽く押さえる。
接点を清掃する。
読み取り部を拭く。

作業自体は、そこまで難しいものではなかった。

だが場所が悪い。

あの部屋では、ネジ一本落とすことすら許されないような気がした。

その最中、奥の男が突然怒鳴った。

私にではない。
背後の若い三人に向かってだった。

「何やってんだ、お前ら。話が違うだろうが」

部屋の空気がさらに重くなる。

若い男の一人が、何か小さな声で答えた。

「だから、数が……」

「数じゃねえんだよ。押さえるって言っただろうが」

会話の断片が耳に入る。
聞くつもりはない。
だが、狭い部屋で怒鳴られれば、聞こえてしまう。

たまごっち。
店。
買い付け。
数が足りない。
転売。

そんな言葉が混じっていた。

私は機械の中に顔を向けたまま、心の中で苦笑した。

時代というのは、ろくでもない方向にもよく伸びる。
子どものおもちゃに、大人が必死になっている。
しかも、こんな空気の悪い部屋で。

いや、笑っている場合ではない。

ハンダごてを使うほどではないが、細かい調整が必要だった。
指先に集中する。
ネジを締める。
コネクタを戻す。
カバーを仮止めする。
テストする。

送信。

通った。

もう一度。
通った。

相手先を変える。
通った。

五回、六回と試す。
今度は落ちない。

「いったん症状は改善しています」

私はそう言った。

奥の男はすぐには返事をしなかった。
煙草を灰皿に押しつけ、FAXの前に来た。
自分でも送信を試す。

通る。

もう一度。
通る。

男は少し不満そうに鼻を鳴らした。

「まあ、少し様子見るよ」

来た。

私はそう思った。

集金にはならない。

「数日使って、問題なかったら払う」

普通なら通らない。
だが、普通の現場ではなかった。

私は無理に食い下がらなかった。
その場で強く言えるほど、私は肝が据わっていなかった。
それに、もし言ったところで良い方向へ進むとは思えなかった。

作業報告書に状況を書き、サインをもらう。
集金は保留。

部屋を出る時、背中に視線を感じた。
階段を下りる。
外へ出る。

冬の空気が冷たかった。

ビルの外で、私はようやく息を吐いた。

指先が震えていた。

大きくではない。
初日のハンダごての時と同じような、小さな震えだった。

私は自分の手を見た。

この手で、機械を直す。
この手で、ネジを締める。
この手で、客に報告書を渡す。

だが、この手はまだ簡単に震える。

会社へ戻ると、村瀬課長は席にいた。
私は経緯を説明した。

「払わなかったか」

課長は、まるで予想していたように言った。

「はい。数日様子を見ると」

「じゃあ、また行って」

私は一瞬、聞き間違えたのかと思った。

「私が、ですか」

「一回行ってるから話早いだろ」

会社という生き物は、時々とても乱暴な理屈で動く。

私は何か言い返そうとした。
だが、言葉にならなかった。

数日後、私は再び青葉通商へ行った。

今度は、前回ほどの緊張はなかった。
いや、緊張はあった。
ただ、どういう場所か知っている分、身構え方が少しわかっていた。

部屋に入ると、奥の男がいた。
若い三人はいなかった。
横の男もいない。

FAXは問題なく使えているという。

「じゃあ、払うよ」

男は現金を出した。
私は領収書を書いた。

それで終わるはずだった。

だが、男は引き出しから別に三千円ほど取り出し、私のほうへ差し出した。

「悪かったな。これで何か食え」

私はその金を見た。

受け取りたくなかった。
正直、触りたくもなかった。

だが、断れる空気でもなかった。

「いえ、そういうわけには」

一応そう言った。

「いいから。持ってけ」

男は少しだけ、気まずそうな顔をしていた。
前回のような威圧感は薄れていた。

私は結局、受け取った。

ありがとうございます、という言葉が喉を通った。
その言葉が正しいのかどうか、自分でもわからなかった。

外へ出て、三千円を財布に入れた。

昼はまだだった。
近くの立ち食いそば屋に入った。
かけそばに、かき揚げをつけた。

湯気が立っていた。

箸を持ちながら、私はさっきの三千円のことを考えていた。

怖い人間が、急に優しくなることがある。
厄介な相手が、妙に筋を通すこともある。
逆に、普通の会社員に見える人間が、信じられないほど冷たいこともある。

社会は、白と黒できれいに分かれていない。

そのことを、私は少しずつ知っていった。

CEという仕事は、機械だけを見に行く仕事ではなかった。
ドアを開けるたびに、その場所の空気へ入っていく仕事だった。

大企業の整った受付。
雑居ビルの狭い事務所。
銀行の静かな部屋。
テレビ局の慌ただしい廊下。
居酒屋の厨房の油の匂い。
個人宅の生活感。

そして、青葉通商のような、息の詰まる部屋。

機械はそこに置かれている。
だから私たちはそこへ行く。

機械の故障を直すために向かう。
だが、現場で待っているのは機械だけではない。

人間がいる。

焦っている人間。
怒っている人間。
困っている人間。
隠している人間。
見栄を張る人間。
少しだけ優しい人間。

その全部の前で、私は工具かばんを開けなければならなかった。

若い私には、それが重かった。

技術の重さではない。
責任の重さでもあるが、それだけでもない。

その場の空気を背負う重さ。

誰かの仕事が止まっている。
誰かが困っている。
誰かが怒っている。
その中心に、故障したFAXがある。
そして、その前に自分が立っている。

逃げたいと思う日もあった。
向いていないと思う日もあった。

それでも、次の朝にはまた机の上に修理依頼の紙がある。
ポケベルが鳴る。
地図を開く。
工具かばんを持つ。

そうやって、日々は続いていった。

ある日突然、仕事の意味がわかるわけではない。
ドラマのように、誰かが立派な言葉をくれるわけでもない。

ただ、現場が積もっていく。

初日の二時間。
青葉通商の震える指先。
立ち食いそばの湯気。
メモ帳に増えていく汚い字。

そのひとつひとつが、私の中に沈んでいった。

まだ、私は何者でもなかった。
一人前のCEとは、とても言えなかった。

だが、少なくとも知り始めていた。

この仕事は、直せば終わりではない。
直すまでに、人間と向き合わなければならない。

そして、その人間の中には、自分自身も含まれているのだと。

まだ名前のない技術者

青葉通商の件が終わってからも、毎日は変わらなかった。

劇的な成長などない。
一件怖い現場を乗り越えたからといって、翌日から急に腕が上がるわけでもない。

相変わらず知らない機種は出てくる。
相変わらず予定は崩れる。
相変わらずポケベルは間の悪いタイミングで鳴る。

それでも、少しだけ変わったことがある。

現場へ入る前に、空気を見るようになった。

受付の人の表情。
事務所の雑然とした感じ。
電話の鳴り方。
担当者の言葉の速さ。
機械の置かれた場所。
周囲の机の積もり具合。

以前の私は、まず機械を見ていた。
どこが壊れているか。
どこを開けるか。
どの部品が必要か。

もちろん、それは大事だ。
CEなのだから当然である。

だが、機械は現場の中にある。
現場は人間の中にある。

そのことに、少しずつ気づき始めた。

たとえば、ある会社で紙詰まりの修理に呼ばれた時、担当者はやけに攻撃的だった。
こちらが説明する前から、機械のせいだ、前も直したのに、どうなっているんだ、とまくし立てる。

若い頃の私なら、原因を探して淡々と説明しただろう。
紙の入れ方が悪い。
用紙が湿気を吸っている。
奥に破れた紙片が残っている。

事実はそうだった。

だが、その日は少し違った。
担当者の机を見ると、書類が山のように積まれていた。
電話は鳴りっぱなし。
奥の席から上司らしき人間が、ときどきこちらを見ている。

ああ、この人も追われているのだ。

そう思った。

私は、原因をすぐには突きつけなかった。

「かなりお忙しい時間に止まってしまったんですね」

そう言うと、担当者は一瞬だけ黙った。

「そうなんだよ。今日中に送らないといけないのがあるんだよ」

そこから、少しだけ話が通りやすくなった。

機械の説明だけではなく、その人の困り方を先に受け止める。

それも技術なのだと、私はあとから思うようになった。

もちろん、毎回うまくいくわけではない。
怒る人は怒る。
無茶を言う人は無茶を言う。
筋の通らないことを平気で言う人もいる。

それでも、現場の空気を読むことは、ドライバーのサイズを選ぶのと同じくらい大事だった。

会社では、私はまだ若手だった。

上の人間から見れば、頼りない一人だっただろう。
実際、頼りなかった。

だが、少しずつ任される範囲は増えていった。
点検台数も増えた。
修理も増えた。
納品も任される。
契約の話に立ち会うことも出てきた。

保守契約のあるユーザーだけでなく、スポット対応も増えていった。
契約外の客は、難しい。

履歴がない。
機械の状態がわからない。
どう使われていたのかも見えない。
しかも、たいてい壊れてから初めてこちらへ連絡してくる。

「今まで問題なかった」

そう言われる。

問題が表に出ていなかっただけで、中ではずっと傷んでいたのかもしれない。
だが、それを言っても仕方ない。

現場では、過去の管理不足を責めるより、今どうするかを考えるしかない。

それは機械だけではなく、人にも通じる話だった。

会社の中にも、いろいろな人がいた。

矢野さんのように、言葉は少ないが手で見せる人。
村瀬課長のように、現場の細かさをわかっているのかいないのか、よくわからない人。
事務の女性たちのように、電話と伝票の山をさばきながら、現場の私たちよりずっと冷静に一日を回している人。

工事部隊には、井上さんというベテランがいた。
電話回線や配線工事を担当している人で、無愛想だった。
最初は少し怖かった。

だが、工具の扱いは見事だった。
古いビルの配線を見ただけで、どこが怪しいか見抜く。
線の取り回し、端子の締め方、工具の置き方。
無駄がなかった。

ある時、私が工具棚の前で部品を探していると、井上さんが横から言った。

「お前、工具かばん重そうだな」

「いろいろ入れておかないと不安で」

そう答えると、井上さんは鼻で笑った。

「不安を全部入れたら、かばん壊れるぞ」

その言葉は、妙に残った。

工具かばんには、必要なものを入れる。
必要そうなものを入れる。
もしかしたら使うかもしれないものを入れる。

そうしているうちに、どんどん重くなる。

仕事も同じだった。

失敗したくない。
怒られたくない。
直せないと言いたくない。
客を待たせたくない。
上司に報告したくない。

そういう不安を全部抱えようとすると、身動きが取れなくなる。

それでも、若い私は抱え込んだ。

自分がまだ足りないことを知っていたからだ。
足りない分を、工具とメモと気合いで埋めようとしていた。

今思えば、危うい。

だが、そうやってしか進めない時期がある。

二十代の私は、たぶんその真ん中にいた。

まだ名前のない技術者。
会社の看板を背負っているが、自分の看板は何もない。
先輩の背中を見て、メモ帳を汚し、現場で冷や汗をかき、少しずつ自分のやり方らしきものを作っていく。

それは決して格好いいものではなかった。

何度も迷った。
何度も焦った。
何度も、向いていないと思った。

それでも続いた。

続けているうちに、少しずつ現場が見えてきた。
少しずつ人が見えてきた。

そして、少しずつではあるが、自分も見えてきた。

私はこの仕事が好きだったのか。

そう聞かれると、今でも簡単には答えられない。
好きだけでは続かない。
嫌いだけでも続かない。

ただ、直った瞬間は嫌いではなかった。

紙が一枚、きちんと送られる。
エラー音が消える。
客の顔が少し緩む。
止まっていた仕事がまた動き出す。

その瞬間だけは、少し救われた。

たぶん私は、その小さな救いを拾いながら続けていたのだと思う。

青葉通商のあとの数か月、私は以前より少しだけ黙って現場を見るようになった。
言葉にすれば、それだけだ。

だが、それは私にとって小さな変化だった。

現場は怖い。
人間は面倒くさい。
機械は素直ではない。
会社は助けてくれないことも多い。

それでも、ドアを開ける。

その先に、壊れたFAXがある。
誰かの止まった仕事がある。

そして、まだ頼りない私がいる。

工具かばんを床に置く。
カバーを開ける。
ネジを外す。

その繰り返しの中で、私は少しずつ、CEになっていった。

まだ、ほんの入口だった。

この先には、大手町の夜がある。
蛍光灯がひとつずつ消えていくフロアがある。
ブレーカーを落としてしまう日がある。
消えたギアを探し続ける午後がある。
教わらない者たちが、また次の新人を迎える日がある。

そして、土曜の夜に鳴る電話がある。

ここまでに書いたのは、まだ私が何者でもなかった頃の話だ。

ポケベルが鳴っていた頃。
FAXが、仕事の真ん中にあった頃。
東京のビルの隙間を、工具かばんを抱えて走っていた頃。

私は機械を直す仕事に就いた。

けれど、本当に直そうとしていたものが何だったのか。

その答えに近づくには、まだいくつかの夜と、いくつかの失敗を越えなければならなかった。

大手町の夜と、消えていく蛍光灯

青葉通商の件が終わってからも、私は相変わらず東京のあちこちを走っていた。

何かが劇的に変わったわけではない。
怖い現場を一つくぐったからといって、翌日から急に腕が上がるわけでもない。

修理依頼の紙は、いつものように机の上に置かれる。
ポケベルは、こちらの都合など知らずに鳴る。
工具かばんは、相変わらず肩に食い込む。

ただ、少しだけ見る場所は変わった。

現場に入る前に、空気を見る。
受付の表情を見る。
事務所の雑然とした感じを見る。
担当者の言葉の速さを見る。
機械の置かれた場所を見る。

FAXは、ただそこに置かれているわけではない。
必ず、誰かの仕事の中に置かれている。

それを少しだけ意識するようになった。

それから数年の間に、現場は少しずつ私の中へ積もっていった。
そんな中で、今も忘れられない夜がある。

大手町の夜だ。

大手町。

東京で働く人間なら、一度はその名前に妙な重さを感じる場所である。
銀行、商社、新聞社、大企業の本社。
地上も地下も人の流れが太い。
ビルの入口には警備員が立ち、受付にはきれいな女性がいて、エレベーターの扉はやけに静かに閉まる。

私はあの街が少し苦手だった。

別に何かされたわけではない。
ただ、自分の作業服と工具かばんが、あの整いすぎた空気の中で少し浮いているような気がした。

その日の依頼は、大手町の大企業に設置されている大型FAXの修理だった。

大型機。

その言葉だけで、少し肩が重くなる。
家庭用や小型の業務用とは違う。
部品点数も多い。
作業手順も長い。
重い。
場所も取る。

しかも、たいてい置かれている場所が悪い。

大企業のオフィスだからといって、機械の周囲が広々しているとは限らない。
むしろ逆だ。
大型FAXは、便利な場所に置かれる。
便利な場所とは、人がよく通り、書類が集まり、棚が増え、いつの間にか物の地層ができる場所でもある。

その機械も、まさにそうだった。

オフィスフロアの一角。
周囲には書類の山。
段ボール。
古いファイル。
誰のものかわからない備品。
机の端からはみ出した封筒。

機械が置かれているというより、物の地層の中に埋まっている。

私は担当者に挨拶した。
四十代くらいの男性だった。
きっちりしたシャツに、細いフレームの眼鏡。
声は落ち着いていたが、目の奥に急いでいる感じがあった。

「今日中に何とかしたいんです」

最初にそう言われた。

出た。

今日中。

現場でよく聞く言葉である。
こちらの作業時間や部品事情や故障の深さとは関係なく、相手の仕事の都合によって生まれる締切。

もちろん、相手にも事情がある。
明日では困る。
今日送らなければならない書類がある。
上から言われている。
別部署が待っている。

それはわかる。

だが、機械は人間の都合では直らない。

私は症状を確認した。
電源は入る。
送信時にエラーが出る。
受信も不安定。
紙詰まりも出ている。
内部の履歴を見ると、いくつかのエラーが重なっていた。

嫌な感じがした。

古い大型機にありがちな、単一故障ではない状態だった。
一つ直せば終わりではなく、複数の劣化が絡んでいる。

私は担当者に説明した。

「作業としては少し大きくなります。バックアップを取って、基板周りと搬送系を確認します。順調に進んでも数時間は見ていただく必要があります」

「数時間ですか」

「はい。最短でも三、四時間はかかると思います」

担当者は腕時計を見た。
時刻は十七時を少し回っていた。

普通なら翌日対応にする時間だ。

しかし、担当者は言った。

「今日、やってください」

その一言に、こちらの逃げ道はほとんどなくなった。

私は会社へ電話した。
村瀬課長に状況を説明する。

「部品あるのか」

「一応、持っています。ただ、時間はかかります」

「先方がやれって言ってるなら、やるしかないな」

やるしかない。

便利な言葉だ。
この言葉で、現場の多くは現場に投げ返される。

私は受話器を置き、作業に入った。

まず、周囲の物をどかすところから始める。

修理というより、発掘である。
段ボールを移動し、書類の山を少しずつ横へずらし、床にスペースを作る。
担当者も手伝ってくれたが、書類には勝手に触れないものも多い。
一つずつ確認しながらになる。

時間が削られていく。

静かに、確実に。

ようやく機械の背面に入れるスペースができた。
私はカバーを外し、内部を確認した。
紙粉が多い。
ローラーも汚れている。
搬送経路に古い紙片もある。

ただ、それだけではない。

この機種は登録データの保持が危うい個体だった。
バックアップが必要になる。
電話回線を使って会社の端末へ接続し、設定データを吸い上げる。
そして修理後に戻す。

それ自体は手順どおりだ。
問題は、遅いことだった。

この機種のバックアップは、とにかく遅かった。
引き上げに三十分。
戻しに三十分。

それだけで一時間が消える。

私はモデムの接続音を聞きながら、時計を見た。
針だけが妙に元気に進んでいく。

フロアの人は、まだ多かった。
電話の声。
キーボードの音。
コピー機の動作音。
誰かが誰かを呼ぶ声。

大企業の夕方は、まだ終わらない。

バックアップが終わる。
基板を外す。
バッテリーを交換する。
内部を清掃する。
搬送系の部品を交換する。

手順はわかっていた。
だが、わかっていることと、時間内に安全に終わらせることは違う。

大型機の内部は、思っているより手が入りにくい。
重いカバーを支えながら、奥のコネクタを外す。
落とさないようにネジを管理する。
配線の取り回しを覚える。

私は自分のメモ帳を開いた。
この機種のページには、以前書いた注意書きがいくつかあった。

「背面カバー重い」
「右下コネクタ忘れるな」
「バックアップ遅い。焦るな」

焦るな。

過去の自分が書いたその言葉を見て、少しだけ苦笑した。

焦るに決まっている。

十九時を過ぎた。

フロアの人が少しずつ減っていく。
「お先に失礼します」という声が、遠くで何度か聞こえた。
デスクの上のスタンドが消える。
椅子が机にしまわれる。

二十時前になると、空気が変わった。

オフィスは、人が減ると急に広くなる。
昼間は人と物で埋まっている空間が、夜になると本来の広さを取り戻す。
だが、それは開放感ではない。
むしろ、置き去りにされたような広さだった。

機械の内部に顔を近づける。
工具の金属音が、妙に響く。

蛍光灯が、区画ごとに消えていった。

パチン。

少し離れた島の明かりが落ちる。

また少しして、別の区画が暗くなる。

窓の外には、大手町の夜があった。
隣のビルにも明かりが残っている。
同じように、どこかで誰かが残業している。

私は自分の手元の小さな明かりだけを頼りに、作業を続けた。

二十時半。
担当者はまだ残っていた。
だが、明らかに帰りたそうだった。

「どんな感じですか」

「もう少しかかります」

私はそう答えた。

もう少し。

またその言葉だ。

現場での「もう少し」は、祈りに近い。

二十一時近くになって、担当者が言った。

「すみません、今日はここでいったん閉めたいんです」

私は手を止めた。

まだ戻し作業が終わっていない。
途中で完全に閉じるには、少し危うい状態だった。

「作業途中なので、できればもう少しだけ」

「ビルの都合もあるので」

ビルの都合。
これもまた強い言葉である。

私は状況を判断した。
無理に続けてトラブルを増やすより、仮復旧の状態にして翌朝再開するほうが安全だった。

「では、明日の朝九時から再開させてください」

そう言うと、担当者は少し考えてから言った。

「八時から来られませんか」

私は一瞬、何も言えなかった。

九時と言ったはずだ。
始業前だ。
こちらにも準備がある。

だが、担当者の目は真剣だった。
この人も追われている。
きっと明日の朝一番で、このFAXを使いたいのだ。

私は会社へ連絡した。
村瀬課長は電話の向こうで、少し面倒そうに言った。

「行けるなら行って」

行けるなら。

これもまた、現場へ投げる言葉だった。

翌朝、私は八時前に大手町へ着いた。

街は昨日の夜とは違っていた。
出勤する人の波。
新聞を持つ男。
コーヒーを片手に急ぐ女性。
地下鉄の出口から次々と人が吐き出されてくる。

昨日の夜に残っていた静けさが、床の下へ押し込まれていくようだった。

担当者はすでに来ていた。
眠そうな顔をしていた。
たぶん、あの人もあまり休めていない。

私は作業を再開した。

昨日外した基板を戻し、コネクタを確認する。
搬送系を組む。
データを戻す。
テスト送信。
受信確認。
紙詰まり確認。

九時少し前。
機械は動いた。

一枚のテスト原稿が、ゆっくり吸い込まれていく。
向こうへ送信される。
確認用の受信紙が出る。

担当者が、長く息を吐いた。

「助かりました」

その一言で、昨日の夜の疲れが少しだけほどけた。

拍手はない。
称賛もない。
誰かがすごいと言ってくれるわけでもない。

ただ、止まっていたものが動く。

CEの仕事の報酬は、給料とは別に、時々そういう形でやってくる。
誰かの息が少し軽くなる。
それだけだ。

私は作業報告書を書き、サインをもらった。
工具を片付ける。
カバーのネジを最後にもう一度確認する。

ビルを出ると、朝の大手町は何事もなかったように動いていた。

昨日の夜、蛍光灯がひとつずつ消えていったフロアで、工具の音だけが響いていたことなど、街は知らない。

それでいいのだと思った。

仕事の多くは、誰にも知られないまま終わる。

むしろ、知られないまま終わる仕事ほど、うまくいった仕事なのかもしれない。

そのまま会社へ戻る地下鉄の中で、私は吊革につかまりながら眠気と戦っていた。

朝の通勤客に混じる作業服の自分が、少し場違いに思えた。周囲の人たちは、これから一日が始まる顔をしている。私は、昨日の夕方から続いていた一つの現場をようやく終えたところだった。

同じ朝なのに、立っている時間が違う。

そういう感覚があった。

会社へ戻ると、村瀬課長は軽く報告書を見て言った。

「終わった?」

「終わりました」

「じゃあ、これ午後行って」

机の上に、別の修理依頼が置かれた。

大手町の夜も、消えていく蛍光灯も、朝の担当者のため息も、会社の机の上では数行の報告にしかならない。もちろん、それでいい。現場の疲労をいちいち持ち込んでいたら、仕事は回らない。

それでも私は、その時ほんの少しだけ思った。

誰か一人くらい、あの夜の重さを知ってくれてもいいじゃないか、と。

若かったのだと思う。

認めてほしかったわけではない、と言えば嘘になる。褒められたいというほど単純でもない。ただ、自分が確かにあの場所で粘ったことを、誰かの記憶の端にでも残してほしかった。

だが、現場仕事の多くは残らない。

直れば、何事もなかったことになる。
止まっていた時間は、直った瞬間から忘れられていく。

それは少し寂しい。
だが同時に、それこそが保守の仕事なのだとも思った。

何事もなかった一日を、誰かに返す。

そのために、こちらは夜のフロアでネジを締める。

私は午後の修理依頼を手に取り、また地図を開いた。

眠かった。
肩も痛かった。
それでも、次の現場は待っていた。

ブレーカーを落とした日

うまくいった現場より、やらかした現場のほうが記憶に残る。

これはたぶん、現場仕事をした人間なら少しわかると思う。

無事に終わった修理は、時間が経つと輪郭がぼやけていく。
どこの会社だったか。
何の症状だったか。
どの部品を交換したか。

それらは、日々の量に押されて薄くなる。

だが、冷や汗をかいた現場は消えない。
身体が覚えている。

二年目の頃だったと思う。

私は小さな会社で、FAXの基板を外して作業していた。
場所は都内の古い自社ビルだった。
細長い建物で、二階の事務所に十人ほどが詰まっていた。

広くはない。
机と人と物の距離が近い。
通路を歩くだけで、誰かの椅子にかばんが当たりそうになる。

問題のFAXは、窓際の棚の上に置かれていた。
棚の前には書類箱があり、横には古いワープロ専用機のようなものが置かれていた。

今思えば、作業環境としてはよくなかった。

だが、現場とはそういうものだ。
理想的な作業台など、客先にはない。
広いスペースもない。
照明も十分とは限らない。
机を借りられるだけでもありがたい。

その日は、基板上の部品交換が必要だった。
ハンダごてを使う作業である。

私は機械をばらし、基板を外した。
部品を確認する。
交換する箇所もわかっている。

問題は、ハンダごてだった。

会社から支給されていたそのハンダごては、かなりくたびれていた。
コードの根元が少し怪しい。
持ち手も黒ずんでいる。
先端もきれいではない。

今なら、その時点で使うのをやめる。
予備を使うか、戻って交換するか、最低でも導通を確認する。

だが、その頃の私はそこまで気が回らなかった。

作業を終わらせることで精一杯だった。
現場にいる以上、やらなければならない。
そう思い込んでいた。

私はハンダごてのコンセントを差し込んだ。

その瞬間だった。

バチッ。

小さな音がして、事務所の電気が全部落ちた。

一瞬、何が起きたのかわからなかった。

蛍光灯が消えた。
コピー機が止まった。
誰かが「あれ?」と言った。
パソコンの画面が落ちた。
電話機のランプも消えた。

心臓が、嫌な音を立てた気がした。

原因はすぐわかった。
ハンダごてだ。
ショートした。

私はすぐにコンセントを抜いた。

「すみません。今の、こちらの工具が原因です。ブレーカーを確認していただけますか」

声が少し上ずっていた。

事務所の人たちは騒然としていた。
ただ、幸い怒鳴られることはなかった。
社長らしき男性が奥から出てきて、ブレーカーを見に行ってくれた。

しばらくして、電気が戻った。

蛍光灯が点く。
コピー機が再起動する。
電話機のランプが戻る。

私はひたすら頭を下げた。

「申し訳ありません。工具の不良です。作業を一度中断して確認します」

本当に、それで済んだからよかった。

今の時代なら、もっと大変なことになっていたかもしれない。
サーバーが落ちた。
データが飛んだ。
業務が止まった。
損害が出た。

そうなってもおかしくなかった。

当時はまだ、今ほど何もかもがネットワークにつながっている時代ではなかった。
それに救われた部分はある。

だが、私の胃のあたりは重かった。

作業どころではない。
ハンダごては使えない。
私は会社へ戻り、別の工具を用意することにした。

会社に帰るまでの道で、ずっと同じことを考えていた。

なぜ確認しなかったのか。
なぜ怪しいと思った時に止めなかったのか。
なぜ、道具を疑わなかったのか。

現場では、腕も大事だ。
知識も大事だ。
経験も大事だ。

だが、その前に道具がまともであること。
それを扱う自分が、道具の状態を見ていること。

そんな当たり前のことを、私はその日、事務所の電気を全部落として覚えた。

会社へ戻ると、工事部隊の井上さんがいた。

私が事情を話すと、井上さんは無言でハンダごてを手に取った。
コードの根元を見て、分解し、内部を確認する。

「これ、よく使ってたな」

ぼそっと言った。

「すみません」

「謝る相手は俺じゃないだろ」

それもそうだった。

井上さんは、予備の部品を探し、コードを直し、先端も整えてくれた。
手際がよかった。
まるで古い道具にもう一度息を入れるような作業だった。

普段、井上さんは無愛想だった。
こちらが挨拶しても、軽く顎を動かすくらいの人だった。

だが、その日は最後に一言だけ言った。

「道具はな、信用する前に疑え」

私はうなずいた。

その言葉は、メモ帳には書かなかった。

書かなくても、残ったからだ。

乾いた会社だった。
人の失敗を笑う空気もあった。
助け合いという言葉が、いつも自然にある場所ではなかった。

それでも、時々こういう瞬間がある。

誰かが何も言わずに工具を直してくれる。
説教ではなく、手元で教えてくれる。

そういう小さな人情が、妙に身にしみる。

この仕事を続けられた理由の一つは、たぶんそういうところにもあった。

大きな優しさではない。
熱い励ましでもない。

ただ、壊れたハンダごてを黙って直してくれる人がいた。

それだけで、その日の私は少し救われた。

消えたギアの謎

失敗には、はっきり原因がわかるものと、最後までわからないものがある。

ブレーカーを落とした日は、原因が明確だった。
ハンダごての不良。
そして、それを見抜けなかった自分。

だが、もう一つ、今でも腑に落ちない失敗がある。

日本橋の地方銀行での修理だった。

キャリアは三年目くらい。
新人ではない。
だが、何でもできるほどの経験もない。
ちょうど、少し慣れてきた頃が一番危ない。

人は、慣れてきた時に小さな油断をする。
その油断を、現場は見逃さない。

銀行の事務センターのような場所だった。
窓口ではなく、奥の業務フロア。
外部の人間が入るには、受付で名簿に記入し、内線で担当者を呼び、入館証を下げる必要があった。

銀行の現場は、独特の緊張感がある。
声が大きくない。
無駄話も少ない。
机の上は整っているようで、実際には書類がびっしりある。

問題のFAXは、フロアの端に置かれていた。

古い機種だった。
しかも、あまり多く触っていない機種である。
数回は開けたことがある。
だが、手が勝手に動くほどではない。

症状は、搬送系の異常だった。
紙が途中で止まる。
異音もする。

内部のギア周りが怪しい。

私は機械をばらし始めた。

古い機種ほど、作りが複雑なことがある。
今の機械ならユニットごと交換できるところが、古いものは小さな部品が組み合わさっている。
ネジの長さも違う。
爪も硬い。
プラスチックは劣化している。

下手に力をかければ割れる。
慎重に進める必要があった。

作業スペースは狭かった。
横に小さな机を借り、外したネジと部品を順番に置いた。
私はいつものように、部品を外した順に並べた。

これは現場で覚えた基本だった。

外した順に置く。
戻す時は逆にたどる。
ネジは混ぜない。
小さな部品は紙の上に置く。

それでも、現場は時々こちらの基本をすり抜ける。

部品交換は順調だった。
問題のギア周りにたどり着く。
摩耗していた部品を交換する。
軸も確認する。
グリスを少し足す。

あとは戻すだけだった。

戻すだけ。

この言葉にも罠がある。

修理は、外すより戻すほうが難しいことが多い。
外す時は先へ進む勢いがある。
だが戻す時は、正しく元へ戻さなければならない。
しかも、外した時の記憶が少し曖昧になっている。

私は部品を一つずつ戻していった。

そこで気づいた。

ギアが一つない。

小さなネジではない。
手の指ほどの長さがあるギアだった。
白っぽい樹脂の、そこそこ存在感のある部品である。

落ちれば音がする。
転がれば見える。

なのに、ない。

私は最初、見落としかと思った。
机の上を見る。
部品を置いた紙の上を見る。
工具かばんの中を見る。
機械の周辺を見る。
床を見る。

ない。

机の下に潜る。
膝をつく。
銀行の床に這いつくばるようにして探す。

蛍光灯の光が床に反射している。
銀行の床は、きれいだった。
きれいだからこそ、余計に見つからないことが信じられなかった。

小さな埃なら見える。
紙の切れ端も見える。
それなのに、手の指ほどのギアがない。

私は一度、機械の中を覗き込んだ。
奥のフレームの隙間。
搬送路の下。
外したユニットの裏側。
ありそうな場所を一つずつ見ていく。

探しながら、頭の中では別の計算が始まっていた。
このまま見つからなかったらどうする。
部品はあるのか。
銀行の業務をどれくらい止めるのか。
誰にどう説明するのか。

探す手より、頭の中の言い訳のほうが先に動きそうになる。

それが嫌だった。

私はもう一度、床に目を落とした。

ない。

担当者が少し離れたところから見ている。

「何かありましたか」

「部品を一つ確認しています」

私はそう答えた。

確認している。

実際には、なくしていた。

認めたくなかった。
だが、どこにもない。

冷や汗が出た。

このギアがなければ、組めない。
組めなければ、FAXは動かない。
銀行の業務用FAXを、分解した状態で止めてしまうことになる。

会社へ電話した。
状況を説明する。

「その部品、在庫あったかな」

村瀬課長の声が遠く聞こえた。

古い機種だった。
部品がすぐ出るとは限らない。

選択肢は限られている。

部品を取りに帰る。
在庫がなければ発注し、後日対応にする。
代替機から部品を外す。
撤去機があれば、そこから移植する。

幸い、会社に同じ機種の撤去機があることがわかった。

「戻って外してこい」

それしかなかった。

私は現場の担当者に事情を説明した。

「部品確認のため、いったん会社へ戻って同型機から部品を持ってきます。申し訳ありません」

担当者は明らかに困った顔をした。

当然だ。
向こうからすれば、修理に来た人間が途中で部品を取りに戻ると言っている。
しかも、理由が部品確認。

私は頭を下げた。

銀行を出て、会社へ戻る。
その移動時間がやけに長く感じた。

会社で撤去機を探す。
倉庫の奥に、埃をかぶった同型機があった。

撤去機というものは、どこか寂しい。
かつてはどこかの会社で毎日使われていたはずなのに、今は部品取りとして棚の奥に押し込まれている。
紙粉の匂いも、古い熱の匂いも残っている。

私はその機械を見て、少しだけ自分の未来のようなものを感じた。
使われる場所が変われば、人も機械も扱いが変わる。
現場で必要とされているうちは呼ばれるが、役目を終えれば奥へ下げられる。

そんなことを考えている場合ではない。

私は必要な部分をばらし、ギアを外した。

今度は絶対になくさないように、小さな袋に入れ、胸ポケットへ入れた。

再び日本橋へ向かう。

同じ受付を通り、同じ入館証を下げ、同じ担当者に頭を下げる。

作業を再開した。
ギアを組み込む。
今度は問題なく戻る。
カバーを閉める。
テストする。
紙はきれいに流れた。
異音も消えた。

直った。

担当者は、ほっとした顔をした。
銀行の業務はまた動き出した。
先方にとっては、それで十分だったのだと思う。

だが、私の心は少しも晴れなかった。

直したというより、何とか辻褄を合わせた感覚が残った。
仕事としては終わっている。
報告書にもそう書ける。
だが、自分の中では終わっていない。

消えたギアが、まだどこかでこちらを見ているような気がした。

結局、三時間近くかかった。
普通なら三十分ほどで終わる内容だった。

作業報告書を書きながら、私はずっと考えていた。

あのギアは、どこへ行ったのか。

床の隙間か。
機械の奥か。
書類の間か。
工具かばんのどこかか。
自分の見落としか。
それとも、そもそも別の場所に置いた記憶違いか。

後日、工具かばんを全部ひっくり返しても出てこなかった。
会社の机も探した。
作業服のポケットも見た。

出てこない。

消えたギア。

今でも、そう呼んでいる。

現場仕事では、時々こういうことがある。
壊れたものを直しに行ったはずなのに、途中から「失われた何か」を探す話になる。
しかも、その何かは最後まで出てこない。

この出来事から、私は部品の置き方にさらに神経質になった。

外した部品はトレーに入れる。
ネジは場所ごとに分ける。
小さなギアやバネは、白い紙の上に置く。
途中で現場を離れる時は、必ず写真……と言いたいところだが、当時は簡単に写真を撮れる時代ではない。
だから、メモを増やす。

「外した瞬間に置き場所を決める」

私はメモ帳にそう書いた。

ブレーカーを落とした日と、消えたギアの日。

どちらも、できれば思い出したくない。
だが、どちらも私を少し変えた。

技術とは、知識だけではない。
手順だけでもない。

失敗した時に、どう立て直すか。
その時の冷や汗まで含めて、体に残ったものが技術になる。

私はそういう覚え方をしていった。

効率は悪い。
格好も悪い。

だが、それしかなかった。

急ぐという病

CEの仕事には、いつも急ぎがまとわりついていた。

それは、誰かに追い立てられる急ぎでもあるし、自分で自分を追い立てる急ぎでもあった。

客が待っている。
次の現場がある。
会社から呼び出しが来る。
部品を取りに戻らなければならない。
今日中に何とかしなければならない。

急げ。

誰も口に出していなくても、頭の中ではいつもその声が鳴っていた。

そして人は、急ぐことに慣れすぎると、大事な順番を間違える。

それを私は、二度、身体で知ることになった。

一度目は、独り立ちして一年ほど経った頃だった。
二年目くらい、と言ったほうが近いかもしれない。

その日は、朝から修理が重なっていた。
たぶん私の修理人生の中でも、一、二を争う量だったと思う。

机の上に並んだ修理依頼を見た時点で、嫌な感じはしていた。
ただでさえ予定が詰まっている。
そこへポケベルが鳴る。
電話をかける。
さらに一件増える。
地図を見て順番を組み替える。

一日が始まる前から、すでに押されていた。

午前中から走った。
日本橋、京橋、銀座、八丁堀あたりを、工具かばんを肩にかけて回った。
紙詰まり。
送信不良。
受信できない。
異音がする。

一つ終わるたびに、次がある。
昼を食べた記憶はない。
食べたのかもしれないが、覚えていない。
たぶん、コンビニのおにぎりをどこかで口に入れた程度だったと思う。

そして夕方近く、最後から二番目の修理でハマった。

古い機種だった。
症状が一定しない。
動く時は動く。
止まる時は止まる。
こういう故障が一番厄介だ。

客は待っている。
私は焦っている。
頭の中には、まだ残り一件がある。

何度か切り分けをした。
部品を換えた。
清掃した。
設定も確認した。
それでも症状が完全には消えない。

普段なら、救援などそう簡単には来ない。
現場は基本的に一人で何とかするものだった。
だが、その日はさすがに会社へ連絡した。

「すみません、少し見てもらえませんか」

そう言うのは、当時の私には少し負けたような気分でもあった。
今思えば、そんな意地はくだらない。
だが若い頃は、直せない自分を認めるのが怖かった。

幸い、近くにいた先輩が来てくれた。

二人で見直す。
私が見落としていた箇所を先輩が指摘する。
原因らしきものが見えてくる。
部品を調整し、ようやく症状は収まった。

助かった。

本当に助かった。

だが、その時点でもう夕方だった。

残り一件がある。

先輩は「今日はもう無理なら会社に言え」と言ったかもしれない。
正確な言葉は覚えていない。
ただ、私の頭にはその選択肢がほとんどなかった。

行かなければ。

その一つだけだった。

私は先輩に礼を言い、急いで自転車に乗った。
交差点へ向かう。
夕方の中央区の大通りは、人も車も多かった。
信号が変わる。
私は勢いよく渡り始めた。

その時だった。

横から、左折してきた車が来た。

音より先に、視界がずれた。
身体が浮いた。

本当に、浮いた。

弾き飛ばされ、空中を飛んでいる感覚があった。
その瞬間、時間が妙に遅くなった。

不思議なものだ。
人間の脳は、ああいう時に何をしているのだろう。

目の前の景色がゆっくり流れる。
空が見える。
ビルの輪郭が見える。
車の音が遠くなる。
そして、過去の記憶の断片が一瞬で浮かんだ。

子どもの頃の道。
学校の廊下。
家の匂い。
専門学校の教室。
入社した日の会社。

これが、走馬灯のように、というやつか。

人生であの時しかない。
本当に、あの時だけだった。

次の瞬間、私は道路に転がっていた。

大勢の人が見ていた。
中央区の大通りである。
夕方である。
人目は多い。

運転手が慌てて車から降り、駆け寄ってきた。

「大丈夫ですか」

その声は覚えている。
かなり驚いていた。
当然だ。
車で人をはねたのだから。

だが、私の頭の中にあったのは、痛みではなかった。

次の修理だった。

散らばった荷物を見た。
工具かばん。
書類。
部品。
伝票。
自転車。

私はすぐに立ち上がった。
痛みは感じなかった。
おそらくアドレナリンが出ていたのだろう。
若さもあった。
そして何より、仕事に追われていた。

私は散らばったものを拾い、工具かばんへ戻した。
運転手は何度も大丈夫かと聞いた。
私は大丈夫です、と答えた。

大丈夫なわけがない。

今ならそう思う。
救急車を呼ぶべきだった。
警察も呼ぶべきだった。
会社へ連絡するべきだった。
事故としてきちんと処理するべきだった。

だが、その時の私は、そうしなかった。

相手の名刺を受け取った。
自分の名刺も渡したかもしれない。
そして、すぐにその場を離れた。

次の修理へ向かったのだ。

馬鹿である。
本当に馬鹿だと思う。

しかし、当時の私はそれを馬鹿だとも思っていなかった。
仕事を止めないことが正しいと思っていた。
相手を待たせないことが大事だと思っていた。
自分の身体より、次の現場が先に来ていた。

それが若さだったのか。
責任感だったのか。
ただの判断停止だったのか。

今なら、最後のものに近かったのだと思う。

急ぎすぎると、人は判断をやめる。

本来なら立ち止まるべき場所で、ペダルを踏んでしまう。

その事故のあと、どうなったのか細かい記憶は曖昧だ。
大きな怪我にはならなかった。
運が良かった。
本当に、それだけだった。

もし打ち所が悪ければ、そこで終わっていたかもしれない。
もし頭を強く打っていたら、次の修理どころではなかった。
もし後続車が来ていたら、どうなっていたかわからない。

だが、私はそのまま仕事へ向かった。

若い頃の私は、そういう危うさの中で働いていた。

そして、その危うさは十年ほど経っても、完全には消えていなかった。

十年くらい経った頃だった。
私は相変わらず自転車で都心を走っていた。

その日も修理が重なっていた。
何件かすでに遅れ気味で、頭の中で次の段取りを何度も組み替えていた。

いつもの道だった。
何度も通った道。
信号の長さも、車の流れも、だいたい身体が覚えているような場所だった。

そこを自転車で走っていた時、六十歳くらいの男性とすれ違った。

ほんのわずかに触れた。

強くぶつかった感覚はなかった。
少なくとも、私にはそう感じられた。

だが、男は転んだ。

私は慌てて自転車を止めた。
男はすぐに起き上がった。
ただ、痛がっていた。

この時、すぐに救急車を呼ぶべきだった。

今なら、そう言える。
はっきり言える。

相手が起き上がったかどうかではない。
見た目に大きな怪我があるかどうかでもない。
接触して転倒したのなら、そこで救急車なり警察なりを呼び、会社へ連絡し、正しく処理すべきだった。

だが、その時の私は、また正しい手順を選べなかった。

男と話をした。
痛い。
どうしてくれる。
そういう話になった。
こちらは名刺を渡した。
会社名も伝えた。
最終的には、いったんその場では示談のような流れになった。

言葉にすると、妙に軽く聞こえる。
だが、現場では空気に流されることがある。
相手が立っている。
話ができる。
大きな怪我には見えない。
自分には次の修理がある。

その全部が、判断を鈍らせる。

数日後、私は上司と一緒にその男性と会った。

病院代と、少しの示談金を渡した。
示談書にサインをしてもらった。

それで終わった。

会社としても、処理は終わった。
上司も、それ以上大きくはしなかった。
私も、終わったのだと思うしかなかった。

だが、心には小さな棘が残った。

よくよく考えると、最初からこれが狙いだったのではないかと思える節もあった。

もちろん、断定はできない。
こちらに不注意があったのは間違いない。
相手が転んだのも事実だ。
痛がっていたのも事実だ。

だから、相手を責める話ではない。

ただ、あの場の流れが、あまりに早く整いすぎていたような気がした。
名刺を渡す流れ。
金銭の話へ向かう速さ。
こちらが焦っていることを見透かされたような感覚。

それらが、あとになって少しずつ気になった。

だが、もう終わっている。
示談書にサインもある。
病院代も払った。
会社としても処理した。
今さら何かを言っても仕方がない。

残ったのは、自分への後悔だけだった。

なぜ、あの場ですぐに救急車を呼ばなかったのか。
なぜ、警察を呼ばなかったのか。
なぜ、会社へすぐに連絡しなかったのか。

そして、なぜ私はいつも、まず次の現場のことを考えてしまうのか。

二年目の事故の時もそうだった。
自分が車にはねられても、次の修理のことを考えていた。
十年目の接触の時もそうだった。
相手が転んだのに、頭の奥にはまだ予定が残っていた。

もちろん、状況は違う。
一つは自分が被害者で、一つは自分が加害側になり得る出来事だった。

だが、根は同じだった。

急ぐという病。

仕事に追われるうちに、立ち止まるべき瞬間を見失う。
本来一番に確認すべきものを、二番目、三番目へ押しやってしまう。

身体は大丈夫か。
相手は大丈夫か。
事故として処理すべきではないか。

そんな当たり前のことより先に、次の修理、次の客、次の時間が頭に浮かぶ。

それは責任感ではない。
少なくとも、今の私はそう思う。

責任とは、急ぐことではない。
正しい順番で立ち止まることも、責任なのだ。

若い頃の私は、それがわかっていなかった。
十年経っても、まだ完全にはわかっていなかった。

仕事は人を育てる。
それは確かだ。

だが、同時に仕事は人を歪ませることもある。
急ぐことに慣れすぎる。
無理を普通にしてしまう。
自分の身体を後回しにする。
相手の身体さえ、判断の中で後ろへずれてしまう。

それは怖いことだった。

工具かばんの重さには、そういうものも入っている。

ネジやドライバーや部品だけではない。
焦り。
判断ミス。
後悔。
あの日、すぐに救急車を呼ばなかったこと。
あの日、自分がはねられたのに現場へ向かったこと。

そういうものまで、かばんの底に沈んでいる。

今でも、急いでいる人を見ると少し思う。

そんなに急がなくていい。
まず立ち止まれ。

けれど、それを当時の自分に言えたとしても、たぶん聞かなかっただろう。
若い私は、聞く耳を持たずにペダルを踏んだと思う。

だからこそ、今は書いておきたい。

急ぐことは、仕事ではない。

急がなければならない日もある。
どうしても走らなければならない現場もある。
それはわかる。

だが、急ぎの中で失ってはいけない順番がある。
人の身体。
自分の身体。
事故を事故として扱うこと。

それを飛ばしてまで守る現場など、本当はない。

そのことを、私はずいぶん遅れてから知った。

教わらない者たち

仕事に慣れてくると、少しずつ立場が変わっていく。

最初は、教わる側だった。
いや、正確には、教わりたい側だった。
だが、十分には教わらないまま現場に出た。

それでも数年経つと、新人が入ってくる。
そして、いつの間にかこちらが教える側になる。

不思議なものだ。
自分がまだ足りないと思っているうちに、後ろに誰かが立っている。

その年、会社に新人が二人入った。
一人はすぐに営業へ回され、もう一人がCEとして私たちの部署に来た。
名前は森田といった。

森田を見た時、私は少し困った。

自分が教えられる側だった頃の記憶が、まだ体のどこかに残っていたからだ。
見て覚えろと言われ、わからないままうなずき、現場で冷や汗をかいた記憶。
それを思い出すと、森田に対して先輩らしい顔をするのが少し恥ずかしかった。

私はまだ、誰かを育てられるほど完成した人間ではなかった。
それでも会社の中では、いつの間にか教える側に立たされる。
現場は、人が準備できるまで待ってくれない。

二十二歳。
専門学校を出たばかりで、体が細く、いつも少し大きめの作業服を着ていた。
声は小さい。
だが、目は真面目だった。

最初の数週間、森田は矢野さんについて回った。
そのあと、私にも何度か同行した。

私は、自分が若い頃にしてほしかったことを思い出しながら、できるだけ説明しようとした。

「ここ、見える?」

「はい」

「このセンサーが汚れると、紙があるって誤認することがある。だから清掃の時はここを必ず見る」

「はい」

「でも、強く拭きすぎると逆に壊すから。綿棒は押しつけない」

「はい」

森田はよく返事をした。
メモも取った。

ただ、現場では返事がよくても、それだけでは足りない。

見えているかどうか。
自分の手でできるかどうか。
焦った時に思い出せるかどうか。

そこが問題だった。

ある日、私は森田を連れて銀座の小さな事務所へ行った。
紙詰まりの修理だった。
症状としては難しくない。
新人に見せるにはちょうどいいと思った。

そう判断した時点で、私は少し油断していたのかもしれない。

新人にとって、難しいか簡単かは、故障内容だけでは決まらない。
初めて入る会社の空気。
担当者に見られている緊張。
工具を出す手つき。
床にかばんを置く位置。
そういう一つ一つが、すでに負荷なのだ。

かつての私もそうだった。
だが、教える側に立つと、その感覚は簡単に薄れる。

私は横で見ながら、森田に作業をさせた。

カバーを開ける。
紙片を探す。
搬送路を見る。
ローラーを清掃する。
センサーを確認する。

手つきはぎこちない。
だが、それは仕方ない。
誰でも最初はそうだ。

途中、森田が小さなバネを落とした。

床に跳ねる音がした。

二人で探した。
机の下、機械の裏、棚の隙間。

見つかった。

森田の顔色は悪かった。

「すみません」

「見つかったからいいよ。ただ、バネは飛ぶ。飛ぶ前提で手を添える」

私はそう言った。

言いながら、自分の中に少し嫌なものがあるのを感じた。

私は優しく言っているつもりだった。
だが、その言葉の奥には、どこかで「そんなの当たり前だろう」と思う自分もいた。

自分もできなかったくせに。
自分もネジを落とし、部品をなくしかけ、現場で震えてきたくせに。

数年経つだけで、人は簡単に忘れる。
いや、忘れるというより、自分の失敗を棚の奥にしまい、新人の失敗だけを手前に置いてしまう。

私はそのことが少し怖かった。

会社には、相変わらず体系立った教育はなかった。
新人は先輩について回る。
先輩は自分のやり方を見せる。
新人は見て覚える。
ある程度の期間が過ぎると、一人で現場に出る。

そして、ハマる。

救援は来ない。

もちろん、電話で相談はできる。
だが電話で伝わることには限界がある。
現場の狭さ、客の圧、機械の古さ、ネジの固さ、焦り。
そういうものは、受話器では十分に渡せない。

森田も、独り立ちしてしばらくしてから、明らかに顔つきが変わった。

朝、修理依頼の紙を見る目が暗い。
ポケベルが鳴ると、肩が少し動く。
昼に戻ってきても、弁当をあまり食べない。

私は声をかけた。

「大丈夫か」

森田は笑った。

「大丈夫です」

大丈夫です。

この言葉ほど、信用できないものもない。

数日後、森田は日本橋の小さな商社で修理にハマった。
古い機種の通信エラーだった。
電話が来た。

「すみません。送信はできるんですけど、受信ができたりできなかったりで」

声が震えていた。

私は自分の予定を見た。
午後に修理が二件。
納品が一件。
行く余裕はない。

電話で状況を聞く。
回線。
設定。
相手先。
テスト先。
エラーコード。

森田は答える。
だが、現場の全体像が見えていない。
焦っている。

私は少し強い口調になった。

「まず一つずつ切り分けろ。全部いっぺんに見ようとするな」

言った瞬間、胸の奥が少し痛んだ。

昔、私も同じことを言われた気がした。
いや、言われたかったのかもしれない。

結局、その日は私が夕方に合流した。
予定は崩れた。
他の客には遅れる連絡を入れた。
村瀬課長には小言を言われた。

現場へ着くと、森田はFAXの前で固まっていた。
机の上には外したカバーとネジが並び、テスト紙が何枚も散らばっていた。

私は状況を見た。
原因は、回線側と機械側の両方にあった。
完全に森田の手に余る案件だった。

「これは難しいよ」

私がそう言うと、森田はうつむいた。

「すみません」

「いや、これは一人で判断しろって言うほうが無理だ」

私はなるべく普通の声で言った。

その時、少しわかった。

新人を折るのは、故障の難しさだけではない。

難しいものを難しいと言えない空気。
助けを求めることが負けのように感じる空気。
誰もが自分で覚えてきたのだから、お前もそうしろという無言の圧。

それが人を削る。

私は森田と一緒に原因を切り分けた。
回線をテストし、別の端末で確認し、設定を見直し、機械側の部品を交換した。

終わった頃には、外は暗くなっていた。

帰り道、森田が言った。

「自分、向いてないかもしれません」

駅へ向かう歩道は、夕方の人で少し混んでいた。
会社員が足早に通り過ぎる。
コンビニの袋を持った人がいる。
誰も、私たちがさっきまで古いFAXの前でどれだけ詰まっていたかなど知らない。

森田は工具かばんを少し肩からずらしながら歩いていた。
かばんが重そうだった。
いや、実際に重い。
だがその時の重さは、道具の重さだけではなかったと思う。

その言葉を聞いた時、私はすぐには返せなかった。

自分も何度も思った。
向いていない。
この仕事は自分には無理だ。
知らない機種が怖い。
客の前に立つのが怖い。
ポケベルが鳴るのが怖い。

だから、軽く否定できなかった。

「向いてるかどうかは、すぐにはわからないと思う」

私はそう言った。

「でも、怖いと思うのは普通だよ。怖くなくなったら、それはそれで危ない」

森田は何も言わなかった。

その後、森田は半年ほど続けた。
だが、結局辞めた。

辞めると聞いた時、私は驚かなかった。
むしろ、よく半年続いたと思った。

送別会のようなものはなかった。
軽く挨拶をして、森田は会社を去った。

最後の日、森田はいつもより少しだけ明るい顔をしていた。
辞めると決まったことで、ようやく呼吸が戻ったのかもしれない。
それを見るのも、少しつらかった。

この仕事から離れることで救われる人もいる。
その当たり前を、私はその時まだうまく受け止められなかった。

机の上から、彼のメモ帳がなくなっていた。

私は少しだけ、空いた席を見ていた。

自分がもっと何かできたのではないか。
そう思わないわけではなかった。

だが、こちらにも余裕がなかった。
日々の修理、点検、納品、集金、契約。
自分の現場だけで精一杯だった。

現場仕事では、誰かを育てる時間がいちばん足りない。

それは言い訳かもしれない。
だが、現実でもあった。

森田が辞めたあと、私は自分のメモ帳を見返した。

初日の二時間。
青葉通商。
大手町。
ブレーカー。
消えたギア。

汚い字で書かれた記録の中に、若い頃の自分がいた。

私は生き残った。

そう言えば聞こえは強い。
だが、本当に強かったから残ったのかどうかはわからない。
たまたま折れなかっただけかもしれない。
周囲に少しだけ助けられたからかもしれない。
辞めるタイミングを逃しただけかもしれない。

それでも、残った以上、次の誰かに同じ苦しさをそのまま渡していいのか。

その問いは、その後も私の中に残った。

会社は簡単には変わらない。
教育の仕組みも、急に整うわけではない。

だが、少なくとも自分が隣にいる時くらいは、言葉にして伝えよう。
手元を見せるだけではなく、なぜそうするのかを話そう。
難しい現場は難しいと言おう。

それが立派な教育かどうかはわからない。

ただ、私は自分がされて嫌だったことを、できるだけ次へ渡したくなかった。

それもまた、CEとして少しだけ大人になることだったのかもしれない。

森田が辞めてからしばらくして、私は彼が残していった古い部品表を部品棚の隅で見つけた。

端のほうに、小さな字でメモが書いてあった。

「紙詰まりは、まず焦らない」

たぶん、私がどこかの現場で言った言葉だ。
言った本人は覚えていない。だが、森田はそれを書いていた。

その字を見た時、胸の奥に妙なものが残った。

自分の言葉が誰かのメモに残ることがある。
そして、その誰かはもうここにはいない。

それは責任とも違うし、後悔とも少し違う。ただ、軽くはなかった。

現場の仕事は、人を育てるのが下手だった。
少なくとも、あの頃のうちの会社はそうだった。壊れた機械には部品を用意する。だが、折れかけた新人には、十分な言葉も時間も用意できない。

私はそのことに、どこかで慣れてしまっていた。

新人が辞める。
また次が来る。
また辞める。

そういうものだ、と片づけるのは簡単だった。
実際、そうしなければ回らない日もあった。

だが、森田の小さな字を見てから、少しだけ考えが変わった。

人は、思っている以上に、誰かの一言を持って帰る。

それが支えになることもある。
逆に、傷になることもある。

こちらが何気なく言った「そんなの基本だろう」という一言が、誰かの手を止めることがある。こちらが何気なく言った「怖いのは普通だよ」という一言が、誰かを一日だけ持たせることもある。

技術を教えるとは、手順を渡すことだけではない。

現場に立つ時の呼吸を渡すことでもある。

私はそう思うようになった。

もちろん、その後の私が立派な指導者になったわけではない。相変わらず余裕はなかったし、忙しければ口調も荒くなった。自分の未熟さも、しつこく残っていた。

それでも、森田のメモを見てから、新人と同行する時には、少しだけ言葉を選ぶようになった。

「ここは難しい」
「これは一回で覚えなくていい」
「わからなければ止まれ」
「焦った時ほど、工具を置け」

そんなことを、なるべく言葉にした。

自分が欲しかった言葉を、少し遅れて誰かへ渡しているような気もした。

土曜の夜、全国から鳴る電話

キャリアが八年ほどになった頃、私は夜間業務に入るようになった。

毎週土曜の夜に一人、当番が回ってくる。
十八時から翌朝八時半まで。

昼間の現場とは違う種類の疲れがあった。

会社のフロアは夜になると、妙に広くなる。
机が並んでいるだけなのに、人がいないと空間の密度が変わる。
蛍光灯の白さが強くなる。
壁の時計の音が気になる。

その中で、全国からの電話を二人で受ける。

一人は受付専門の人間ではない。
私たちCEも電話を取る。
状況を聞き、切り分け、契約を確認し、必要なら出動や手配をする。

電話の向こうにいる相手は、たいてい困っている。
そして、困っている人間は説明が荒くなる。

「動かない」
「送れない」
「変な音がする」
「画面に何か出てる」
「急いでる」
「今すぐ来て」

そこから聞き出していく。

機種は何か。
設置先はどこか。
契約はあるのか。
症状はいつからか。
電源は入るのか。
紙はあるのか。
相手先は一件だけか。
全件か。

昼間の現場なら、自分の目で見られる。
音も聞ける。
匂いもわかる。
紙の詰まり方も見える。

だが電話では、相手の声だけが頼りだった。

しかも、電話の相手は機械に詳しくない。
詳しくないから電話してくる。

それなのに、こちらは相手の言葉から機械の状態を想像しなければならない。

これが、かなり神経を使う。

方言が強くて、何を言っているのかわからない時もあった。
外国語の電話もあった。
怒鳴られることもあった。
登録情報が古く、設置先の名前が変わっていることもあった。

夜は、昼より人を短気にする。

待ってください、確認します、という言葉が通じにくい。
相手は今困っている。
今止まっている。
今送れない。

その焦りが、受話器を通してこちらの耳へ直接入ってくる。

そして「今すぐ来てくれ」となれば、都内なら私たちが出動する。

夜中の出動は、昼間と違う。

まず、持っていく工具かばんが違う。
普段自分が使っているかばんではなく、当番用の共用かばんを使う。

これが、地味につらい。

中身が微妙に違う。
工具の並びが違う。
ドライバーの握りが違う。
いつもの場所にいつものものがない。

急いでいる現場ほど、こういう小さな違いが効いてくる。

自分のかばんは、自分の手の延長だった。
どこに何が入っているか、見なくてもだいたいわかる。
だが、当番用のかばんは違う。

他人の靴を履いて走るようなものだった。

地方の場合は、現地の当番者へ連絡を取る。
これもまた簡単ではない。

夜中である。
つながらないこともある。
やっとつながっても、部品がないこともある。
現場まで遠いこともある。

その間、客は待っている。
電話の向こうで、いらだっている。

こちらも完全な答えを持っているわけではない。
それでも、何かを決めなければならない。

この「決める」という行為が重かった。

行かせるのか。
翌朝でいいのか。
電話対応で復旧できるのか。
契約上、夜間対応の対象なのか。
部品がなければどうするのか。

判断が遅れれば怒られる。
判断を誤れば、もっと大きな問題になる。

八年目の私でも、毎回緊張した。

冒頭で触れたように、ある土曜の夜、地方の営業所から電話が入った。

FAXが送れない。
全部止まっている。
今すぐ何とかしろ。

声の荒い男だった。

機種名を聞いても、すぐには形が浮かばない。
古い特殊な構成だった。
契約情報を見ると、どうやら通常のFAXだけではなく、周辺機器と連動している。

面倒な案件だった。

私は相手から状況を聞き出した。
エラー表示。
送信先。
受信の可否。
回線ランプ。
電源の状態。

相手は何度も言った。

「だから、こっちは使う側なんだよ」

その言葉に、若い頃の私なら少しむっとしたかもしれない。
こっちは直すために聞いているのだ、と。

だが、その夜の私は少し違った。

使う側。

確かにそうだ。
相手は使う側であり、こちらは直す側である。
相手がうまく説明できないのは、当たり前なのだ。

私は声の調子を少し落とした。

「わかりました。こちらで順番に確認します。画面に出ている文字だけ、ゆっくり読んでください」

相手はしばらく黙った。

「……E、四、二、かな」

私はメモする。

E42。

冊子をめくる。
該当するエラーがあった。
通信制御系、もしくは周辺機器との接続異常。

現地で確認が必要だった。

佐伯が隣で現地当番者へ電話をかけている。
つながらない。
もう一つの番号へかける。
まだ出ない。

時間だけが過ぎる。

私は電話口の男に、できる範囲のリセット手順を案内した。
電源を切る順番。
周辺機器の確認。
ケーブル抜けの有無。

「ケーブルなんて抜けるわけないだろ」

男はそう言った。

だが、現場では「抜けるわけがない」ものがよく抜けている。

「念のためで構いません。背面の太いケーブルを見てください」

しばらくして、受話器の向こうで音がした。
何かを動かしている気配。

「……一本、ゆるいかもしれない」

私は目を閉じた。

来た。

「奥まで差し込んでください。カチッと感触があると思います」

少し間があった。

「入った」

「では、もう一度電源を入れてください」

起動音が受話器越しにかすかに聞こえた。

私は待った。

夜間受付のフロアが静かになる。
佐伯も電話をかける手を止め、こちらを見ている。

数十秒。

「……送れるかもしれない」

男の声が少し変わった。

「テストで一枚、送ってみてください」

紙を入れる音。
ボタンを押す音。
機械が動く音。

そして、しばらくして男が言った。

「送れた」

その瞬間、私は大きく息を吐きそうになった。
だが、まだ終わりではない。

「念のため、別の宛先にも一件お願いします」

二件目も送れた。

原因は、周辺機器との接続ケーブルの緩みだった。
なぜ緩んだのかはわからない。
誰かが掃除で動かしたのかもしれない。
荷物が当たったのかもしれない。

だが、復旧した。

「すまなかったな」

電話の向こうで、男が小さく言った。

怒鳴っていた人間が、急に小さくなる瞬間がある。
青葉通商の男を思い出した。

人間は、困っている時ほど大きな声を出す。
そして困りごとが解けると、少しだけ本来の大きさに戻る。

「いえ、復旧してよかったです。しばらく様子を見て、再発するようなら朝一番で手配します」

私はそう答えた。

電話を切る。

フロアに静けさが戻った。

佐伯が言った。

「出動、なしで済んだな」

「助かった」

私は椅子にもたれた。

派手な修理ではない。
工具も使っていない。
現場へも行っていない。

ただ電話で、ケーブルを一本差し直してもらっただけだ。

だが、その夜、向こうの営業所では仕事がまた動き出した。
送れなかったFAXが送れた。
止まっていた誰かの段取りが、少しだけ戻った。

それで十分だった。

若い頃の私は、現場へ行って直すことだけがCEの仕事だと思っていた。
だが、八年目の私は少し違うことを知っていた。

現場へ行かずに済ませることも、仕事である。
相手の怒りをほどき、状況を整理し、必要な手順へ導くことも、仕事である。

ドライバーを回すだけが技術ではない。

受話器の向こうにいる人間を、手元の機械まで連れていくこと。
それもまた、技術だった。

工具かばんの重さ

夜間受付の電話が落ち着いたあと、私はしばらく机の上を見ていた。

受付票には、さっきの案件の記録が残っている。
設置先。
時刻。
症状。
対応内容。
復旧確認。

紙の上では、たった数行で終わる。

だが、その数行の向こうには、電話口で怒鳴っていた男がいて、緩んだケーブルがあり、止まっていた仕事がある。

仕事というのは、記録にするとやけに薄くなる。

作業報告書もそうだ。
交換部品。
作業時間。
確認結果。
サイン。

そこには、指先の震えも、夜の蛍光灯も、胃の冷え方も、誰かの小さな「助かった」も残らない。

だから、私は書いているのかもしれない。

あの頃のことを、今になってこうして言葉にしているのは、作業報告書には残らなかったものを、どこかに置いておきたいからなのだと思う。

ポケベルが鳴っていた頃。
FAXが仕事の真ん中にあった頃。
東京のビルの隙間を、工具かばんを抱えて走っていた頃。

私は若かった。
本当に若かった。

若いというのは、体力があることだけではない。
知らないということでもある。
怖さの正体を知らないまま、怖い場所へ入っていける。
壊した時の重さを知らないまま、カバーを開けられる。
自分が何に向いているのかわからないまま、とりあえず次の現場へ向かえる。

それは強さでもあり、危うさでもあった。

初日の二時間。
私は一つのローラー交換に汗をかき、電源を落としてデータを飛ばし、バッテリーを交換し、短縮ダイヤルを入力し直した。

青葉通商では、怖い男たちの前で指先を震わせながらFAXを直した。

大手町では、蛍光灯が消えていくフロアで大型機に向き合った。

小さな会社では、くたびれたハンダごてでブレーカーを落とした。

日本橋の銀行では、ギアを一つ消した。

森田は辞めていった。

夜間受付では、全国から鳴る電話を受け、怒りと焦りの声を聞いた。

どれも、華やかな話ではない。

成功譚でもない。
むしろ、格好悪い話ばかりだ。

けれど、仕事というのは、たぶんそういうものの積み重ねなのだと思う。

うまくいった日だけでは、人は仕事を覚えない。
褒められた日だけでは、現場に立てるようにはならない。

失敗して、冷や汗をかいて、頭を下げて、工具を直してもらって、部品を探して、電話口で怒鳴られて、それでも翌朝また机の上の修理依頼を見る。

その繰り返しの中で、少しずつ自分の立ち方ができていく。

私は長い間、FAXを直していた。

もちろん、正確にはFAXだけではない。
周辺機器も扱った。
納品もした。
点検もした。
集金もした。
契約の話もした。
夜間受付もした。

だが、やはり私の中ではFAXの仕事だった。

紙が入り、音が鳴り、回線につながり、遠くの誰かへ情報が届く。

今の感覚からすれば、ずいぶん遠回りな機械かもしれない。
メールで送ればいい。
データで共有すればいい。
クラウドに上げればいい。

そう言われれば、その通りだ。

だが、あの頃はFAXが仕事の血管のように張り巡らされていた。
役所にも、病院にも、会社にも、市場にも、制作現場にも、商店にも。

紙が一枚届くことで、仕事が動いた。
紙が一枚届かないことで、誰かが困った。

私たちは、その線が切れた時に呼ばれた。

カスタマーエンジニア。

CE。

立派な響きに聞こえるかもしれない。
だが実際には、汗をかき、膝をつき、床に這い、埃を吸い、客に謝り、時々昼飯を食べ損ねる仕事だった。

それでも、現場で機械が動いた瞬間だけは、少し報われた。

送信ランプが点く。
紙が吸い込まれる。
回線がつながる。
受信紙が出る。

たったそれだけのことが、妙に嬉しい時があった。

若い頃の私は、仕事に意味を求める余裕などなかった。
日々を回すだけで精一杯だった。

けれど今、振り返って思う。

あの仕事には意味があった。

大げさな意味ではない。
社会を変えたとか、誰かの人生を救ったとか、そういう話ではない。

ただ、止まったものを動かした。
切れかけた線をつないだ。
困っていた人の息を、少しだけ軽くした。

それくらいの意味である。

でも、働くというのは、本来それくらいの小さな意味を積み重ねることなのかもしれない。

土曜の夜は、まだ続いていた。

佐伯は椅子にもたれ、うとうとしている。
電話はしばらく鳴っていない。
壁の時計は二時を少し回っていた。

私は当番用の工具かばんを見た。

共用のかばん。
誰のものでもないかばん。
擦り切れた角。
少し曲がったファスナー。
中には、いろいろな工具が入っている。

ドライバー。
ペンチ。
テスター。
綿棒。
小さな部品袋。
テープ。
懐中電灯。

そして、目には見えないものも入っている気がした。

初日の不安。
青葉通商の震え。
大手町の蛍光灯。
ブレーカーが落ちた瞬間の冷たさ。
消えたギアを探す焦り。
森田の「向いてないかもしれません」という声。
電話口の怒り。
復旧した時の小さな沈黙。

工具かばんは、重かった。

昔は、その重さが嫌だった。
肩に食い込むだけのものだと思っていた。

だが、今は少し違う。

その重さの中に、自分が通ってきた現場が入っている。
失敗も、恥も、少しの誇りも入っている。

私は立ち上がり、給湯室でぬるいコーヒーを入れた。
自販機の紙コップほどの味もしない、薄いコーヒーだった。

窓の外は暗い。
東京の夜は、完全には眠らない。
どこかのビルにはまだ明かりがあり、どこかの会社では誰かが作業している。
そして、どこかでFAXが一枚、送られているかもしれない。

電話が鳴った。

私はカップを置き、受話器を取った。

「はい、東都通信機サービス、夜間受付です」

声は自然に出た。

電話の向こうで、誰かが困っている。

私はメモを取りながら、ゆっくり聞いた。

設置先はどちらですか。
画面には何が出ていますか。
紙は入っていますか。
いつからその症状ですか。

一つずつ。

焦らずに。

電話の向こうの声が、少しずつ落ち着いていく。

私はその声を聞きながら、ふと思った。

私はもう、初日の私ではない。

もちろん、完璧な技術者になったわけではない。
知らない機械はまだある。
怖い現場もある。
失敗もする。
向いているのかどうかも、今でもよくわからない。

それでも、あの頃より少しだけ、現場に立てるようになった。

機械の前に立つ。
人の前に立つ。
自分の未熟さの前に立つ。

たぶん、それが仕事を続けるということだった。

やがて朝が来た。

夜間受付のフロアに、薄い光が入ってくる。
蛍光灯の白さが少し弱まり、窓の外のビルが輪郭を取り戻す。

佐伯が大きく伸びをした。

「終わったな」

「終わった」

私は受付票をまとめ、引き継ぎ事項を書いた。

夜の間に起きたことは、朝の紙に変わる。
そしてまた、昼の誰かへ渡される。

仕事は、そうやって続いていく。

会社を出ると、日曜の朝だった。

平日の大手町とは違う、少し静かな東京がそこにあった。
私は工具かばんを持ち直した。

肩にずしりと重さが乗る。

昔と同じ重さだ。

けれど、その重さの意味は少し変わっていた。

私は歩き出した。

ポケベルが鳴っていた時代は、もう少しずつ遠ざかっていくのだろう。
FAXも、いつか仕事の中心から外れていくのだろう。

だが、あの頃、確かに私たちは現場へ向かっていた。
誰かの困りごとの前に立ち、切れかけた線をつなごうとしていた。

それは、華やかでも、効率的でも、わかりやすく報われる仕事でもなかった。

でも、確かに仕事だった。

私の若い日々は、その工具かばんの重さの中にある。

そしてたぶん、今もどこかで、誰かが別の工具かばんを持って現場へ向かっている。

名前の残らない仕事をするために。
誰かの当たり前を、もう一度動かすために。

私はその人たちの背中を、少しだけ思う。

ゆるぎなく、まっすぐに。

そんな立派な言葉を、あの頃の私が持っていたわけではない。

ただ、呼ばれたら行った。
壊れていたら開けた。
わからなければ考えた。
怖ければ震えながら、それでもネジを締めた。

それで十分だったのかもしれない。

工具かばんの重さは、今日も肩に残っている。

あの時代の手触りとして。
そして、働いていた私自身の証として。


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#お仕事小説部門


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