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「ゆるぎなく、まっすぐに」 〜ロスジェネが砂利道で拾った、誰も教えてくれなかった人生の話〜

FAXのカスタマーエンジニアが見つめた「人の営み」の真実

~17年間、現場で拾った「誰も教えてくれなかった人生の話」~


今回はEX-FAX-CEこと私の見つめ直しの回とします。
少し長くなりますがお付き合いください。


序章 砂利道を歩いた者だけが知る景色

「まっすぐに生きろ」

1974年1月生まれ、現在51歳。私たちロスジェネ氷河期第一世代が、この言葉をどれほど複雑な想いで聞いてきたか。

港区生まれ、世田谷育ち、品川で結婚、今は横浜暮らし
書けば華やかに見えるけれど、実態は昭和のごく普通の家庭で、常に家計はギリギリ。現在は末期がんで寝たきりの父と認知症の母の介護をしながら、発達障害の娘と向き合う日々。
妻も体調がすぐれない日が多い。

それでも、何とか笑って生きていきたい。

なぜなら、私たちの前に広がっていたのは、まっすぐ歩けるよう整備された舗装道路ではなかった。荒れ果てた砂利道を、手探りで歩き続けるしかなかった。

けれども、その道のりを歩き続けた私たちだからこそ見えてきた「真実」がある。


第一章 FAXの現場で見た「人の営みのリアル」

大企業から商店街まで、17年間で出会った人たち

学校卒業後、私が就いたのは「FAXのカスタマーエンジニア」という、一風変わった仕事だった。

行く先々は大企業のオフィスから小さな商店、町工場、医療機関、テレビ局の舞台裏、築地市場まで。FAXが情報の要だった時代の、まさに"縁の下の力持ち"。

華やかさとは無縁だったけれど、人の営みのリアルを間近で見られる、貴重な仕事だった。

現場で教わった「本当のこと」

研修なんてなかった。昭和の色が濃く残る現場で、見たことのない機種と向き合うことも日常茶飯事。全部、自分の経験と手探りでなんとかしてきた17年間。

その中で気づいたことがある。

「効率」や「タイパ」なんて言葉が存在しない時代、人々はもっと「情」で動いていた。

朝一番で故障したFAXを直しに行くと、「ありがとう、助かったよ」と温かいお茶を出してくれるおばちゃん。夜遅くまで働く町工場の親父さんが、「お疲れさん」と缶コーヒーをくれる。

大企業のオフィスでも、小さな商店でも、そこには必ず「人の温かさ」があった。

機械を直しているつもりが、いつの間にか人とのつながりを修理していたのかもしれない。

「情の時代」から「効率の時代」への転換点

ところが、時代は変わった。

FAXからメール、メールからLINEへ。情報伝達の手段がデジタル化するにつれ、人と人との距離も変わっていった。

「効率・タイパ・コスパ」
いつの間にか、こんな言葉が世の中を席巻するようになった。

でも、私はふと思う。「そんなに効率ばかり追いかけて、何が残るんだ?」


第二章 会社解散と「あの頃の絶望」

40歳目前、震災後の再就職という現実

17年間勤めた会社が、40歳を目前にして解散。

震災後の日本で、中年男性の再就職なんて夢のまた夢。エントリーシートを何十社出しても音沙汰なし。面接に辿り着いても、「経験を活かせる職場がない」と言われる日々。

「あの頃の絶望」を、今でも忘れることができない。

朝、目が覚める瞬間の重い気持ち。家族を見つめる時の申し訳なさ。将来への不安で眠れない夜。

それでも、家族がいた。生きるしかなかった。

「やらなきゃ生きていけない」

この思いだけは、ずっと燃え続けていた。

なんでもやった、それでも生きてきた

その後は、なんとか生きるために色んな仕事をしてきた。事務、経理、軽作業、パート。うまくいったことなんて数えるほどしかない。

でも、「こんな生き方もある」「それでも人は生きられる」ということを、身をもって知った。

今はフリーランスとして、未経験のことにも飛び込んでいる。それが正解なのかどうかは分からない。

でも、人生に正解なんてあるのか?と、最近よく思う。


第三章 「書くこと」が教えてくれたもの

孤独な夜を支えてくれた、たった一つの武器

なぜ私がnoteで文章を書くのか。

理由はシンプルだ。「書くこと」だけは、ずっと自分を助けてくれたから。

日記でも、SNSでも、メモ帳でも。苦しかった時代、孤独だった夜、怒りで眠れない朝。全部、文字にして自分をなだめてきた。

文字にすると、不思議なことが起こる。

混乱していた感情が整理される。言葉にできなかった想いが形になる。そして、「自分はこんなことを考えていたのか」と、客観的に自分を見つめることができる。

「共感」という名の財産

そして今、同じような苦しみの中にいる誰かに、少しでも「わかるよ」と伝えられたらいいと思っている。

noteを始めて気づいたのは、「共感」には計り知れない価値があるということだった。

「いいね」をもらう度に、「コメント」をもらう度に、「自分は一人じゃないんだ」と感じる。そして、私の経験が誰かの役に立つかもしれないと思える。

これは、経済的な成功とは別次元の「豊かさ」だった。


第四章 「情に厚く生きる」という選択

効率化社会への静かな抵抗

世の中が「効率・タイパ・コスパ」一辺倒になっていく中で、私は意識的に違う道を選んでいる。

情にも薄い世知辛い世の中、せめて自分は情に厚く生きていたい。

これは、単なる理想論ではない。FAXのカスタマーエンジニア時代に学んだ「人の営みのリアル」に根ざした、確信に近い信念だ。

「情」が持つ本当の力

効率を追求すれば、確かに時間は短縮される。コストも削減される。

でも、その過程で失われるものがある。

それは「人と人とのつながり」だ。

私がFAXを修理していた頃、お茶を出してくれたおばちゃんは、確かに「非効率」だった。でも、その5分間の会話が、どれだけ多くのものを生み出していたか。

信頼関係、安心感、所属意識、生きがい

こうしたものは、効率化では絶対に生まれない。

「情の経済」という可能性

最近、私は「情の経済」という言葉を考えるようになった。

これは、お金や物質的価値とは別の、人間関係や感情的つながりを基盤とした価値創造のシステムのことだ。

例えば、noteでの発信活動。直接的な収益は少ないかもしれない。でも、読んでくれる人がいて、共感してくれる人がいて、時々コメントをくれる人がいる。

この「つながり」自体が、私にとっては計り知れない価値を持っている。


第五章 介護と子育ての現実から見える「本当の豊かさ」

数字では測れない日々の中で

現在の私の生活は、客観的に見れば決して恵まれているとは言えない。

末期がんで寝たきりの父、認知症の母の介護。発達障害の娘との向き合い。そして、常にギリギリの家計。

でも、この状況の中で気づいたことがある。

本当の豊かさは、数字では測れないということだ。

父が教えてくれたこと

寝たきりの父を介護する度に思う。

この人は、私が子どもの頃、朝早くから夜遅くまで働いて家族を支えてくれた。決して裕福ではなかったけれど、愛情は十分すぎるほど注いでくれた。

今、その父が私の手を握る力は弱い。でも、その手には、これまでの人生すべてが込められている。

これを「非生産的」と呼ぶ社会があるとすれば、その社会の方がおかしい。

娘から学んだ「違う視点」

発達障害の娘は、世間一般の「効率性」とは無縁の世界に生きている。

でも、彼女には独特の感受性がある。他の人が見過ごしてしまうような小さなことに深く感動し、誰も気づかないような美しさを発見する。

「普通」じゃないことが、実は最大の才能なのかもしれない。


第六章 ロスジェネが提案する「もう一つの生き方」

数値化できない価値を大切にする人生観

私たちロスジェネ氷河期第一世代は、確かに経済的には恵まれなかった世代だ。

でも、その分、数値化できない価値に敏感になった。

人の優しさ、つながりの温かさ、共感の力、支え合いの大切さ

こうしたものの価値を、身をもって知っている。

「迷路人生」の価値

私は自分のことを「人生の迷路で、周りの人々に助けられそして生かされたフリーランス中年」と表現している。

迷路のような人生は、確かに非効率だ。無駄も多い。でも、迷路だからこそ見える景色がある。

まっすぐな道では出会えない人たち。回り道だからこそ発見できる宝物。行き止まりで立ち止まった時に気づく、本当に大切なもの。

これらすべてが、私の「財産」だ。

フリーランス中年の可能性

今、私はフリーランスとして様々なことに挑戦している。

未経験のことばかりで、失敗も多い。でも、FAXのカスタマーエンジニア時代に培った「現場力」が活きている。

「研修なんてない。自分で覚えるしかない」 この経験が、今の武器になっている。

効率性や専門性では若い人に敵わない。でも、「人の営みを見つめる目」「情に厚い姿勢」「共感力」
これらは、長い迷路人生を歩んできた私たちにしかない強みだ。


第七章 「書く」ことで繋がる未来

noteというプラットフォームが持つ可能性

なぜ私がnoteにこだわるのか。

それは、noteが「効率性」よりも「共感」を重視するプラットフォームだからだ。

バズることよりも、深く刺さること。
拡散されることよりも、じっくり読まれること。
フォロワー数よりも、つながりの質。

これこそが、私たちの世代が求めていたコミュニケーションの形だ。

「途中報告」という価値

私のnoteは「人生の途中報告」だ。

カッコよくもないし、成功談もない。でも、「こんな生き方もある」「それでも人は生きられる」ということを、リアルタイムで伝えている。

これは、完成された自己啓発書やビジネス書とは全く違う価値を持っている。

「今、まさに進行中の物語」だからこそ持つ説得力がある。

同世代との連帯、若い世代への継承

同世代の人には「わかるよ」という共感を。若い世代の人には「そんな時代があったのか」という気づきを。

そして、すべての世代の人に「人生に正解はない。でも、歩き続けることに意味がある」というメッセージを伝えたい。


第八章 「ゆるぎなく、まっすぐに」の本当の意味

完璧じゃないからこそ美しい人生

「ゆるぎなく、まっすぐに」 

この言葉を、私は独自の意味で解釈している。

それは、「完璧にブレない」ということではない。

「人として大切にしたいものを大切にし続ける」ということだ。

私が大切にし続けてきたもの

  • 家族への愛情(時に不器用でも)

  • 人への思いやり(見返りを求めずに)

  • 弱者への共感(自分も弱者だから)

  • より良い明日への希望(小さくても)

  • 正直な気持ちを伝えること(たとえ下手でも)

これらを、どんなに困難な状況でも手放さなかった。

社会的地位や経済的成功を犠牲にしてでも、この「芯」だけは守り抜いた。

これこそが「ゆるぎなく、まっすぐに」の真の意味だと思う。

不完全性の美学

私の人生は、傷だらけで完璧とは程遠い。

でも、その不完全さの中にこそ、他者には模倣できない深い味わいがある。

泥にまみれながらも、自分の足で立ち続けた。転んでも、また立ち上がった。迷っても、歩くことをやめなかった。

この事実こそが、私たちロスジェネの誇りだ。


終章 まだ終わらない物語

1974年1月生まれ、現在51歳。私たちロスジェネ氷河期第一世代の物語は、まだ終わっていない。

むしろ、今からが本番なのかもしれない。

私たちだからこそできること

効率化社会への静かな抵抗者として。 情の経済の提唱者として。 数値化できない価値の伝道者として。

そして何より、「それでも人は生きられる」ということの証明者として。

次の世代への贈り物

私たちが体験した困難を、単なる愚痴や自虐ネタで終わらせてはいけない。

それを「智恵」として昇華させ、次の世代に継承することが、私たちの使命だと思う。

「人生に正解はない。でも、歩き続けることに意味がある」

この真実を、私たちの生き様で証明していこう。


あとがき 読者の皆様へ

ここまで読んでくださって、本当にありがとうございます。
今回の記事は、今の時点での私の気持ちの総括となっています。

もしあなたが同世代なら、「そうだ、俺たちも頑張ってきたんだ」と思ってもらえたでしょうか。

もしあなたが若い世代なら、「効率だけじゃない生き方もあるんだな」と感じてもらえたでしょうか。

もしあなたが人生に迷っているなら、「まだやり直せる」「まだ間に合う」と思ってもらえたでしょうか。

私たちの経験は、決して無駄ではない。

そして、これからも価値を生み出し続けます。


EX-FAX-CE
元FAXのCE、現フリーランス中年 1974年1月生まれ

「ゆるぎなく、まっすぐに」

共に歩んでいきましょう。


この記事を読んで何かを感じていただけましたら、スキやコメントをいただけると嬉しいです。見ていただいている、読んでいただいている
もうそれだけで生きていると感じられるから。

そして、もしこの続きが読みたいと思っていただけたなら、次回記事への期待をお聞かせください。皆様の反応が、私の書く力の源泉です。

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EX-FAX-CE|NOTE執筆家
「ゆるぎなく、まっすぐに」
EX-FAX-CEとはロスジェネ脱線学 ▶ 一瞬永遠 ▶ 笑いの臨界点
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