認知症の母という鏡 浮かび上がる輪郭と、消えていく記憶の狭間で【50代】
照らされて見えた、もともとあった影
認知症になり、一緒に暮らすようになってから、以前は見ないふりをしていた母の輪郭が、否応なく浮かび上がってきた。
正確に言えば、「変わってしまった」のではない。
もともとそこにあった性質が、認知症という強いライトに照らされて、くっきりと影を結ぶようになった。
そんな感覚に近い。
胸の奥が、少し痛む。
見下す言葉が、何気なく飛んでくる日常
とにかく、人を見下すような言動が多い。
本人にその自覚はないのだろう。
けれど、受け取る側からすれば、そうとしか受け取れない言葉が、
何気なく、そして容赦なく飛んでくる。
何かを指摘すれば、倍以上の勢いで言い返される。
しかも話は途中から筋を失い、論点は霧散し、ただ感情だけが居座る。
会話は、いつの間にか「勝ち負け」になっている。
疲れる。
本当に、疲れる。
でも、これが母なのだ。
昔から、きっとそうだった。
ただ、認知症という病が、その性質を増幅させ、
抑制を奪い、剥き出しにしただけ。
私は今、母の本質と向き合っている。
潔癖と無頓着の、矛盾した同居
潔癖なところも極端だ。
他人の使ったコップ、皿、箸は使いたくない。
人が作ったものも、できる限り口にしたくない。
その一方で外食は好きで、箸は割り箸じゃないと嫌だと言う。
洗濯は「本当は一緒に洗うのは嫌」だが、ギリギリ一緒に洗えるライン。
ところが自分のスペースは、昔から変わらず、
整理整頓とは無縁で、埃が積もっていても気にしない。
矛盾している。
でも、それが母だ。
他人には厳しく、自分には甘い。
いや、正確には「他人の領域」には敏感で、「自分の領域」には鈍感。
この矛盾を、どう受け止めればいいのか。
今でもわからない。
自分の意見は正しく、他人の意見は間違っている
自分の意見は常に正しい。
他人の意見は、たとえ誰のものであっても「間違っている」。
それらすべてが、認知症によって、
より鮮明に、より強調されて表に出てきたように思える。
思い返せば、若い頃から、確かにそういう傾向はあった。
ただ、認知症になる前は、まだ「抑制」があった。
社会性というフィルターが、その性質を薄めていた。
でも今は、そのフィルターが壊れた。
剥き出しの感情、剥き出しの価値観、剥き出しの自己肯定。
これが、母の本当の姿なのかもしれない。
羽振りの良かった時代 誰も知らない、母だけの記憶
育った環境の影響も、きっとある。
祖父は会社をやっていて、かなり羽振りのいい暮らしをしていたらしい。
母はいまも、その頃の話をよくする。
けれど、その時代を知る人は、いまここには誰もいない。
私が生まれた頃には、会社はもうなく、資産もほとんど残っていなかった。正直、話されても実感はない。
それでも、相槌を打ち、それなりに聞く。
そうしないと、その後の「不機嫌モード」が、家の空気ごと、家族の心ごと、ずたずたにしてしまうからだ。
母の中には、栄光の記憶がある。
でも、それは誰とも共有できない、母だけの記憶。
認知症は、その記憶すらも奪っていくのだろうか。
それとも、最後まで残るのは、その栄光だけなのだろうか。
説得という名の消耗戦
だから、母をうちで引き取るときの説得は、並大抵ではなかった。
リハビリに通わせるのにも、一年半以上かかった。
デイサービスも、ようやくこの前、やっと一回目に行ってくれた。
普通のデイサービスでは「馬鹿な人たちと一緒にやりたくない、うつってしまう」と言って、絶対に行かない。
だから、スポーツジムのような雰囲気で、しかもできたばかりで綺麗な施設を、二年目にしてようやく探し当てた。
それでも、二回目も行ってくれるかどうかは、正直わからない。
介護は、こうした「小さな勝利」の積み重ねだ。
でも、その勝利は、翌日には忘れられている。
また、ゼロから。
毎日、ゼロから。
この繰り返しに、心が摩耗していく。
来週が2回目だが、既に行きたくないと言っている。
行った直後はそれなりに気に入っていたが、
当然忘れているし。
睡眠薬と酒 40代から続く、危うい均衡
薬の問題も、簡単じゃない。
睡眠薬は毎日飲む。
なのに、お酒も飲む。
当然、駄目だ。
たぶんこれは、40代あたりからずっと続いている。
もう今さら、という気持ちもある。
けれど、少しずつ、睡眠薬を使わない方向に持っていっている。
実際、飲まなくても眠れている。
それでも、説明して、納得して、実際にうまくいっても、すべて忘れて、またゼロからになる。
認知症とは、そういう病気なのだと、頭ではわかっている。
けれど、心はなかなか追いつかない。
理屈と感情の乖離。
これが、介護者を最も苦しめる。
毎日説得できるわけでもない。
これをやれば影響があるのは私だけではない。
とばっちりが周囲も来る。
なので、様子を見ながらやるしかない。
薬を変えたりとか色々やれるようにも思えるかもしれないが
睡眠薬の薬はわかっていて、それも難しかったり
先生の指示で変えたとしても信じないだろう。
色々工夫していくしかないが。

父と母、両輪で回す日々
この二年は、どうしても父のほうに重きを置かざるを得なかった。
末期がんでほぼ寝たきりの父。認知症の母。
それでも、母のことも含めて、両輪で回してきたつもりではいる。
ただ、この先どうなるかは、正直、予想もできない。
父が先に逝くのか。
母が先に逝くのか。
それとも、私が先に倒れるのか。
考えても仕方がないことを、夜中に考えてしまう。
そして、朝が来る。
正解のない仕事 介護という名の無限ループ
介護は、正解のない仕事だと思う。
うまくやれた日も、失敗した日も、翌朝にはすべてリセットされる。
積み上げた実感は、手応えになる前に、静かに消えていく。
それでも、今日もまた、家は回る。
誰かが不機嫌になり、誰かがなだめ、
誰かが疲れ果てて、それでも夜は来て、朝が来る。
この「当たり前」が、どれほど細い糸でつながっているかを、たぶん、介護をしている人だけが知っている。
効率もタイパもコスパも、介護には通用しない。
ただ、時間だけが過ぎていく。
母という鏡 映し出されるのは、自分の未来かもしれない
最近、ふと思う。
母の姿は、もしかしたら、私の未来なのかもしれない、と。
遺伝的要素もあるだろうし、環境的要素もあるだろう。
母のような認知症になるかもしれない。
母のような性格が、より強調されて現れるかもしれない。
恐ろしい。
正直、恐ろしい。
でも、それを知っているからこそ、今の自分を見つめ直すことができる。
母という鏡に映る自分の未来を、少しでも変えられるかもしれない。
介護は、未来の自分との対話でもある。
目の前の一日を、なんとか無事に終わらせる
先のことはわからない。
ただ、いまは、目の前の一日を、なんとか無事に終わらせる。
それだけで、精一杯だ。
母の不機嫌をなだめ、父の介護をこなし、
娘の世話をし、妻の体調を気遣い、自分の仕事をする。
毎日が、綱渡りだ。
でも、その綱の上で、私は確かに立っている。
倒れそうになりながら、それでも立っている。
これが、私たちロスジェネ氷河期第一世代の日常なのかもしれない。
華やかな成功とは無縁で、効率的な生活とも無縁で、
ただ必死に、今日を生き延びる。
でも、やるしかない。
生き延びることが、既に勝利なのだから。
あとがき 介護という旅の途中で
1974年1月生まれ、現在52歳。
父の余命宣告を受けてから、もうすぐ二年が経とうとしている。
母を引き取ってからも、同じくらいの時間が過ぎた。
この二年で、私は何を学んだのだろう。
忍耐力?
諦め?
それとも、人間の本質?
たぶん、すべてだ。
ただ、一つだけ確かなのは、介護は「終わり」があるまで続くということ。そして、その終わりがいつ来るのか、誰にもわからないということ。
もしあなたが同じように介護をしているなら、
この文章が少しでも共感になれば嬉しい。
「自分だけじゃないんだ」と思ってもらえたら、それだけで意味がある。
もしあなたがまだ介護をしていないなら、
いつか来るかもしれないその日のために、心の準備をしておいてほしい。
介護は、突然やってくる。
そして、容赦なく続く。
でも、人間は強い。
思っている以上に強い。
私も、あなたも、きっと乗り越えられる。
ゆるぎなく、まっすぐに。
認知症の母という鏡を見つめながら、今日も私は、介護という旅を続けていく。
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EX-FAX-CE | NOTE執筆家
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