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直せないものを抱えて、生きている|元CEの私が介護で知ったこと

機械は直せた。けれど、人の老いは直せない。


第1章 夜の呼び出しは、まだ終わらない

記録時刻 2:17
事象 母の呼ぶ声で起床
対応 起き上がり、確認、声かけ、移動介助
備考 夜は、終わったと思ってからが長い

午前二時すぎ。いちど眠りに落ちた身体が、名前を呼ばれる声で引き戻される。

最初は夢の続きかと思った。だが違う。耳だけが先に現実へ戻る。深夜のコールを受けた時もそうだった。ベルが鳴る。電話が鳴る。呼ばれる。身体より先に、意識だけが持っていかれる。

「ちょっと来て」

母の声は大きくない。けれど、ためらいがない。それがかえって切実だった。

布団をはね、足を床に下ろす。夜の床は冷たい。寝ぼけた頭のまま廊下に出る。暗がりの先に、母の気配がある。

あの頃の私は、FAXのカスタマーエンジニアだった。呼ばれれば行った。昼でも夜でも、故障のある場所へ向かった。紙が詰まった。送れない。受けられない。線が死んでいるのか、本体なのか、相手先なのか。原因を切り分け、順番にあたりをつけ、ひとつずつ潰していく。それが仕事だった。

深夜の呼び出しは気分のいいものではなかったが、まだわかりやすかった。相手は機械で、壊れている箇所があり、直る可能性があった。

いま目の前にいるのは、機械ではない。母だ。夜中に呼ばれる理由は毎回少しずつ違う。トイレに行きたいのか。不安なのか。ただ、誰かがいてほしいのか。

「どうした?」

そう聞くと、母は少し怒ったような、困ったような顔をする。自分でもうまく説明できないのだろう。原因不明。再現性なし。マニュアル外。昔の仕事なら、いちばん厄介なやつだ。

それでも、こちらは止まれない。声の調子を見る。足元を見る。部屋の空気を見る。どこまで意識がはっきりしているかを探る。いま必要なのは理屈ではなく、手順だ。声を荒げない。急がせない。転ばせない。夜はそれだけで難易度が上がる。

母の腕に手を添える。軽い。けれど、老いは軽くない。こちらが支えているのは腕一本ではなく、その人が生きてきた年数なのだと思うことがある。

なんとか移動し、座ってもらい、水を飲ませる。ほんの数分のことなのに、こちらの神経はすっかり目を覚ましている。夜中に一度こうなると、身体は朝まで警戒を解かない。

夜間コールの仕事には終業があった。だが介護には、その区切りがない。夜が終わって朝になるのではない。夜の続きのまま、朝が始まるだけだ。

母が少し落ち着き、私は自室へ戻る。布団に入り直しても、眠気はさっきの場所にはもういない。耳だけが立っている。

直せないものを前にした夜は、長い。いや、長いというより、終わり方がわからない。それでも私は、また横になる。暗い部屋で目を閉じ、次の声に備える。

あの頃と違って、いま守っているのは機械ではない。ひとりの母と、この家の朝だ。

引継事項 夜は、終わったあとにもう一度始まることがある。

第2章 介護の朝は突然に来る

記録時刻 5:08
事象 寝室から異変の気配
対応 起床、確認、清掃、着替え、洗濯
備考 朝は始まるのではない。もう途中から始まっている

気がつくと、部屋が少し明るくなっていた。眠ったのか、眠れていないのか、自分でもよくわからない。身体はまるで休んだ気がしていなかった。

耳だけが先に朝を拾う。何かがずれている時の、あの独特の気配だ。

寝室へ向かう。戸を開けた瞬間、状況はすぐにわかった。

やってしまったのだ。母が、ではない。起きてしまった出来事が、という意味である。

布団、パジャマ、足元。一瞬だけ、頭の中で段取りが走る。転倒がないか。意識はどうか。着替えが先か、清掃が先か。

考えているようで、ほとんど反射だった。こういう時、感情は後ろへ回される。先にやることがある。昔もそうだった。トナーで真っ黒になった内部を前にしても、まずは原因確認と復旧見込みだった。

「大丈夫、大丈夫だから」

自分に言っているのか、母に言っているのか、わからない声が出る。母は申し訳なさそうな顔をしていた。こちらがその顔を見るのがいちばんつらいと、たぶん本人は知らない。

責めても何も戻らない。急がせてもいいことはひとつもない。だからこそ、声だけは乱さないようにする。

着替えを用意する。身体を支える。汚れたものをまとめる。床を拭く。窓を少し開ける。こうして書けば手順のようだが、実際にはそんなにきれいに進まない。途中で母が同じことを聞く。寒いと言う。不安だと言う。こちらはそのたびに動きを止め、また戻る。

朝の介護は、一本道ではない。枝分かれだらけの細い道を、その場その場で選び続けるようなものだ。

ひととおり片づいた頃には、空はもう朝の色になっていた。世の中では、これから一日が始まる時間だろう。その同じ朝に、こちらはすでに一度、ひと仕事どころではないものを終えている。

いや、終えてはいない。これもまた途中だ。朝食、服薬、様子の確認、その先の予定。予定表どおりに進む朝など、ほとんどない。それでも、こちらは予定を持たないわけにはいかない。

私は洗濯機の音を聞きながら、台所に立つ。一日が、また始まってしまったのだと思う。けれど同時に、今日もここまで来られたのだとも思う。

いまの無事は、若い頃よりずっと細かく、ずっと重い。転ばなかった。怪我をしなかった。朝を越えられた。それだけで十分に重い。

この暮らしでは、朝は静かに始まるものではない。夜の続きを引きずったまま、少し乱れた息の上に置かれる。こちらが整うのを待ってはくれない。だから私は、次の段取りへ進む。

引継事項 朝は整えて迎えるものではなく、乱れたまま引き受ける日もある。

第3章 白紙に戻る朝を前にして

記録時刻 7:41
事象 同じ説明を、また最初から繰り返す
対応 声かけ、確認、準備、見守り
備考 昨日が消えても、朝はまた来る

朝食を終えたあとだった。ようやくひと息つけるかと思った頃に、母がふいにこちらを見る。

「今日はどうするんだっけ」

その言い方に、私はいちどだけ時を止められる。昨夜も話した。今朝も話した。さっきも話した。けれど、責める気持ちを差し込んでも何も始まらない。

「今日はデイサービスだよ」

なるべくやわらかく答える。すると母は少し安心したような顔をして、「そうだったか」と言う。だが、その安心は長くはもたない。数分もすれば、また同じ朝に戻る。

白紙だ。見事なくらい、白紙に戻る。昨日までの話も、今朝交わした言葉も、ついさっきの確認も、きれいに消えている。ただ、消しゴムの粉だけが舞っているような感じがこちらに残る。

認知症という言葉は知っている。だが、実際にそれを毎朝の光の中で受け取るのは別の話だった。知識として知っていることと、生活の中で何度も差し出されることのあいだには、深い溝がある。

母は悪くない。わかっている。それでも、胸の奥に小さな疲れがたまっていく。説明したことが届かなかった疲れではない。届いたものが、残らない疲れだ。

昔、修理の仕事をしていた頃、不具合の再現が取れない機械がいちばん厄介だった。けれど、いま目の前にいるのは機械ではない。再現しない不具合ではなく、消えてしまう記憶そのものだ。

母は服を見て、「これでいいのかね」と聞く。私は「大丈夫」と答える。その数分後に、また同じことを聞かれる。同じやり取りが輪のようにつながり、朝の中に重なっていく。

こちらが試されているのは、やさしさというより持久力なのだと思う。一回や二回なら、たいていの人はやさしくできる。問題は、その十回目、二十回目だ。

出かける支度をしながら、母は急に昔の話をする。さっきまでの会話より鮮やかに言う。その時の母の顔には、さっきまでの不安とは別の光が差す。新しい記憶からこぼれていく。古い記憶の奥では、まだ生きている。

迎えの時間が近づき、私は靴をそろえ、荷物を確認し、もう一度声をかける。母は少し緊張した顔で立ち上がる。二回目なのに、初めてに近い。いや、本人の中ではそのたびに本当に初めてなのだろう。

私は「大丈夫だよ」と言う。この言葉も、今日はもう何度目かわからない。だが、数えないほうがいいのかもしれない。残ることを期待しすぎると、こちらが削れていく。残らなくても、その場で少し安心してくれたなら、それでいい。そう思うしかない朝がある。

白紙に戻る。そのたびに、こちらがまた書き直す。昨日の続きを読んでもらうのではなく、今日の最初の一行を、何度でも差し出す。認知症の介護とは、そういう作業に似ている。

玄関先で母を見送りながら、私は思う。この朝もまた、何かを失いながら進んでいる。けれど同時に、失われるばかりでもない。忘れてしまっても、不安の中でこちらを探す目は残っている。

そして、その繰り返しの先に、いつか答えがあるわけでもない。あるのはただ、また次の朝だ。

引継事項 消えていく記憶の前では、同じ言葉を何度でも最初のように渡す。

第4章 その決断の重さに触れた夜

記録時刻 21:36
事象 延命と蘇生に関する確認書類を前にする
対応 説明を受ける、読む、迷う、考える、署名する
備考 決めることは、割り切ることではない

その夜は、いつもより静かだった。母が眠り、家の中の物音もひと通り引いたあと、私はテーブルの上に置かれた紙を見ていた。

たった数枚だった。だが、重さは紙の枚数では決まらないらしい。そこに書かれているのは、もっと先の話だった。容体が急変した時、どこまで処置を望むのか。蘇生をどう考えるのか。延命をどう受け止めるのか。要するに、命が大きく傾いた時、こちらは何を選ぶのかという話だった。

こういうものは、もっと遠い場所の話だと思っていた。けれど、順番が来たのだ。静かに、逃げ場のない形で。

説明を受けている間、私は何度もうなずいた。言葉の意味がわからなかったわけではない。むしろ、わかるからこそつらかった。一つ一つの文が、未来のある場面を勝手に連れてくる。選ぶとは、想像することだった。想像するとは、まだ起きていない別れを、少し先に触ってしまうことだった。

私はこれまで、いろいろな故障と向き合ってきた。だが人の命は、そんなふうにはいかない。前兆があっても、その通りには進まない。そして何より、そこにあるのは修理ではなく、生きることそのものだ。

紙を見ながら、私は何度も思った。これは誰のための決断なのだろう、と。母のためか。家族のためか。あるいは、これから先の混乱の中で、誰かが迷い続けなくて済むようにするためなのか。

正しい答えがあるなら、まだ楽だった。だが、こういうものに限って、あとから採点できない。選んだほうが正しかったのか。選ばなかったほうがよかったのか。たぶん完全にはわからない。

母の寝息が、別の部屋からかすかに聞こえる。その気配があるだけで、紙に書かれた言葉は急に生々しくなる。この人の未来を前にして、自分は印をつけようとしている。その事実に、手が止まる。

決断という言葉は、もっと鋭いものだと思っていた。けれど実際には、断ち切れないまま引き受けることのほうが近かった。迷いは残る。気持ちも揺れる。そのうえで、どこかに線を引かなくてはならない。それが、あの夜の決断だった。

私は何度かペンを持ち直し、ようやく名前を書いた。書いた瞬間に覚悟が決まるわけではない。ただ、戻れない場所へ一歩出た感じだけが、確かにあった。

母のために考えたつもりだった。けれど同時に、自分がこれから負うものの重さも、そこには含まれていた。選ぶということは、あとでその選択と一緒に生きるということでもある。

それでも、朝になればまた介護は始まる。大きすぎる問いだけを抱えて、そこに立ち止まることは許されない。

その夜、私は決めたというより、触れたのだと思う。命にまつわる判断の重さに。人を支えるということの、きれいごとでは済まない部分に。

そして私は、その夜ようやく知った。支えるとは、手を貸すことだけではない。いつか来るかもしれない最終の判断に、震えながらも席を外さないことでもあるのだと。

引継事項 決めたことに迷いが残るのは、間違いではなく人間の重さである。

第5章 眠れない身体で、明日を迎える

記録時刻 3:48
事象 眠っているはずなのに、意識だけが起きている
対応 目を閉じる、水を飲む、寝返りを打つ、耳を澄ます
備考 休むことと、止まることは違う

夜中に何度目かの寝返りを打って、私は自分がまだ起きていることを知る。時計を見なくてもわかる。眠れていない時の時間には、独特の手触りがある。

介護をするようになってから、私は眠りを以前のようには信用しなくなった。若い頃は、寝るとは切れることだった。いまは違う。眠りの中にいても、どこか一部だけが起きている。耳だけが番をしているような夜がある。

廊下のきしみ。遠くの水音。布団の擦れる気配。家の中の、ほんの小さな変化に神経が触れる。

起き上がって水を飲む。暗い台所でコップを持つ手が、少しだけ頼りない。窓の外は暗い。街は静かだ。だがこちらの身体だけが、どこかでずっと勤務中のままだ。

昔、夜間対応のあとに帰宅して寝る時も、似た感覚があった。あの頃は仕事の残響だった。いまは違う。いま身体に残るのは、仕事ではなく生活そのものだ。

介護の疲れは、筋肉痛のようには出ない。だが本当に厄介なのは、抜けない緊張のほうだと思う。何も起きていない時にすら、次に何か起きるかもしれないと身体が待っている。だから休んでいるつもりでも、どこかでずっと備えている。

それでも朝は来る。介護にこちらのコンディションは関係ない。相手の不安、体調、記憶の揺らぎ、予定、その日の機嫌。そういうものが朝には先に立っている。

ときどき、自分でも思う。よく持っているな、と。立派だからではない。強いからでもない。ただ、止まれないから動いているだけのような日もある。だが、人は案外、その「だけ」で進んでしまう。

私は布団に戻る。眠れるかどうかはもう、あまり考えない。ただ横になる。目を閉じる。耳はまだ起きているが、それでも横になる。

明日は向こうから来る。こちらが迎えに行く前に、もうそこに来てしまう。それでも私は、寝不足のまま、その朝の前に立つ。きちんと眠れなかった夜のあとでも、台所へ行き、水を沸かし、カーテンを開ける。

直せないものを抱えて生きるというのは、劇的な覚悟の話ではないのかもしれない。むしろ、眠れないままでも朝の支度を始めること。疲れた身体のままでも、声を荒げずに今日を始めること。

引継事項 眠れなかった夜も、朝の支度だけは待ってくれない。

第6章 それでも季節を感じていたい

記録時刻 16:22
事象 介護の合間、窓の外の風に足を止める
対応 洗濯物を取り込む、空を見る、深呼吸する
備考 暮らしが細っても、季節は手を抜かない

介護で疲れている時ほど、季節のことなど気にしている場合ではない。本来なら、そうなるはずだった。

朝から動いて、気を張って、同じことを何度も説明していると、一日はすぐに削れていく。気がつけば午後で、もう夕方が近い。外の天気が晴れだったのか曇りだったのか、あとから思い出せない日もある。

暮らしが狭くなっていく、というのは、こういうことかもしれない。空を見た回数が減る。風のにおいに気づく時間が減る。季節が来ているのに、それを受け取る場所が自分の中から少しずつ減っていく。

それでも、私は時々、季節を感じていたいと思う。

たとえば洗濯物を取り込む時だった。ベランダに出ると、風が少し変わっている。冬の終わりの乾いた風ではない。そんなことに気づくと、それだけで胸の奥がわずかにほどける。

若い頃は、季節なんて向こうから勝手にやってくるものだった。いまは違う。こちらが受け取りにいかなければ、季節はただ窓の外を通り過ぎていく。

それでも、花の色や、夕方の空の伸び方にふと足が止まる時がある。その一瞬だけ、介護の人でありながら、その外側もまだ消えていないことを確かめる。

季節を感じる、というのは、その処理の流れに小さく逆らうことなのだと思う。まだ感じている。まだ見ている。まだ、自分の中に受け止める余地がある。それを確かめる行為だ。

もちろん、そんな余裕がまるでない日もある。だが、それでも外に季節があるという事実は、閉じかけた気持ちにとって、どこかで逃げ道になる。

介護には終わりが見えにくい。良くなるための努力ではなく、悪くなりきらないための支えが続く。だからこそ、人はときどき、何か別の循環を身体に通したくなるのかもしれない。

私はたまに、洗い物の手を止めて窓の外を見る。少し前まで真っ暗だった時間に、まだ空の色が残っている。

いまの私は、介護の中で生きている。だが、介護だけの人になってしまうのは、たぶん少し違う。風を感じる人でもいたい。空の色を見てしまう人でもいたい。

暮らしが重くなると、人は役に立つものだけを手元に置きたくなる。だが、役に立つかどうかだけで生きていくと、心は先に痩せる。

夕方、取り込んだ洗濯物に手を伸ばす。布に残った外のにおいが、ほんの少しだけ春に近い。私はそれを、黙って受け取る。ただ、今日という日の中に、まだ季節が入る余地があったことを確認する。

そういう小さな感覚を失わずにいたいと思う。直せないものを抱えて生きるなら、なおさらだ。

引継事項 役に立たないように見える感覚が、心を乾かさずに残してくれる。

第7章 CEだった私が、直せなかったもの

記録時刻 18:47
事象 古い仕事道具の記憶が、不意に戻る
対応 振り返る、たどる、言葉にする
備考 直せると思っていた頃の手が、まだ少し残っている

私は長く、修理の仕事をしていた。FAXのカスタマーエンジニア。故障した機械の前に立ち、原因を探し、直し、また動くようにする仕事だった。

いまこの言葉を口にすると、少し遠い時代の話のようにも聞こえる。けれど、私の身体にはまだ残っている。紙の匂い。トナーの黒さ。異音を聞いた瞬間に、どのあたりが怪しいか見当をつけるあの感じ。仕事というのは、案外、頭より先に身体に住みつく。

呼ばれれば行った。客先へ向かい、機械の状態を見て、使い方の問題か、本体の故障か、回線か、相手先か、切り分ける。何が悪いのか。どこまで壊れているのか。いま何をすれば、とりあえず動くのか。そういう順番を考えることに、私はそれなりに慣れていた。

それでも、まだわかりやすかった。相手は機械だった。壊れ方には癖があり、原因には道筋があり、手順を踏めば改善する可能性があった。私はあの仕事が嫌いではなかった。むしろ、かなり好きだったのだと思う。直る、ということが好きだった。

だから私は、どこかで思い込んでいたのだと思う。世の中には、原因があり、手順があり、なんとかなるものが多いのだと。その考え方は、仕事をするうえでは役に立った。だが、人生には通用しない場所がある。

親の老いは、その最たるものだった。

認知症も、排泄の失敗も、夜の呼び出しも、通院も、書類も、判断も、どれも「原因不明」ではない。けれど、わかったからといって直せるわけではない。ここが、修理の仕事と決定的に違う。

部品交換はできない。初期化もできない。再起動すれば元に戻る、ということもない。その変化の前で、こちらはCEの習性のまま、つい手順を探してしまう。何をすればよくなるのか。どこを整えれば持ち直すのか。だが、その問いが空振りに終わる場面は多い。

親の老いは、私の失敗ではない。わかっている。頭では、わかっている。けれど、長く「直す側」にいた人間には、直らない現実を前にした時の諦め方が、うまく身についていない。

それでも、私は働いてきた。自分には手がある。足がある。判断ができる。そう思えることが、人生をギリギリでつないでくれた時期はあった。

だからこそ、いま介護の前で思う。私はずっと、壊れたものを前に立つ人生だったのかもしれない、と。

ただ、昔といまとで違うことがある。昔は、直せるかもしれないと思って現場へ行った。いまは、直らないかもしれないと知りながら、それでも向かう。この差は大きい。

CEだった頃の私は、役に立つことに価値を感じていた。それは今も変わらない。だが介護をしていると、役に立つだけでは足りない場面がある。そばにいること。同じ説明を何度もすること。正解のない書類の前で席を立たないこと。眠れないまま朝を迎えること。それらは「直す」とは別の種類の仕事だ。

私はようやく、この年になって知り始めている。人は、直せないものの前でも無力なままではない。元に戻せなくても、今日を一緒に越えることはできる。悪化を止められなくても、不安を少し薄めることはできる。

思えば、私はずっと「戻す」ことに意識を向けすぎていたのかもしれない。元通り。正常。以前の状態。そういう言葉は、機械の世界では頼もしい。けれど人生には、ときどき残酷だ。人は戻れない。親も戻れない。若い頃の自分にも戻れない。

それでも私は、昔の仕事を無駄だったとは思わない。CEとして過ごした時間があったからこそ、いま私は、壊れていくものの前で簡単には目をそらさないでいられるのだと思う。

ただし、昔と違って、最後の最後まで「直るはずだ」とは思わない。いま私が抱えているのは、直せないものだ。けれど、直らないからといって、見捨てていいわけでもない。

そのことを、私はCEを終えたあとになって、ようやく学び始めている。直せないものを前にしても、人は手ぶらで立ち尽くすしかないわけではない。言葉がある。まなざしがある。手順ではなく、付き添い方がある。

引継事項 直せないものの前でも、人は手ぶらではない。

終章 それでも、人は書く

記録時刻 23:11
事象 一日の終わり、ようやく机の前に座る
対応 思い出す、言葉を探す、書く、消す、また書く
備考 残せるものが少ない日ほど、人は書くのかもしれない

夜になって、ようやく座れる時間ができる。母が眠り、家の中の気配が少しずつ静まり、洗い物も片づき、明日の段取りもひと通り頭に入れたあと、私は机の前に座る。

座ったからといって、すぐに何かが出てくるわけではない。疲れている。眠い。いや、眠いだけではない。身体のどこかがずっと起きたままで、心だけが少し遅れて椅子に腰を下ろす。そういう夜が多い。

それでも、書こうとする。もっと早く寝たほうがいいのはわかっている。明日の朝だって、静かに始まる保証はどこにもない。それでも、机に向かう。

たぶん私は、書くことで何かを整えようとしているのだと思う。介護の現場では、うまくいかないことが多すぎる。説明したことは消える。眠りは浅い。段取りは崩れる。正しい判断だったのかどうかも、あとからはわからない。

そういう一日を、そのまま闇に返したくないのだ。

書いたからといって、介護が軽くなるわけではない。母の記憶が戻るわけでもない。自分の疲れが消えるわけでもない。書くことは万能ではない。そのことくらい、もう十分わかっている。

けれど、書かなければ、たしかにあったはずのものまで、なかったことのように沈んでいく。

若い頃の私は、もっと結果のはっきりした仕事をしていた。だがいまは違う。介護には、直った、完了した、解決した、という言葉が似合わない日が多い。今日も大きく壊れずに済んだ。なんとか一日が回った。そんな小さな言葉の積み重ねでしか表せない日々がある。

その日々を、ただの消耗で終わらせたくない。そのために私は書いているのかもしれない。

書くことは、修理ではない。けれど書くことには、別の働きがある。散らばってしまったものに、かすかな輪郭を与えること。

なかったことにする技術でもない。継続なのだと思う。壊れかけた日常を、その壊れかけたままの形で、今日の分だけ受け止めて、明日へ渡す。書くとは、そういう地味な橋渡しかもしれない。

机の前で、私は何度も書いては消す。うまく言えない夜もある。それでも、ひとつだけでも残す。今日の匂い。今日の声。今日の重さ。それだけでも、紙の上に置く。

昔の工具鞄には、現場で使う道具が入っていた。いま私の手元にあるのは、もっと頼りない。言葉だけだ。

だから私は書く。直せないものを前にしても、黙って立ち尽くすだけでは終わりたくないからだ。

夜はまだ続いている。暮らしも続いている。老いも、介護も、簡単には終わらない。けれど、終わらないものの中で、人はときどき、自分の言葉を持つことができる。それは小さい。頼りない。それでも、確かに手の中にある。

私は、その小さな灯りのようなものを頼りに、また次の朝へ向かう。直せないものを抱えて、生きている。

記録終了
直せないものを抱えたまま、暮らしは続く。

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