自己を食材として捉え、調理してから人前に出よう;性格が悪いから努力するのだ 2026/04/05 4月5日(日) 日記
今日は書こう〜〜
今日は書く。
何を書こうかは考えていない。
何を書こう。倍々ファイトを聞いていた。
最近は意識的に何かをやってあげないようにしている。やってあげることはいいことだけど、やってあげたのに感謝がないと言うのは健康に悪いからだ(心の)。
これをやるのが自分の父親である。
父親はこれをやりがちだ。
この影響を受けているのか、自分もよく思ってしまう。でもこれはかなり難しい。考え方が違うからだ。
自衛するしか、基本方針はない。
あとは、見返りを求めないくらいやってあげたいものを進んでやるか、自分にとって得のあると判断してやるかどうかだ。
こんなことを書いているととても性格が悪そうに見えるが、実際悪い。
性格は悪い。でも、性格が悪いことをわかっているので頑張って性格が良いと思われるようにしている。そのままでは性格が悪いので、うまく調理して食べれるくらいには味を調整している。
でもそんなもんじゃないかと思っている。ありのままを受けて入れてほしいなんて言説をよく聞くが、それはかなり厳しいと思う。ありのままを受け入れて欲しいのであれば、すごく努力が必要だと思う。
簡単な話、ありのままの自分を最高にするしかない。
ありのままの今の自分を受け入れて欲しいのに、受け入れてもらえないという悩みは皮も剥かず、汚れのついたじゃがいもをそのまま食べてほしいと言っているようなものだ。
そのじゃがいもは、芽に毒もあるし、普通の人は正直食べたくない。しかし、大事なことはそのじゃがいもを求めている人は多いということだ。ポテトなんてみんな大好きだし、屋台ではじゃがバターも大人気。塩辛なんてあったら最高だよね。
それをわかった上で、誰かに調理してもらうか、自分で調理してもらうか。
調理してくれそうな人はいるか。まあそれも結構面倒だ。ちゃんと話して、聞いてくれたら調理してくれるかもしれないが、そこには利害関係がないと難しいだろう。
やっぱり自分で自分を料理して、そこで個性を出せばいいと思う。
まあ刺身だったらすぐに食べてもらえるかもしれない。自分がマグロやタコなどといった自覚があるなら、醤油でも加えて出せばいいと思う。それが見た目の良さとかにつながるかもしれない。
しかし、そういった食べやすさは飽きやすいし、何より鮮度が大事だ。リスクもある。マグロでも調理した方が安心だ。
もうここまで来るとなんの話かもしれないけれど、とにかく自分のことを食材として捉えて、料理の腕を上げて、他人の前に行くときはとっつきやすく食べやすいメニューになりましょうって話だ。
別に一人で食べる分には不味くてもいいではないか。その苦味や臭みも愛せるだろう。もしかしたらそれを愛してくれる人もいるかもしれないけれど、一般的には他人のそれは受け入れてくれる人はいないので、料理の腕を上げていこう。
それが社会に適合するということだ。
大事なことはどんな食材も料理として完成されていたら、確実に求められるポテンシャルがあるってことだ。
好き嫌いはあるけどね〜
