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神戸のネバ友が贈った「note」

最近テレビで「踊る大捜査線」が再放送されていた。

織田裕二氏のLove Somebodyを聴くと私はいつも彼女を思い出す。

彼女と出会ったのは19歳。

私が埼玉で短大生だった頃に遡る。

私は高校時代GLAYにハマり特にJIROが大好き。田舎者の私は東京に行けばGLAYに会える!と本気で思っていた。受験当日にその夢は見事に打ち砕かれたのだが(東京に出るまですんごい時間がかかる…)

短大では1人1台ノートパソコンが貸し出された。早速私は覚えたてのインターネットからGLAYのメーリングリストに登録した。

短大の友人に関西出身者はいなかった。当時はSkypeやLINEなんてもちろん無かった時代。家族や地元の友人とのやりとりは電話代がかかるので主にFAX。関西弁を聞きたい欲求が頂点に達していた。私は、そこでひとつの自己紹介を見つける。

『〇〇〇〇(本名)です。〇年〇月〇日生まれ、〇〇座。大阪出身で、今は関東の大学に通っています。JIROが好きです。』

ネット上で本名を公開し自己紹介する事に抵抗がなかった時代。
彼女の苗字はその頃私が好きだった人と同じで、すぐに目に止まった。私と生まれ年も星座も同じ、お互いJIRO好きで何より同じ関西出身な事が嬉しくて私は記載されていたメールアドレスにすぐメッセージを送った。

『私もJIROのファンです。私の好きな人があなたと同じ苗字で、関西出身で、歳も同じだし、気になってメールしました!よろしくお願いします』

今考えると、私の好きな人が彼女と同じ苗字だからってメールを送る私もどうかしてるぜ!だけれど、心良く彼女は返信してくれた。

初めて会ったのはGLAYのライブ会場で。

何故か会った瞬間からお互い大爆笑してしまった。ほんまに初対面?って言うくらいすぐに打ち解けた。

彼女は赤いボトムスがとても印象的で明るくて陽気で話しやすかった。姿勢が良くて所作が美しいなぁと思っていたら、昔は宝塚を目指していたと聞いて至極納得した。

それから私が短大を卒業するまで、時間を見つけては一緒に遊んだ。

2人でよくカラオケに行った。彼女が歌う今井美樹氏のPRIDEは、今井美樹の声でなく彼女の声で私の脳内で今だに再生されるほど。聴き心地が良く歌が上手い。

そして冒頭に語った織田裕二氏のLove Somebody。

「And I will never never never never never never never Let the  love go…」

という歌詞がある。

私たちは会うとお互い口の中がネバネバになるほど喋り続ける。(これをネバトーク=ネバトーという)
だからお互いを親友ではなく #ネバ友  と呼び合っている。

カラオケではnever never never neverを言いたいが為に、Love Somebodyを入れる。

駄菓子歌詞

お互い曲を知らないので歌えない。

never never never never…の部分だけ声を張り上げる。あとは歌えない。鼻歌で誤魔化したりする。そんなことを躊躇無く出来るのは私にとって彼女しかいない。


私の初ディズニーランドは彼女と行った。忘れもしない11月18日。ミッキーマウス(大きなネズミ)の誕生日だった。
私の初下北沢、初横浜、初大戸屋等々…関東での私の初は短大の友人よりも彼女と共有した。

その後私は短大卒業と共に神戸に帰る決意をする。

卒業旅行は同級生とするものなのだろうが、私の卒業旅行は彼女に一緒に行って欲しいとお願いした。彼女はまだあと2年大学生なのに。FUJIYAMAに乗り続けた、極寒の富士急ハイランド。私たちは若かった。

お互いにGLAYを追うことがなくなった後もネバ友として交流が続いていく。

私は神戸に戻り、コーヒーショップで働きながら売れないバンドのマネージャーをすることに。
彼女は大学を卒業し役者の道へ。
私たちはそれぞれお互い忙しくも充実した20代を駆け抜けた。ひとつ心残りがあるとすれば、役者として活躍する彼女の舞台を私が観たことがないという点だ。1度で良いから舞台に立つ彼女をこの目で観てみたかった。

距離的には離れてしまい昔程会えなくなってしまったが、お互いの誕生日や年始の挨拶はかかさない。
彼女の方が私より数週間前に誕生日を迎える。数年前母と2人コロナに羅漢し自分達の事で精一杯になってしまい私は彼女の誕生日をお祝いするのを忘れてしまった…にも関わらず、私の誕生日には変わらずお祝いメッセージを送ってくれた。そんな優しい人格者なのだ。

情に厚く、コレだ!と思ったら一直線。彼女の前に壁が立ちはだかっても、いつも自身で軌道修正してバランスを保ち乗り越える。芯がブレないから出来る事。それでいてめっちゃおもろくて、彼女の周りには笑いが絶えない。

彼女には魅力的な人たちが集まってくる。彼女の結婚式に参列した時に感じた。旦那様もご家族もご友人も会った人全員最高にステキで面白かった!

そんな彼女がnoteを始めたと教えてくれた。

私はそこで母となった彼女と出会う。知らなかった。彼女がこんなに素敵なお母さんになっていた事を。そこには子育てに奮闘する私の知らない彼女がいた。芯が強い、自分で道を切り開いていく、根っこの部分は変わっていない彼女の姿。彼女のお子ちゃま達。まだ会った事はないけれど、私にとっては目に入れても痛く無い程可愛い、完全に叔母目線でいる。そして私が言うのもおこがましいが、素晴らしい旦那様と出会い彼女を支え続けていることにも心から感謝の気持ちが溢れた。

私が知らない彼女をnoteを通じて知れたこと。その感動と私に起こったこれまでの出来事を彼女に伝えたくなって、私は彼女に1冊のノートを送った。
彼女はそのことを記事にしてくれた。この時はまだ私自身がこのnoteで記事を書くなんて夢にも思っていなかった。

そこは優しく温かいコメントが溢れ彼女が書いた記事なのに、私まで受け入れて貰えたような感覚になった。
noteの世界でも彼女はステキな人たちに囲まれていた。文章が彼女自身の全てが人を惹きつける魅力に溢れた才能の持ち主だからなのだ。彼女を励まし寄り添ってくれる人たちが沢山いること、それがまためちゃくちゃ嬉しかった。

記事の中で彼女は

「あなたは気づいているだろうか
自分が愛と優しさでできていることを
あなたは気づいているだろうか
自分が果てしなくオモロい人間であることを
まわりにいる人が笑顔になっていることを
あなたは気づいているだろうか
絶対に幸せがあなたを逃さないことを
私はこれからも、あなたの味方だ。
あなたの人生の全てを応援している。forever my ネバfriend!!」

と伝えてくれた。涙が止まらなかった。
こんなにも心強い言葉があるだろうか。

『ラディも何か書いてみたら?』

登録するだけで満足していたnoteという存在。彼女が声をかけてくれて書いてみようと思った。

誰もが限られた人生という短い時間。そんな貴重な時間を使って読んでくれた方がほんの一瞬でも誰かひとりが私の記事を読んでクスッと笑ってくれたなら。それはとてつもなく幸せな事ではないか。そんな考えに至ったのは、彼女が私を果てしなくオモロい人間だと肯定してくれたおかげだ。

そして彼女に教えてもらった、コニシ木の子さん考案の#なんのはなしですかの存在が、何を書いても受け入れてくれる世界があるんだと勇気をくれた。

彼女は数ヶ月前こんな記事を書いていた。


この記事を読んだ日から私の脳内ではこの歌が流れ続けている。

米津玄師氏のLemonにのせて。

『息子よ、母は豚肉を焼きたい』

ぶたにーくを夢ならば焼きたい どれほど
焼きたいだけよかったでしょう

ぶたにーくを未だに焼ーきたいあなたのことを
ぶーたーにくをー夢にみる

ぶたにーくを忘れた物を焼きたい取りに
焼きたいだけ帰るように

ぶたにーくを古びた焼きたい思い出の
ぶーたにーくをー誇りを払う

〜中略〜

ぶたにーくを焼きたいきっともうこれ以上
ぶたにーくを焼きたい傷つくことなど
ぶたにーくを焼きたいありはしないと
ぶーたぁーにーくをわかっている

豚肉焼きたいだけあの日の悲しみさえ
豚肉焼きたいだけあの日の苦しみさえ
豚肉をーそのすべてを
焼ーきたい愛してた
あなたのためにあなたとともに←ここポイント

〜中略〜

ぶーたーにーくを焼きたい自分が思うより
ぶーたーにーくを焼きたい恋をしていたあなたに
ぶーたーにーくを焼きたいあれから思うように
ぶーたーにーくを焼きたい息ができない

〜以下省略〜

全ての歌詞に「豚肉を焼きたい」と当てはめるだけなので、1度お試しください。ただただ母であるmika🌼の気持ちを歌にのせてみました。 

もうほんまにこれ

こんな事しか思い浮かばない毎日です…


メーリングリストというあの時代のあの自己紹介があったから、今の私たちの関係はある。
誇れることがそれほど無い私だが、彼女との出会いを引き寄せた自分の幸運と今もネバ友関係が続いているということは胸を張って誇れる。

私の人生の転機にいつもmika🌼という存在がいる。そしてあなたに励まされ私は自分の道を突き進む事が出来ているよ。いつも応援してくれてありがとう。私もずっとあなたの味方だし応援し続ける。何があってもネバ友だ!!!こんなにわけのわからない歌しか思い付かない私とネバ友でいてくれてありがとう!!!あなたをあなたの周りにいる人たちを私は愛しているよ!!!

追伸:トップ画像は、富士急ハイランドにいた熊がmika🌼を襲った為、遠くから一喝している私の姿です。

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