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産婦人科医の父 アンメルツ粉春くんエピソード集

 私の父親は風変わりな産婦人科医(笑)。クセのつよすぎる性格に、おそろしく不健康な心身。

 2024年から書きためてた父親に関するエピソードを一気に載せよう!




 私のスマホに登録してある父親の名前は「アンメルツ粉春くん」。理由はいつか記事で追加します。




一晩に8件のお産!



 父は産婦人科医で、多いときには一晩で8件もお産をこなすようなハードスケジュールは当たり前だった。

 ひとつの病院で一晩に8件なんて嘘みたいだが、産科医は常に不足しているのでよくあること。

 お産は1件入るごとにプラス1万円もらえる契約らしい。当時この話を聞いたときも「安すぎる」と思った。

 救急車で同行するとさらにプラス1万円らしく、それも安い……。よく、救急車呼ぶのに1万円かかるって話を聞くのは、同乗する医師のギャラだったのかしら。

 当時も今も変わらず、ハードで責任重大な産婦人科医は不人気な職業。

 そもそも産婦人科医になりたい人が少なく、とくに地方のクリニックでは産科医の数がまったく足りない。

 父親は東京から青森のちいさな病院まで、文句を言いながら週1で通っていた。

 冬は車のタイヤにチェーン巻いたり、ぶつぶつ言いながら当直の準備をしていた。とは言え、ガソリン代も出張代もはずんでもらっていたようで、自分が必要とされてること自体は嬉しそうだった。

 めんどくせえなあと言いながら下着のパンツを2~3枚ビニール袋に詰めている父親のようすは忘れられない。

 当直から帰ると父親は、給与明細だか現金だかのを紙封筒を私の母へ渡して、母親はふざけながら「ハハーッ」と両手で受け取るコントが我が家では定番で。

 青森の給料がいちばんいいので、袋にはたくさん入っていた。時給に加え、お産の件数分のボーナスと、救急車のボーナス。これは開業医や正社員にはできない稼ぎ方ではあるものの、アルバイト医師というのは世間の人々が想像する以上に不安定で貧乏だった。


レディースクリニックで女院長と大もめ!



 産婦人科医の父親は正義感が強く、許せないことがあると怒って病院を辞めるのはしょっちゅう。アルバイト医師の特権であろうか。開業医じゃなくてよかった。

 父本人の言い分を聞くと、ウンウンたしかに正しい……とは思うけど、まあ辞めるのが早いこと。カーッとなったらもう即日辞めているという。

 父親のアルバイト先の一つだった、おしゃれなレディースクリニック。妊婦さんたちの待合室はホテルのように綺麗で高級感が漂う。あまり病院っぽくないおしゃれなクリニックはさいきん増えてきた。

 待合室に敷かれていたしゃれおつなカーペットは、そこの女院長が選んだものだった。

 でも待合室の床に破水したものとかがカーペットに垂れることがけっこうあるから、カーペットは不衛生だし掃除もできないということで、豪華なカーペットに父親は断固反対でした。医療機関でこんなのだめに決まってる! と、院長と大喧嘩(笑)。

 一度カーペットにしてしまったものはさすがに変えるのは大変らしく、院長も一歩も譲らないわけで。さすがに正しいのは父親だと私も思った。

 カーペットを撤去しないなら辞める! と、すぐに辞めた父。

 怒って辞めたエピソードは数えきれないのでまたいつか。就職や開業をしなくて本当によかった。



医者なのにお金持ちじゃない理由


 医者の家に生まれた私はそうとうなお嬢さまなんだと思われてきた。お父さん医者なの? やっぱりお金持ち? って聞かれることもしょっちゅう。

 父は今でも現役の産婦人科医ではあるものの、本人的には本業以上に「研究」に命かけており、研究を続けるために開業の道も捨てたほど。研究には莫大な費用がかかり、ほとんどポケットマネーでやってるので、自称「貧乏な医者」。さまざまな事情で「お金のない医者」も一定数いるのだ。

 研究に人生を捧げるために、とっくの昔に開業も諦め、定職に就いたことはなく、ずっとバイトを3~4つ掛け持ちしている。これが意外と本人の飽きっぽくて怒りっぽい性格にマッチしているみたい。

 むかしとある大学の助教授をしていて、教授に昇進するチャンスが来た矢先に、大学が不祥事を起こしたので怒って辞めちゃった。この事件は当時ニュースでも大きく取り上げられ、この大学のイメージが落ちたきっかけとなる事件だった。

 研究を続けるうえで、教授という肩書きは大きなアドバンテージになるのに、やっぱり正義感の強さが勝ってしまった父。あのときのように怒ったらいつでもやめることもできるので、アルバイトは父にぴったり。研究者としての父については、またこんど。




怒りんぼうにつける薬


 高円寺にある老舗のうなぎ屋に、月1くらいで家族4人で行っていた。

 父親が店に来ると「あらあ先生~、いらっしゃいまし」と厚くもてなしてくれるような、家族経営のアットホームなお店。

 父は自分が医者だということを各所でオープンにしていて、「先生♪」と呼ばれ、もてなされるのが父の生き甲斐。

 そんなうなぎ屋で、ある日私の頼んだ鰻重にロングな毛が入っており、ご飯に絡まりたおしているので取り除くのもムリ……。しかも発見した時点で半分くらいは食べちゃっていました。なんかきもちわるいよね。

「すいません。髪の毛が入っていました」と私が言うと、「あらあ申し訳ございません」と女将さんがお重を奥へ持って行き、30秒くらいで戻ってきた。あ、あれ……? 早すぎない?

 わーーーーうそでしょ? なんと「髪の毛だけ」を取り除いた食べかけのお重が戻ってきた!!! さすがに新しいの作ってもらった。お代はふつうに請求された。

 帰宅して翌日。父親が怒りにふるえて真っ赤。「じわじわ腹が立ってきた!」と、鰻屋に激おこ。「もう行かない! 縁切る!」と。振り返れば振り返るほど、女将の応対は納得いかなかったようだった。

 父の趣味は縁切り、というぐらい縁を切るのが好き。そんなに怒っていたらいつか血管ぷっつんで倒れるんじゃないかと思う。実際、いつも怒り過ぎのため「めまい薬」を常用している。激怒すると激しくめまいがするそうな。性格を直そうという発想はないんだよね、お医者だから。

 父にはいろんな薬が欠かせない。でも「医者割り」で安く入手できるからよかったね(笑)。

 父愛用のめまい薬。冷蔵庫を開けるといっぱい入っておりますよ。湿布に座薬に液体の薬……医者の家庭の冷蔵庫あるある、なのかな。



訴訟数No.1の産科医


 父親いわく、産婦人科は最も人気のない科。訴訟率No.1なので、とくに産科医になりたいお医者さんは少ないとのこと。不人気ランキング、訴訟数、ともにナンバーワン!

 仕事もハードな上、何かあったらすぐ訴えられるので過酷な仕事。

 でも一方、やっぱり良い患者さんもいっぱいいて、報われることも多いみたい。毎年父親へ届いていた年賀状やら感謝状をみていると、患者さんから人気があったんだろうということはちょっとわからなくもない。「わたしは病院で一番人気の医者だからね!」と家でまいにち聞かされてました。

 今はルールがあるらしくて、御礼の金品を患者さんから受け取ることは禁止。むかしは商品券とか高級おかしとか、よく貰って帰ってきてたけど。仕事が大変なんだから、御礼を受け取るぐらいの楽しみはあってもいいんじゃないのかね。

 訴えられないように自腹で医療保険に入ってるなんて、哀しいことよ。




「父は医者だと言え」


 父親が産婦人科の医者だと言うと、「子ども産むときはお父さんに取り上げてもらうんでしょう?」……といろんな人から言われ続けてきたし、またその質問かとうんざりしていたし、おどろくほど何の現実味もなかった。

 それどころか、これまで産婦人科に患者としてかかったことはない。内科、皮膚科、歯科、形成外科などなど、いくつか行ったことはあるものの、いざとなったら家にある薬で基本どうにかできたので、そもそも病院に行く必要があまりなく、点滴セットも父の病院から持ってきてうちでできるので、自宅で病院の治療が受けられた。

 私が具合が悪いとき父にあれこれ訊くと、「専門じゃないからわたし分からない。どっかてきとーに(病院)行ってよ」と何もしてくれないことも多かった。

 いつも威張って家族に薬むりやり飲ませてたのに、こういうときだけ何も知らないかんじ出してくる父。「わたしの専門じゃないから」と開き直る一方、私が自分で選んだクリニックに行こうとすると父が急に出てきて、「『父は産婦人科です』って言いなさいよ」と言ってくるのだった。

「変な薬出されないように」だそうで。多くのクリニックでは「点数をわざと稼ぐため」に高い薬を処方するそうで、医療関係者だと言えばぼられずに済むと。あまり効かない組み合わせで処方されることも防げるのだとか。

 患者さんにはバレないからってそのへんの医者はテキトーに処方してるんだから、親が医者って言っとけばちゃんと処方してもらえるから! と、しつこい(笑)。

さっそく病院へ行き、父の指示通り「うちの父が産婦人科です」と伝えると、即、カルテにでっかい文字で「父・医」と書かれました。要注意人物! 的なマークに見えた。さっそくブラックリスト入りである。

 処方された薬を見て私は、「これとこれとこれは家にあります」と言うと、医者はあわててその場で父に電話をして確認することもあった。家にある薬を買って帰って、家で注意されるのもめんどくさい。

 以降、私がどこかのクリニックに行こうとするたび父が出てくるようになり「どこどこどこ! どこ行くの?!」とか、「え?! そこ、大丈夫なの? え???」とか、気が狂いそうだった(笑)。

「どこの医者? 大丈夫なのかね! 薬はうちにありますって言った? その薬はこっちで安く買えるんだからダメだよ! 院長どこの大学出たって? ばか大学じゃないのか? え? え?」

……タスケテ。




間違えられた血液型


 父が30年くらいまえに執筆した『家庭の医学』という巨大な書籍。同じものはもう売っておらず、似たのは出てるみたい。

 袋みたいに重く、広辞苑のように分厚い大辞典。父と何人かのお医者さんで分担で執筆したもので、当時は緑色の本で。私は幼稚園か小学生くらいだったかな。

 本の最後にある、病歴とか血液型とか個人データを記入するページに、父が自分で書き込んだデータも残っていて、なんとなく見ていたら血液型の項目に「AB型」って書いてあった。

 ずっとA型だと聞かされていたのになんで?? と軽くパニックに。あれこれ考える前に聞こうと思い、「パパってAB型だったの?」と母親に聞いた。

「え? A型だけど?」と母。どゆこと!? 「ここ(家庭の医学)にABって書いてあるよ!!!」

 父はたしかにA型。医者デビューしたてのころ、自分で自分の血液検査をしてABだったそう。それですぐに書き込んだという流れ。ただの検査ミス。

「医者なのに? そんなことあるの? ABだと勘違いして輸血したりしたらどうするの!?」と、いろいろ問い詰めたけど、血液検査ミスは医者として相当恥ずかしいことらしく、「うるせーやい!」とずっと恥ずかしそうにしていた。

 しばらくしてまたこの本を開いたら、「AB」の文字が消しゴムで消された形跡が! 鉛筆で書いてたんかい(笑)。



胎児の幽霊


 私は小さいころから赤ちゃんや胎児の霊が見えていて、当時は理由が分からなかった。

 父親が産婦人科医だったことが影響していると気付いたのは20代半ば頃。

 幼少期、家にひとりでいるときに見えた。誰かといるときは見えなかったから、近くにいる大人に報告したりもできずにいた。




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