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中島みゆき「タクシードライバー」への想像力

 時々、中島みゆきさんの「タクシードライバー」を無性に聴き、口ずさみたくなる。
 
 タクシードライバー 苦労人と見えて
 あたしの泣き顔を 見て見ぬふり
 天気予報が今夜も 外れた話と
 野球の話ばかり 何度も何度も繰り返す

 歌詞の語り手は、どうやら失恋の痛手でやけ酒をあおったのか、ひどく酔い、ひどい泣き顔らしい。それを察しているのか、タクシーの運転手は語り手の顔を見ないようにして、天気や野球の話をしている、よく知られた名場面だ。

 「好きな歌手はだれか」と問われると、すらすらとはでてこない。例外は中島みゆきさんだ。高校時代にTVドラマやCMで触れ、CDを買った。時に突き放すかのようにも思える力のこもった歌声が大学受験の勉強の合間、すぐにサボりの誘惑に負ける自分を奮い立たせてくれた。全てのアルバムを聴いたわけでなく、手元にあるCDアルバムも10枚に満たないが、いまでも折りに触れて聴いている。
 
 先日、このコロナ禍で幾十度目かになる「タクシードライバー」を口ずさみ、なぜこの歌に惹かれるのだろう、とふっと考えた。語るまでもなく、大ヒット曲を連発している偉大な歌手だ。「プロジェクトX」の主題歌「地上の星」のように「力づけられる」とされる曲は多いし、初期のころの失恋歌(たとえば「わかれうた」など)は、若い女性の気持ちに寄り添う、とされる。

 あらためて歌詞を書き出してみて、あ、と今更気がついた。「タクシードライバー」の歌詞は、一人称で書かれている。年季が入っているとみえる運転手の気遣いを、いいなあ、こんな風な大人になりたいなあ、と感じていたのだが、運転手が気遣いをしているかどうかは、明示されていない。ひょっとしたら、脳天気に天気予報と野球の話をしているのかもしれないのだ。

 いやしかし、気遣いはされているには違いない。「語り手」は、自分の顔を見ない動作などから気配りを感じ取っており、この歌詞となっている。これだ、と思う。運転手の気配りはもちろん、この歌をさらに魅力的にしているのは、「語り手が感じ取っている」こと、なのだ。
 手ひどく失恋して酔った語り手は、見知らぬ人が運転する車内で泣き顔になり、このまま消えてしまいたい、と思うほど心が乱れている。その一方で、酔っ払いの乗車は迷惑だろうな、と思い、見て見ぬふりをして他愛ない話を繰り返す運転手の気遣いを、しっかり感じ取ってもいるのだ。もちろん、自己憐憫による心理作用という面もあるのかもしれない。それでも、苦しみながらもそこに居る全くの他人に心を向け、苦しむ自己を相対化しつつ、その他者を尊重し、価値付けようとする心情は、間違いなく人の振る舞いの美しさといえる。
 運転手も語り手を思いやっており、語り手もまた、運転手を思いやっているのだ。思いやりはもやん、と車内を漂っているのだろう。それは明確に交わることも、あからさまに顕現もしない、しかし車内にあるものは、確かに愛であろうと確信している。それが名曲「タクシードライバー」に私が惹かれた理由かもしれない。

 他人に対する想像力というものは、発するだけでなく、もしかしたら受け取ることもそうなのかもしれない。そして、このような現象は、いまもあちこちで起きているのだろう。このコロナ禍、ぎすぎすした空気ともに、さまざまな局面で、なんとはなしにもやん、と漂う思いやりも感じている。そんな世の中で生きていきたいではないか、と思うのだ。そして、そうした歌詞を書き、歌い上げる中島みゆきさんは、やはり卓絶している。
 
 ※中島さんの歌はもう一方で「レイモンドチャンドラー級にハードボイルドだ」と思っている(例えば「妹じゃあるまいし」)のだが、別途機会があれば書いてみたい。

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