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人は、“言えたこと”でしか組織に貢献できない

■|はじめに

私の隣の席に、
人当たりがよく、要領のいい後輩がいた。

普段はフットワークが軽く、
臨機応変に物事を進められるタイプだ。

ただ、ひとつだけ気になることがあった。

上司への報告となると、
急に腰が重くなる。

あれだけ軽やかに動いていた彼が、
その瞬間だけ立ち止まる。

どう進めるかではなく、どう伝えるか。

彼の中で引っかかっているのは、
いつもそこだった。


ある日、チームにとって重要な
意思決定を行う会議があった。

上司の配慮で、
全員が発言できる場は整っていた。

意見を出す人もいれば、
それを受けて視点を重ねる人もいる。

否定されるような空気も、
そこにはなかった。

それでも私は、その場で出ている発言が
すべてではないと感じていた。

特に、あの後輩は。

いつも私に話しているような考えを、
この場では出していない。

そう見えていた。

やがて、彼の順番が回ってくる。

私は、少しだけ期待していた。

だが彼は、いつも通り、
あっさりとこう答えた。

「いえ、特にありません」

そのまま会議は進み、
彼の意見が出ることはなかった。


会議のあと、席に戻る。

いつものように、
ぽつりと話し始める時間が流れた。

「ちょっと思ったことはあったんですけどね」

後輩からそうして語られた内容は、
確かに検討に値するものだった。

もしあの場で出ていれば、
議論の流れは少し変わっていたかもしれない。

私はそう率直に伝えたが、
彼は小さく答える。

「いや…あれ、
 今言うほどじゃないかなって」

そこに確かにあった思考の芽は、
彼自身の手で、そっとしまわれていた。


結局、チームの中に
彼の意見は残らなかった。

あの場で言葉にならなかった
その考えは、最初から
存在しなかったものとして扱われていく。

きっと組織の中では、
こういう瞬間が、今日も繰り返されている。

そこに考える力があって、
ヒントとなるかもしれない意見があるのに。

その一つの芽が、
組織を変えるきっかけになるかもしれないのに。

それでも。

“言えなかった”というだけで、
なかったことになる瞬間がある。




■|思考は、外に出て初めて意味を持つ

人は、日々さまざまなことを考えている。

違和感。
仮説。
まだ言葉になりきっていない考え。

だが、それらの多くは
ほとんど外には出てこない。

それは、
日常の対人関係の中でも、
組織の中においても同じだ。

そして
組織の中で仮説として扱われるものは、
いつも「外に出たもの」だけだ。

発言された意見。
共有された情報。
記録に残った内容。

それらだけが、
意思決定の材料になっていく。

どれだけ優れた考えであっても、
どれだけ重要な気づきであっても、

言葉にならなければ、
存在しないのと同じになる。

たとえそれが、
組織を救うアイデアであったとしても。


■|「考えているのに貢献できない」という状態

ここで、
あるひとつのズレが生まれる。

本人は考えている。
状況も理解している。
違和感にも気づいている。

それでも、
組織には何も残らない。

なぜなら、
そこにあるはずの仮説や思考が、
共有されていないからだ。

この状態は外からは見えない。

「特に意見はなさそうだ」
「問題なく進められている」

組織の中では、
当然のようにそう解釈される。

あの後輩のように「特にありません」と
発言されてしまえば、なおさらだ。

そこにわざわざメスを入れて、
言葉になっていない思考を
引き出そうとすることは少ない。

だが実際には、その人の中で
思考が止まっているわけではない。

ただ、外に出ていないだけだ。


ここで重要なのは、

「考えていること」と
「貢献していること」は、
同じではないという事実だ。

組織における貢献とは、

思考そのものではなく、
意思決定に影響を与えることだ。

つまり、

どれだけ考えていても、
それが外に出ていなければ、

組織の意思決定には何の影響も与えない。

結果として、それは
「貢献していない」と同じ状態になる。

そしてこのズレは、時に

「何も考えていない人」
「イエスマン」
「言われたことだけをやる人」

という誤った評価にすらつながっていく。

本当はそこに、
若手だからこそ見えている視点が
あったかもしれない。

上司という立場に立ったがゆえに、
固定された視点では見つけられなかった、

未来の思考の原石が
あったかもしれない。

それでも。

言葉にならなかったというだけで、
その可能性は、最初から
存在しなかったものとして扱われてしまう。


■|なぜ言えないのか

では、なぜ人は
考えていることを言葉にしないのか。

理由は、個人の能力ではない。

そこにある、環境だ。

ハーバード・ビジネス・スクールの教授であり、
心理的安全性の研究で知られる
エイミー・C・エドモンドソンは、
著書の中で次のように述べている。

面白いのは、心理的に安全な職場では、人々が自信のなさを克服しやすくなることである。つまり、職場が心理的に安全なら、自信があまりなくても話せるようになるのだ。

エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』(英治出版, 2021)

つまるところ、
人は、自信があるから話すのではない。

話しても大丈夫だと思えるときにだけ、話す。

さらに著書には、こう記されている。

ある人の自信と考えの価値とに必ずしも強力な関係があるわけではないとすれば、知識の共有を促進するうえで、心理的安全性の有効性は絶大だと言える。

エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』(英治出版, 2021)

ここから見えてくるのは、
ひとつの事実だ。

そこに残っているのは、
必ずしも「正しい意見」ではない。

“言えた意見だけ”が、そこに残っている。

ここに、見落とされがちな構造がある。

発言の有無は、
個人の能力ではない。

組織の中にある「安全性」が、
どの思考を表に出し、
どの思考を消すかを決めている。

言い換えれば、

組織は無意識のうちに、
“話せる思考だけを採用している”。


■|人はなぜ“合理的に黙る”のか

ここでひとつ、
見落とされがちな前提がある。

人は、必ずしも
「正しい判断」をしているわけではない。

その場で「損をしない判断」をしている。

発言すれば、

的外れだと思われるかもしれない。
評価が下がるかもしれない。
場の流れを止めるかもしれない。

一方で、発言しなければ、

少なくともその場でのリスクは回避できる。

このとき人は、

未来の組織の損失よりも、
目の前の対人リスクを優先する。

結果として、

「言わない」という選択は、
その場においては合理的になる。

しかもそこに、
評価する立場の人間や、
場の空気を左右する存在がいると、

その選択はさらに強化される。

言わないほうが安全だと、
無意識に学習していくからだ。

だがその合理性は、

組織という単位で見たとき、
静かに不合理を生み出していく。


■|言葉になる前に消えていくもの

発言には、
対人リスクが伴う。

そのリスクを前にしたとき、
人はこう判断する。

「言わない方がいい」

この判断は間違っていない。

むしろ、
その環境においては合理的だ。

だがその結果、

組織の中で確実に、重要な視点が
言葉になる前に消えていく。

そして厄介なのは、

その思考が消えたこと自体、
誰にも認識されないということだ。

たとえ誰かがそれに気づいていたとしても、

それをあらためて言葉にするには、
もう一度リスクを引き受ける必要がある。

だから多くの場合、

その違和感は、
誰の中にも残らないまま終わっていく。


■|組織にとっての損失

このとき失われているものは、
単なる発言ではない。

組織の可能性だ。

別の見方。
別の仮説。
別の選択肢。

それらが検討されることなく、
意思決定は進んでいく。

そして後になって問われる。

「あのとき、なぜ誰も言わなかったのか」
「もっと違う選択があったのではないか」

そんなふうに。

だが本当は、
誰も考えていなかったわけではない。

ただ、
その環境で言えなかっただけだ。

こうして組織は、

何も気づかないまま、
可能性を取りこぼしていく。


■|見えている情報でしか判断できない

組織は、
常に情報に基づいて動く。

だがその情報は、完全ではない。

むしろ、

「言われたものだけ」で構成されている。

エドモンドソンは同書の中で、
次のように指摘している。

意見を言えずいることが見た目にわからないために、軌道修正がすぐにはできない。これは、競争の激しい業界において、心理的に安全な職場が圧倒的に優位に立つということにほかならない。

エイミー・C・エドモンドソン『恐れのない組織』(英治出版, 2021)

ここで重要なのは、

「意見が出ていないこと」は、
外からは見えないという点だ。

つまり、

組織は「欠けている情報」に気づかないまま、
意思決定を進めてしまう。

結果として、

判断が誤るのは、
個人の能力の問題ではない。

前提となる情報が、
そこに欠けていること自体が原因になる。


■|発言は、思考の一部である

発言は、思考の“結果”ではない。

思考の“一部”だ。

言葉にすることで、
考えは整理される。

他者の反応によって、
新しい視点が加わる。

そのやり取りの中で、
思考は深まっていく。

つまり、

言葉にならなかった思考は、
そこから先に進むこともない。

未完成なまま、
個人の中で留まり続ける。

そしてその思考は、

外に出ないまま、
材料になることなく、消えていく。


■|「言える状態」がもたらすもの

では、組織の中で言える状態が生まれると、
一体何が変わるのか。

まず起きるのは、

思考が、外に出るということだ。

未完成な意見や仮説が、
そのまま場に現れるようになる。

それだけのことに見えるかもしれない。

だが、
それまで存在していなかったはずの思考が、
初めて組織の中に現れる。

その結果、

見えるものが増える。
視点が重なっていく。

そして、
意思決定の前提そのものが変わっていく。

つまり、

「言える状態」とは、
その場の雰囲気の話ではない。

組織の中に存在する思考の量と範囲を変える、
構造そのものだ。


■|“言えたこと”が、組織をつくる

組織は、

「考えたこと」ではなく、
「言えたこと」でできている。

どれだけ優れた思考があっても、

外に出ていなければ、
組織には何も残らない。

逆に言えば、

不完全でも、
途中でも、
言葉にされたものは、ちゃんとそこに残る。

検討される。
修正される。
次につながる。

その積み重ねが、
組織の中に、
考える力を育てていくのかもしれない。


■|読んでくれたあなたへ──小さな問いを、ひとつ。

あなたの組織の中で、

言葉にならないまま
消えていった考えはいま、
どれだけあるだろうか。

あの日の会議で、

後輩が「特にありません」と言った、
その一言の裏側にあったもの。

それを私のチームは、
誰にも気づかれないまま手放してしまった。

そして今日、
あなたの組織では、

どれだけの思考が
まだ「存在していないもの」として
扱われているのだろうか。

組織の本質的な問題とは、

人が考えていないことではなく、

考えが表に出ていないことなのかもしれない。

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