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国会議員の勘違い――政治家が人気者になったつもりで浮き足立つ時代

はじめに

今の国会議員を見ていると、何かを勘違いしているのではないか、という印象を受けることがある。

もちろん、すべての議員がそうだと言うつもりはない。

真面目に政策を考え、地道に活動し、国民生活の改善に向き合っている議員もいるのだろう。

しかし一方で、SNSで目立つこと、支持者からチヤホヤされること、話題になること、グッズ化されることなどによって、政治家としての立場をどこか取り違えているように見える場面もある。

政治家は人気者ではない。

政治家はインフルエンサーでもない。

政治家はアイドルでも、タレントでも、キャラクター商品でもない。

本来、国会議員とは、国民から権限を預かり、法律、予算、行政監視、政策判断に責任を負う立場である。

にもかかわらず、今の一部の議員を見ていると、政治活動と人気商売の境界が曖昧になっているように感じる。

政治家が国民に説明することは必要である。

政治家がSNSを使うことも、時代に合わせた手段としては理解できる。

政治家や政党が広報物を作ることも、それ自体が直ちに問題だとは思わない。

しかし、それらが政策説明や説明責任ではなく、人気取り、ファン化、支持者向けの盛り上がりに寄っていくなら、話は別である。

そこで問われるべきなのは、政治家が何をしているのかである。

そして、何のために国民から権限を預かっているのかである。


1 SNS時代の政治家は、なぜ浮き足立つのか

時代に沿って、政治家がSNSを使うこと自体は否定しない。

むしろ、政策や活動内容を国民に伝える手段として、SNSは有効だろう。

国会で何を質問したのか。

どの法案にどういう立場を取ったのか。

どの政策を重視しているのか。

地域の課題にどう向き合っているのか。

予算や制度について、どのような問題意識を持っているのか。

そうした情報を分かりやすく発信することには意味がある。

本来、政治家のSNSは、国民が政治を判断するための材料を提示する場であるべきだ。

しかし、問題はそこではない。

問題は、SNSで反応を得ること自体が目的化しているように見えることである。

強い言葉を使う。

対立を煽る。

短いフレーズで敵味方を作る。

支持者が喜びそうな投稿を繰り返す。

批判されると、被害者のように振る舞う。

注目されると、自分に政治的価値があると錯覚する。

そうした姿を見ると、政治家として国民に向き合っているというより、SNS上の支持者集団に向けてパフォーマンスをしているように見える。

SNSで拍手を浴びることと、政治家として責任を果たすことは別である。

拡散されたことは、正しいことの証明ではない。

支持者から褒められたことは、政策の妥当性が認められたことを意味しない。

短い言葉がバズったことは、制度設計として優れていることの証明ではない。

しかし、その区別がついていないように見える議員が増えている印象を受ける。

SNSは、政策説明の手段として使うなら有効である。

だが、承認欲求や支持者向けパフォーマンスの場になると、政治そのものを歪める。

2 グッズ販売に見える違和感

さらに理解に苦しむのが、政治家や政党のグッズ化である。

もちろん、グッズ販売そのものを直ちに否定するつもりはない。

広報活動の一環として作られるものもあるだろう。

支援者向けの頒布物という側面もあるのだろう。

若い世代に関心を持ってもらうための工夫だと説明される場合もあるかもしれない。

政治を身近に感じてもらうための手段だという理屈もあるのだろう。

あるいは、地域活性化のためと説明される場合もあるのかもしれない。

もちろん、政治を身近にする工夫そのものを否定しているのではない。問題は、それが政策理解や説明責任につながらず、政治家個人や政党へのファン感情だけを強める方向に使われることである。

しかし、それでも違和感は残る。

国会議員や政党が、まるでファン向けコンテンツのように消費されることに、私は危うさを感じる。

政治家の価値は、グッズになることではない。

政治家の価値は、支持者が身につけたくなるロゴを作ることでもない。

政治家の価値は、キャラクター化されることでも、応援グッズとして消費されることでもない。

本来問われるべきなのは、政策の中身であり、説明責任であり、判断の妥当性であり、国民生活への影響である。

それにもかかわらず、グッズ化によって政治が応援文化、ファン文化、所属意識のようなものに変わっていくと、政策の検証が弱くなる。

「この人を応援している」

「この政党が好き」

「この界隈に属している」

そうした感覚が強くなればなるほど、政治は中身ではなく、帰属や感情で消費される。

これはかなり危うい。

政治は、本来、好き嫌いだけで扱うものではない。

政治家は、推し活の対象ではない。

政策は、グッズと一緒に消費する商品ではない。

政治家や政党のグッズが存在すること自体よりも、政治家側がその空気に乗り、人気商売のような振る舞いに寄っていくことの方が問題である。

3 認知度を高めたいなら、別の方法があるのではないか

議員側は、認知度を高めたいのかもしれない。

政策を広めたいのかもしれない。

若い世代に政治へ関心を持ってほしいのかもしれない。

政治に距離を感じている人に、少しでも近づいてほしいのかもしれない。

それ自体は理解できる。

政治が分かりにくいのは事実である。

国会の議論は見えにくい。

法案の中身も分かりにくい。

予算も制度も、普通に生活しているだけでは理解しづらい。

だからこそ、政治家が国民に分かりやすく伝える努力は必要である。

しかし、認知度を高めたいのであれば、別の方法があるのではないか。

政策を一枚の資料にまとめる。

国会での質問内容を分かりやすく解説する。

法案の賛否理由を明記する。

政治資金の使途を丁寧に説明する。

自分の主張の根拠を示す。

反対意見にも逃げずに答える。

国民生活にどう影響するのかを具体的に説明する。

専門用語をかみ砕く。

数字を示す。

制度の問題点を整理する。

自分の政策が実現した場合、誰にどのような影響が出るのかを説明する。

本当に政策理解を広めたいなら、やるべきことはいくらでもある。

それなのに、なぜグッズなのか。

なぜキャラクター化なのか。

なぜ支持者向けの盛り上がりに寄っていくのか。

そこに、政治家側の勘違いが表れているように見える。

政治に必要なのは、人気の演出ではない。

必要なのは、説明である。

必要なのは、責任である。

必要なのは、国民が判断できるだけの材料を出すことである。

認知度を高めること自体は否定しない。

しかし、認知度だけが上がり、政策理解が深まらないのであれば、それは政治広報ではなく、単なる人気取りに近い。

4 チヤホヤされる政治家ほど危うい

SNSでは、政治家が支持者から直接称賛される。

「よく言ってくれた」

「さすがです」

「応援しています」

「この人しかいない」

そうした言葉が大量に届けば、浮き足立つ人もいるのだろう。

支持者から過剰に持ち上げられ、自分が特別な存在になったかのように感じる人もいるのかもしれない。

しかし、そこで勘違いしてはいけない。

支持者から称賛されていることは、正しいことの証明ではない。

一部の界隈で盛り上がっていることは、国民全体の理解を得ていることの証明ではない。

SNSで拡散されたことは、政策の妥当性が認められたことを意味しない。

強い言葉に拍手が集まったとしても、それが制度として正しいとは限らない。

政治家が本来向き合うべきなのは、支持者だけではない。

自分に投票しなかった人。

政治に関心が薄い人。

困窮している人。

制度の狭間で苦しんでいる人。

声を上げられない人。

そもそもSNS上にいない人。

政治的な発信に参加できない人。

そうした人々も含めて、政治家は社会全体に責任を負っている。

にもかかわらず、SNS上の称賛に酔い、支持者向けの発信ばかりを繰り返すなら、それは政治家ではなく、支持者コミュニティの代表者に近い。

国会議員とは、その程度の立場ではないはずである。

政治家は、自分を好きな人だけのために存在しているのではない。

自分を批判する人、自分を知らない人、自分に関心のない人も含めて、国民全体に対して責任を負っている。

そこを忘れた政治家は、危うい。

5 政治家の仕事は、目立つことではない

政治家が目立つこと自体は悪ではない。

目立たなければ伝わらないこともある。

発信しなければ、国民に届かないこともある。

地道な活動だけでは、重要な問題が埋もれてしまうこともある。

だから、政治家が発信すること自体は必要である。

しかし、目立つことは手段であって、目的ではない。

国会議員の仕事は、目立つことではない。

国会議員の仕事は、国民生活に関わる制度を作り、行政を監視し、税金の使い道を判断し、法律に責任を持つことである。

その重さを考えれば、本来、浮かれている余裕などないはずである。

物価高。

社会保障。

労働問題。

少子化。

教育。

医療。

災害対応。

防衛。

外交。

行政の不正。

制度の不備。

生活困窮。

地域格差。

考えるべきことはいくらでもある。

それにもかかわらず、政治家がSNS上で人気者のように振る舞い、グッズ化されることに喜び、支持者の反応に浮かれているように見えるなら、やはり違和感を覚える。

政治家は、何をしに国会へ行っているのか。

その原点を見失っているのではないか。

目立つことそのものを否定しているのではない。

目立った先に、何を説明するのか。

何を変えるのか。

どの制度に責任を持つのか。

そこが問われている。

6 政治がファンビジネス化すると、検証が消える

政治がファンビジネス化すると、危険なのは批判や検証が弱くなることである。

支持者は、好きな政治家を守ろうとする。

都合の悪い発言があっても擁護する。

説明不足があっても見逃す。

矛盾があっても気にしない。

批判者を敵扱いする。

政策の中身よりも、誰が言ったかで判断する。

こうなると、政治はかなり歪む。

政治家を応援すること自体が悪いわけではない。

しかし、政治家への支持は、本来、常に条件付きであるべきだ。

正しいことをすれば支持する。

説明責任を果たせば評価する。

矛盾があれば批判する。

不誠実な対応があれば距離を置く。

政策が間違っていれば反対する。

説明が足りなければ問いただす。

それが民主主義における有権者の健全な姿勢だろう。

ところが、政治家がグッズ化され、キャラクター化され、ファン文化の対象になると、この距離感が壊れる。

政治家を検証するのではなく、推す対象にしてしまう。

政策を読むのではなく、雰囲気で支持してしまう。

説明責任を見るのではなく、キャラの好感度で判断してしまう。

これは政治にとって危うい。

政治家に必要なのは、ファンではない。

必要なのは、冷静に見て、評価し、批判し、必要であれば支持する有権者である。

7 勘違いしているのは議員だけではない

ただし、勘違いしているのは議員だけではないのかもしれない。

有権者側にも問題はある。

政治家をアイドルのように扱う。

強い言葉を言う人を持ち上げる。

政策の中身よりも、雰囲気やキャラで判断する。

自分の不満を代弁してくれる人を過剰に評価する。

都合の悪い部分には目を向けない。

好きな政治家の失言や矛盾を見逃す。

嫌いな政治家の発言は、内容を見ずに否定する。

そうした受け手がいるからこそ、政治家もその方向に寄っていく。

つまり、政治家の勘違いは、政治家だけの問題ではない。

社会全体が、政治を中身ではなく、話題性や好感度や所属意識で消費する方向に流れていることの表れでもある。

政治家が浮き足立つ社会には、浮き足立たせる側も存在する。

だからこそ、政治家を見る側にも冷静さが必要である。

「好きだから正しい」

「嫌いだから間違っている」

「応援しているから擁護する」

「敵だから叩く」

このような見方では、政治は良くならない。

政治家を応援する前に、その政治家が何をしているのかを見るべきである。

政治家の言葉に拍手する前に、その言葉に根拠があるのかを見るべきである。

政治家を持ち上げる前に、その人が説明責任を果たしているのかを見るべきである。

有権者が政治家を推し化すれば、政治家も推されるための振る舞いに寄っていく。

その結果、政策は後回しになり、政治は消費物になっていく。

8 グッズ化を良いようにだけ報道する機関も問題である

そして、このようなグッズ化や政治家のキャラクター化を、良いようにだけ報道する機関にも問題がある。

もちろん、政治家や政党がどのような広報活動をしているのかを報じること自体は否定しない。

新しい試みとして紹介することもあるだろう。

若者への訴求、政治参加への入口、親しみやすさの演出として取り上げることもあるのかもしれない。

しかし、それを単なる好意的な話題として扱うだけでよいのだろうか。

「面白い取り組みです」

「若者に人気です」

「親しみやすさを狙っています」

「グッズが話題になっています」

そのような形で、良い面だけを切り取って報道すれば、政治のファンビジネス化を後押しすることになる。

本来、報道機関が見るべきなのは、話題性だけではないはずである。

そのグッズ化が、政策理解につながっているのか。

政治家の説明責任を補っているのか。

単なる人気取りになっていないのか。

政治家個人のキャラクター化によって、政策検証が弱まっていないのか。

支持者向けの商売や囲い込みに近づいていないのか。

そうした視点も必要である。

にもかかわらず、報道機関がそれを「明るい話題」「親しみやすい政治」「若者向けの工夫」としてだけ扱うのであれば、報道としてあまりに浅い。

政治家が浮き足立つ。

支持者が持ち上げる。

報道機関がそれを良い話として広める。

この流れができてしまうと、政治はますます中身ではなく、話題性やキャラクター性で消費されていく。

報道機関は、政治家の広報係ではない。

政治家の人気演出を盛り上げる係でもない。

本来は、政治家の行動を検証し、権力の使われ方を監視し、国民が判断するための材料を提供する立場である。

それにもかかわらず、グッズ化やキャラクター化を良いようにだけ報道するなら、報道機関もまた、政治の消費化に加担していると言える。

政治を身近にすることと、政治を軽く扱うことは違う。

親しみやすくすることと、検証を放棄することは違う。

話題として紹介することと、問題点を見ないことは違う。

報道機関がその区別を失えば、政治家の勘違いはさらに強化される。

9 政治家に必要なのは、人気ではなく説明責任である

政治家に必要なのは、人気ではない。

もちろん、選挙で選ばれる以上、一定の支持は必要である。

多くの人に知ってもらうことも必要である。

自分の考えを広めることも必要である。

しかし、人気そのものが政治家の価値ではない。

政治家に必要なのは、説明責任である。

なぜその政策を支持するのか。

なぜその法案に賛成したのか。

なぜ反対したのか。

それぞれに具体的な根拠はあるのか。

財源はどうするのか。

誰に負担が生じるのか。

誰が利益を得るのか。

失敗した場合、どう責任を取るのか。

過去の発言と矛盾していないのか。

批判に対して、どう答えるのか。

そうした問いに答えることが政治家の仕事である。

SNSで気の利いたことを言うことではない。

目立つファッションをすることでもない。

グッズを売ることでもない。

支持者に囲まれて気持ちよくなることでもない。

国民に判断材料を示し、批判にも耐え、制度に責任を持つこと。

それが政治家の最低限の仕事なのではないだろうか。

政治家が人気を得ること自体は否定しない。

しかし、その人気が説明責任を覆い隠すなら、危険である。

人気があるから説明しなくていい。

支持されているから批判は不要。

拡散されているから正しい。

そうした空気が生まれるなら、それは政治ではなく、人気商売である。

10 政治家は、国民から権限を預かっているにすぎない

国会議員は、特別に偉い存在ではない。

国民から権限を預かっているにすぎない。

だからこそ、重い責任がある。

その権限は、政治家本人を輝かせるために与えられたものではない。

SNSで有名になるために与えられたものでもない。

支援者から称賛されるために与えられたものでもない。

グッズ化されるために与えられたものでもない。

国民生活を守るため。

制度を整えるため。

行政を監視するため。

税金の使い道を決めるため。

社会の問題に向き合うため。

そのために与えられている。

この前提を忘れた政治家は、勘違いしていると言われても仕方がない。

政治家が国民の上にいるのではない。

政治家が国民から力を預かっているのである。

だからこそ、政治家には謙虚さが必要である。

派手さではない。

人気ではない。

承認欲求ではない。

国民に対する説明責任と、制度に対する責任感である。

おわりに

今の国会議員を見ていると、何かを勘違いしているように見える場面がある。

SNSで目立つ。

支持者にチヤホヤされる。

グッズ化される。

話題になる。

拡散される。

それによって、自分が特別な存在になったかのように錯覚しているのではないか。

もちろん、政治家が発信すること自体は必要である。

SNSを使うことも、時代に合った手段としては理解できる。

広報物やグッズの存在自体を、直ちに否定するつもりもない。

しかし、それらが政策説明や説明責任を補うためではなく、人気取り、ファン化、支持者向けの盛り上がりに寄っているなら、やはり危うい。

さらに問題なのは、それを良いようにだけ報道する機関の存在である。

政治家や政党のグッズ化を、単なる話題性や親しみやすさとして扱うだけでは、政治のファンビジネス化を後押しすることになる。

報道機関は、政治家の広報係ではない。

政治家の人気演出を盛り上げる係でもない。

本来は、その動きが政治理解につながっているのか、政策検証を弱めていないのか、説明責任を覆い隠していないのかを見なければならない。

国会議員は人気者ではない。

国会議員は、国民から権限を預かっているだけである。

その権限は、政治家個人を輝かせるために与えられたものではない。

国民生活を守るため。

制度を整えるため。

行政を監視するため。

社会の問題に向き合うため。

そのために与えられている。

認知度を高めたいなら、政策を説明すればいい。

理解を広めたいなら、根拠を示せばいい。

支持を得たいなら、誠実に仕事をすればいい。

それをせずに、SNS上の人気やグッズ化に寄っていくのであれば、やはり勘違いしていると言わざるを得ない。

政治家は、推されるために存在しているのではない。

政治家は、働くために存在している。

そして、その仕事ぶりを冷静に見極めるのが、有権者の役割である。

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