三億円事件——なぜこれが真相だと思ったのか?中原みすず『初恋』が示した真犯人像【ネタバレあり】
中原みすず『初恋』:
この書き手、只者ではない
<あらすじ>
「私は3億円事件の実行犯だと思う」
父を亡くし、母とも離れ、親戚をたらい回しにされて育った女子高生・中原みすずは、どこにも居場所を持てないでいた。
ある日、音信不通だった兄・亮から渡されたマッチの住所を頼りに、新宿のジャズ喫茶〈B〉を訪れる。そこには亮を中心とした若者たちがいた。
学生運動に熱中する者、小説家を目指す者、喧嘩に明け暮れる者。
そしてその中で一人だけ距離を置く東大生・岸。
〈B〉に入り浸るうちに、みすずは岸に惹かれていく。
1968年12月、岸はみすずに計画を打ち明ける。
「権力に、頭脳で勝負したい」
みすずは岸に必要とされたことで、白バイ警官に扮して現金輸送車を止める実行役を引き受ける——
——矛盾が最初の引っかかりだった
読み始めて数ページで気づく。
文章がうまい、という話ではない。構造が設計されている。
伏線の張り方、感情の温度管理、視点の固定──どれをとっても、書くことに習熟した人間の書き方だ。
中原みすずという名義で一般に広く知られている著書は、『初恋』だけに見える。
だが書誌を追うと、その前に城真琴名義の『幻想の手記 褐色のブルース』(文園社、2000年)がある。
『初恋』はその加筆修正版だ。
本名・経歴ともに不詳。
それなのに、この小説は明らかに書き慣れた人間が書いている。
その矛盾が、最初の引っかかりだった。
——動機だけが、ぼけている
『初恋』の主人公・みすずは、三億円事件の実行犯として描かれる。著者と同じ名前を持ち、同じ孤独な来歴を持つ少女。
読んでいて構成の精度に感心しながら、ある箇所で止まる。
なぜみすずは三億円事件をやったのか。
岸に必要とされたから。岸が好きだったから──それだけだ。
三億円という途方もない現金を、白バイ警官に扮して奪う。
その動機がこれほど曖昧に書かれている。
少なくとも普通の商業小説なら、編集の段階で「なぜそこまでやるのか」をもう少し説明するよう求められるはずだ。
ところがこの小説は、他のあらゆる部分では欠陥がない。
1960年代の新宿の空気、ジャズ喫茶〈B〉の人間関係、犯行当日の細部──周辺の描写は驚くほど精密だ。
動機だけが不自然なほどぼけている。私はそこに意図を感じた。
——逆から読むと、全ての矛盾が消える
通常の読み方は「創作に実話が混入した」だ。
だが逆の可能性を検討しないのは片手落ちだと思う。
実話が先にあり、創作の器を後から用意したとしたら?
この逆論法を適用すると、動機の曖昧さが一気に説明できる。
実行した人間は動機を知っている。
だから書かなかったのではなく、書けなかった。
動機の核心を書いた瞬間に、小説はフィクションでなくなる。だから意図的に霧をかけた。
霧は欠陥ではなく、自己防衛の設計だった。
——みすずの視点だから成立する
この小説が全編みすずの一人称視点で書かれていることには、必然性がある。
みすずには岸の本当の動機がわからない。
亮がなぜそこにいたのかもわからない。
グループ全体の計画の全貌も、みすずの目には見えていない。
だから小説に書かれていない。
みすずが知らないことは、読者にも届かない。
これは一人称視点の限界というより、一人称視点が「書けないこと」を「書かないで済むこと」に変えているように見える。
だから映画版では、みすず以外の人物の必然性がやや弱く見えてしまう。
原作の核心は、みすずの視点の限定性そのものにあったからだ。
——出版の経緯について
書誌上確認できるのは、
『初恋』(リトルモア、2002年)
が
城真琴名義『幻想の手記 褐色のブルース』(文園社、2000年)
の加筆修正版であり、国会図書館の典拠でも
「城真琴→中原みすず」
という参照が確認できるということだ。
ここまでは事実として置ける。
問題は、それ以前にどんな形でこの物語が流通していたのかである。
——坊城ミス、城真琴、中原みすず
1999年、風間薫という人物が
徳間書店から『真犯人──「三億円事件」31年目の真実』
を出版している。
風間薫本は、坊城ミスの語りに異議を唱える内容として読まれている。
風間薫本のレビューには「坊城ミス(中原みすず)憎しの想いはよく伝わってきた」という感想がある。
そこから先──風間薫が何者で、どういう経緯で徳間書店と組んだのか──は、現時点では確認できない。
ただ一つ、文体について言えることがある。
風間薫本を読んだ者のレビューは
「文章がひどい」「構成が訳わからない」「思いつくまま書き連ねた」などが、複数のレビューでは指摘されている。
中原みすずの『初恋』は精密な構成を持ち、伏線が丹念に回収され、読者から高く評価されている。
文体というのは、意識で変えられる部分と変えられない部分がある。
情報の提示順序、段落の転換のタイミング、感情の書き方──これは思考の癖であって、意図的に別人を演じることはほぼ不可能だ。
少なくとも、同じ人間が意図的にここまで別種の手触りを書き分けたとは、私には考えにくい。
また、
坊城ミス→城真琴→中原みすず
と、三つの名義で同じ核の話を繰り返し出し続けたという事実は残る。
少なくとも、単発の話題作りの企画には見えない。
——坊城ミスとは何者か
坊城ミスとは、中原みすずが『初恋』以前に使っていたとされる名義だ。
風間薫の著書によれば、同名義で三億円事件をめぐる手記を限定100部で自費出版していたという。
ただしこれは、風間薫本の記述に基づく情報であり、独立した一次資料での確認はできていない。
——宮崎あおいが「本当だ」と感じた理由
映画化にあたって、主演の宮崎あおいは実際に中原みすずと会っている。
インタビューで宮崎あおいはこう語っている。
Q:原作は仮説ですが、本当の話だと思ってしまうほど好きになってしまったとか。
そう思って演じていましたし、今でもそう思っています。撮影前に原作者の中原みすずさんとお会いした時に、いろいろお話も聞かせていただきました。もちろん最初に本を読んだときから信じていましたし、みすずさんとお会いしたことでもっと信じる気持ちが強くなりましたね。みすずさんは、本当だとは言われてませんでしたが、何か質問すればきちんとお答えになってくださいましたし、みすずの気持ちとかいろいろ聞いて、演じる上での参考にもなりました。
本当だとは言わなかった。だが、尋ねれば答えた。
この断言寸前で止まっているという止まり方が、何より不気味だ。
その非対称性が、宮崎あおいの「本当だと思う」感覚を支え、読者に想像の余地を残し続けている。
——まとめ
50年以上前の事件、『初恋』も四半世紀近く経つ著書だ。
今となっては検証しようにも限界がある。
この小説は、恋と喪失の物語としてだけなら、架空の事件でも成立したはずだ。
にもかかわらず、作者は三億円事件を選び、しかも著者と同名の主人公に語らせた。
名義を変えながら、同じ核の話を何度も出し続けた。
そこにあるのは、単なる題材選びではなく、どうしてもこの形で書かなければならなかった執着のようなものが見え隠れする。
少なくとも、単なる話題作りや思いつきの創作でここまでやるとは、私には考えにくい。
書籍を読めとまでは言わない。
映画になっているので、是非、あなた自身の目で確かめてもらいたい。
中原みすず『初恋』(リトルモア、2002年/新潮文庫)

