悩んでいないが占いに行く。
当たるも八卦、当たらぬも八卦。
占いとはそういうものである。
私は占いや診断、そういう類いが好きだ。と言っても、毎朝テレビの星占いをチェックしているわけでもないし、恋愛や人生に迷子になって占い屋さんに飛び込んだこともない。熱心な信者でもない。というより、これらに対する捉え方が少し他の人と異なっている。
私は特に悩んでいないときに占いに行く。判断力が低下してるときにそれらしいアドバイスを言われたら、そのとおりにしてしまいそうだからだ。
普通は羅針盤が欲しくて占ってもらうのだろうが、私は結論が出るまで自分で悩みたい。ではなぜ占いに行くかと言うと、他人から見た自分については大層気になるからである。ネットで他者が煌びやかに見える今、私も常に人からの評価に飢えていた。
しかしこの状態、おそらく私だけではないと思う。今はMBTI診断が流行りだろうか。もっと前に遡れば動物占いや、血液型占いが流行っていた。
多様性の今の時代に限ったことではなく、いつの時代もみな自分が何者であるかを知りたいのだろう。
自分の姿形が見えないと不安になるから、自らカテゴライズされに行き、ラベルを集めることで鏡を作る。あなたはこういう人だと、誰しもが誰かに言ってもらいたい。仲間がいることで安心したり、美しい、珍しい、面白いなどの位置を確かめて、自分の良し悪しを見極めている。
中華街に行くたびに、手相だなんだと看板を見かける。占い料は千円くらい。いつもなら肉まんでも買うところだが、以前から気になっていたので、その日は占いをしてもらうことにした。
適当に手相を見てもらえるところに入り、「何も悩んでないんですけどいいですか」と聞くと、占い師は「いいですよ」と快諾した。占い師はヴェールで顔を隠すでもない、ごく普通の格好をした、どこにでもいそうな中年女性だった。
生年月日を言ってワクワクしながら手のひらを見せると、「あなた、お金のことが心配でしょう。あとすごい疲れてますね」と言う。万年ストレスを溜めるタイプなので、いつでも疲れていると言えばそうである。外れてもいないので、「そうですねぇ」と答えると、占い師は「仕事はほどほどにして、本当に休んだほうがいい。とにかくすごく疲れてますよ!」と、あまりにも繰り返し強く言うので、大笑いして出てきた。
悩みなく元気に占いをしてもらった結果、私は「疲れている」らしかった。
今どきお金の心配をせず、疲れてない人の方が稀だと思うが、手相に現れるほどの疲れとは何だろう。そこまで疲れて見えたかと思うとおかしくなった。
私はもっと覇気を持って生きるか、ハンドクリームで手をケアした方がいいのかもしれない。
でもまあそうやって、他人に好き勝手言われ、ラベルを貼ってもらうのが、自分を味わえている気がして楽しいのだ。だからこそ何も悩んでいない元気なときに行くといい。
たとえ悪いことや不本意なことを言われても、「そう見えるんだ、ふーん」で済ませられるし、良いことを言われたら気分良く帰ればいいのだから。
それで言うと預言カフェはなかなか良かった。「主から預かった言葉を伝える」ので、「予言」ではなく「預言」。言葉はすでに預けられているので、こちらの情報は不要だ。手のひらも見せなければ、悩みを打ち明けたりもしない。
カフェでお茶をして待っていると、預言者が順番に近付いて来る。私の番になると、顔を見るなり「あなたはこういう人で、ああだのこうだの……と主は言っています」と一方的に嵐のように捲し立てて話し去っていく。口を挟む隙はない。
呆気に取られてしまうが、預言は録音データでももらえるので抜かりない。おかげで何度も聞き返すことができ、じっくり噛み締めることができる。
私が行ったのはもうだいぶ昔だが、「あなたはバンビのようにぴょんぴょんと苦難を乗り越えて行く人です」と言われたのをいまだに覚えている。私がやたらと細身体型だったから、バンビが見えたのだろうか。
手相の疲れも、バンビのような私も、根拠の曖昧なラベルだ。でもそういうのを拾い集めると、この人に今の私はこう見えているんだなと思う。私にとって占いは、迷ったときの杖ではなく、心に余裕があるときの自分を客観視する方法だ。
誰かから見える自分は、自分じゃないようで案外おもしろい。
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いつも一人相撲にお付き合いくださり、ありがとうございます。
おかげさまで、楽しい記事が書けます🍩