セミが鳴くと「涼しいね」と話す、私たちの夏について
夏が好きすぎる。
セミが鳴いていると、「今日は涼しいんだね」と夫と話す。
一昔前なら、セミの声がすれば当然、「今日は暑いね」となるところだが、最近の夏はセミの声すら聞こえない日が多い。
虫も暑すぎると活動ができないそうで、たまに突然やって来る涼しい日、もしくは夕方頃になってからようやくジワジワと声を聞く。
アブラゼミが夕方に鳴くようになったら、ヒグラシは深夜帯に鳴くのだろうか。
毎年固定だったセミ界のシフトも、暑さのせいで再編成されているのかもしれない。
私が好きな夏は、正確に言えば幼少期の夏のように思う。
夏休みには父の運転する車で、祖母の家がある奈良に向かった。
長距離のドライブは非日常的で、楽しかった。
5人家族だったので、車内はいつもぎゅうぎゅう。その中で、CDやMDを取っ替え引っ替えしながら、好きな音楽を交互に流して歌った。
パワフルな大黒摩季、爽やかな小田和正、ノリに乗れる00年代アニメソング。
首が痛くなる体勢で眠ったり、兄妹と話したりと、あまり退屈した覚えはない。車内から外の景色を見るのも好きだった。
高速道路を抜けると、地元とは違う街がある。広々とした田んぼや、高さがない建物。敷地面積の広い商業施設。駐車場がでかいコンビニ。
入道雲が見える広い空の中で、時間はゆっくり流れているように感じた。
祖母の家は昔ながらの二階建て一軒家だ。
玄関のドアは引き戸で、サザエさんのおうちよろしく、スライドすればガラガラと音が鳴る。下駄箱の上には小さなたぬきの置物がちょこんと鎮座。ここの置物は都度変わる。顔を上げれば、真正面には2階に続く少し急で大きな階段と廊下が見える。右手に仏間、左手に居間があり、中に入れば、かすかに畳やお線香の匂いがした。
祖父は早くに亡くなっていたが、祖母の家には叔母と、年の近い従姉妹が住んでおり、兄妹が一人増えたような感じだった。一緒に大きなプールに行ったり、ゲームをしたり、お墓参りをして過ごした。
両親は横浜に住んでもう長いが、元々は関西出身なので、奈良に行くと自然と方言が強くなった。祖母や叔母さんと話す合間に出てくる「そうなん?」なんていう相槌も、文字で書けば標準語と変わらない言葉も、イントネーションが変わって楽しかった。
大人になって特に思うが、この絵に描いたような、なんでもない「田舎の家」の経験は特別であった。見るもの、聞くもの、匂いまでものすべてが私の日常にはないもので、夏になれば会えるものだった。
私の夏好きに強く影響していることは間違いない。
そしてもちろん、夏の思い出は祖母の家だけじゃない。
地元のお祭りにも浴衣を着てたくさん行った。あるとき、淡い色より暗い地色が大人っぽくて良いのでは!?と思い、黒い浴衣を買ってもらった。黒地に濃いピンクの花が映えていた。
花火も見た。ここ、人いなくて穴場じゃん!と思ったら、ちょうど木が邪魔で半分くらい見えなかった。
金魚すくいで金魚をとってきて母を困らせた。その後水槽を買ってきてちゃんと飼った。
朝早くに起きて兄とラジオ体操にも通った。帰って二度寝した。
何もしなくてもいいけれど、何をしてもよい期間。
やはり夏だけが季節の中でカギ括弧で括ったような、そんな特別感を抱いた。
あまりにも完璧な「ザ・夏休み」を過ごしてしまったから、大人になった今でも、あの頃の幻影を追いかけてしまう。
あのときみたいな夏を、毎年「今年の夏もそうであるように」と願ってしまい、心の中で謎の「夏ポイント」を貯めている。夏らしいことをすると加算される。別に貯まったからどうということはないのだが、貯まっていないと思うと騒ぎ出す。
当時ポンキッキーズで流れていて大好きだった「夏の決心」。この曲が私を勝手に囃し立て、夏らしいことをやらねばと焦らせる。
ノスタルジーに溺れそうになりながら、大人になっても、なんとかあの夏休みのカケラを拾おうと必死にもがいている。
でも、あの時のような夏は、もしかしたら今後もう来ないのかもしれない。
焼け焦げる気温に勝てない。外には出られないし、セミは鳴かない。プールは暑すぎて中止。夏祭りだって、9月や10月に変更になっている。
それでも。
今、私の隣には、まだ幼い娘がいる。
娘が迎えるこれから先の夏。
今の夏でできることはなんだろう。
私の「あの夏」と彼女の「この夏」が、重なる日がいつか来たら嬉しい。
でも、重ならなくても、娘が夏に出会うワクワクを、私は見守っていたい。
きっと自分だけの宝物を見つけられる、そういう特別な季節だと思うから。
あの頃は良かったなんて悲観してる場合じゃない。夏は短い。
こんなにうんざりするほど暑いのに、ふと気づくと、いつの間にか終わっている。それもまた、夏の魔法だ。
一緒に夏ポイントを貯めよう。
水遊びをして、かき氷を食べるのだ。
水道から出る水がぬるくて笑っちゃうかもしれない。
かき氷はフルーツがたくさんのった今風な豪華なやつ。一人では多そうだけど、わけっこしたらきっとちょうど良い。
あの頃にはなかったネッククーラーをして、夕方に鳴くアブラゼミの声を見つける。
「今日は、珍しくちょっと涼しいね」という会話をする。
クーラーの効いた水族館や図書館に行くのもいいかもしれない。
開催されるのならば、もちろんお祭りや盆踊りにも足を運びたい。
私が今も夏を愛するのは、もはや、失われた過去を懐かしむためではない。
彼女が、これから愛するであろう、未来の夏を、祝福するためなのだ。
まだ日差しが弱い午前中に、よちよちと歩く娘に帽子を被せて、お散歩に出かけよう。
セミは鳴いてるだろうか。
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いつも一人相撲にお付き合いくださり、ありがとうございます。
おかげさまで、楽しい記事が書けます🍩