大人になっても「キャラクター」を捨てられない私たちが、本当に欲しかったもの。
大人は寂しくなったらどうしたらいいんだろう。
「キャラクターものは大好きだったけど、全部捨てたら欲しくなくなった」
あるブログの一文を読んだ瞬間、心の中にボタッと黒いインクが落ちた。その人の「好き」ごと、まとめて捨てられたように感じ、胸が痛んだ。
私はイラストレーターで、その「好き」を描いている側の人間だ。自分の仕事を否定されたような痛みもある。でも同時に、その「好き」を捨ててしまう気持ちが分かってしまう自分もいる。
落ちたインクが広がる先には、私が描くキャラクターの顔が浮かんでいた。
離乳食をあげている最中、娘がぐずり出した。どんなにあやしてもそっぽを向く。
困り果て、ふと土産物屋で買ったスプーンを娘に渡してみた。
柄には行儀よく佇んだうさぎ。
すると、さっきまで頑なだった娘の表情が一変した。
小さな指で懸命にうさぎを指差す。
曇った顔から一瞬にして陽が差したような笑顔になり、「あ!」と言う。まるで友達がいると教えてくれているようだった。
私が何か言ったわけではない。料理が突然美味しくなったわけでもない。
ただそこに、小さなうさぎがいただけだ。
大切そうに握りしめ、一口ごとにうさぎを確認する。全く進まなかったごはんはあっという間になくなった。
娘のあまりに違う態度に、私は驚き、嬉しさがこみあげた。
その小さな指先に、心が照らされていく。作家として、こんなに力をもらえる経験があるだろうか。
理屈をこえた「好き」の魔法は、ただの「道具」だった冷たいスプーンを、温かい「友達」に変えたのだ。
学生の頃、よくグッズを買いに行った。「好き」が溢れる中、お小遣いの中で買えるものを厳選した。キャラクターのキーホルダーもそのひとつ。
綺麗な状態で大切にしたくて、袋のまま引き出しにしまった。
時が過ぎ、社会人になると「年齢」や「世間体」が気になった。忙しさで優先順位が変化し、引き出しを開けることも減っていった。
物は使わなくても劣化する。
かつて輝いていた金具は曇り、触れると冷たい。袋は黄ばみ、糊がべたついた。
守るつもりで閉じ込めた暗闇は、逆に宝物を蝕んだ。これならたくさん連れ回せば良かった。
使い古したなら思い出にもなる。だけどただ色褪せて朽ちていくだけなら、なくても同じではないか。
社会人になり、急に頼れるものが消えた気がした。抱きしめてくれる人はおらず、泣き出すこともできない。
誰にも相談できずに落ち込む夜、それでも仕事に行かねばならない朝。
孤独や不安に寄り添って欲しい気持ちに、性別や年齢は関係ない。だから、本当は誰かそばにいて欲しいと思う大人のために、共にいてくれるキャラクターとグッズを作りたかった。
当時はまだ「キャラクターは子どもや女性のもの」と認識されていた。大人や男性にも寄り添えるものを作りたい。その思いで、十年以上描き続けてきた。
イベントの度、描き方や画材を変え、お客さんにも意見を聞いた。男性も手に取れるよう、レーザーカッターで革にキャラクターを刻印した。
しかし幾度も試行錯誤したものが、思うように広まらず落胆して焦りが募る。
素通りされた背中に傷付いていく。
年月を経るごとに作品を信じられなくなっていったのは、私の方だったのだ。
私の作品は、生きていく上では「なくてもいい」ガラクタで、本当は意味も価値もないのだと、心のどこかで思ってしまっていた。
小さくなる灯火を、消えないように守るので精一杯だった。
娘を笑顔にし、行動を変えたうさぎ。心にそっと勇気をくれる。
キャラクターはそうやって誰かを支える力があるはずだ。
私の作品も誰かの「好き」でありたい。
大人が持つにはまだ抵抗があったあの頃。
そして今この時も、ふと心が沈む瞬間に「見えない友人」が隣にいて欲しい。日々を共にし、癒して欲しいと願う。
久しぶりに引き出しを開ける。
相変わらずキーホルダーは曇っているけど、触れると手の温度がじわりと伝わり温かくなる。
ちゃんと「好き」の魔法がかかった宝物だ。使わずとも、いつでもそこにいる安心感が心を救い、満たしてくれる。
持ち主さえ気づかない心の奥底で、彼らは静かに見守り続けている。
それは、誰かが泣いている夜に、そっと寄り添うための準備だ。
あの黒いインクのシミだって、ペンを走らせれば、彼らの丸く輝く瞳に変わる。
役に立つことが求められる世界で、私は役に立たない「友達」を描き続けたい。
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いつも一人相撲にお付き合いくださり、ありがとうございます。
おかげさまで、楽しい記事が書けます🍩