なぜ鮭定食は、あんなにも「朝食顔」をしているのか
夕食に鮭を焼いて出した。
夫は「朝食みたいだね」と言った。
言われて食卓に並べたメニューを眺めると、焼き鮭とごはん。それに味噌汁と、卵焼き、漬物、サラダ。つまるところ、鮭定食。
私が作ったものは、大抵おいしいおいしいと食べてくれる夫だ。「朝食っぽい」というのも印象を口にしただけで、特段文句を言ったわけではない。でもなぜだかその一言がやたらと気になった。突如出されたクイズに、私の脳内の9割が持っていかれる。
夕食なのに朝食っぽいとはこれいかに。
出来上がった温かいごはんを前にしながら、「たしかに朝食っぽい。なんでだ……」などと考え込む。明らかに面倒くさいスイッチが入った私を見て、夫は不用意な発言をしたことを後悔したと思う。「あはは、ほんとだね!」で終われない私の横で、半ば呆れながら問題の鮭を口に運んでいた。
いつまでも眺めていてもしょうがないので、自身もこんがりと焼き目のついた鮭を口にする。しばし考え込んでいたのですっかり冷めてしまったが、強めの塩気のおかげでごはんがすすむ。大きめの骨をよけながら尚も考える。問題はメインディッシュか構成か。肉じゃがだったらこうは言われないだろう。だけど今日はそこに鮭があったのだからしょうがない。
箸でサラダを摘む。シナシナになってしまう前に葉野菜を使わねばならなかった。
箸休めの漬物。胡瓜が軽快にパリポリと音を立てる。この布陣には必要だろう。
卵焼き。全体に明るい色が加わる。あと卵がいっぱいあった。
1日3チャンスしかない食事。なるべく夕食は満足感のあるごはんを作ろうと、キッチンに立つと私の中での戦いのゴングが鳴る。美術大学出身の私、モノづくりとなると変なプライドが出る。毎日のごはん作りでさえ、どうにか「どうだ!」と言う気持ちで出したい。疲れて一品しか作れなかった日は、心の土井先生が「これでええんです」と微笑む都合の良いプライドだけれど。
一方で、一汁三菜、四菜と作れれば大優勝。常に何かしら褒めてもらいたい私は、大抵やってやりましたと我慢できず口にしており、夫は豪華だねと盛り上げる。例えその内訳が、袋から出して盛っただけのカットサラダや漬物を一品とカウントしていようとも。
だから鮭定食というのは、私の中では「結構頑張って作ったしっかりめの夕食」という部類だった。
そもそも、我が家の朝食は大抵パンである。結婚してから一度も魚を使った朝食を作ったことはない。なんなら白米でさえも、朝食に出すのは片手で数えてあるかないかくらい。……ないかもしれない。
なぜかと言えば理由は簡単で、冷凍庫から取り出した食パンをトースターに放り込む方がよっぽど簡単だからだ。私の実家でも、朝食はずっとパンだった。しかし夕食に焼き魚とごはんを出したことは何度もある。
一体何故。
「朝食っぽい」とは一体なんなのか。
朝は戦争だ。
余裕のある朝だって、2歳の娘がいれば同じ絵本を5回読むことで消える。本を閉じれば怒り出すし、保育園に送り出す時間は刻々と迫っている。ただでさえ朝に弱い私は、娘と一緒に朝ギリギリ、夫に起こされているのだ。
そんな朝に必要なのは、圧倒的「手軽さ」だろう。それなのに鮭定食を作ろうとするとどうなるか。
真っ先に浮かぶ「グリル」という単語だけで、もう試合終了のタオルを投げ込んでしまう。夜ならまだしも、朝からキッチンが魚臭くなるし、グリルを洗うはめになる夫も気の毒だ。私は洗わない。ゆっくり食べている時間もない。私は食べるのも遅い。
あと1時間は早く起きないと作れないであろう鮭定食を、私は手軽とは言えない。前日の夜から「作るぞ」と覚悟して寝る必要がある。しかも私のプライドは、また呼んでもいないのににょきにょきと顔を出し、調子に乗って普段使わない食器までも引っ張り出してくるだろう。
シンクを前にした夫の恨めしい顔は見たくない。そこは人として。
こうなると謎は深まるばかりだ。手軽ではない鮭定食が、それでも朝食顔をしている。
そのイメージがあるのはやはり、朝に見ているか、食べているからだろう。
ではどこで?
少なくとも我が家ではない。
答えは旅館やホテルだ。
旅先で宿泊すれば、翌日の朝、定食だったり、バイキングだったりで出会うだろう。手軽さの正体にすっきり。これなら夫もにっこりである。
朝、寝ぼけた状態で会場に向かえば用意されている贅沢な料理の数々。
ふっくらと焼けた鮭を取り、湯気の立つご飯をよそい、納豆のカップを手にしたところで、生地のカケラが飛び散るさくさくクロワッサンに手を伸ばし、デザートに杏仁豆腐を追加して、私のおぼんはしっちゃかめっちゃかになる。
そんなカオスなおぼんの上でも、シャンと背筋を伸ばし光る鮭こそが「非日常の贅沢の象徴」であり、「完璧な日本の朝食像」である。
鮭定食を朝食顔にした犯人は、「憧れ」であった。
翌朝起きるなり「昨日の朝食っぽい話だけどさぁ!」と勢いよく話し始めると、夫は「えぇ!?うん……」と話を聞いてくれた。私はこの件を食事の時から風呂に入り寝て起きるまでずっと考えていた。面倒くさいスイッチは些細なことで入るのに切れるまでが長い。
他の料理にもラベルがあることに気付く。出来立てのカレーは、私が主役と言わんばかりにスパイスの香りをまとって夜の顔をしているが、一晩あけた2日目のカレーは、寝起きスッピン昼の顔。自分で想像して、そうそう料理ってそんな感じと頷く。一人相撲。
鍋は夜、サンドイッチは昼、などと一人分類を進めていたら思い出した。まだ結婚したばかりの頃、暇だった私は突然、夕食にハンバーガーを作りますと宣言したことがある。例によって勝手に燃えてる私に対し、夫は慣れた顔でどうぞお好きにのポーズ。
ハンバーグを焼き、野菜の水気をきってカットし、ソースを作り、パンを温める。揚げたナゲットは置き場がなくなり、ポテトは冷めていく。手作りハンバーガーは思いのほか忙しい。ああ、マックを買えばこんなことには。
しかもハンバーグだったら、「立派な夕食顔」になる。それに対して手作りハンバーガーと言ったらどうだ。「手軽な昼食顔」をしていることに腹が立つ。
ハンバーグより大変なのに、作り込むほどその昼食顔を確固たるものにするな。堂々と夕食の顔をしろ。大変だったんだ、私は。
それなのに夫は「おいしいね!」と言って7分で全てを食べた。こちらはまだ息を整え終わったところなのですが。
私の献立構築の悩みは買い出しの時から始まる。冷蔵庫を開ければ賞味期限と睨めっこ。家族の栄養を考えて、できるだけ品数を増やしてと、真面目に考えるほど、どんどん視野が狭くなって苦しくなってしまう。
夕食に朝食顔の鮭定食や昼食顔のハンバーガーが出るなんてかわいいもんだ。締め過ぎたネジはある日弾け飛び、脳内で夏祭り風屋台メニューだの、家で食べるピクニック弁当だの、スパゲッティ祭だのが暴れ狂う。今は頭にホットケーキデコレーションバトルという単語がよぎっている。心の土井先生も「負けへんで」と臨戦態勢だ。
今夜も夫と娘は厄介な執念とトンチキな思いつきに振り回され、私のスイッチが切れるまで待つことになる。申し訳ない。でも突然夕食をホットケーキにして、変なごはんだねと笑い合うのも楽しいじゃないか。
せめてものトマトがお皿に乗っているかもしれないけど、娘は喜ぶだろう。
ひとつ心配があるとすれば、娘の中でホットケーキが夕食顔になってしまうことだけど、それが「特別な夕食顔」になるなら、それもいいかなと思う。
鮭定食だって、誰かが朝食顔にしたのだ。
それがうちではホットケーキデコレーションバトル。
我が家の夕食は百面相。
さっそく脳内の9割が持っていかれそうで危険だ。
夫は言うだろうね。
「また始まった」
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いつも一人相撲にお付き合いくださり、ありがとうございます。
おかげさまで、楽しい記事が書けます🍩