正しいだけの文章じゃ、つまんない
たった4日で120名を超える方にフォローしていただくことができました。
本当にありがとうございます。
そして私もこの4日間で、沢山の方の記事を読ませていただきました。
noteの記事を読みたいと思うかどうかは、ある程度タイトルで決まると思います。
しかしタイトルに惹かれて読んでみると、「あれ、なんか違う」と思う記事に出会うことも結構ありました。
タイトルと記事内容の間にあるギャップは、
やはり生成AIの力が大きいなぁと感じています。
というのも、私は普段から仕事で生成AIで大量の文章を作成しており、「あ、この文章生成AIで書かれてるな」というのが、大体一目でわかってしまうのです。
タイトルは興味深いのに、中身が生成AIだけで書かれている文章を見ると「なんか空っぽだなぁ、、、」と感じてしまいます。
生成AI自体を否定しているのではありません。
AIを使ってnote記事を書いている人は実際沢山いますし、その中でも面白い記事はたくさんあります。
では、生成AIを使っていても面白い記事と、生成AIを使っていて面白くない記事との間には何の差があるのでしょうか?
それは本人の思考の偏りが反映されているかどうかだと思っています。
偏っているということはそれだけ普通と離れているということなので、その差分が面白さを生む要素になると私は思います。
私がこの数日記事を読んでいて感じたのは、若い人ほど生成AIに頼った文章を書きがちということです。
特に私と歳が近い20代から30代の方はかなり生成AIを使って文章を書いているなぁと感じています。
それはおそらく、昨今のSNSの普及により、「正しいこと」を言わないと、炎上したりさらされたりするというリスクが当たり前の時代に生きているからかなと思いました。
そんな状況が当たり前の中で、偏ったことを言うことに抵抗がある人も多いのではないかと思います。
でもそれが個性だったり、その人らしさを表現するんですよね。
ちなみに、このアカウントで発信している記事は生成AIを使わずに自分の言葉だけで書いています。
生成AIを使って綺麗な文章を書くこともできますが、それだとやはり自分らしさが失われてしまうんですよね。
ちょっとした語尾の言い回しだったり、使う言葉であったり、生成AIがいくら私の特性を学習しても完全に私になることはできません。
正しい文章を書くことは、その分面白さを捨てることになるのかなと思います。
最初は文章が稚拙だっていいじゃないですか。
たくさん書いてたくさん失敗して、その失敗をもとに自分なりの文章を改善していくのが大切なのではないでしょうか?
noteのいいところは、そんな試行錯誤の過程も暖かく見守ってくれるプラットフォームであること(ユーザの民度が高い)だと思います。
生成AIだけで文章を書いている人は、一度自分だけの力で、まずは文章を書いてみるのはどうでしょうか?
