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「無理です」と言われた瞬間に消えた希望——家で過ごしたかった父と私の思い


医療を受ける側 と 医療を提供する側 のすれ違い

「家に帰りたい」という願いは、医療の場ではしばしば【難しい希望】として扱われてしまいます。
けれど、その願いの背景には、病気の進行や年齢だけでは測れない大切な思いが込められているのだと、父の最期を通して深く感じました。
この経験は、医療者と家族のあいだに生まれる「わずかなすれ違い」が、どれほど大きな選択の差につながるのかを教えてくれたものでもあります。

「帰りたい」と言った父の声が、私たちに灯した小さな希望

慢性閉塞性肺疾患(COPD)で長く入退院を繰り返していた父は、89歳。
酸素マスクが欠かせない生活となり、母も80歳を超えて介護を続けるには限界が近づいていました。家庭と仕事の両立に精一杯だった私も、揺れる気持ちを抱えながら毎週2時間かけて見舞いに通っていました。

そんな中、在宅酸素療法や訪問医療の存在を知り、「家で過ごす」という可能性を家族で話し始めました。
病室で動画を見ながら、「できるのかな」と言い合うその時間は、閉塞感の中で唯一、未来が開けていくように思えた瞬間でした。

「帰ることもできるかもしれないよ」と父に伝えると、
彼は迷いなく「帰りたい」と言いました。
その一言が、私たちにそっと灯った小さな希望でした。

「無理です」で終わった面談——届かなかった私たちの願い

希望を抱え、主治医に相談した日のことは、今も鮮明に覚えています。
「父は家で過ごすことを望んでいます。在宅医療で支えていただくことはできますか?」

返ってきたのは、静かだけれど迷いのない否定でした。
「すぐにまた入院になるでしょう。お母さんにすべての負担がかかります」
「退院したいなら止めませんが、再入院はできない覚悟が必要です」

言葉を重ねるたびに、可能性がひとつずつ閉じられていくようでした。
父は黙り込み、母は不安そうにうつむき、私はその場で何も言い返せませんでした。

「本当に無理なのだろうか」
「ほかの選択肢はなかったのだろうか」

あの面談が、父の願いと私たちの希望が途切れた瞬間でした。

後悔が教えてくれた——選べるように支えることの大切さ

その後、父は病院で最期を迎えました。
「一度外泊だけでも」と考えたことはありましたが、主治医の言葉がずっと心に残り、踏み出す勇気が出ませんでした。

5年が経ち、私は在宅酸素や訪問医療、地域の支援体制について少しずつ知るようになりました。
そこで気づいたのは、「知らなかった」ことが選択を奪っていたという事実です。

医療やケアにはもっと多くの可能性があります。
「できません」で終わらせるのではなく、
「どうしたらできるか」を共に考える時間があれば、
家族の迷いは少なくなり、本人の思いに寄り添う選択ができたのかもしれません。

今は85歳になった母と、「どこで、どんなふうに過ごしたいか」を日常の中で話すようになりました。
次に向き合う支援の場では、
「無理です」ではなく、「一緒に考えましょう」と言ってくれる医療者と出会える未来であってほしいと願っています。

納得した治療を選択する とは

父の最期から学んだのは、医療の選択肢そのものよりも、選べる状態にしてもらえるかどうかが、患者本人と家族の後悔を大きく左右するということでした。
意思決定支援は、医療者の負担を増やすためではなく、患者も家族も、そして支える側も、納得して前に進むための大切な営みだと思っています。
この経験が、同じように揺れる誰かの支えにつながっていくよう願いをこめて、私はこれからの対話を大切にしていきたいと感じています。

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