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生きるコツ4月12日「江口寿史先生が描くヘッドフォンの女の子と今どきのおばあちゃん」

 昨日も朝から動画編集だ。
 編集作業を行ってるのは近所の「ヴェローチェ」である。
 コーヒー一杯300円の大衆カフェだ。

 ここはもはや私にとっての仕事場である。長い時間、長い期間いるといろんなことに気づく。大体、客の6割近くが常連さんで座る席も着ている服も日々同じだったりすることにも気づいてくる。

 年配の客の姿も数多い。
 覗くつもりないのだけれど、何をして時間を費やしているのかすぐ分かる。読書する人、勉強してる人、競馬新聞を読み研究している人、クロスワードパズルをやる人、数独をやる人、YouTubeを観る人、編み物をしてる人、、、etc.

 大体、こんな感じ。定年後の余生における膨大な時間との闘いを垣間見る思いだ。よく定年後は「妻とゆっくり旅行でも」なんてセリフは一度や二度あらず、キャバクラにおける「血液型何型?」というトークのごとく、ごくありふれたものだが、この「ゆっくり」も余りある時間の前には一瞬にして過ぎ去ってしまう。

 余程の金持ちでもない限り、クルーズ旅行も出来やしない。クロスワードパズルでもやってないと時間を潰せないのだろう。YouTubeを観るってのも中々今どきだ。うちの親は韓国ドラマを何周も観てるぐらい動画コンテンツは都合がいいのだろう。

 皆さん、ワイヤレスのイヤホンをつけながら見てるのだが、先日初めてヘッドフォンを付けたご婦人を見かけた。年の頃はもう75歳ではないだろうか。その違和感たるやちょっとした新鮮さがあるほどだった。私の中のおしゃれヘッドフォンというと、江口寿史先生が描くヘッドフォンが似合う女の子イメージだ。

 ヘッドフォンとは自分の世界に入り込む装置であり、それは何か若者を象徴する何か、だとずっと思ってきた。それだけに年配女性のヘッドフォン姿に衝撃を受けた。考えてみれば年寄りになれば耳も悪くなるのだからむしろ補聴器としてのイヤホンを付けるのが当たり前だ。ヘッドフォンだってつけてて何が悪いんだって話である。

 未だに自分が子どもの頃の年寄りの姿を引きずってるものである。私の中のばあちゃんなんだから明治の人である。明治(生まれ)の70歳と令和の70歳ではそりゃ違うわな。おっぱいだってきっと垂れ下がってないだろうし、背中だって丸まってない。(昔は田植えのせいかすごい腰の曲がり方をするばあちゃんがいたものだ)

 今どきの70歳ならビートルズは聴くだろうし、テレビゲームだってやるだろうし、漫画だって読むだろう。とかく「昭和のバラエティー」的な懐古主義な企画はよく目にするが「明治のばあちゃんと昭和のばあちゃん」も中々比較対象としては面白いものだ。あと、20年で私もそっちの住人だ。だから目に付くのかもしれないな。

 さて、今日もがんばるべ。

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島津秀泰(放送作家・SNS運用代行・企画戦略) 宜しければサポートをお願いします。あなたの応援を、私のエンジンにさせてください。