丁寧に話すほど「日本人」になる。カジュアルになるほど「外国人」が出る
面白い話を一つ。
僕は日本語を話していて、「お前もう完全に日本人じゃん」と言われることがあります。で、いつ言われるかというと、だいたい丁寧な対応をしているときなんです。
敬語を使っているとき。ビジネスの場で受け答えしているとき。改まった挨拶をしているとき。そういう場面で、よく言われます。
逆に、友達とリラックスして話しているとき。気を抜いてカジュアルに喋っているとき。こういう場面だと、ときどきイントネーションがふっと上がったり下がったりすることがあって。「あ、今のは外国人だったな」と自分でも思います。
普通に考えると、これ、逆だと思いませんか。
リラックスしているときの方が自然に話せそうなものですよね。でも僕の場合は、丁寧モードの方が完成度が高くて、カジュアルモードの方が素が出る。
たぶん理由はこうです。
丁寧な日本語には、型があります。決まった言い回し、決まった順序、決まったトーン。型通りにやればいいから、ブレにくい。振り付けが決まっているダンスを踊るのと似ています。
一方、カジュアルな会話は即興です。型がない。自由な分だけ、無意識の自分が出やすい。即興のダンスで素が出るのと、同じことなんだと思います。
ここから分かったことが一つあって。
敬語や丁寧語は、実は外国人にとって武器になるんです。
多くの人は「敬語は難しい、カジュアルな方が楽」と思っています。でも僕の実感は逆で、型があるからこそ安定する。まず型を完璧にして、そこから崩していく。この順番の方が、最終的にはカジュアルな会話も上手くなります。
先にカジュアルから入ると、型がないまま自由に泳ぐことになる。それだと、いつまでも「惜しい日本語」から抜けられない気がします。
この話は、今度もう少しちゃんと書こうと思っています。間の取り方とか、相槌の話と一緒に。
今日はここまで。
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