「日本人になれない」から「日本人に最も近い外国人」へ。名前を変えた理由
noteの名前を変えました。
「日本人だけど日本人になれない」から、「日本人に最も近い外国人」へ。
小さな変更に見えるかもしれませんが、僕にとってはけっこう大きな決断でした。今日は、なぜ変えたのかを書きます。
「なれない」という言葉に、ずっと引っかかっていた
最初にこの名前をつけたとき、正直な気持ちをそのまま出したつもりでした。
日本語を16年やってきて、初対面ではほぼ日本人だと思われる。でも、自分の中では「日本人にはなれない」という感覚がずっとある。その矛盾を、そのまま名前にしました。
嘘ではありません。今でもその感覚はあります。
でも、しばらく使っているうちに、気づいたことがあって。
「なれない」という言葉は、否定なんですよね。届かなかった、という響きがある。読む人によっては、少し暗く聞こえるかもしれない。
そして何より、自分でこの名前を毎日見ていると、自分に「お前はなれないんだ」と言い聞かせているような気がしてきたんです。
これは、僕の完璧主義とつながっている
なぜ「なれない」と書いてしまったのか。考えていくと、これは僕の性格そのものとつながっていました。
僕は、けっこう自分に厳しいところがあります。完璧にできないと、「できていない」と思ってしまう。95%できていても、残りの5%に目が行く。その5%ができないと、全部ダメだと感じてしまう。
「日本人になれない」も、これと同じでした。
95%は日本人と同じところまで来た。でも、100%完璧な日本人にはなれない。だから「なれない」と書いた。95%を見ずに、届かない5%だけを見ていたんです。
これは前に書いた「自分で足した5%」の話とも重なります。以前、こんなことを書きました。初対面の人はほぼ100%、僕を日本人だと思う。誰も僕を外国人だと思っていない。なのに、自分だけが「でも自分は日本人じゃない」と、勝手に5%を引いていた。その引き算を、名前にまで持ち込んでいたんです。
完璧を求めるのは、悪いことばかりじゃありません。だからこそ16年やってこられた。でも、その完璧主義で自分を否定し続けるのは、そろそろやめてもいいのかなと思ったんです。
外国人を取り巻く空気が、変わってきている
もう一つ、これは少し社会的な話になります。
いま、日本の中で、外国人の立場や見られ方が変わってきていると感じます。制度も変わり、議論も増え、風当たりが強くなる場面もある。日本で暮らす外国人として、それを肌で感じることがあります。
こういう時期だからこそ、僕は下を向きたくないと思いました。
「なれない」と自分を否定する名前で発信し続けるより、「最も近い」と、自分がたどり着いた場所を肯定する名前でいたい。同じように日本で言葉と格闘している人に、少しでも前向きな景色を見せられたら、と思ったんです。
「最も近い」は、否定ではなく到達
「日本人に最も近い外国人」。
この名前は、「なれない」とは向いている方向が逆です。
「なれない」は、届かなかった場所を見ている。 「最も近い」は、たどり着いた場所を見ている。
僕は外国人です。それは変わりません。パスポートもフィリピンのままです。でも、その僕が、日本人に「最も近い」ところまで来た。この事実は、否定するものじゃなくて、誇っていいものなんじゃないか。そう思えるようになりました。
完璧な日本人にはなれない。でも、外国人として、日本人に一番近いところに立っている。この立ち位置こそが、僕にしかないものだし、僕がこれから書いていくことの土台です。
名前は変わっても、書くことは変わらない
名前は変えましたが、書く中身は変わりません。
日本語のこと、言葉のこと、二つの国のあいだで生きること。16年かけて拾ってきたものを、これからも書いていきます。
ただ、その景色を、これからはもう少し前を向いて書きたい。「なれなかった」ではなく、「ここまで来た」と。
新しい名前で、またよろしくお願いします。
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