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#31 「〜しなければいけない」と思った瞬間、行動の主体は誰になっているだろうか

昨日は、
私たちは日々、
どんな言葉を自分に聴かせているのか、
という問いについて書きました。

今日は、
その言葉の中でも、
私自身にとってとても大きな気づきをもたらした
一つの表現について考えてみたいと思います。

「〜しなければいけない」

この言葉を、
私たちは驚くほど自然に使っています。

仕事でも、家庭でも、
自分自身に対しても。

「早く返事をしなければいけない」
「結果を出さなければいけない」
「期待に応えなければいけない」

言い換えれば、
ほとんど無意識に、
この言葉を自分に浴びせながら
日々を過ごしているのかもしれません。

けれど、
あるとき私は、
この言葉を使った瞬間に、
ある変化が起きていることに気づきました。

「〜しなければいけない」

そう思った瞬間、
行動の主体が、
自分ではなくなっている。

誰かの期待。
誰かの基準。
誰かの評価。

理由ははっきりしなくても、
少なくともそこには
「自分が源である」という感覚が
薄れている。

そんな違和感でした。

もちろん、
やるべきことが消えるわけではありません。

予定はあり、
役割もあり、
責任もある。

けれど、
「やる」という行動と、
「〜しなければいけない」という言葉は、
同じではない。

そう感じるようになりました。

7つの習慣で語られる
「主体的である」という言葉は、
行動の強さや決断力の話として
読まれがちです。

けれど、
私の体感ではそれ以前に、
言葉の選び方の話でした。

どんな言葉で、
自分を動かしているのか。

その言葉は、
自分を源にしているのか。
それとも、
どこか外側に委ねているのか。

「〜しなければいけない」という言葉を使った瞬間、
私はいったん立ち止まるようにしています。

そして、
こう問い直します。

「これは、本当に自分が選んでいる行動だろうか?」
「もし自分が源だとしたら、どう言い直すだろうか?」

すると、
不思議と同じ行動でも、
感覚が変わってくることがあります。

主体的であるとは、
やることを減らすことでも、
責任を放棄することでもありません。

自分の行動を、
もう一度
自分の手元に取り戻すこと。

その最初の入口が、
「どんな言葉を選んでいるか」
なのだと思います。

もし、
今日一日の中で、
「〜しなければいけない」と
自分に言っている場面に気づいたら。

少しだけ、
立ち止まってみてください。

その瞬間、
行動の主体は、
誰になっているでしょうか。

答えを出さなくても構いません。
変えようとしなくてもいい。

ただ、
気づくこと。

それだけで、
世界の見え方が
ほんの少し変わることがあります。

明日は、
今日はあえて
答えを出さない日にします。

問いを持ったまま、
日常に戻るための
小さな余白について書きます。

今日も、小さなつぶやきをひとつ。
あなたの一日に、ほんの少しの余白を。

今日の言葉が、
あなたの歩みを、
ほんの少し確かなものにしますように。

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