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言葉にすると足りなくなる人

ずっと親友のことを言い表す言葉がなかった。
便宜上、親友と呼んでいる。
言語化すると嘘になるというのは
こういうことなんだなと痛感する日々である。
「親友」と言うと足りない。
他の人に親友のことを話す度に
必ず聞き返されたのは
「恋人?」という言葉だった。
毎週日曜日だけ出勤が朝からになる。
本当に朝が苦手な私は
いつもモーニングコールをしてもらっていた。
帰宅するタイミングで
何時から電話を繋げるのか?
LINEでやり取りをし始め
お風呂上がりの時間を予測して、報告していた。
電話をつなげながら家事をして
ご飯の時間はいつもくっだらない話で
爆笑するか、ひたすらに愚痴を言い合った。
ご飯を食べている姿をみて
彼女は「いっつも幸せそうに食べるよな」なんて
言ってくれていたものだ。

この話を何気なくすると
どんな人からも
「え、恋人?」と言われたのだから
あながち間違ってもないのかもしれない。
でも、恋愛感情ではなかった。
それはお互いに。
そのはずなのに
歳とってもお互いパートナーいなかったら
結婚しようぜー!なんてことを
一週間に一回くらいの頻度で
言い合っていた。

いつもあったかかった。

何度、あなたのためという
仮面を被った凶器から
守ってくれただろう。
仕事で打ちのめされて、泣きながら話しても
夜遅くなってもずーっと話を聞いてくれていた。
私も彼女が仕事で
どんな人と上手くいかないのか知っていた。
心のパートナーではあったのかもしれない。

「家族」かといえば
そうでもあったけど、
ちょっと違う。
正直、血縁の家族よりもずっと近い。
他人にはいえない家族・親戚関係の
トラブルとか愚痴とかほぼほぼ共有してた。
家族だからこそいえないことも全部。
この子がいたら、私は結婚せんだろうなぁと
ぼんやりといつも思っていた。
もはや共依存している部分もあったと思う。

でも、たぶん彼女の方が
結婚するなら早いだろうなとも。

なにせ、情熱的なのだ。
告白した、告白されたというのは
学生時代からちょくちょく聞いていた。
こう!と決めたら猪突猛進!
誰よりもはやく駆け抜けていく。
と、思えば
臆病でこわがりなところもあるから
憎めないのだ。
なんだか
私のイメージする
松本潤の寂しがり屋のキングと似ている。

CDを取り込んでから、
ずっと聞かずにいた「ガラス花」を
今日、たまたま再生した。

SixTONESは昔、
遠いお兄ちゃんのような存在だったけれど、
社会人になってからは、
勝手に同志のように思っている存在だ。
コンサートで彼らと会ったことで
青春と今が混ぜこぜになってきている。

だから、なんだか聞く気になれずに
ずっと寝かせていた曲たちに
会いに行くことにしたのだ。

きっと余白がある今だからこそ、
隣にきてくれた曲だ。

なぜだか耳元で囁かれている気がした。
夜の部屋が間接照明だけで照らされ、
ソファーに座りこんで
ボソッと弱音を打ち明けられた気分になった。

その空気感が、あの子と過ごしてきた
数えきれないほどの時間の匂いがしたのだ。

さよなら
僕もガラス花
空に放つ春よ
届いてくれ
ありがとう
忘れられないや
僕のこと笑ってくれよ

松村北斗「ガラス花」より

そして、ふっと歌詞が蘇ってきた。
ウィキッドの歌詞が。
違うタイミングで
社会人になってから
それぞれ東京と大阪でみた作品でもあり、
小学3年生の頃に
私が人生で初めて観劇した作品でもある。

Because I knew you,
I have been changed for good

ウィキッド「For Good」より

あえて言葉にするなら、
For Goodな関係だったと思う。
日本語として定義するとなんだか違うと思うのに
この歌詞、この英語でなら
ちょっと許せてしまう不思議。
言葉が見つからなくて
時にはもどかしく思っていたのに
言葉に救われている。
言葉より大切なものがたくさんあるけれど、
言葉には不思議な力があって、面白い。






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