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Guitar0910

Universe(Savage Garden)から飛び火で浮かんだ曲シリーズ。今回は中森明菜さんの「飾りじゃないのよ涙は」。(どうやら今後の練習チャンスは週末らしい。)

この曲は「いつか恋人に会える時 私の世界が変わる時」と言っているので、正式な(?)交際をしたことのない、しかし「速い車に乗っけられ」て「急にスピンかけられ」たり、「投げKiss 受けとめたり投げ返したり」して、お遊び的なかりそめの異性との関係を、あんまり心底楽しんでいるようには思えないんだけど繰り返している女の子が、「泣く」という行為や「涙」について語るという内容。
語り手は「悪女(中島みゆきさん)」の女性に似ている感じ。孤独を抱えていて、異性に見られることで自己肯定を得ようとしているところがあるんだけど、安定的なパートナーシップに至らない。そして、派手な感じの異性、同性の友達と、互いにマウントをとりながら(?)不自然な感じで繋がっている、というか、実際きちんと繋がっていないからどんどん(同性友達も含め)相手が変わっていく、、わけなんだけど、それがさらに孤独(が埋まらないだけなくその隙間を)を強めるという結果を生む負のサイクルに、、というのは私の視点なのかな。実際は楽しくやっているところもあるのかもしれないし。でも、語り手もそういう生活の中では「泣いたことがない」「泣いたりするのは違うと感じてた」と言っているし「瞳の奥の涙は隠していたから」っていうのもあるから、やっぱり強がって無理をしているのか??

しかし疑問なのは、本当の恋をして恋人に会えた時に初めて泣ける(気がすると語り手が言っている)っていうのは、これまでずっと、自分にすら隠していた涙を流せる、つまり、私からすれば重い鎧を脱げるーダレンがバキバキに染めていた黒髪からナチュラルなブラウンヘアに戻ってあんなに穏やかに語れるようになったようなありのままの自分でいてもいいと思えるようになるような、自分を受け入れてくれると思える相手・関係への信頼を得られた時なわけだから、それって本来ポジティブなことであるはずなんだけど、「ちょっと悲しすぎるのよ涙は」で曲が閉じられているところなんだよね。

涙については「飾りじゃない」「真珠じゃない」「きれいなだけならいいけど(ちょっと悲しすぎる)」と言われているから、一般的には真珠みたいにきれいで装飾品のように女性を引き立てもするアイテム(?)として認識されているけれども自分はそうは思っていないという主張があるんだけど、これって結局自分は(そういう悲しすぎるものを避けたいから)涙を流したくない、つまり「本当の恋」をしたくないっていうことなの???
あ、でも「本当の恋」を切望しながらも、自分がそんな恋や恋人には出会える見込みが到底ないと思っているのだとしたら、それは「悲しすぎる」こととも言えるのか。でもそれってこの語り手本人の発想としては出てこなさそうだし、何よりそれだと「悲しすぎる」の対象は「涙」にはならない(彼女の性(さが)だよね)。

うーんちょっとにはお手上げでした。井上陽水さんの曲だったんだね。

ちなみに中森明菜さんは高校の時のCocco好きの友達がしばしば歌っていたんだった。大学の時のCocco好きの友達は全然歌わなかった。


抹茶風味。味変で飽きないようにしないとね。備蓄はきちんと使い切る。無駄は嫌い。無駄にしない。
レンズ豆であんこを作って入れてみた。見えないけど。
鳥頭で期限まで存在を忘れていたシュークリーム。当然全て一気に食べた。おかげでその後ちょっと眠れた。

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