Guitar1105
今回の「その日の歌」はケンとメリーの「愛と風のように」。これもラジオで聞いてサウンドが好みで確認→スクリーンショットを残していたもの。
私は旅が好きで学生時代には友達と一緒に海外を中心に、就職後、特に周りが結婚出産し出した頃からは一人で海外も国内も、時間さえできればすぐに出かけていた。
日常の世界から抜け出し、知らない土地や人、風土に触れるのは面白い。そして動きが止まって時間が停滞し余計なことを考え始めてしまうのを防ぐため、長期休みには欧州や(欧州でテロがちょくちょく起きるようになってからはリスク回避のため)ニュージーランドへ飛ぶのが定番だった。
高校時代に先生から図書館の存在を思い出させてもらい、家を抜け出て過ごす場所や術を知った私は、それ以来ずっと「外篭もり」状態だった。部屋はただの物置きと寝に帰る場所という感じで、大学へ入り独り暮らしを始めてからも、学生時代には大学図書館に入り浸っていたし、就職後もまずは職場で過ごす時間が長く、その後にも趣味で買っていた定期でわざわざ電車に乗り違う街のデパ地下やお気に入りスーパーへ連日通って買い食いしたり外食したり、はたまた街の図書館で過ごしたりしていた。
それが今はろくに外出も、勿論遠出もせず、ほとんどを部屋で無駄に過ごしているというのだから皮肉なものだ。
私にとっては部屋はずっと、ただの無機質な場所(大学以前は地獄)だったから、よく言われているような寛ぎや癒しの空間的な快適な仕様には全くなっていないし、そうする術も私は知らない。本当にただ、いるだけの不毛な時間と日々。身辺整理は続けているけど決して順調ではない。
鳥のように風に乗って、行きたいところへ自由に飛べる暮らしは終わってしまった。
あとは風のように、形を残さず去る、その形を整える。
ところで「愛と風のように」って、「愛」と「風」が近似のものとして並列になっているのかな?それとも別?
「愛と風のように」は「出かける」にかかっているのではとは思うんだけど、そして「心はあるのかい愛はあるのかい」っていうのは「歌っている」風に対して問いかけているように思えるんだけど、、
心も愛もその中に存在しているのかわからない風と語り手としては存在を確信している愛という組み合わせなのか、それとも語り手としても存在に懐疑的な愛との組み合わせなのかで全体のイメージががらりと変わる。
全体的にサウンドも穏やかで優しい感じだから、おそらく前者なのではとは思うんだけれども、私も鳥時代(アルバム"Affirmation"を制作していた時期)のダレンも後者になるだろうな。
「"愛と"風のように」出かけるってどういうことなんだろう?その感覚はいまいち私にはピンと来ないんだけど、
風のように自由で縛られない、変な形も後腐れもない愛が存在するのなら、それは良いね。
この曲からはボブディランの"Blow in the wind"と何故かBeckの"Loser"が想起された。"Blow in the wind"はまあわかるけど、"Loser"が意味不明過ぎる。歌詞的にも遠いし調もコードも違う。野鳥脳の謎は深まるばかりだ。。



