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NOTHING to write on the Star Festival day(短冊に書けることは何も無い)

七夕。短冊に書く願いは無い。望みなど叶わないのだから、あえて非生産的なことなどしまい。

将来の夢などというものも無い人生だった。少なくとも小学校以降は。あまり記憶の無い幼稚園の頃の園の成長記録ノートのようなものには「およめさん」なんて書いてあることもあったけど、当時は何をどう考えていたのだろうか。

何にも誰にも(自分を含め)期待をせず、就きたい職業も無く、まともに就活すらしなかったけれども、たまたま縁のあった仕事をずっと続けてきた。コロナ前はそれなりの環境で自分になしうることと必要とされることもマッチしていたし自分なりにコンデションを調整しながら勤めていた。そしてライブがあれば可能な限り(連日でも)飛んで行き、海外には年に1、2度、2週間位飛び、プラス京都を中心に国内も乗り鉄旅をし、都内でも食べたいものを食べにあちこち出歩いていたし、特に用事がなくても電車に乗るために出かけ、買い物の予定もないのにデパートをふらつく(結局お菓子などを買う)などしていた。けれども全て無くなった。

お前が悪い、出て行け、死んでしまえと言われ続け、刃物を突きつけられても生き残ってしまって、飛び出て行き着いた先(大学)は安全で色々な方に大切にしてもらえたのと、余計なことを考えないようがむしゃらに学び予定を詰め込み動き続けた、加えて特に仕事との兼ね合いでは死んではいけないという理由があったことで、終わりを選択する必要もなく惰性で生きてきてしまったけれど、その防波堤も崩壊した

私の社会的使命は既に終了したこの社会や環境の中でなしうることはもう何も無い。そして社会や環境が変わる見込みも無い。それは自分も同じことである。
自発的には繋がり得ない生を繋ぎ止めてきたのは外的要因だった。外的要因が無くなったのだから、リンクが切れるのは自然なことであろう。

早く手放そう。
箱を開ければ開けるほど物が出てきてその度に途方に暮れるけど、使い切れないものを、何も言わずお世話になった方々に譲っていこう。きちんと使ってもらえたほうが、物だって嬉しいだろうし、喜んでもらえれば私も嬉しい。少しでも恩を返せれば、それも嬉しい。
根本から信じることはできなかったけど、それは相手ではなくこちら側の要因だし、それでもそれなりの信頼はしていた。何より良くしていただいていた方々だ。何も言うまい。私にだって心が無いわけではない。あえて悲しませるようなことはしたくない。
最後がありがとうになれば、それが今取りうるベターな選択。感謝を形にして仕舞っていこう。


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