散文「レアード・ハント『優しい鬼』」
この小説に登場する人々はどこか優しさを感じさせてくれる。
残虐な行為に対して、加害者であっても被害者であっても、多くの人々はどこかに救いのある優しさを秘めている。しかし、その中で因果応報ともいえる非業な死を遂げたライナス・ランカスターだけは優しさを内包するように思わせない異質な存在であるように描かれてはいないだろうか。
この小説には多くの死が描かれる。列挙するなら概ね左記のとおりだ。
序章(深い井戸)1830年
家畜(熊に殺される)
赤ん坊(井戸の深い穴に落ちる)
優しい鬼(畑と花)1911年/1850年代/1861年
豚(ライナスとジニーの家族に食われる)
アルコフィブラス(ライナスに鞭打たれ絶命)
ライナス・ランカスター
(ジニー?に首をナイフで突かれ、死体は鼠に食われる)
かの女(馬に頭を蹴られて死亡)
ロウソク物語(彼女たちはどこへ行ったか)1911年/1861年
クリオミー(プロスパーの産後死亡)
ルーシャス(闘う者)1912年
ジニー・ランカスター(ルーシャスに看取られて死の予感が漂う)
この内、特筆して死が凄惨に描かれているのはアルコフィブラスとライナスである。そして、ライナスに関しては情を訴えるような記述が見られないのが特徴的に思える。ライナスのジニーに対する振舞い、ジニアとクリオミーに対する夜の行為、アルコフィブラスを死に至らしめる体罰などの経緯が相まって、楽園を支配する者たるライナスをに同情する読者は少数だと思われる。
ただ、物語の概ねの舞台となる楽園が作られた発端はライナス・ランカスターにある。ライナスはいったいこの楽園で何を夢見たのか。王さまのように儲けたライナスは十四歳のジニーを見初め、楽園に招き入れ、自分の独裁的な世界に引き込む。
章の冒頭で引用されるシェークスピアの『テンペスト』の有名な一節である〈我々は夢と同じ物で作られており、我々の儚い命は眠りと共に終わる〉を思い出させるようにライナスは夢で見たように豚を放ち、楽園を虚実入り混じる奇異なる楽園に独裁的に作り上げていく。ライナスが儚い命を不意に奪われるまでその楽園を壊す因子は入り込まない。いや、いた。たった一つ、ライナスの楽園を破壊するような因子が入り込んでいてアルコフィブラスはその因子を招き入れたことで死に至る体罰を受けることになった。アルコフィブラスが言いつけを破ってベネットを楽園に入れ、かつ楽園でライナスの(王の)空間を所有させたことをライナスは承知できなかった。
アルコフィブラスの死が契機となり、楽園は崩壊する。ある朝、ライナスの首のうしえおに豚突きナイフが立てられ、ライナスは死ぬ。ライナスにナイフを立てたのは私だとかの女にジニーは告白するが、ジニーがアルコフィブラスとライナスの死の合間に体感する時間は非常に跳躍的で敢えて精緻な描写が避けられているので、苛烈な態度を取るジニアによってナイフは立てられたのではないか――などの憶測は立ってくる問題だろう。(土地に食べさせてもらう、と語ったライナスはその土地に住まう鼠に食べられる場面も皮肉が効く場面であろう)
しかし、ライナスが誰に殺されたのか、という疑問をこの小説は重要視しない。その懐疑を持ち込むよりも、「楽園」に読者一人ひとりがその足で立ち経験することをこの小説は望む。
死の溢れる物語の数々の中に、プロスパーという青年が名前の通りすくすく育った(正しい意味ですくすく育った)物語に大きな希望を与えてくれる。(余談だが、プロスパーの名前は否応なしに『テンペスト』のプロスペローを想起させる)けれど、あくまで『優しい鬼』は正しいことと悪を比較しない。正しいことと悪は混在して、その混在を抱えながら人生を闘う者たちの世界を体験させるために小説の扉は開かれているのだろう――。
