演じることは生きるための術なのかもしれない
今日も、心の奥底にいる鬱々とした自分をちゃんとしまい込んで、無事に上演終了。
そんな調子で生きてきて40数年。
いやもう、癖になってて。もはやそれも自分なんじゃね?とすら思っているけど、それでもやっぱり1人きりになったときにやっと心置きなく根暗モードになれるんだよな。思考の沼にはまる時間が、もっとも私が私らしくいられる時間。そのときの表情なんておそらく能面。これは娘にも見せられない。最近は、冷房をかけている部屋に集まって過ごしているから、能面タイムがなかなか取れなくて何気にストレスがたまっている。
子どもの頃、心の声が世界に丸聞こえだったら終わるわって、一度は考えたことありませんか?もれなく私もその1人。聞かれちゃまずいようなこともぐるぐる考えてた。一方で、ちゃんと伝えたほうがいいと思われるようなことは言えずにいる子どもだった。
本音はいつも心の中でつぶやいていたし、母親にも話したことはない。話すと怒られるって分かりきっていたからな。
今でも何でも話せる親友に対してすら、どこか気を使ってしまう。本当の心内を話そうとすると、ネガティブ発言ばかり聞かせてしまって申し訳ないなという気持ちになる。
だから人と接するときは、楽しいことくだらないこと好きのエンタメ担当の私を招集する。発する言葉に嘘はないように心がけているけど、表向きのテンション部分では必ず演技がかってしまうのがやめられない。なるべく重たくならないように気を使う。そしてあとから気疲れするまでがセット。
自分らしくいたいと願っているけど、能面の私ではたぶん仕事も務まらない。社会貢献したいとゆう思いもなくはないけど、本来ならなまけものの私は、本当は毎日昼寝して、誰かが作ったご飯を食べて、ネトフリ見まくって、好きなだけ本読んで暮らしたいと思っている。
やりがいを持って仕事に取り組む自分、家事をこなして母親やってる自分。そういう色んな自分を演じていないと生活が成り立たない。かりそめの姿と本当の姿のあまりの落差に、辟易する毎日だけど、生きるためにはしかたがない。
子どもの笑顔や、心の通った作品たちにすくい上げられて、毎日演じることができている。ありがたいでしかない。
みんなそうやって毎日頑張って生きているのかもしれないね。
今週もお疲れさまでした。
