運
私は運のいい人間です。いや、運が良いと思い込んでいる、と言った方が適切かもしれません。
「言霊」という言葉があるように、言葉には大きな力があると感じます。「私は運が良い」と言えば、本当に運が良い気になります。いくらか悲観的にならずに済みます。自分は運が良いと思い込むようになってから、「運が良かったな」と思った出来事(=嬉しかった出来事、よかった出来事)に目が向くようになりました。自分でも本当に単純だなと思います。悪いことに目を向けるより良いことに目を向けていた方がとりあえず幸せでいられます。
さらに言い換えれば、「運がいいことにしている」とも言えるかもしれません。高校受験、大学受験で第一志望の学校に入学した時も、部活の試合で勝った時も、「運が良かった」とよく言っていました。逆に、テストで悪い点を取ったり、試合に負けた時は「まあ私の実力ならこのくらいが妥当だろう」と考えることが多い気がします。いい出来事の時は運がよかったことにして、悪い出来事の時は運ではなく自分の実力がその程度だったということにして、自分自身を都合よく「運のいい人間」に仕立て上げています。そうすることで、自分の実力に期待しすぎたがゆえに自分自身に失望する、なんてことが起こらないようになります。失敗や挫折から心を守るには都合がいい考え方です。
自分自身を「運のいい人間」に仕立て上げることで、自分の実力を過大評価することは減りました。しかし、それは低いレベルにいつまでも身を置き続け、その状況を受け入れ、満足している状態ともいえます。失敗や挫折を経験した際に後退しないようにする考え方であるだけで、そこに前に進む推進力はありません。だから、成功を運のおかげにし続けることも、まるっきり素晴らしい考え方とは言えません。
ただ、「運がいい」と思い込むことの利点はもうひとつあります。それは、自分に向いた良運に敏感になれることです。良運が自分の近くに来たとしても、それに気づけなかったら絶好のチャンスを逃してしまうことになります。「運がいい」と思い込むことで、自分の元に訪れた運を少しでもモノにすることができるような気がします。
それに、「自分は運が悪い」と思っているよりは、「自分は運が良い」と思っていた方が何かとハッピーに過ごせます。ここまで長々と書き連ねてきたけれど、実際はそれだけの単純な理由で「私は運がいい」なんて言いふらしているのかもしれません。そのくらいテキトーに生きていてもきっとなんとかなります。だって、私は運が良い人間ですからね。
