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27年前に、映画『ファイト・クラブ』でデヴィッド・フィンチャーは現代の消費社会の病巣を描いて見せた

【 デヴィッド・アンドリュー・レオ・フィンチャー 】

●映画
 1992年 : エイリアン3
 1995年 : セブン
 1999年 : ファイト・クラブ
 2007年 : ゾディアック
 2010年 : ソーシャル・ネットワーク
 2011年 : ドラゴン・タトゥーの女
 2014年 : ゴーン・ガール
●配信ドラマ
 2013〜2018 ハウス・オブ・カード 野望の階段

※フィンチャー監督は この映画で 主人公のエドワード・ノートンが
 突然カメラ目線で視聴者に直接語りかけるという、後に配信ドラマ
 “ハウス・オブ・カード” でもケビン・スぺイシーに行わせた
 「Breaking the Fourth Wall(第四の壁を破る)」と言われる演出を
 行っている。
※フィンチャー作品で個人的に好きなのは “ドラゴン・タトゥーの女” 。

ルーニー・マーラの “リスベット” がかっこよくて魅力的!

デヴィッド・フィンチャーの映画は、どれも湿度が高い。
それは環境による「雨」や「霧」とか、「泥」や「水溜まり」、
「川」や「湖」といった直接的な「水分」によるものもある。
しかし、それより独特の質感を醸しだしている真の要因は
登場人物から発せられる「人いきれ」のようなものだろう。
「呼気」「汗」「血」「唾」「涙」「鼻水」「小便」「反吐」…
成人の身体の60~65%は水分で占められている。
そんな “生きた人間” を暑苦しいくらいに登場させて見せる。
皆、饒舌であり、干渉し合い、争い、時に激しく目合まぐわう。
どんな権力者、為政者、資本家、成功者、アスリートであっても
表皮のほんの0.4㎜程が傷つけば血やリンパ液が沁み出てくる。
そんな “湿度” を感じるをフィンチャーは見せてくる。

※それにしても久しぶり(20数年ぶり位か?)に観返してみて、
 随分と受ける印象が違っていることに、少しの戸惑いと
 新たな面白みの粒マスタードたっぷりな映画という
 ホットドッグに舌鼓を打っている喜びに浸っている。

【 1999年という時代 】

この映画の冒頭、主人公がカタログで次々に部屋の家具を注文して
揃えていく次のようなシーンがある。
「エリカ・ペッカリーの埃除けカバー、クリプスクのオフィス家具、
  ホヴェトレックの健康バイク、オハマシャブ・ソファ、リズランパ・
  ランプ、どこかのデザイナーの気泡入りのガラス皿を購入していく。
  そのカタログは “FURNI(ファーニ)”・・・」
1999年という時代を象徴するキーワードは「デジタルへの移行」と
「ミレニアム(世紀末)への高揚感と不安」ではなかったか。
この映画でも次から次に番号や記号が出てくる。
20世紀型の大衆消費社会が完成し「21世紀型のデジタル消費社会」へと
移行しようとする、爆発的なエネルギーに満ちた過渡期だった。
そんなまばゆい閃光の陰でうごめく数えきれないワームが発生していた。
上からのぞくと何の役にも立っていないように見えるワームたちが…

【 誰も分かってくれない 】

人は他人ひとの悩みを心底理解しようとはしない。
理解したふりはする。しようとしたところでできる筈もない。
できることはただひたすら「聴いてあげる」ことぐらいか。
とはいえ「聴いているふり」が多いのだが…。
コーネリアスは言う。「不眠症に悩んでいるんだ」
そう医者に訴えて薬の処方を依頼するが相手にされず、
薬より自然で健康的な眠りが一番と軽くいなされてしまい、
鹿子草かのこぐさ(精神安定・ストレス緩和)でも噛んで運動を勧められる。
「苦しいんだ!」と懇願するが鼻で笑われてしまう。
睾丸こうがんガン患者の会合に出てみては?あそこにあるのが本当の苦しみだ」
あなたの苦しみなど取るに足らない、そう切り捨てられてしまう。

【 〇〇を語り合う会 】

1.睾丸ガン患者の会 → 沈黙と忘却の暗黒の世界に身を投じて自由を見つけた
 “コーネリアス”。黙していると同情される → すると赤子のように眠れた。
 それが癖になっていく。
2.アルコール依存症の会、過食症の会、結核患者の会、血液感染症の会、
 皮膚がん・肝臓病・胃がん… 次々に「語る会」に顔を出していく。
→そんなスピリチュアルな世界へ没入していく “コーネリアス”。
 死にゆく人間との感情の共感(エンパシー)で空虚な自己の心を埋めると
 いう、精神的な寄生で自らを保つ不健全な人が仕上がっていく。

※主人公が名乗る偽名の「コーネリアス」という名前は、言うまでもなく
 映画『猿の惑星』に登場するチンパンジーの科学者に由来している。
『猿の惑星』のコーネリアスは「人類がかつてこの星の支配者だったことを
 知る猿」で、『ファイト・クラブ』でも、主人公は消費社会の裏側に潜む
「真実」に気づき、その社会の破壊へと向かう別人格に変化していく。

【 “リコール調査員” の闇 】

主人公は車の欠陥による損害の可能性を「事故件数×予想示談金=損害額」
という計算式に当てはめて、この金額がリコール費用を下回れば欠陥を放置
するという企業の非人道的な論理を執行して、それが彼の良心を蝕み不眠症
を悪化させていく。日々凄惨な事故現場を視察し、遺族の悲しみを “示談金”
という数字で処理し続けたことで、彼は人生に対する生の実感を完全に失ってしまう。出張で全米を飛び回り同じような機内食を食べ、どの街に行って
も同じようなホテルに同じような1回分のアメニティ。そして自社の欠陥車
の後始末という繰り返しの毎日に、彼は「すべてがコピーのコピーだ」という深い虚無感に陥っていく。そこで出会うのが「タイラー・ダーデン」だ。

見るからに “怪しい” なりのタイラー。鞄の中身は “石鹸” だ。

【 タイラー・ダーデンの名言 】

「そう我々は消費者だ。ライフスタイルに仕える奴隷。殺人、犯罪、貧困、
 誰も気にしない。それよりアイドル雑誌にマルチチャンネルTV、デザイ
 ナー下着、養毛剤、バイアグラ、ダイエット食品、何がガーデニングだ!
 タイタニックと海に沈めばいいんだ!ソファなんか忘れちまえ。パーフェ
 クトを目指すことなんかない。頭を切り替えて自然な生き方を!」

タイラーがコーネリアスに発した言葉

ブランド品に拘泥こうでいするコーネリアス。それを非難するタイラー。
まったく正反対の二人。社会や企業の論理に沿って生きようとする主人公。
タイラーは反社会的な行動も厭わない。消費社会を真っ向から否定する。

【 “ファイト・クラブ” 誕生 】

ある時、二人で酒場で飲んだ後、店の外でタイラーが奇妙なことを言った。
「俺のことを思いきり強く殴れ!」
初めは拒否するがしまいにタイラーを殴りつけた。二人はそのまま互いに
血みどろになるまで殴り合いの乱闘を続ける。ブランド人間はファイターに
なった。こうして奇妙な二人の共同生活が始まった。
二人はその後も酒場の外での殴り合いを行っていく。
すると参加したいという人間が出始め、参加者は次第に増えていった。
それは「ファイト・クラブ」と呼ばれるようになった。

「すばらしい体力と知力に恵まれたお前たち。伸びるべき可能性が潰されて
 いる。職場と言えばガソリン・スタンドかレストラン、しがないサラリー
 マン。宣伝文句に煽られて、要りもしない車や服を買わされている。
 歴史のはざまで生きる目標が何もない。世界大戦もなく、大恐慌もない。
 俺たちの戦争は魂の戦い。毎日の生活が大恐慌だ。テレビは言う「君も
 明日は億万長者かスーパースター」。大噓だ!。その事実を知って俺たち
 はムカついている。」

タイラーの演説

タイラーはクラブのメンバーに毎週宿題を出す。当初は悪戯のような課題だったが、次第にその要求はエスカレートし過激化していく。組織は強固に
なり秘密主義が徹底されていく。そしてついに死者が出てしまう。

【 “解離性同一性障害” を匂わす仕掛け 】

主人公(コーネリアス)とタイラーの関係が炙り出しのように
朧気おぼろげながら少しずつ染み出てくるように見えてくる。
1. 主人公が公衆電話からタイラーに電話をかけたが、タイラーは電話に出ず
 一度は受話器を置く。すると直後に公衆電話の呼び鈴が鳴り、タイラーか
 らかかってくる。主人公が電話を受けた際、カメラが公衆電話のラベルを
 ズームアップするが、そこには「No incoming calls allowed(着信拒否)」と
 書かれている。これはその電話機が外からの電話を受けられない設定であ
 ることを示していて、タイラーからの着信が主人公の脳内での幻覚である
 ことを暗示している。
2. タイラー・ダーデンの自宅が「ペーパー通り」にあることは、タイラーと
 いう人物やその住居が、主人公の脳内にしか存在しない「架空のもの」で
 あるということを暗示する伏線となっている。都市計画や地図製作の専門
 用語で「ペーパー・ストリート」とは、計画図や地図上には描かれている
 が、実際にはまだ未建設の、又は実在しない道路のことを指している。
3. マーラ・シンガーのアパートの部屋番号が「51」なのだが、 この数字は
 ICD-10(疾病及び関連保健問題の国際統計分類 第10版)の「F」から始まる
 コード「精神及び行動の障害」のカテゴリーで「F51」は非器質性睡眠障
 害を指す。「非器質性」というのは脳腫瘍や神経変性など明確な身体疾患
 が原因ではなく、主に心理的・精神的要因に関連する睡眠障害のこと。
 不眠症、過眠症、睡眠・覚醒スケジュール障害、夢遊病、夜驚症、悪夢
 などが具体的な病状とされている。主人公の症状そのものだ。

ヒトは一見ではなかなか分からない。振り返って観ると結構まともな人間だった…

【 “ファイト・クラブ” のカルト化 】

タイラーは指令だけ出して姿を消してしまう。ファイト・クラブのメンバー
は、その指令に唯々諾々として従って計画を進めていく。主人公は一人蚊帳
の外だ。メンバーは名前を奪われ、同じ服を着て、命令に従うだけの「スペース・モンキー(宇宙に送られる猿)」に成り下がっている。メンバーの一人が警察官に撃たれて命を落とした際に、主人公は「彼の名前は“ロバート・ポールセン”だ!」と叫び続けた。主人公の叫びに対し、メンバーたちは「死んで初めて名前を持てる」という独自の教義をその場で創作し、「彼の名前は
ロバート・ポールセンだ!」と唱え始める。主人公は人としての尊厳を守る
ために名前を呼んだのだが、集団は殉教者を崇めるための「スローガン」と
して利用しはじめたのだった。
物語冒頭から偽名を使い続け、自らの名前さえ口にしなかった主人公にとっ
て、ボブの本名を叫ぶことは、記号化された世界から「生身の人間」を取り
戻そうとする必死の抵抗だった。ところがこの叫びがさらなる狂信的な集団
を生んでしまうという皮肉が、主人公をさらに追い詰めていく。

【 暴走する疑似理想像との決別 】

消費社会を根本から破壊しようとするタイラー。
それを何とか阻止しようと必死になる主人公。
最後にタイラーは拘束した主人公の口に拳銃の銃口を突っ込む。
主人公はタイラーは自分の妄想で拳銃は自分が持っていると気づく。
そしてその銃を自らの口に向ける。「僕は目を開いている」
タイラーを睨みながら引き金を引くと大きな銃声と共に
左の頬が吹き飛び、主人公の頭部に硝煙が広がる。
タイラーの口からも硝煙が漏れ、後頭部には射出創が開いていた。
タイラーは倒れ、その姿は消えた。
そこに現れるクラブの主要なメンバーたちとマーラ。
主人公の姿にみな驚くが、主人公に「階下に行け」と命じられて
その指示に従う。
主人公はマーラに語りかける。
「これからはすべてよくなる」
窓の外ではビルが次々に爆発を起こし倒壊していく。
「出会いのタイミングが悪かった」
ラストシーンの映写フィルムのつなぎ目が一瞬ブレるたところに
一コマ分ポルノが映り込んでエンドロールへ。

さて2000年以降の世界はどうなったのか・・・

人は自分でも自分が何者であるか分からない。
まして他人ひとはたから外面だけをみて理解するなどできるはずもない。
その真理に気づけていながために、いつの時代も人はだまされる。

【 経済は成長しないとダメなのか?】

人が幸せな生活を送るためには「程ほどの経済的な余裕」が
必要なことはわかる。その「程ほど」というのが中々難しい。
人それぞれだし、程ほどの基準が不明確だ。大抵は平均値や
中央値を物差しとして使用する場合が多い。平均偏差を取って
相対的な位置を確認することもある。
昭和の時代のように、「三種の神器」や「新・三種の神器」を
持っているという分かりやすい基準は平成以降なにかあったか。
巷にモノは溢れている。コトも溢れている。しかしバブル崩壊後
の30年間デフレ経済の環境が継続し、企業も家計も縮こまって
過ごしてきた。その間に養われた生活態度や価値基準はそう簡単
に拭いされるものではないだろう。
令和に入って早8年。人は減る。確実に減る。結婚人口が増加しない
から子供も増えない。逆に高齢者は増加の一方だ。高齢者は少食だ。
いつまでも働いていれば遊びにも行かない。つまり動きも少ない。
人が動かないと経済も動かないのはパンデミックで経験済みだ。
それでも経済を活性化させようと躍起だ。
いったい活性化した先に何があるのか?
それが明確に語られずに40年になろうとしている。
タイラーは言う。
「思えば大した成果だ。目の前で金融界が崩れ落ち、
 社会は経済的に平等になる。」
この言葉だけ聞いているとタイラーは共産主義者だ。
しかしタイラーを消し去った主人公は、ビルの窓越しに
爆破されていくクレジット会社や決済ネットワーク会社の
ビルディングをマーラと共に見つめている。
令和の時代では賃借データや信用状況はデータセンターなどの
クラウド上に分散させて保管しているので、本社ビルを破壊しても
「これからはすべてよくなる」
というわけにはいかないだろう。
世界はそんなに単純ではないのだから。

最後は「人」と「人」かな。


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