「私の記憶」―ママが選んだ家―
実家は古い家で、何度もリフォームや増築を重ねた、大きな平屋でした。
母が子どもの頃からあった家で、私も子どもの頃から「いつ建て替えるのだろう」と思っていました。
友達が遊びに来ると、「迷路みたいなお家だね」と言われることもありました。
古かったけれど部屋数が多く、私にとっては少し自慢の家でした。
娘が幼稚園に通っていた頃、実家の隣の土地に新しい家を建てることになりました。
その時はいくつものハウスメーカーを見学し、娘も一緒になって楽しんでいました。
私は実用的な家を勧めましたが、母は自分が本当に住みたいと思う家を選びました。
家の外観や照明、洗面所やトイレの壁紙まで、一つひとつ気に入ったものを選んでいました。
そして一部屋は、私たちが泊まりに来た時のために、娘の部屋として用意してくれました。
ほんのりピンク色の壁紙に、可愛らしいフリルのカーテン。
娘は実家に自分の部屋ができたことが嬉しくて、とても喜んでいました。
新しい家が完成した時の母は、本当に嬉しそうでした。
その家では、祖母も少しの間を過ごし、祖父も暮らしていました。
家族みんなの思い出が詰まった家になりました。
母は、とてもおしゃれな人でした。
同じ日でも、出かける場所が変わると着替えをして、それに合わせてバッグや靴も替えていました。
背が低いことを気にしていて、年齢を重ねてもヒールのある靴を履いていました。
少しでも背を高く見せたかったのでしょう。
年を重ねても、おしゃれを楽しむ姿は、どこか少女のようでした。
五十歳を過ぎた頃、多発性の肝臓がんが見つかり、手術を受けました。
それからは大学病院へ通う日々が続きました。
診察や検査の前になると情緒が不安定になることもありました。
今になって思えば、検査結果を待つ不安と、ずっと向き合っていたのだと思います。
最初の手術から亡くなるまでの約二十年間、母は病気と付き合いながら生活を続けていました。
体調を崩して急きょ入院した時も、コロナ禍で面会はできませんでしたが、「しばらく会えないだけ」と思っていました。
まさか、入院して二日後に亡くなるなんて、誰も想像していませんでした。
入院前には、美容院へ二日続けて通っていました。
病院からは、たくさんのお友達へ入院することを連絡していたそうです。
最後まで、おしゃれで、人とのつながりを大切にする、母らしいと思いました。
あまりにも突然のお別れでした。
それでも、自分の思い描いた家で暮らせたこと。
最後まで、おしゃれを忘れず、自分らしく過ごせたこと。
それは、母にとって幸せな時間だったのではないかと、今は思っています。
おしゃれで、明るくて、世話好きだった母。
今でも、時々、心の中で、
「ママ」と呼んでいます。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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