「私の記憶」―お父さんの酒屋―
私の実家は酒屋さんだった。
酒屋と言っても、田舎なので雑貨も一緒に売る、いわゆる「よろずや」のようなお店だった。
子どもの頃の私は、何でも売っているわが家が少し自慢だった。
そして、お店番をするのも大好きだった。
私は祖父母が44歳の時の孫でした。
親子と言ってもおかしくない年齢差だったこともあり、叔母ちゃんと同じように、私は祖父を「お父さん」、祖母を「お母さん」と呼んで育った。
祖父――私が「お父さん」と呼んでいた人――が仕入れに行く時は、よく一緒について行った。
お酒は問屋さんから、タバコは当時の専売公社から届けられていたけれど、足りなくなった雑貨を買い足しに行ったり、お菓子や加工食品は問屋さんへ直接仕入れに行ったりしていた。
仕入れ先では、祖父が「好きなお菓子を選んでいいよ」と言ってくれていた。
幼い頃は自分の好きなお菓子を選んでいた。
でも、少し大きくなると、「これは売れそう」と考えながら選ぶようになっていた。
そんな自分が少し誇らしかった。
店に戻ると、新しく仕入れた商品を棚に並べる。
それもまた、私の楽しみの一つだった。
クリスマスが近づくと、ケーキの予約も受け付けていた。
まだ生クリームではなく、バタークリームの時代。
山崎パンやフジパンから届いたケーキの箱で、一部屋がいっぱいになる。
クリスマス当日になると、近所の人たちが次々と受け取りに来て、お店は一年で一番にぎやかな日になった。
お葬式も今とは違っていた。
ほとんどの家が自宅で葬儀を行っていたので、香典返し用の砂糖を箱に詰め、小さなお酒の瓶と一緒に風呂敷で包む準備をした。
急な知らせが入れば、足りない物を仕入れに行き、家族みんなで夜遅くまで何十個も用意した。
小学生くらいまでは、仕入れにも配達にもついて行き、お店の手伝いをするのが当たり前だった。
けれど、小学校高学年になる頃、少し離れた場所にスーパーができた。
中学生、高校生になるにつれ、私は部活動や勉強で忙しくなり、お店を手伝うことも少なくなっていった。
お店は私が二十歳を過ぎる頃まで続いた。
最後はタバコと飲み物の自動販売機だけを残し、お店を閉めた。
曽祖父は、もともと精米所を営んでいた。
秋の収穫が終わると人が集まり、お酒を飲むようになったことから、酒屋を始めたと聞いている。
その店を祖父は二十三歳で任された。
週に一度の休みの日も帳簿をつけ、いつも仕事のことを考えていた。
四人の娘を育て、そして孫の私も育ててくれた。
家族のために、働き続けた人生だった。
お店を閉めた当時の私は、「古くなったし、スーパーもできたから仕方ない」と思っていた。
でも今なら分かる。
何十年も守り続けた店の暖簾を下ろすことが、祖父にとってどれほどつらい決断だったのか。
少しでも続けたいという思いで残した自動販売機も、やがて撤去した。
仕事がなくなり、年齢も重なって、祖父は少しずつ元気がなくなっていったように思う。
寡黙で、口数は少なく、少し頑固。
でも、とても穏やかで優しい人だった。
今振り返ると、私が理想とする人は、
祖父――「お父さん」だったのだと思う。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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