自治体警察

警察法

警察制度の改革は、占領直後の昭和二十年十月四日に総司令部が特高制度の廃止を指令し、十月十一日に五大改革方針をあきらかにしたなかで日本国民の専制政治からの解放を高唱し、更に内務省解体の措置が一つ一つとられてきたとき、すでに必須となっていた。(中略)新しい憲法と新しい地方自治法は昭和二十二年五月三日に施行された。マッカーサー元帥は、昭和二十二年九月十六日、ときの片山首相に書簡を送って新しい警察制度についての意志を明らかにした。(中略)
「市や町は自治体警察をもち、その署長は公安委員会によって任免されること。府県には国家地方警察が置かれ、公安委員会の手で指揮されること。中央には国家公安委員会がおかれる。自警と国警間には指揮命令の関係はないが、通信その他技術上のことでは連絡を保つ。これは、国家警察が実権をにぎることを妨げようとする意図からなされている。ただ、非常事態の時、国家公安委員の要請によって、総理大臣が府県警察を指揮することが出来る。しかし、この場合も二十日以内に国会の承認を得なければならない。」
片山内閣はすぐに警察法案の作成にとりかかり、国会に提出、法案は昭和二十二年十二月七日に国会を通過した。
警察法はマッカーサー書簡の内容をそのままうけついで国会地方警察と自治体警察を併設し、警察の運営と管理のために都道府県公安委員会と市町村公安委員会とを設置し、昭和二十二*年三月七日から実施されることとなった。(*原文ママだが、昭和二十三年のことかもしれない)

豊橋市政五十年史(P399-400)

Wikipediaによると

戦前の日本警察は、内務省警保局による中央集権体制で運営されており治安警察法など旧法に基づいて活動した。しかし、太平洋戦争(第二次世界大戦)で日本が敗戦し、連合国軍の統治下に置かれると、GHQ民政局は日本の警察機構を天皇制の維持擁護を目的とした非民主的な警察体制であると断罪し、内務省の廃止を含めた全面的な見直しを要求してきた。
1947年(昭和22年)9月3日、第46代内閣総理大臣片山哲が「公安庁設置法案」を軸とする「警察制度改組計画」をGHQ総司令官ダグラス・マッカーサーに提出した。これに対して、マッカーサーは同月16日付で書簡を送り、警察法案の起草を指示した。書簡の内容に基づいて起草された警察法案は第1回特別国会で可決成立し、同年12月17日付官報で公布。内務省は同年末で業務を終了して、内事局に改組され、1948年(昭和23年)3月6日、本法の施行と共に内事局も解体された。

Wikipedia|警察法#沿革#旧警察法の制定

警察の地方分権としての自治体警察は、自治体の財政負担が大きく、行き過ぎた警察組織の細分化は過度の縄張り争いを招き、広域捜査の困難をもたらした。また、国家地方警察と自治体警察が独立対等のため国の治安に対する責任が不明確になる等の問題が発生した。そのほか、中華人民共和国の建国や東西冷戦の激化により、自治体警察の生みの親であるGHQの占領政策も急速に右旋回し始め、警察制度の中央集権化を復活させる動きが出始めていた(逆コースを参照)。

Wikipedia|警察法#沿革#旧警察法の改正

公安委員会

新しい警察制度を運営し管理するのは、公安委員会である。警察署長は公安委員会によって任命される。だから、新しい警察制度を実施するためには、まず公安委員が任命されなければならぬ。
豊橋市における初の公安委員は、昭和二十三年二月十三日、市長のすいせんにより、市会議員の承認を得て任命された。(中略)
かくて公安委員会は豊橋市警察長に大野佐長を任命した。その任命式と宣誓式は、警察法施行の三月七日に行われ、豊橋市警は正式に発足した。

豊橋市政五十年史(P400-401)

警察法もマッカーサー書簡にもとづいて定められている。総司令部名義ではなく、マッカーサーという個人名義で出ている書簡なので、その考え方がよくわかって、そこは良い点だと思う。これは、内務省と全くの権限のバッティングが起きるということで、総司令部自体ではそこまで踏み込むことが出来ず、マッカーサー個人の書簡ということになったのかもしれない。

1952年(昭和27年)4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効し、日本が独立・主権回復すると、旧警察法に内在する問題を根本的に解決すべく、警察制度改革が始まり、1954年(昭和29年)6月8日、旧警察法を全面改正した新警察法が公布され、同年7月1日から施行された。新警察法では、従来の国家地方警察と自治体警察による二本立ての制度を廃止し、新たに警察庁と都道府県警察を発足させて、都道府県警察の警視正以上を国家公務員とする地方警務官制度を導入するなど日本の警察機構を再び中央集権化し、また内閣の責任を明確化すべく、国家公安委員会委員長に国務大臣を充てることになった。

Wikipedia|警察法#沿革#1954年の全面改正

結局はその理想主義的な自治体警察と国家警察の分業体制は、逆コースによって自治体警察が国家地方警察に飲み込まれる形で終焉を遂げた。

市の公安委員会が警察長を任命するというのは悪くない仕組みだと思う。ただ、犯罪規模が大きくなっている現代でそのやり方で犯罪防止ができるのか、ということは疑問が残る。しかし、犯罪規模が大きくなっているがゆえに、全体の構図の矛盾点を各自治体の我慢によって治安維持と犯罪捜査がなされるというのは問題であろう。そこで窓口としての自治体警察(人事権は基礎自治体公安委員会にあり)と、広域警察をおこなう国家地方警察(人事権は都道府県公安委員会にあり)、そして連邦警察的な部分をつかさどる国家公安委員会というような枠組みが良いのかもしれない。

豊橋市警

民主的な警察は、市民の警察でなければならないから、警察署は市民に親しまれる警察官の態度を育てるために腐心した。
市民に親しまれる警察をつくるためには、警察はじまって以来の新企画として婦人警官の採用もおこなった。(中略)
市民への民主的な態度は、署内の民主的運営と表裏する。署内の民主化のためには、(中略)いかめしい署内に親しみのあるあかるい空気を漂わせることに努力した。しかし、市民のための民主的な警察を作り出すためには、機構を民主化したり、民主的な服務規程をつくっただけでは不十分である。たえず市民の批判をもとめ、その批判のうえに警察が運営されなければならぬ。昭和二十三年四月、警察署は管内二五ヵ所に「民警箱」を設置し。市民の投書をもとめた。(中略)

豊橋市政五十年史(P401-402)

なぜよそから来た元豊橋警察署長の大野佐長が豊橋市長にえらばれたのか、というのは一つの疑問であったが、このような警察の民主化努力が評価されたのだ、ということならば、それは説明がつきそう。そして、繰り返される政治闘争にうんざりして、政治家よりも指導力の在りそうな警察長が好まれたといえるのかもしれない。しかし、その中で警察にも逆コースの波が押し寄せ、自治体警察も、愛知県警察に吸収合併されることになった。結局分権的な理想的警察制度は6年程度しか続かなかったことになる。分権的な制度のためには、この、戦後から逆コースに至る前のところに焦点を当ててそこをめざす、ということが必要になってくるのかもしれない。


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