いつから「余白」は贅沢になってしまったのだろう。
高輪ゲートウェイの高層階に来ている。
大きな窓。
自然光。
開放感のある空間。
店と店のあいだにも、
ちゃんと“間”がある。
今までの商業施設とは、
どこか空気が違った。
昔はもっと、
ぎっしり詰め込まれていた気がする。
効率よく。
回転率よく。
無駄なく。
でも今、
人は「埋まりすぎた世界」に疲れているのかもしれない。
予定。
情報。
通知。
SNS。
比較。
やるべきこと。
気づけば、
頭の中まで常に満員電車みたいになっている。
だから最近、
余白のある場所へ行くと、
呼吸が戻る感覚がある。
景色を眺める。
音楽を流す。
何もしない。
それだけで、
感覚が静かに整っていく。
今日の私は、
片耳イヤホンでBLACKPINKの「Shut Down」を流しながら、
高輪ゲートウェイを歩いていた。
以前の私なら、
朝にLady GagaやBLACKPINKは選ばなかった気がする。
もっと「整った静けさ」を選んでいた。
例えば、
バッハの無伴奏チェロ組曲みたいな。
でも今は、
静けさだけではなく、
少しのノイズや強さ、
都会の温度も含めて、
ズラすこともOK
「今の自分」の感覚に素直に許可を出し始めている気がする。
AI時代になって、
情報や答えは、
これからますます速く、大量に生まれていく。
だからこそ逆に、
・余白
・間
・景色
・静けさ
・感覚の速度
そういうものの価値は、
もっと上がっていくのかもしれない。
本当の豊かさって、
「たくさん持つこと」ではなく、
ちゃんと呼吸できることなのかもしれない。
