interview Rafiq Bhatia:スタジオを楽器として奏でるギタリストの現在地(15,000字)
ラフィーク・バーティアは突然現れた謎のギタリストだった。2012年のアルバム『Yes It Will』はジャズの即興演奏とポストプロダクションが共存していて、そのころ、まだ他には誰もやっていないような実験的なものだった。しかも、そこにヴィジェイ・アイヤーやビリー・ハート、コーリー・キング、ピーター・エヴァンスもクレジットされていた。CDは出て流通していたが、アルバムはセルフ・リリースだった。

かと思えば同年のEP『STRATA EP』ではフライング・ロータス「Pickled!」カヴァーを含むもので、JディラのビートやLAのビートミュージックの要素も聴こえた。端的にすごいアーティストが出てきたと思ったものだ。
しかし、その後、ラフィークをジャズシーンで見かけることはほぼなくなった。ライアン・ロット率いるエクスペリメンタルなプロジェクトのサン・ラックスのメンバーになり、音響的なサウンドのギタリスト且つプロデューサー的な活動が増えていく。サン・ラックスでの先鋭的なサウンドに驚かされることになる。
とはいえ、時折届けられるソロ作はどれも素晴らしく、ジャズの視点からも目が離せない存在でもあり続けた。2018年の『Breaking English』ではジャズ由来のギターのサウンドを他の誰とも異なる方法で音楽に組み込んでいたし、2020年の『Standards Vol. 1』ではデューク・エリントンやオーネット・コールマンのスタンダードをエレクトロニクスやプロダクションを駆使して作り上げ、ジャズやジャズギターそのものの在り方を揺さぶるような異質なサウンドを提示していた。どんどん深い所へと突き進んでいた。
ただ、2025年の『Environments』『Each Dream, A Melting Door』ではギタリストとしての自身を前面に出すようなり、ここにきてサウンドに変化が見られ始めた。しかし、ここでも普通のジャズギターではありえない演奏が聴こえる。
彼はどんなことを考えているのか。今でも謎のままだ。そんなラフィークに遂にインタビューする機会を得た。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:安江幸子
協力:Silent Trade
◉ 1年だけのNYでの学生生活
―― 大学はオーバリン大学に行かれたと思うんですが、学生時代はジャズを専門的に学んでいたんでしょうか
実は、オーバリンに行く前に、ニューヨーク大学(NYU)に1年間だけ通っていたんだ。NYUではジャズを勉強していて、しかもダブルメジャーをやろうと思っていた。でも、実際に行ってみたら、両立するのが想像以上に大変だってことがすぐにわかった。最初の3か月間は、毎晩のようにライブを聴きに行って、持っていたお金は全部使い切った(笑)。でも、そのおかげでたくさんの素晴らしいミュージシャンと出会えたし、今でも付き合いが続いている人たちの多くは、その頃に知り合った人たちなんだ。当時はジャズにどっぷりで、とにかくニューヨークの音楽シーンの中にいたかった。レコードで聴いていた音楽が、まさに「生まれている場所」に行けることが、ただただ嬉しかったんだ。
その3か月間は、夢が叶っている感覚と、同時に違和感もあった。音楽自体は本当にすごい。でも、その組織のされ方というか、あり方に、どこかピンとこない部分があった。たとえば、多くのバンドが、いわば「ピックアップ・バスケ」みたいに感じられたんだ。みんな個々にはすごく上手い。でも、チームとして一緒にプレイする感覚は発生していない、感じ。
毎晩メンバーの組み合わせが違って、初顔合わせも多い。みんな譜面に目を落としていて、音楽がどこか断片的に感じられた。もちろん、その中にも本当に素晴らしいジャズ・バンドはあった。でも、僕がそれまで聴いてきた他の音楽――たとえばレゲエやダブみたいな音楽では、ひとりひとりがやっていることはすごく小さいのに、全体としてはテレパシーみたいに完璧に噛み合っている。そういう「一緒に演奏している感じ」が、僕はすごく好きだったんだ。まだ同世代の中でも全然ついていけていない段階だったのに、もうそんなことを考えていたんだよね。
それに加えて、当時のニューヨークでは、流行っているミュージシャンのスタイルを真似する人がすごく多く感じられた。ニューヨークに行く前にカート・ローゼンウィンケルのレコードを聴いて、「こんなにオリジナルなギターの弾き方があるんだ」と衝撃を受けたんだ。でも、実際にニューヨークに行ってみたら、みんながそのスタイルを目指しているように聴こえた。僕にとって音楽の本質は、「その人自身の音がする」ことだった。話し声が人それぞれ違うのと同じで、音楽の声も違っていていいはずなんだ。誰かの声色を真似して話そうなんて、普通は思わないでしょ?音楽も同じだと思っていた。だから、「ここは好きだし、必ず戻ってきたい場所だけど、今じゃない」と思った。一度離れて、自分の視点をちゃんと作りたかった。それでオーバリンに転校したんだ。
◉ オバーリン大学でのビリー・ハートとの出会い
ーーカートのフォロワーが多かったのはわかります。で、NYからオハイオ州に移ったと。
最初は認知神経科学と経済学を専攻しようと思っていて、音楽は「大好きだから学ぶ」というスタンスだった。まずは「学び方を学ぶ」場所に行こうって感じかな。でも、オーバリンに行ったら、すぐに大量の音楽を演奏することになった。素晴らしいミュージシャンがたくさんいて、しかもみんな本当に「自分の音」を出していた。ちょうど、サリヴァン・フォートナーが在学していたり、カッサ・オーヴァーオールが卒業した直後だったりして、学校全体がすごく美しいタイミングだった。
ーーなるほど。豊かな時期だったんですね
僕は年上のミュージシャンたちと演奏することが多くなって、そこでビリー・ハートと出会ったんだ。ニューヨーク時代、ヴィレッジ・ヴァンガードで彼のバンドを何度も聴いていて、「これが本当のバンドだ」と思っていた存在だったから、敬意は計り知れなかった。オーバリンでビリーの生徒と一緒に演奏しているのを聴いて、彼が僕の演奏に強い自信と熱意を示してくれた。そのことが、自分自身の見え方を大きく変えてくれたんだ。それまでは想像できなかった形で、「自分もこれをやっていけるかもしれない」と思えるようになった。
ーーあなたの1stアルバムにビリー・ハートが参加していたのはその繋がりだったんですね。
そう。でも、その結果、大学の成績はボロボロになった(笑)退学勧告も出たんだ。ビリー・ハートが学校に来るたびに、授業を全部サボって、彼のスタジオに入り浸っていたからね。
彼のスタジオには、「生徒ならいつでも入っていい」というルールがあって、もし本当に一対一が必要なら他の人を追い出してもいいことになっていた。でも、実際には誰もそんなことはしなかった。彼が到着した瞬間から、僕はずっとスタジオにいたんだ。後には車も買ってからはビリーを空港とキャンパスの送り迎えもしていた。
レッスンは、最初の学期が終わってからはトリオ形式になった。ベーシストを連れて行って、3人で演奏する。ビリーは、他のバンドで演奏している新しい曲を持ってきて、「これはお前に合いそうだ」と思うものを渡してくれた。それを僕が覚えて、一緒に演奏する。でも、最初の学期は本当に大変だった。例えるなら、ハリケーンや津波の中で天気予報士が必死に立っている映像みたいな感じ(笑)。ビリーの演奏は、ものすごく自由で弾力があるのに、すべてが強烈に意図されていて、こちらも同じレベルの確信を持って音を出さないと成立しない。当時の僕は、全然そこまで行けていなかった。かなり時間をかけたころ、少しずつ足場が見えてきた。その後、同世代や上の世代、下の世代を含めて、本当に多くの素晴らしいドラマーと演奏する機会に恵まれたけど、もし彼らが僕と一緒に演奏したいと思ってくれる理由があるとしたら、それは間違いなくビリー・ハートから学んだことのおかげだと思う。
だから、オーバリンでの音楽教育の中心は、完全に彼との時間だった。音楽の学位は取っていないけど、ビリー・ハート、ゲイリー・バーツ、マーカス・ベルグレイヴ、ポール・サミュエルズ、ジェイミー・ハダッド。本当に多くの人たちから学んだ。
◉ ビル・フリゼールからの影響
――大学生の頃や、最初のアルバムを出した頃までは、比較的「ジャズのギタリスト」っぽいアイデンティティがあったんじゃないかと。その頃、どんなミュージシャンを研究してたのか聞かせてください。
実は自分のことを「ジャズ・ギタリスト」だと思ったことは一度もないんだ。早い段階から、興味の中心は作曲とか、アンサンブルを率いることとか、世界観を作ること(world building)みたいなところにあった。ギターは大好きだし弾きたかったけど、僕が好きなミュージシャンって、ギタリストじゃない人が多かったしね。
とはいえ、ひとつだけはっきり言えるのは、ビル・フリゼールがいなかったら、僕はギターを弾いていなかったこと。僕にとって、いわゆる“ジャズ・ギタリスト”の中で一番大きい存在、というか、間違いなく決定的だった。それはジミ・ヘンドリックスの衝撃ともつながっている。 ヘンドリックスもフリゼールも、テクノロジーと人間味の交差点で冒険していた。ギターに「本来は似つかわしくない」ような音を探しにいっていたんだよね。普通ならギターに結びつけない表現を、ギターでやろうとする。その結果、人々が「ギターの音」と思っている範囲を、更新したり拡張したりしてしまう。 その姿勢そのものが、僕はずっと好きだったんだ。
◉ ベン・フロストとの出会い
――いわゆるギタリストはないんですね。
あと僕には、変な癖があってさ。 「自分はこれ嫌いだと思っていた」ものを、あるアーティストが「好きな形」でやってしまったとき、逆にものすごくハマるんだよね。可能性の範囲を自分で狭くしていたのが、一気に壊される感じ。
具体例を言うと、オーバリンにいた頃の僕は、強いディストーションとかノイズ・ギターが苦手だった。もっと滑らかで流れるような音が好きで、ザラつきとか粒立ち(grit / grain)があまり好きじゃなかった。でも友達が、エレクトロアコースティック系の音楽家、Ben Frostの録音を聴かせてくれた。アルバムは『By the Throat』(2009)。オープニングの「Killshot」をでっかい良いスピーカーで聴いたんだ。
僕は真ん中に座って聴いたんだけど、音が自分の横を“飛んでいく”みたいな体験だった。めちゃくちゃカオスで制御不能に聴こえるのに、同時に信じられないくらい緻密に整頓されている。正直、頭が処理できなかった。でも、あれは確実に僕のギターのアプローチを変えた。
影響で言うと、もちろんジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーター、サム・リヴァースみたいなサックスの系譜は大きい。それにファラオ・サンダース。あとオーネット、モンク、デューク・エリントンも。よくある話だけど、ギタリストからだけじゃなくて、サックスやピアノやドラムから学んだことが大きい。特にビリー・ハートと過ごした時間で、リズム・セクション側の視点から音楽を考えることをたくさん学んだからね。それと、人生を通してだんだん強くなっていったのは、リズム・セクションを「ユニット」として聴く感覚なんだ。長い期間、同じメンバーで何枚も録音しているリズム・セクションって、それ自体が言語になっている。そういうのにすごく影響を受けている。
だから、僕はギターを弾いているけど、「俺はギタリストだ、ギターであらゆることを極めるぞ」みたいに思ったことはない。そもそも僕にはそれができないし、たぶんそれが僕のやることじゃないと思う。
◉ アニュアルズ、フライング・ロータス、ティム・ヘッカー
――ベン・フロストとの出会いをきっかけに機材を買い替えたとか、演奏の仕方が変わったとか、あなたに変化が起きたんじゃないですか?
意外な答えになるかもしれないけど、「それを聴いてから方向転換した」というより、もともとずっとそういうものに興味があったんだよね。僕がそういうものを掘っていった時期って、高校の後半くらい。友達のバンドが、実験的なインディー・ポップを作っていたんだ。バンド名はAnnuals。初期のPitchfork界隈では結構知られていて、Conan O’Brienの番組にも出たし、ツアーもしていた。時期的にはGrizzly BearとかAnimal Collectiveみたいなバンドが流行ってた時期だね。高校でメンバーの何人かと一緒だったから、スタジオを使って録音して、そこから加工して、さらに音楽を作っていく、みたいな発想を早い頃から身近に見ていたんだ。
それにオーバリンにも、そういう作り方に興味がある人がたくさんいた。僕自身もヒップホップを聴いて育っていて、サンプラーや加工が当たり前の世界だったし、たとえばMadlibやJ Dillaみたいなプロデューサーはずっと聴いていた。オーバリンの終盤、誰かがSoundCloudのリンクを送ってくれて、Flying Lotusの音楽を知った。あれは頭の中が爆発する出来事だった。それからTim Heckerを共通の友達がいる関係で聴くようになった。というふうに、そういう世界はずっと視界に入っていたんだ。
だから僕は、「ジャズ・ギタリストだからこう弾く」みたいな発想があまりなくて、ただ「面白いなら、それも聴くし、それも試す」みたいな感じだった。もちろん、いわゆる“ニューヨークのジャズ・ギター”っぽいセットも試したよ。セミホロウのギターをアンプに繋いで、リバーブとディレイ、すごく薄いオーバードライブみたいなセッティングね。みんな一度は通る道だよね。僕もやった。でも、僕にとってはそれが「基準」になったことはない。常に他の音も並列にあった。
――なるほど。
むしろ、僕のアプローチが決定的に変わったのは、ニューヨークに来てから、 「即興家のために作曲する」とか、「即興家が相互作用できる場を設計する」みたいなことを、より強く考えるようになったことだね。
僕はそれを、学校の外でヴィジェイ・アイヤーからたくさん学んだ。彼は自分のことをピアニストというより作曲家として考えている。即興音楽も作曲の観点で捉えているのがすごく刺激的だった。彼の影響で僕は、「どうやってアンサンブルを作るか」「ピックアップ・バスケみたいにならないためにはどうするか」 「固定したメンバーで、共通言語を育てられるか」みたいな方向に意識が向いた。
◉ 録音・処理・ミックスの場が音楽の核心
それに当時、即興音楽のレコード作りで僕が理解できなかったことがある。多くの作品が、「同じ部屋で一緒に演奏しているドキュメンタリー」みたいな音をファンタジーとして目指していたんだよね。実際にスタジオに行くと、みんなISOブースに分かれていて、ピアノには移動用のブランケットがかかっていたりして、空間はプラグインのリバーブで再現している。つまり、本当はドキュメンタリーじゃない。
――あぁ、たしかに
たとえばセシル・マクロリン・サルヴァントみたいに、実際にみんな同じ部屋で録った作品もある。でも一般的には「それっぽいもの」を作っているだけだった。「そこまでやるなら、なんでそのプロセスを創造的に使わないの?」って僕は考えた。そんなに時間をかけて実際に起こってもいないものをシミュレーションしなくてもいいんじゃないかってね。
ーーあー、多くはセッションのシュミレーションだったと。
ジャズ以外のジャンルの音楽では、マイク入れの前で終わりじゃなくて、マイク入れの後から創作が始まるくらいの感覚がある。楽器→マイクの空間だけじゃなくて、マイク→スピーカーの空間、つまり“録音・処理・ミックスという場”が、音楽の核心になっている。でも当時のジャズ/即興音楽のコミュニティでは、その“マイクとスピーカーの間”に関心を持つ人がすごく少なかった。僕はその空間に興味を持ち始めて、さらに「その空間で作ったものが、バンドの演奏にどうフィードバックするか」さえも考えるようになった。
たとえば、J Dillaがやっていたことに夢中になった。シーケンサーのクオンタイズ(グリッドに揃える)と、人間味のある演奏をぶつける感覚。ある要素はグリッドに固定されているけど、別の要素はそれに対して意図的にズレるんだ。別のグリッドで動くのか、あるいはタイムに対して“逆らう”のか。そういうタイム感に強く惹かれるようになった。それは『Yes, It Will』に少し聴けるけど、もっと顕著なのはEP『Strata』。これは『Yes, It Will』の直前に出たけど、制作自体は『Yes, It Will』の後に作ったもの。その頃は、こういう発想をアンサンブルの中でどう実現するかに必死になっていた。だから最初に変わったのはギターの奏法というより、人と音楽を作るための「構造」の作り方だったと思う。
そこからはまず、録音して、それをプロデュースして、そこから「じゃあこれをライブでどうやって演奏する?」となるようになった。それで僕はサンプルをトリガーしたり、いろいろやり始めたんだ。あの頃、そういうやり方をこの形でやっている人はほとんどいなかったから、周りは「お前ら正気か?」みたいな目で見てたよね(笑)。
――それってどういうところで演奏していたんですか?
僕らが演奏していたのは、ジャズクラブではなくて、ブルックリンで変なエレクトロニックのイベントをやってるようなクラブだった。ジャズクラブにはサブウーファーがないから、僕の音楽には向いていなかった。だから、ブルックリンのいろんな場所でやっていた。ちょうど(Le) Poisson Rougeがオープンした時期で、そこでも演奏し始めた。ジャズのプログラミングと融合できる場所も少しはあったけど、基本的にはかなり主流から外れていた気がするね。でも、ある時は、当時ウィリアムズバーグにあったCameo Galleryって会場に、The New York TimesのBen Ratliffが来たことがあって、みんな「えっ、ベン・ラトリフがCameo Galleryに?」って大騒ぎになった。そんなことが起こるなんてね。でも、僕らは境界線をあまり気にせずにやっていただけなんだ。
◉ スタジオを楽器として使う人たちの発想
ただ、そういうことをやっていくうちに、「楽器の弾き方そのものにも、外から来たアイデアをもっと組み込みたい」って思うようになった。これはもう15年がかりの旅だね。途中には、「もうギターを置くべきかも」って思った時期もある。必ずしも「ギターでやること」だけが目的じゃなかったから。僕は、“スタジオそのものを楽器として使う”人たちを探して、彼らの言語を学ぼうとした。自分はギターが弾けるから、そのギターを通じて彼らの世界の言語に触れられる。彼らがやりたいことに対して、自分ができることを提供しながら、その過程で学んで、それが自分の演奏に染み込んでいく、みたいな感じ。そして、プロダクションやスタジオの仕組みを理解し始めると、ギターの発想も変わっていった。
たとえばコンプレッサー。音を平らにする装置だけど、サイドチェインを使うと、その「平らにする動き」が別の音(たとえばキック)に反応して起きる。Flying Lotusの曲で、キックが入るたびに他の音が引っ込んで、その後、ふわっと豊かに戻ることがあるよね。あれはサイドチェイン・コンプレッションだ。それを知ったとき、僕はこう思った。「じゃあ、ボリューム・ペダルで豊かさを作れるかも」って。さらに、その豊かさの頂点で抜け感を作りたかったら、ボリューム・ペダルの後にコンプレッサーを置けば、サイドチェインっぽい挙動を演奏で再現できる。自動処理としてじゃなく、手と足で表情をつけて「演奏できる」わけだよね。ベン・フロストのノイズの壁(walls of noise)みたいなものも、粒子の荒いファジーな音を作って、オクターブ下げたりもできる。リバーブを使えば、小さい音だと奥に引っ込んで聴こえるのに、音が大きくなると手前に迫ってくる、みたいな立体感を作れたりする。
フリゼールはアンプに繋いだギターを、オーケストレーション的に考えている。僕にとっては、サウンドが“識別不能”に近づく領域へと向かうことも、そのビルの考え方と直線的に繋がってるつもりなんだ。
今は便利なツールが多くて、ボタンを押せば一気に虹色みたいな音が出たりする。1個ペダルを買ってオンにしたら、綿菓子みたいな音になる。でも、そういう“やりすぎる装置”って、表情をコントロールできないんだよね。ピアノの鍵盤を押したときの音が、ある意味で「地味」なのには理由がある。音を組み立てるブロック(building blocks)はシンプルじゃないと、そこから「まだ存在していないもの」を組み上げられない。だから僕がずっとやってきたのは、本来ならオートメーションで済ませるようなことを、できるだけ自分の表現としてコントロールできる形にすること。要するに、「表現の主導権を取り戻す」みたいな作業だったと思う。
◉ なぜギターが必要なのか
―― あなたのようにスタジオを楽器として使っていて、音響的にもサウンドを徹底的にデザインする作り方だと、パソコン上で制作する比重もかなり大きいですよね。そうなると、必ずしも「ギターを手で弾く」必要はない気もします。さっきもギターを置こうと思ったって言ってましたが、それも納得です。でもあなたは “人間が指で弦を弾いて音を出す”という部分を手放さなかった。さっきも少し話してましたが、その部分はあなたの音楽にとって重要なポイントなんですよね。
そう、実はギターから徐々に離れていった時期があるんだ。それが始まったのは『Breaking English』を作った頃で、このアルバムは僕にとって「スタジオを楽器として使う」ことに本格的に深く潜っていった作品だった。一方で『Breaking English』ではギターも大きな要素だった。 でもここで自分に課した目標ははっきりしていた。「スタジオ主導の制作の中で、ギターを“数ある音色のひとつ”として位置づけられないか」ということ。
――なるほど。
その後に作ったEPが『Standards Volume 1』。これにはほとんどギターが入っていない。アイデアとしては、「スタンダードを“楽器を演奏せずに”成立させられるか?」ってことだったんだ。言い換えると、スタジオそのものが楽器になりうるか?という実験だね。もちろん、音は“手触りのあるもの”として扱いたかった。音を粘土みたいに扱いながら、彫刻的なものを作る感覚。でも、人間味が抜け落ちた感じにはしたくなかった。ただ、それが「伝統的な楽器で演奏する」こととは必ずしも一致しない、というだけ。
――ふむ。
たとえば、デューク・エリントンでも、モンクでも、コルトレーンでも、2秒聴けば誰かわかる。オーネット・コールマンもそうだよね。音がすごく人間的で、全体像がサウンドの中にあって、完全に形式化されて実現されている。オーネットを他の誰かと間違えようがない。それと同じことを、スタジオでできないか、と思った。2秒聴いて「うん、これはラフィークだ」ってわかるようなものを作れるかって実験。僕がそう感じる存在として、Flying LotusやTim Hecker、Ben Frost、Madlibみたいな人たちがいる。彼らはまさにそれをやっていると思ったから。
――面白いです。
その制作過程では、僕はほとんどギターを弾かなくなって、別のことをたくさんやっていた。ちょうどその頃、Kronos Quartetのための作品を委嘱されたり、プロダクションの仕事が増えたりもしていた。そうなったら、頭をよぎったんだよね。「ギターを弾いていた時期って、人生の一章だったのかな?」って。これからはギターを中心にせずに、あるいはギターをほとんど使わずに、別の形で音楽を作る章に移るのかもしれないなって。でも、その時に逆にはっきりわかったんだ。自分がどれだけギターを愛しているかってね。
それまで僕はギターに対してフラストレーションもたくさん抱えていた。「これをやりたいのに、楽器としてのギターでは無理」みたいなことがずっとあった。でも、いったんギターから離れて、楽器の外側で「自分の声」だと思えるものを見つけられた。その途端に、次にやるべきことがすごく明確になったんだ。つまり、ギターの外で育てた実践(制作やスタジオ的発想)を、ギターの弾き方ともっと深く融合させることだなって。
その話を義理の父にしたら、すごくシンプルで最高のことを言われた。「そうだね、時には、何かから離れないと、そこに歩み寄れないこともあるよ」って。僕が「もう二度とギターを弾かないかもしれない」と本気で考えた、その瞬間から、今のギターとの関係が始まったんだと思うよ。
――だから、近年の作品ではあんなにギターを弾いてたんですね。
そう。ここ数年は、二つの実践を合体させるために深掘りしている。具体的には、ギターをコンピューターに通して弾いて、その場で自分の演奏をサンプリングしていく。そういうシステムを作っている。足元にはコントローラーがある。それと、これはちょっと笑われるかもしれないけど、僕は頭がそんなにテクニカルじゃないから、色が必要なんだよね。
――色?
演奏するときには音楽を直感で考えたいんだよね。だからコントローラーが色分けしてあって、色と音やアイデアを結びつけて、演奏しながら操作できるようにしている。そうやって小さな“ブロック”を作っていく。
実はここもフリゼールの発想がつながっている。フリゼールって、演奏した小さな断片を掴んでおいて、曲の途中でボタンを押すと、その音が逆回転になったり、2オクターブ上になったりして出てくる。しかもそれを、すごく表現的に、コントロールしながら使う。
僕は「それを複数チャンネルでできないか」って考えたんだ。ひとつの素材だけじゃなく、たとえば4つの素材を同時に集められて、それぞれを別々に操作できる。そこに、今この瞬間に弾いている“生のギター”が加わる。つまり、4つの素材+いま弾いている自分で、合計5つのレイヤーを同時に扱える感覚になる。そうすると、スタジオ制作でやっていたように、素材を組み合わせたり、配置したり、オーケストレーションしたり、好きな形で展開できて、より彫刻的になれる。もちろん、何も使わずにただギターを弾くことだってできる。
それに、この方法だと、ギタリストとして自分が持ってきた“人格”というか、音色やキャラクターを拡張して使うこともできる。別の役割を演奏している最中でも、以前のキャラクターの断片を残しておくこともできるし、必要ならその場で加工して、いま起きている音楽の中に組み込むことも可能だ。
ーーなるほど。
だからいまはハイブリッドだね。ギターを弾いているけど、同時にエレクトロニクスを演奏している人のようにも振る舞っている。しかも、それを全てリアルタイムでやるんだ。事前に用意したサンプル素材を持ってきて、それを鳴らしているわけじゃない。実は過去にはそれをやったこともある。でも、それだと瞬間の中で育つ感じがしなかったんだよね。それに『Breaking English』とか『Standards』の時期の音楽は「特定の形」を持っていた。それって美しいんだけど、たとえるなら氷の彫刻みたいなんだ。触り方を間違えると割れてしまう。つまり、素材が固定されすぎている感覚があった。でも、今の僕は「その瞬間にしか存在できない音楽」の感触への興味が強いんだよね。
◉ 「その瞬間に起きる音楽としてのジャズ」への理解
――近年、そこまで大きな変化があったんですね。
みんな「ジャズはその瞬間に起きる音楽だから好き」って言うけど、正直、僕は15年間ずっとそれに懐疑的だった。「それってどういう意味だよ?」って思ってたくらい。でも今は、それが自分にとって何を意味するか、どうして価値があるのかがわかってきた。音だけじゃなく、作曲でも同じで、何かを細かく規定しすぎると、ピンで留めて固定していくみたいなことになる。もちろん、規定が全部悪いわけじゃない。ツルが太陽に向かって伸びるには支柱が必要なこともあるからね。だから構造が不要だと言っているわけじゃない。ただ、何かに留めつけられずにいられる余白が多いほど、その瞬間に生成できるものが増える。そのほうが、自分の魂が喜ぶ感じがするんだ。
だから今の僕は、楽器を演奏する自分のヒーローたちみたいに、彼らがホーンを口に当てた瞬間から「それがその人」になるように、僕もギターを手に取って弾き始めた瞬間に、いま想像しているすべてがアクセス可能で全てを出すことができる、そういう場所に行きたいと思ってる。
◉ 時間をどう知覚するか
――あと、あなたの音楽が「時間」への意識がすごく強いですよね。たとえば『Standards』では逆再生を使っていたり、作品によっては再生スピードを落として編集していたりします。演奏自体も異常にゆっくりだったり、時間の感覚が不思議に聞こえる音楽を作ります。きっと「時間芸術としての音楽」について考えがありますよね?
僕はずっと、「時間」と、僕らが「時間をどう知覚するか」にすごく関心があった。だって、あらゆる観察の土台は時間だよね。僕らの体験は、時間という次元(dimension)に根ざしている。驚いた時とか、次に何が起きるかわからない時って、意識がすごく高まるよね。予測できない瞬間のことって強く記憶に刻まれたりする。あの時ってすごく集中していて「今ここに完全に存在している」状態なんだよね。
僕が音楽でやりたいことのひとつは、聴き手がそういうレベルの「現在性」(presence)を体験できる条件を作ること。そのための鍵になるのが、サプライズとコントラストだと思ってる。
――現在性ですか。
もうひとつ興味があるのは、時間は、僕らの内側の体験だって部分。例えば、自分の脈拍とか心拍とか、そういう身体感覚にも関係している。同時にもっと長いスケールでの体験、例えば「この瞬間が遅く感じる」「すごく速く感じる」みたいな、時間の伸び縮みにも関係している。同じテンポなのに、ある夜はその曲が異様に速く感じて、別の夜はすごく遅く感じる、みたいなことがある。すごく面白いよね。
――たしかに。
これは僕の親しい友人のイアン・チャン(Ian Chang)がよく話していることでもある。彼はクリックに合わせてドラムを叩くことが多かった。でも、クリックに合わせているのに、その上でクリックに抗うようなことをやって、とんでもないことを起こせる名人なんだよね。
クリックで演奏していると、テンポが絶対に一定だってわかっているのに、自分の時間感覚がいかに可変なのかを思い知らされる。
だから、僕が言っている「時間」って「音楽の異なる要素同士の小さな関係が内的な世界の感覚に揺らぎ(undulation)を生み出す」ようなさっきの話にもつながるミクロなレベルのものもあれば、もっと引き延ばされたものだったり、もっと幽玄(ethereal)な波紋のような、例えば、夢の中みたいに直線的に流れず、時間が伸び縮みする感覚もある。一見バラバラの話に聞こえるかもしれないけど、僕にとっては全部ひとつの連続体なんだ。同じ次元(dimension)の中の話。
たとえば、瞬間ごとに時間感覚を混乱させるような、ピンで留められないリズムみたいなものもあれば、もっとゆっくりとしたやり方で、「今って5分なのか1時間なのか、よくわからない」みたいな状況を作ることもできる。
――なるほど。
僕が人生で見た中でも特に好きなパフォーマンスのひとつが、Big Ears Festivalでジェイソン・モランがやったソロ・ピアノなんだ。何年だったかは覚えてないけど、数年前だね。そのコンサート全体が素晴らしかった。
その中で、作家のトニ・モリスン(Toni Morrison)に触発された曲をやったんだ。トニ・モリスンが「黒という色には、他のどんな色よりも多くの“違う黒”がある」(※『The Black Book』)みたいなことを書いていて、彼女は黒のさまざまな陰影を描写している。モランはそれにインスパイアされて曲を書いた。
たとえば「嵐が解き放たれる直前、空が帯びる灰緑色の黒」みたいな描写があって、曲がそこに入った瞬間、モランはピアノの低音側の「底」へ潜って、ピアノの底のほうをゴロゴロと鳴らし始めた。照明デザイナーはそれまで一度も照明を変えていなかったのに、その瞬間だけ、会場の光を全部、真っ黒まで落とした。真っ暗な中で、モランがピアノの底でゴロゴロ鳴らしている。僕はあれがどれくらいの時間続いたのか、まったくわからなかった。30分だったかもしれないし、2分だったかもしれない。本当に自分ではわからなかったんだ。でも、体験としてははっきり記憶している。喩えるなら、真夜中に目が覚めて、光がなくて何も見えない時の感覚に近かった。最初は「黒」という不透明な塊しか感じない。だけど目が闇に慣れてくると、形が見えてきて、秩序が戻ってくる。世界が立体的に見え始める。それと同じで、最初はただ暗闇みたいに聴こえていた音が、耳がその音に慣れていくにつれて、だんだん組織だったものとして聴こえ始めたんだ。
つまり、あるアイデアには正しく体験されるための時間スケールが必要なことがある。アイデアの提示にも時間スケールが必要だし、聴き手がそのアイデアを体験できる時間スケールに「置かれる」ことも必要。これは繋がっている。だから僕は、伝えたいことに応じて、時間感覚を速めたり遅らせたりすることに強い関心があるんだ。
――面白いです… ずいぶん時間が経っちゃいましたね。すいません。
ていうか、今のって5分だった?それとも45分?(笑)いいね、今日は楽しかった。ありがとう。

◎ Outtake
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