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* interview 挾間美帆『Live Life This Day』:色とりどりの花束のように生まれ変わったサド・ジョーンズの名曲たち(10,000字)

挾間美帆の2025年の新作はサド・ジョーンズのトリビュート『Live Life This Day: Celebrating Thad Jones』。

ビッグバンドの作編曲における巨匠サド・ジョーンズは1970年代にデンマーク・ラジオ・ビッグバンドで首席指揮者を務めていた。

現在、挾間美帆はその席についている。いわば、サドは挾間の直系の先人だ。

挾間はそのサドへのトリビュートをビッグバンドだけでなく、オーケストラとのコラボで制作した。

これは実に素晴らしいアルバムなのだが、bandcampなどにレーベルが出している情報があまりなくて、その詳細が正直よくわからない。なので、本人に話を聞くことにしました。

挾間美帆がたっぷり語るサド・ジョーンズ・トリビュート。サド・ジョーンズの解説含め、ビッグバンド史の勉強にもなります。

※追記(2025/11/06)
挾間美帆の『Live Life This Day: Celebrating Thad Jones』収録の挾間美帆の自作曲「Live Life This Day: Movement I」が2026年のグラミー賞 "Best Instrumental Composition" にノミネートされました。

挾間美帆、二度目のノミネートです。おめでとうございます

https://www.grammy.com/news/2026-grammys-nominations-full-winners-nominees-list

取材・執筆・編集:柳樂光隆


◉ サド・ジョーンズの生誕100年を祝うアルバムを作るきっかけ

――そもそも、このアルバムはどのような経緯で始まったのでしょうか。

2019年にデンマーク・ラジオ・ビッグバンド(DR Big Band 以下DRビッグバンド)のチーフコンダクター(首席指揮者)に就任したのですが、その時からずっと言っていたことの一つが、「せっかくDRビッグバンドと同じビルの中に素晴らしいオーケストラ(DR SymfoniOrkestret)や混声合唱団(DR KoncertKoret)、女性合唱団(DR Pigekoret)があるのだから、ぜひコラボレーションしたコンサートをやらせてほしい」というものでした。
ただネックになるのは、ビッグバンドのシーズンは1年ごとにサイクルで決まるのに対し、クラシック・オーケストラは2年前から予定がすでに決まっているという点です。クラシックとジャズではブッキングの時間の流れが全然違う。そこに加えてコロナもありましたが、やっと実現できる可能性が出てきたのが2020年で、その時点で「2023年なら可能だろう」と言われました。

そこで「2023年に何ができるのか」を考えた時に、ちょうどサド・ジョーンズの生誕100周年にあたることに気づいたんです。これは素晴らしい機会だと思いましたし、サド・ジョーンズはデンマークにとっても非常に大きな存在。彼の名前を冠した「Thad Jones Vej(サド・ジョーンズ通り)」があるほど。だから彼の音楽にフォーカスしたコンサートをやろう、と。ずっと目標にしてきたことが、2023年3月にようやく実現できました。

――僕はてっきりデンマーク側からの発信だと思っていたのですが、挾間さん自身の提案だったんですね。

そうなんです。2017年にシエナ・ウインド・オーケストラのコンポーザー・イン・レジデンスを務めたり、2019年以降は自分のバンドではなく、歴史を持ち未来を担うオーケストラと向き合うポジションに就いたりして、活動の幅が変わりました。そうすると、自分のエゴや趣味だけでプログラムを組むことはできなくなるんです。

もちろん私はどうしてもマニアックな方向に趣味が行ってしまうので、いまだに「お金になる公演を作れ」と言われるのは本当に苦手なんですが(笑)。それはさておき、例えば「生誕100周年」といったタイミングなら、マニアックな題材でも特集が組みやすい。その意味で、生誕や没後の節目には敏感になり、「何かいいことができないか」と考えるようになりました。

◉ チーフ・コンダクターの仕事

――プロデューサー的な姿勢も求められるわけですね。

そうですね。音楽監督やチーフコンダクターというのは、指揮をするだけではなくプロデューサーとしての役割も含まれています。楽譜のクオリティチェックや必要に応じた修正、プログラミングへの関与など、すべて含めて任されるわけです。逆に「ただ振るだけ(=指揮をするだけ)」の仕事で呼ばれることはほとんどありません。

特にデンマークでは、契約で「シーズン(10月から3月)の間に4週間分は首席指揮者のイニシアチブでプロジェクトをプロデュースする」と決められています。これは2019年から2028年まで続く契約です。

例えばサド・ジョーンズ生誕100周年のシーズンには、この記念コンサートのほかに、サド・ジョーンズ・オーケストラのプログラム、DRビッグバンド単独ツアー、セシル・マクロリン・サルヴァントやベン・ウェンデルとのプロジェクトなども行いました。今年で言えば、自分のアルバム制作、マイケル・マヨとの1週間の共演、セシル・マクロリン・サルヴァントとのニューイヤー・コンサート、そしてDRビッグバンドのアメリカ・ツアーなどですね。

――つまり、自分のバンドを率いる時とは全く違うことを考えて動かなければならない立場ということですね。

そうなんです。自分のグループのm_unitにかけられる時間はほとんどありません。でも「今はそういう時期なんだな」と受け入れるしかないと思っています。

――ところで、DRビッグバンドって国営ラジオ局のバンドですよね。

はい。スカンジナビアでは唯一、国が出資している国営のラジオ局ビッグバンドになります。例えばドイツにはSWRビッグバンドがありますし、スウェーデンにも似たような例はあるのですが、デンマークのDRビッグバンドは国営としての性格がより強いです。

◉ 挾間美帆が動かしたもの

――つまり、今も国が直接お金を出しているんですね。

そうです。DR=デンマーク・ラジオという会社が出資しています。テレビ局としてのDRは、国営チャンネルが二つと中継用のチャンネルが一つ、計三つのテレビラインを持っています。音楽系のラジオチャンネルももともとは八つあり、以前は「ジャズ」という専用チャンネルもありましたが、2年前に廃止されてしまいました。今はクラシック音楽のチャンネルの中に、ジャズを組み込んでもらっている形です。

その「ジャズチャンネル」が閉じられた時には、ビッグバンドも存続の危機に立たされました。ただ、担当プロデューサーが非常に頑張って交渉してくれたおかげで、今も活動を続けられています。

――同じビルに入っているオーケストラや合唱団も国が運営している団体なんですね。

そうです。すべて国営です。オーケストラは日本語では「デンマーク国立交響楽団」と呼ばれます。

――そういう公共的な団体同士での共演は、これまでにもよくあったんですか。

一応ありましたが、内容は映画音楽やゲーム音楽のコンサートなどが多く、ジャズ・アーティストにフォーカスしたり、新しい作品を委嘱したりするような取り組みではありませんでした。いわばテレビ番組やエンターテインメントの伴奏的なものが中心で、私はそうしたものにはあまり関わっていません。

――挾間さん自身は、それまでデンマーク国立交響楽団と一緒に仕事をすることはなかったんですね。

はい。2023年のサド・ジョーンズのコンサートまでは、一切ありませんでした。その時にオーケストラの皆さんに気に入っていただけたようで、その後はオーケストラが主催するテレビ関連のコンサートで指揮を任されたこともあります。ただ、それはあくまで指揮だけの仕事で、私がプロデューサーとして関わっていたわけではありません。

――DRビッグバンドにとっても、オーケストラにとっても新しい試みだったわけですね。

そうですね。しばらくこういうことはなかったと思います。デンマークでは、過去に事務的な共演はあっても、本格的にオーケストラとジャズが交わるような企画は長い間なかったと思います。ドイツではそういう取り組みがありましたが、デンマークでは何十年もやっていなかったんじゃないでしょうか。

――それを動かしたというのは、特別なプロジェクトなんですね。

はい。オーケストラ側にとっても、ビッグバンドから誘われるというのは初めてに近かったと思いますし、リハーサルをしてみてわかったのは「全くスイングできていない」ということでした。つまり、今までそうした経験がなかったんだろうなと。だからこそ、最初から作っていく必要がある企画でした。

――まず、『Celebrating Thad Jones』は録音が前提の企画だったのでしょうか?それともコンサートをやる企画だったんでしょうか?

まずはコンサート企画です。その際、DRは国営ラジオ局なので必ず録音が入りますし、注目度の高いコンサートではテレビも入ります。この公演もテレビ収録があり、映像が残っています。

――僕はてっきり「サド・ジョーンズ生誕100周年だから国の文化庁的なところが主導して、ラジオ局が駆り出された」という話だと思っていました。

全然違います。主体はあくまでDRビッグバンドです。

――デンマークでは他にもサド・ジョーンズ生誕100周年関連の企画はあったんですか。

デンマークには国営のビッグバンドはDRしかありません。他にあるのは、たとえばサクソフォニストのレミー・ルブフ(Remy Le boeuf )が音楽監督をしている地方のビッグバンド Nordkraft Big Band で、そこが記念コンサートを行って、彼がアレンジを手掛けたりしていました。ただ、国内にビッグバンドは数えるほどしかなく、実質的に大規模にやったのは私たちだけかもしれません。

私たちは『Live Life This Day』の記念コンサートに加えて、DRビッグバンドだけでサド・ジョーンズのレパートリーを演奏するツアーも行いました。デンマーク国内で7か所くらい回ったと思います。かなり力を入れた一年でしたね。

◉ サド・ジョーンズとデンマークの関係

――では、まずはサド・ジョーンズとはどんな人物で、デンマークとどういうつながりがあったのか教えてもらえますか?

まず、彼はカウント・ベイシー楽団の名トランペッターとして知られていましたが、やがて作曲にも強い関心を持つようになりました。ベイシー楽団のために曲を書いたものの「難しすぎて演奏できない」と却下されることも多く、結局、自分の思うままの音楽を演奏するために「Thad Jones / Mel Lewis Orchestra」を立ち上げました。彼らが毎週月曜にNYのヴィレッジ・ヴァンガードで演奏したことが、今に続くヴァンガード・ジャズ・オーケストラの起点となり、ジャズ史に大きな足跡を残しました。

そして1950年代後半、サドはデンマークに移住しました。サドの当時の妻がデンマーク人だったことが大きな理由です。彼女は現在も健在で、息子のサド・ジョーンズ Jr.やお孫さんたちもコペンハーゲンに住んでいます。2023年の記念コンサートにもご家族で来てくださり、とても意味のあるイベントになりました。

晩年のサドはほとんどデンマークで過ごし、亡くなった後はコペンハーゲンの名だたる首相たちが眠る墓地に立派なお墓が建てられています。彼は国にとって非常に大切なジャズ・アイコンなんです。

背景として、1950〜60年代のデンマークは有色人種やアーティストに対して排他的ではなかったので、多くのジャズ・ミュージシャンが「住みやすい国」として移住しました。サド・ジョーンズだけでなく、ベン・ウェブスター、ケニー・ドリュー、デクスター・ゴードンなども最終的にデンマークに住み着きました。

◉ サド・ジョーンズとDRビッグバンド

――サド・ジョーンズとDRビッグバンドの関係についても説明してもらえますか?

1977年から1979年頃までの約2年間、サド・ジョーンズはDRビッグバンドの音楽監督を務めていました。当時、バンドは主にコマーシャル音楽や軽音楽を演奏していましたが、彼によって徹底的にスイングを叩き込まれたと、多くのメンバーが語っています。サドがいなければ、DRビッグバンドがここまでの存在にはならなかったと考える人も多いです。

その後、サドは自身のオーケストラをデンマークで立ち上げて活動しましたが、そこにはDRビッグバンドのメンバーも多く参加していました。DRでの活動自体は短い期間ではありましたが、彼は非常に強い影響を残した人物です。そして今も、当時彼が残したレパートリーを、私たちは大切に演奏し続けています。

――DRビッグバンドの方向性も、サド・ジョーンズ以前と以後では大きく変わったのでしょうか。

まず、彼以前に音楽監督を務めたアメリカのアーティストではレイ・ピッツ(Ray Pitts)がいました。1971〜73年ごろです。最初の音楽監督的存在のIb Glindemann (1964–1968)がやりたかったのはスタン・ケントンのような音楽なので、最初から方向性はそっち(※ダンスバンドではなく、クラシックや現代音楽の影響も含むようなプログレッシブなスタイル)なんです。だから、当初からヴァンガード・オーケストラのような音楽を志向していたと言えると思います。当初からジョージ・ラッセルやスタン・ケントンみたいな音楽をやっていたし、もっとやりたかったから、(ジョージ・ラッセルと演奏していた)レイ・ピッツを招聘したのも、その方向性の一環だったのだと思います。最初から目指すべき方向はあったわけです。

――サドがDRビッグバンドで活動していたのは70年代後半ですよね。

そうですね。1977〜79年です。サドの音楽はその頃、エレクトリック化も進んでいました。だから、ラジオ・ビッグバンドがオーソドックスなジャズばかりをやるのではなく、少し広がりを見せるきっかけにもなったと思います。

――サド・ジョーンズがチーフコンダクターを務めたことで、バンドにとって大きな自信につながった部分もあったのでしょうか。

そう思います。冷静に見ても、サド・ジョーンズという名前はデンマークにとっても世界にとっても大きな存在です。そのような人物を音楽監督に迎えられたことは、DRビッグバンドにとって大きな自信になった部分はあると思います。ボブ・ブルックマイヤーやジム・マクニーリーといった偉大な作曲家を呼ぶのはもっと後、1990年代の半ば以降になります。つまり20年くらい先の話です。その間はピアニストのオーレ・コック・ハンセン(Ole Kock Hansen)が長く音楽監督を務めていました。その間も「ああいう方向に行きたい」という気持ちは常にくすぶっていたと私は考えています。

◉ 17年ぶりに招聘されたチーフ・コンダクター

――そして、90年代半ばから完全に方向を切り替えていく、と。

そうですね。やはりカギを握っているのはミュージック・プロデューサーの存在だと思います。ジム・マクニーリー以降、長い間チーフコンダクターがいませんでした。私が就任するまで17年間いなかったんです。

ーー17年も不在ですか。

2013年頃に現プロデューサーのビルゲル・カールセン(Birger Carlsen)が事業責任者・芸術監督(General Manager & Artistic Director)的なポジションにつきます。そこから「やはりバンドの顔となり、未来を切り開くチーフコンダクターが必要だ」という話になり、その流れで私のポジションが再び設けられたんです。

それ以前はバンド内で全てが回っていて、外部にプロデューサーを任せる発想はあまりなかったのだと思います。

ーーそして、挾間さんが就任して変わっていくと。

そうですね。

◉ 『Live Life This Day』

――今回の『Live Life This Day』では、サド・ジョーンズのオリジナルをカバーすると同時に、挾間さんのオリジナル曲も収録されています。サドの曲はいわば代表曲群だと思いますが、それぞれの特徴を教えてください。

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