interview Catherine Russell:戦前ジャズ、ブルース、ストリングバンドを蘇らせるヴォーカリストの人生(10,000字)
アメリカ音楽シーンは本当に豊かで懐が深い。キャサリン・ラッセルを知ったら誰もがそう思うはずだ。
日本での知名度は高くないかもしれないが、彼女は先のグラミーで『My Ideal』がノミネートされたのを含め、3度のグラミー賞ノミネートを誇る名ヴォーカリストだ。
スティーリー・ダン、デヴィッド・ボウイ、シンディ・ローパーらがツアーに帯同させる敏腕ヴォーカリストである彼女は自身のアルバムでは1920-1950年代ごろのノスタルジックなジャズをさりげなく現代の空気にも合わせたハイセンスなサウンドで高い評価を受けている。ルイ・アームストロングの音楽ディレクターを務めた父ルイ・ラッセル、伝説的な女性のみのビッグバンドのインターナショナル・スウィート・ハーツ・オブ・リズムのギタリストでもあった母カーライン・レイの間に生まれたキャサリンは両親の音楽を受け継ぐようにスウィングジャズやニューオーリンズジャズ、ブルースやストリング・バンドなど、様々な音楽を彼女ならではの解釈で奏でる。
ピアノ、ギター、ベースのトリオに歌を加えた編成はナット・キング・コール・トリオを、管楽器にバンジョー、チューバ、ピアノ、ドラムなどが含まれる編成にはルイ・アームストロングが結成していたホット・セヴンを思い起こさせる。そんな編成でベッシー・スミスやエタ・ジェイムスにも通じる渋いブルースを聴かせる。今、こんな作品を作っているアーティストはなかなかいない。
そんな彼女の音楽は現在Spotify再生2,300万回を誇る。20世紀のアメリカ音楽の歴史を奏でる文脈的な豊かさだけでなく、ルイ・アームストロングの音楽にも通じるようなどこまでもジョイフルな魅力がこの人気にも繋がっているのだろう。
そんな彼女に日本では初のインタビューを行った。下積み含め、アメリカのヴォーカリストの地道なステップアップを語ってくれたのも貴重だ。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:渡瀬ひとみ | 協力:Blue Note Tokyo

◉ミュージシャンだった両親のこと
◎父ルイス・ラッセル
――子供の頃、家ではどんな音楽を聴いてましたか?
あらゆるタイプの音楽を聴いて育った。父のルイス・ラッセルはオーケストラ・リーダーで、ピアニストでもあり、スウィング・ミュージックのアレンジャーでもあったから、幼い頃は父の音楽を聴いていた。そして、父がやっていた音楽はビッグバンドのスウィング ・ミュージック。彼がバンド活動を始めたのが1920年代だったから、1920年代後半のスウィング・ミュージックを聴いていたってこと。
その後、1935-1940年まで父はルイ・アームストロングのバンドリーダーをやっていた。だから、それらの音楽を聴いたり、当時のポピュラー・ミュージックを聴いていた。すなわち、エラ・フィッツジェラルド、トニー・ベネット、フランク・シナトラらの音楽を。それらは当時ラジオでもかかっていた。台所にラジオがあって、毎日母と一緒にこれらの音楽を聴いていた。夜は夜でTVのバラエティー・ショーでこれらのアーティストが出演していたしね。例えば、サミー・デイヴィスJrとか、ディーン・マーティン。
もう少ししてからロックンロールとかを聴くようになって、ブルースのアーティストにもハマった。エタ・ジェイムスは何度もパフォーマンスを見に行った。私たち家族はクラシックの音楽も好きで聴いていたから、幼少期はクラシック音楽、オペラも聴いていた。母はオペラの熱狂的なファンで、オペラについて詳しかったから。
両親ともあらゆるスタイルの音楽を聴いていた。
◎母カーライン・レイ
――お父さまはサッチモのバンドリーダーですが、お母様もすごかったんですよね。
母はジュリアード音楽院とマンハッタン・スクール・オヴ・ミュージックでクラシック音楽を勉強していた。ジャズ・アーティストではあったんだけど、マルチ奏者だったので、元々はギターを弾いていたけど、ベースも弾いていた。ジュリアードではコンサート・ピアノと作曲を専攻していて、その後、コンサートのコーラスのシンガーになった。母はこれらのことを同時にやっていたわけ。母は生涯、フリーランスのミュージシャンとして活躍していた。だから、私も音楽業界でなるべく色々なことができるように、フリーランスのアーティストになりたいと思うようになった。
◉ヴォーカリストとしてのキャリア
◎ゴスペル
――自分がヴォーカリストになろうと思った頃の話など聞かせてください。
(自分が音楽で食べていけるようになるまでは)結構な時間がかかった。正直、これで食べていけるとは思わなかった。
最初は学校の聖歌隊で歌ってた。その後、大学に入ってからダリル・コーリー(Daryl Coley)率いる聖歌隊に加入した。ダリルは素晴らしいゴスペル・シンガーでもあり、ゴスペルのソングライターでもあったゴスペル界のスター。私は彼の聖歌隊に入って、今の歌唱法を身につけた。そして、彼がリード・ヴォーカルとして歌うチャンスを私に与えてくれた。18歳ぐらいの時に聖歌隊から抜けて、自分で歌う経験を与えてくれたのが彼。
◎フリーランス・ヴォーカリストの仕事あれこれ
そこから今の地点に辿り着くまでに何年もかかった。いろんなことをやったんだけど、一つは、ソングライターが有名なシンガー達に売り込むためのデモテープのレコーディング。それで生活してた。まずは、歌で食べていかなければならなかったから。そのソングライターのひとりは、フィル・ゴルストン。ヴァネッサ・ウィリアムズの“Save The Best for Last”という曲を書いた人。そんなポップ畑の曲もやっていた。
他にはCMのために歌ったり、CM用のジングルを担当したりもした。色々な依頼があって、ティナ・ターナーのそっくりさん仕事とか、シャーリー・バッシーのそっくりさんのレコーディングの仕事とか。ジェームス・ボンド映画で使われた“ゴールドフィンガー”を歌ったシャーリー・バッシーっぽい声で歌わなければならなかったり、とかね(笑)。ま、あらゆるレコーディング・スタジオの仕事をしたってこと。
あとは有名なアーティストのレコーディングのバックコーラスをやったり。ほかにはニューヨーク・シティあたりの小さなクラブのギグなどの仕事もやってた。そこから徐々にツアーの仕事が入ってくるようになった。例えば、ルーサー・ヴァンドロスと一緒に仕事をしていたシンガーと一緒に仕事をしたことがあった。そういう人たちから仕事の連絡をもらったら、それはすなわち「一流のシンガーとしての仕事をいただく」ってこと。そういう人たちはスタジオ周りで一番いいシンガー達なわけだから。そうやって有名なアーティストのレコーディングの仕事をたくさん経験して、私はスタジオ・ワークを学ぶことができた。
◎ドナルド・フェイゲンやデヴィッド・ボウイとの仕事
――なるほど。
1980年代の後半にドナルド・フェイガンに出会ったことで、私は彼と仕事をするようになった。1990年代に入ってからドナルドがThe New York Rock and Soul Revueのツアーに参加させてくれた。そこでボズ・スキャッグスやフィービ・スノウ、チャック・ジョンソンと一緒に仕事をして、その後、スティーリー・ダンのツアーにも同行することになった。そうやってツアーの仕事を始めた。
でも、最初に来日したのは 1980年代後半のサマンサ・フォックスとの仕事。スティーリー・ダンの仕事でも日本に行ったし、その後、シンディ・ローパーとのツアー仕事では何度も日本に行ってるし、2000年代初頭にはデヴィッド・ボウイとのツアーでも日本にへ行っている。
ドナルド・フェイゲンと故ウォルター・ベッカーとは本当に長年素晴らしい時間を過ごした。多くの人たちに、「ドナルド・フェイゲンとの仕事は大変だったんじゃないの?」と聞かれる。彼らの音楽はパーフェクトで参加メンバーは正確さを求められる。でも、多くの学びがあった。
デヴィッド・ボウイとの仕事も好きだった。当時、彼が撮影のためにツイードの素敵なスーツを着てユーロスター(英仏海峡トンネルを通ってイギリスからヨーロッパ大陸へ運行する高速鉄道)に乗った時のことをよく覚えてる。往年のハリウッド映画の俳優のようなファッションでアタッシュケースみたいなものを持って、列車内を歩いていた。私たちバンドメンバーを後ろに待機させて、そんな彼が列車に乗り込む姿が撮影されていた。その時、彼は私に「いつもこんなことをやっているわけじゃないんだよ。いつもこんな格好をしているわけでもないし」って話しかけてくれた(笑)。実際、そうだった。彼はいつもスター然としたわけじゃない。日常は普通の人で、ステージ衣装を着るとスターになる。こういう人たちは一日中常にスター然としているわけじゃなく、普通の人間。それがステージに上がるとスターになるの。
―― ドナルド・フェイゲンとの仕事以降、一気に仕事が増えたと。
2004年のデヴィッド・ボウイのツアーが終わった後、ニューヨークに戻ってきた。その時に今の夫が「君が一つやっていないことがある。それは自分のレコーディングだろう?」と言ってくれた。そこから私自身のソロのレコーディングが始まった。夫と仲のいい友達が、シカゴの郊外にスタジオを持っていて、レコーディングはそこで行った。それが私のファースト・アルバム『Cat』 になった。これが2006年にリリースされて、それからレコーディングを続けて、今ではソロ・アルバムが9枚もある。
◉ヴォーカリストとしての影響源
――あなたは幅広い歌を歌える技術があると思いますが、一方で歌手の自分として、自分のスタイルを確立するために特に研究したヴォーカリストはいますか?
エタ・ジェイムズが好きだった。それに私が最も興味を持ったのは、ウィルソン・ピケット、オーティス・レディングなどの男性ソウル・シンガーだった。アイザック・ヘイズとかカーティス・メイフィールドも好きだったし、やっぱり教会的な音楽が好きだったんだと思う。
自分の仕事を確立していた時期、ジャズ・シンガーよりもその手のジャンルの音楽の人たちを聴いていた。彼らのエネルギー的なものが好きだったから。モータウンのシンガー達も好きだった。マイケル・ジャクソンとかね。彼とはだいたい同じぐらいの歳だから、彼のことはずっと見てきたし、聴いてきた。フォー・トップスのリーヴァイ・スタッブスも素晴らしい声。すごく影響を受けてる。シュープリームスとマーヴェレッツとかのガールグループとか、45回転のレコードを子供の頃、いっぱい持っていた。
少し大人になって、自分のスタイルみたいなものを見つけた時、エタ・ジェイムズはまだまだ大きな影響源だった。
1980年から1990年代に母がルース・ブラウンのバンドのベーシストをやってたから、ルース・ブラウンはよく聴いた。だから、彼女の歌や、彼女のパフォーマンスから学ぶことができた。どうやってショーを展開していくか、に関しては彼女の影響が大きい。
あと、もう1人あげるならアルバータ・ハンター。ものすごく影響を受けた。ショーの展開がすごく面白かった。彼女はヴァラエティに飛んでて色々な音楽をやっていたから。ルース・ブラウンもそうだったけど、彼女もブルースもジャズも歌った。今、私がショーを展開する上で最も影響を与えてくれたのが、今挙げた2人。
他にもニーナ・シモンやアーサー・キット、アビー・リンカーンやベティ・カーターもみてる。彼女らも影響源だと思う。エラ・フィッツジェラルドにも少し影響は受けてはいるけど、私がやっているようなこととは全く違う。彼女は天才だから(笑)
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