interview Antonio Loureiro - Aldeia Coração:社会、政治、人生、愛、猫を歌った9つの曲(10,000字)
ブラジルのアーティスト、アントニオ・ロウレイロが新作『Aldeia Coração』(2025)をリリースした。前作『Livre』(2018)から7年ぶりの4作目となる。
彼の音楽はデビュー作の『Antonio Loureiro』(2006)の時点ですでに完成度が高かった。美しい響きを持つ小編成のアンサンブルは、彼自身も参加していたMisturada OrquestraやRamoといったグループとも通じるものだった。
2作目の『Só』(2012)では大胆に一人多重録音へと舵を切り、音楽性を一気に拡張。ポストロック的なサウンドで高い評価を得た。
『Livre』(2018)では、カート・ローゼンウィンケル『Caipi』への参加や、アメリカに渡った盟友ペドロ・マルチンスとその周辺のコミュニティとの交流などを反映し、よりユニバーサルなサウンドを提示した。その頃、ペドロ・マルチンスをはじめとしたアントニオ周辺のアーティストたちは、アメリカのアーティストとの交流を活発化させていき、ノウアーのジェネヴィーヴ・アルターディをはじめ、アメリカとブラジルを横断するコラボレーションも目立つようになっていった。
もしかしたらここからそんな流れが本格的に始まるのではないか、と思っていた矢先、パンデミックによって世界は一度立ち止まることになる。
『ALDEIA CORAÇÃO』は、そんなパンデミック以降の時期にアントニオが制作をつづけ、長い時間を経てようやく形になった作品だ。つまり、世界が大きく変わってしまったこの7年をアントニオがどう見て、どう考えてきたのか、その思考と感情が詰め込まれている。結果として、本作はこれまでの彼の作品の中でも特別な一枚になっている。
取材・執筆・編集:柳樂光隆、江利川侑介
通訳:村上達郎 | 写真:Caio Kenji
◉ アルバムのコンセプト
――まずは『ALDEIA CORAÇÃO』のコンセプトについても教えてもらえますか。
このアルバムのタイトル曲「Aldeia Coração」は、実は7年前に書いた曲なんだ。歌詞はチガナ・サンタナ(Tiganá Santana)が書いてくれた。ブラジルの植民地化の歴史や、ブラジル人が「この国に属している」と感じにくくなるような感覚が強く反映されている。音楽的な美学も、そのテーマと同じ場所に立っていると思う。
曲自体は昔にできたものだけど、このアルバムを完成させるまでには、結果的に7年近い時間がかかった。ずっと作業し続けていたというより、その間にパンデミックが起きたりして、途中で一度止まった時期もあった。そこからまた少しずつ再開していった感じだね。結果的にこのアルバムは、この7年間に自分が体験したことの集積になった。
ブラジルでは大きな政治的転換があったし、世界的なパンデミックもあった。社会的にも政治的にも、とても強度の高い時間だった。そのすべてが、このアルバムに入っていると思っている。
――ではその「Aldeia Coração」について、もう少し詳しく聞かせてください。チガナ・サンタナに作詞を依頼した理由は?
チガナ・サンタナから歌詞をもらった当時、ブラジルは大きな政治的転換点にあった。ボルソナーロが大統領に選ばれようとしていた時期で、彼はファシスト的だと見なされていた存在だった。
その頃にチガナ・サンタナと出会って、彼の仕事を知った。彼はとても知的で、政治的で、ある意味では社会学者のような視点を持っている人だ。彼が送ってくれた歌詞は、さっき話したブラジルの根源的な問題、例えば、植民地化、帰属意識、共同体の喪失を鋭く突いていた。
この曲は、そうした時間をずっと横断してきた。2019年に前作『Livre』を携えて日本に行ったときも、すでにこの曲は演奏していたし、2022年にハファエル・マルチニ(Rafael Martini)と来日したときも、「Aldeia Coração」を別の編成で演奏している。僕たちのアルバム『Ressonância』でもこの曲を録音した。
だからこの曲は、時間とともに育ってきた存在なんだ。歌詞も音楽も、ずっと意味を持ち続けてきた。だからこそ、このアルバムの柱(ピラー)として置くことが、とても自然だったんだ。
◉「Aldeia Coração」:黒人や先住民の文化への言及
――この曲では、ブラジルの先住民の存在や、ヨルバ系の神々、カンドンブレのオリシャなどの名前が繰り返し登場しますよねこの曲では、ブラジルの先住民の存在や、ヨルバ系の神々であるカンドンブレのオリシャなどの名前が繰り返し登場しますよね。。「Aldeia(共同体・村)」と「Coração(心)」という言葉を組み合わせたタイトルも印象的です。こうした歌詞の世界観を、音楽としてどう表現しようと思いましたか?
先住民の存在や、ブラジル文化を形作ってきた人々、特に黒人の文化やカンドンブレについて言及するのは、実はこれが初めてじゃないんだ。ただ、ここ数年で強く意識するようになったことがある。 それは、自分が体験していない文化について、自分の言葉で語ることの難しさ。
僕はカンドンブレの信者ではないし、先住民でもない。カンドンブレの音楽は心から尊敬しているし、深い情熱もあるし、ある程度の知識も持っている。でも、それでも「自分はそれを語る主体なのか?」という問いは常にあった。
だからこの曲では、チガナ・サンタナの言葉を歌っている。彼の歌詞は、単なるオマージュや引用じゃない。ブラジルという国が抱えている、文化的・政治的な根源の問題を投げかけている。彼が書いているのは「ブラジル人が共同体(=Aldeia)の一員として生きることの難しさ」なんだ。ここには、立場の違いもはっきりとある。僕は白人で、ポルトガル人植民者の子孫。彼は黒人で、ブラジルに連れてこられた奴隷の人々の子孫だ。実はこの曲を歌うことについて、チガナーと話し合ったこともある。「白人で、ポルトガル系の僕が、この歌詞を歌っていいのか?」って聞いたんだ。彼は「それこそが重要だ」と言ってくれた。それには意味がある、と。
だから僕は、この曲を敬意と責任を持って歌っている。カンドンブレやオリシャ、そしてトゥピ・グアラニの宇宙観、特にトゥパン(先住民族トゥピ・グアラニ神話における神の一人)のような存在についても、チガナ・サンタナの言葉を通して歌っているんだ。
――「Aldeia Coração」では、歌詞の世界観とサウンドの関係もとても印象的でした。 この曲について教えてもらえますか?
この曲に関して言うと、音楽のほうが先にできているんだ。歌詞の内容からインスピレーションを得て作ったわけじゃなくて、僕が先に音楽を書いて、それをチガナ・サンタナに送って歌詞を書いてもらった。だから、最初の時点では音と歌詞に直接の関係はなかった。でも、結果的に面白いことが起きたんだ。僕には「Jequitibá」という曲があるんだけど、その構造とすごく似ているんだ。
「Jequitibá」では、ピアノの中でかなり複雑なリズムや細かい分割が動いていて、その上に、すごくシンプルなメロディが浮かんでいる。そのメロディだけを取り出して聴くと、ほとんど民謡みたいな循環する歌、例えばシランダのような民衆の歌に聴こえる。
「Aldeia Coração」も同じで、下では複雑なリズムが動いていて、その上に乗っているメロディはとてもシンプルなんだ。そのメロディだけを聴くと、ブラジルのポピュラーな歌、フォークロア的な歌のように感じられる。でも、下で起きていることは、決して単純なポピュラー音楽ではない。
だから最初は、歌詞とは無関係に作った音楽だったけど、結果的には「異なる表現や可能性を、ひとつの音楽の中で共存させる」という点で、歌詞ともちゃんとつながったんだと思っている。
◉「Roda dos Amantes」:人生の軌道や循環
――では、次に2曲目「Roda dos Amantes」について聞かせてください。マケリー・カー(Makely Ka)が歌詞を書いています。この曲について教えてもらえますか。
正直に言うと、この歌詞を初めて読んだとき、「これ、本当にマケリー・カーが書いたのかな?」って思ったんだ。言葉がすごくシンプルで、彼の普段の作風とは少し違って感じられたからね。この曲は、歌詞が先にあって、そこに音楽をつけた珍しいケースだった。
最初はピアノで作っていて、もう少しミナス的な響きが強かった。でも、そこからだんだん変化していって、ギターが前に出て、フォーク寄りのサウンドになっていった。それでも、どこかロック的な感触はずっと残したかったんだ。『Livre』以降、自分の中にそういうロック的な衝動があって、この曲もその流れの中にある。
それから、この曲ではルアナ(Luana Saggioro)が一緒に歌っている。
彼女は僕のパートナーで、子どもの母親でもある。
歌詞は、輪(roda)、恋人たち、人生の軌道や循環について歌っている。だから、この曲を彼女と一緒に歌うのは、とても詩的で自然なことだと思ったんだ。
◉「Será」:マラニョン州の音楽、ウクライナとガザ
――「Será」について聞かせてください。タイトルも不思議ですし、歌詞には戦争を思わせるような、不穏なイメージも出てきますよね。リズムやサウンドも変化が多くて、このアルバムの中でも特に特徴的な曲だと感じました。
「Será」はアルバムの中でも強い曲だと思うし、僕のキャリアの中でも重要な曲なんだ。インパクトが大きい。だからこの曲には、作曲面と、完成までの流れという意味で、2つの物語があるんだよね。
まず、ここでも音楽が先にできた。曲は丸ごと先に作っていた。僕はマラニョン州のリズムが本当に好きなんだ。特にタンボール・ヂ・クリオーラ(Tambor de Crioula)と、ボイ(Boi)。僕はそれらのリズムを、自分のやり方で曲に入れることが過去にもあった。「Boi」って曲もある。「Será」でも、そういう方向で何かやりたかった。リズムそのものだけじゃなくて、ボイの歌い方、例えば、メロディの運び方や旋律の道筋みたいなものにもオマージュを入れたかったんだ。だからこの曲では、僕が持っている“ミナス的な”少し複雑なハーモニーと、マラニョンのボイのリズムが混ざりあうことになった。
曲自体は歌詞なしでも弾くのがすごく楽しくて、しばらくその状態でずっと弾いていたんだけど、「これはきっと歌の曲だ」って感覚も最初からあった。すごく「カンソン」(≒ブラジルの歌謡曲的なイメージ)なんだよね。
自分で歌詞を書こうとして、いろいろ試したんだけど、どうしても書けなかった。これは短い歌詞じゃなくて、ちゃんと長い言葉が必要になる曲だって感じていたのもあって、難しくなっていたんだと思う。そこでInstagramで、演奏を配信して、こう言ったんだ。「僕はいつもの仲間たちが大好きだけど、新しいコラボレーターも探してる。この曲に歌詞を書きたい人がいたらって言葉を海に投げるみたいにここに置いておくよ」って。
そしたらハファ・カストロ(Rafa Castro)が反応してくれて、歌詞を書いてくれた。ほとんど完成形みたいな状態で返ってきたんだ。ほとんど直してないよ。
テーマはかなり重い。彼が最初に書いた直接のきっかけは、ロシアとウクライナの戦争だった。でもその後に、ガザでのジェノサイドが起きて、曲の内容がさらに「今の現実」として刺さるようになった。場合によっては、むしろそっちのほうが、より切実に響く印象もある。
歌詞が描いているのは、戦争の中の子どものイノセンスなんだ。子どもが空を見上げて、「あれは流れ星なのか、それとも爆弾(あるいはミサイル)なのか」が分からないって思ってる光景。そういう類の残酷さだ。子どもの無垢さが戦争によって完全に攻撃されてしまう。その“戦争の空”を、子どもの目線で見ている。
◉マラニョンの音楽とロウレイロの過去作
――今の話を聞いていて思ったんですが、マラニョンのリズムやタンボール・ヂ・クリオーラ、ボイといった影響って、『So』の頃から、ずっとあなたの音楽に流れている気がします。こうした文化的影響は、あなたの中でずっと大きいものなんでしょうか?
実際、マラニョンの影響は最初のアルバムからずっとある。ただ面白いのは、僕がマラニョンの音楽を学んだ場所は、(北東部の)マラニョンじゃなくて(南東部のミナスジェライス州の州都)ベロオリゾンチなんだ。今もちょうどベロオリゾンチにいるんだけど、ここで、友人でパーカッショニストのダニエラ・アモス(Daniela Amós)から、マラニョンの文化をたくさん学んだ。特にボイとタンボール・ヂ・クリオーラだね。
当時は、週に一回集まって練習して、タンボール・ヂ・クリオーラのグループとボイの勉強グループみたいなものをやっていた。楽器も全部そろえて、外で演奏したりもしていた。あれは本当に僕を魅了したし、心から夢中になった。
当時は、今ほどインターネットが発達していなかったし、そもそもマラニョンの大衆文化は、広く流通しているものでもなかった。ブラジルの民衆文化としてよく知られていたのは、たとえば(北東部の)ペルナンブーコの文化だったり、僕たちの地元のミナスの文化だったり。それ以外だと、サンバやフォホーみたいに「全国的に知られているもの」は当然あった。当時は特に、マラカトゥ(maracatu)が強い存在感を持っていた。大きい太鼓が鳴って、リズムが強烈なんだ。
でもマラニョンの音楽は、そこまで一般的に共有されていなかった。だからこそ、ダニエラ・アモスから学んだその世界の独自性に、僕は強く惹かれたんだ。リズムや楽器の起源という意味でも、すごく興味深い。アフリカから来た要素がブラジル文化の中で大きいのは当然なんだけど、たとえばフレームドラムの系譜が、イタリアやポルトガルを経由してブラジルに入ってきたって話もある。
それに、ボイの太鼓のルーツとして、彼はザイールやエジプトのほうからの流れも教えてくれた。つまり、ボイの太鼓をパンデイロにも繋がる系譜として捉えているんだ。そういう「異なる辿り着きかた」がずっと僕を惹きつけているんだ。
だから、その影響はずっと僕の音楽の中にあるし、僕はずっとそれを自分の音楽に持ち込んできたんだ。
◉「Sem Ar」:パンデミックとボルソナーロ政権
――6曲目「Sem Ar」について聞かせてください。歌詞から、パンデミックのことを感じましたし、1曲目「Aldeia Coração」で話してくれたテーマとも、どこか響き合っている気もしました。
「Sem Ar」の歌詞はセーザル・ラセルダ(César Lacerda)が書いてくれたんだ。彼は感受性が鋭いし、その感覚を言葉に変換するのがうまい人。彼はミナスの人で、僕のキャリアもよく知っている。僕が何をどこから持ってきているのか、どういう音楽性なのかも理解してくれているから、すごく信頼してる。
この曲も、音楽が先にあって、それを彼に渡して歌詞を書いてもらった。そのとき僕は彼に、「あの時期に僕らが生きていたことを書いてほしい」と伝えたんだ。つまりパンデミックのことだね。
でも、ただ「パンデミックで大変だった」だけじゃない。ブラジルでは、否認主義的(negacionista)な政権の下でパンデミックを経験した。大統領は、COVIDを「中国のウイルス」みたいに言ったり、マスクは要らないと言ったり、ワクチンを買わないと言ったりした。世界中がワクチンを接種して、隔離しながら耐えているのに、ブラジルはその流れから外れていくような感覚があった。
周りで人が亡くなっていくのを見ているのに政府が何もしない。それは、怒りでもあったし、同時に恐怖でもあった。「こんなのあり得ないだろ」っていう混乱の中で、僕らはずっと生きていたんだ。
だから僕らは、その「感覚」について長い時間話し合った。敏感にそれを感じ取ってしまう人間として、あのカオスの中にいたわけだから。セーザルは、そこから本当にインスパイアされた歌詞を書いてくれた。直接的で、的確な歌詞をね。
ただ、この曲もアルバム自体も、リリースはずっと後になった。当時シングルとして出したりもしなかったしね。でも、この曲の存在は僕がこのアルバム全体をCOVID-19の犠牲者に捧げている理由を示すものでもある。亡くなった人たちにも、遺された家族にも捧げている。本当なら「失わなくてよかった命」がたくさんあった、と僕は思っている。対応次第で、もっと違ったはずだって。
パンデミックは、このアルバム制作の真ん中に落ちてきた。巨大な隕石みたいにね。制作は遅れたし、僕の音楽そのものも変えた。だから、あの時間を通過したあとに、どうしても何かを出す必要があった。正直、「このアルバムはもう出せないかもしれない」と思った時期もあった。いろんな時期に書いた曲が混ざっているし、気持ちが追いつかない部分もあったんだよね。でも結局、出さなきゃいけなかった。その意味で「Sem Ar」は、このアルバムの中でもすごく中心にある曲なんだ。
――「Sem Ar」なんですが、直訳すると「空気が無い」です。パンデミックの時期のアメリカで言及された「I can’t breathe」という言葉(Black Lives Matterの文脈)を想起させます。それは考えていましたか?
それは正直、セーザル・ラセルダに聞かないと分からない部分もあるね。彼の中にジョージ・フロイドへの連想や示唆があったのかどうかは。もしそういう意図があったとしても、すごく筋は通ってると思うから、全然あり得るよね。
ただ、この曲のいちばん大きい核は、僕らにとってはパンデミックの現実として「息ができなくなる」ことだった。
ブラジルでは、暗い出来事が実際に起きている。病院で医療用酸素が足りなくなる事件があったんだ。これはもう、明確に怠慢だよね。保健行政を担っていたのが軍人中心で、彼らはSUS(Sistema Único de Saúde:ブラジルの統一保健システム)のことすら理解していなかった。ブラジルの医療システム全体のことも分かっていなかったから、彼らは完全に放置をした。
だから僕らは、ボルソナーロ政権のことを「ジェノサイド(genocida)」だと断言している。単なる政治的な言い争いじゃないんだ。まずワクチンを買わなかった。世界中がワクチンを進めているのにね。
それに加えて、今度は酸素さえもない。アマゾナス州の州都マナウス(Manaus)では、酸素が不足したんだ。COVIDで病院に運ばれても、酸素がないから人が亡くなる。治療を受けた末に亡くなるんじゃなくて、「国の医療が守らなかったから亡くなった」んだ。しかも大統領は、人々が息ができなくて苦しんでいる様子を真似して、冗談みたいに笑ったりしていた。あの光景は本当に異常だった。いま思い出しても、かなりきついよ。話すだけでトリガーになって当時の辛さを思い出してしまうくらい深刻なことだった。
当時、何が起きてるのか理解が追いつかないほどだった。でも現実には、病院に行っても酸素がない。人が息をできずに死んでいく。だから「Sem Ar」は、僕らの日常の中にあった、その現実から来ている。そこが一番大きいね。
◉「Vai Cair」:ボルソナーロ政権のアマゾン開発
――次は「Vai Cair」です。この曲の歌詞は比喩的で、僕には難しかったです。カウボーイ的な言葉が象徴的に出てきますが…
「Vai Cair」も、すごく政治的な曲だよ。直接的に、元大統領で、今は収監されているボルソナーロに関係している。この曲の歌詞は僕自身が書いたんだ。出発点になったのは、あるイメージだった。
メストリ・モア・ド・カテンデ(Mestre Moa do Katendê)というカポエイラの師範がいた。ボルソナーロの選挙の時期、彼は政治的な口論の末にボルソナーロ支持者に刺殺されたんだ。しかも、その出来事が起きたとき、僕はチガナー・サンタナと一緒にいた。あの事件は、僕らの会話を大きく変えたし、結果的に「Aldeia Coração」へと繋がっていった。このアルバムに導いた重要な触媒のひとつになったと思う。
「Vai Cair」は、僕の中で、モア・ド・カテンデの魂(霊)が、カポエイラでボルソナーロを倒していく映像として立ち上がったんだ。だから歌詞では、足を引っかけて倒す、砂埃を顔にぶつける、みたいに、カポエイラの動きが比喩として出てくる。
同時に、ボルソナーロ政権の政策への批判も入っている。たとえば当時、アマゾンでの開発や伐採を進める文脈で、「牛の群れを通せ(passar a boiada)」みたいな言い方があった。牛を入れるために門を開けて、アマゾンに入り込んで、森林伐採の規制を壊していく、みたいな発想だよね。だからこの曲では、逆に「門を閉じろ」と歌ってる。はっきり政治的だよね。
――このアルバム全体を聴いていて感じたんですが、他の人に作詞を頼んだ曲も、アントニオ自身が書いた曲も、全体的にすごく詩的で抽象度が高い。ひとつの言葉が二重三重に読めるように書かれていて、ボルソナーロやパンデミックといった現実が入っているのに、直接的な告発や攻撃だけでなく、美しい音楽の中に織り込まれている印象がありました。
うん、それはすごく的確だと思う。僕はずっとそうしてきた。そもそも、文字通りに何かを語ろうとすると、音楽も文字通りになってしまう。そうすると、表現としてどうしても窮屈になる。
僕は抽象性がとても強い場所から来ている。ここミナス・ジェライスは、音楽的にも文化的にも、抽象が当たり前に存在している土地なんだ。自然もそうだし、街の空気もそう。音楽で言えば、ここはカルロス・ドラモンド・デ・アンドラーデ(Carlos Drummond de Andrade)の土地であり、ミルトン・ナシメントの土地であり、トニーニョ・オルタの土地だよね。
トニーニョの歌詞なんて、正直かなり“ぶっ飛んでる”でしょ(笑)。僕らはみんな、そういう水を飲んで育ってきた。だから、影響は自然に抽象化されていくんだ。僕にとっては、イメージを作ること、詩を書くこと、音楽の中で抽象を立ち上げることは、全部ひとつの行為なんだよね。言葉と音楽を分けない。最終的には、全部がひとつのものになる感覚がある。
◉抽象性と多様な楽曲の集積
―― 最初のほうで、パンデミックで亡くなった人たちへの鎮魂の気持ちがある、という話もしてくれましたよね。でも同時に、このアルバムは「プロテスト」や「メッセージ」を前面に出す作品ではなくて、解釈の幅を残しているようにも感じました。
さっきも話したけど、このアルバムは、あるひとつの時期の集積なんだ。パンデミックの真っただ中で書いた曲もあるし、その前後に生まれた曲もある。
たとえば、同じ時期に出したシングルで「Me Dê a Mão」と「Saudade」がある。「Me Dê a Mão」は、はっきり政治的な曲だし、「Saudade」は、パンデミック中にみんなが家で孤立していた時期に作った曲で、ミュージックビデオでは、友人たちがひとりで踊る映像を送ってくれた。あれは、隔離の中で生まれた“サウダージ”そのものだった。
この2曲も、実はこのアルバムと同じ時期に生まれた曲なんだ。ただ、最終的にアルバムには入れなかった。理由はいくつかあるけどね。
だから『ALDEIA CORAÇÃO』は、すごくコンセプトが固く結ばれた作品ではないとも言える。前作『Livre』みたいに、最初からひとつの構想で作ったアルバムとは違う。いろんな時期に書いた曲が集まっているし、歌詞を書いた人も曲ごとに違う。戦争を扱っている曲もあれば、パンデミックを扱っている曲もある。でも、それでもひとつのアルバムとして成立すると思えたんだ。それくらい、この時期は強烈だったし、無視できない時間だった。だから僕は、「すべてを一つの主題に縛った作品」を作ろうとはしなかった。むしろ、この時代を生きた痕跡として、いくつもの断片を並べたかったんだ。
――最後に「Buniti」なんですが、これはポルトガル語で一般的に使われている言葉ではないですよね? どういう意味ですか?
「Buniti」はね、うちで飼っている猫の名前。その猫が、オスなのかメスなのか分からなかったから、中性的な名前で呼ぶことにしたんだよね。「bonitinho(オス)」か「bonitinha(メス)」か、分からなかったから、性別を決めない形のままの「buniti」にした、って感じ。それで、その名前から曲を書いたんだ。曲自体も、ちょっとかわいい曲だよね

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