見出し画像

* interview Donny McCaslin:ダニー・マッキャスリンが語る"正直さ"を貫き続けた自身のキャリア(12,000字)

ダニー・マッキャスリンと言えば、デヴィッド・ボウイの遺作『★』での貢献で広く知られている。マーク・ジュリアナらとあの傑作を作り上げたことで一気に注目を集めるようになった。

しかし、ジャズのシーンではそれ以前からずっとトッププレイヤーとして活躍してきた。マリア・シュナイダー・オーケストラではソロイストとして重要な役割を担っていることは周知の事実だし、そもそもダニーのリーダー作は21世のジャズの重要作と言えるものばかりだ。

ということで、ダニー・マッキャスリンが来日するタイミングで、そもそもダニーがどんなアーティストなのかの話を出発点から聞いてみるインタビューを行った。

『★』以前のダニーのことを日本語で残しておきたかったのもあるし、実はなかなか変わったキャリアを辿ってきている彼のことを伝えたい気持ちもあった。

今ではダニーはジャズとロック、もしくはジャズとエレクトロニックミュージックを融合するチャレンジを行っているアーティストのイメージがあるが、そこに辿り着くまでにダニーがどんな経験をし、何を身に着けてきたのかを知ることは21世紀以降のジャズがどんな要素で出来ているのかを知るための大きな手掛かりになると思う。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 通訳:丸山京子 | 協力:Eight Island



◎ サンタクルーズでの幼少期

――あなたはカリフォルニア州サンタクルーズ出身で、お父さんもミュージシャンだったと伺いました。地元の大人たちとよく演奏していたそうですが、地元の人たちと一緒に演奏していた音楽について教えていただけますか?

両親は離婚していて、私は母と一緒に暮らしていました。毎週日曜日の朝になると父が迎えに来て、サンタクルーズ中心部のショッピングモールに連れて行ってくれたんです。そこは昔の裁判所を改装したもので、店やバー、レストランが入っていて、テーブルとバンド用のスペースがあったんです。父はその場所で、週に5〜6日バンドと演奏していました。

演奏していたのはアメリカン・ソングブックのスタンダード、ラテンジャズ(カル・ジェイダーの曲をよくやっていました)、それに「Mustang Sally」や「Feel Like Making Love」のようなR&B曲もありました。シンガーや管楽器奏者が飛び入りで加わることもあって、とてもカラフルな環境でしたね。

僕はまだ幼かったので、演奏中は椅子に座って見ていました。お昼から夕方4時や5時、天気が良ければ6時くらいまで演奏していて、それが僕に初めてのジャズ体験でした。

――サンタクルーズは西海岸のカルチャーの中でも重要な場所だと思います。ラテン系やチカーノ系の文化もあったと思います。子供の頃からラテン系のカルチャーとの接点はあったんですか?

僕が子供の頃のサンタクルーズは、人口の多くが白人でした。ただ隣町のワトソンヴィルには大きなヒスパニック系コミュニティがありました。

僕がサックスを始めたのは12歳。16歳くらいのときにサルサバンドに参加して、地元で多くのギグをするようになりました。父のバンドを通じてラテンジャズを聴いたことが最初のきっかけで、その後サルサバンドでさらに深く学ぶことができました。本当に素晴らしい経験でしたね。

――そのサルサバンドはプエルトリコ系やキューバ系のミュージシャンだったんですか?

いや、ほとんどが白人で、唯一リードシンガーだけがヒスパニック系でした。スペイン語で歌っていましたね。思い返すと、他のメンバーはみんな白人でした。だから純粋な意味でのサルサではなかったけど、僕にとってのサルサ音楽への良い入門になりました。

◎ 影響を受けたサックス奏者

・ポール・ゴンザルヴェス

――その後ジャズにのめり込んでいったと思います。十代の頃はどんなサックス奏者に憧れていたんですか?

最初に強く惹かれたのはジョン・コルトレーンです。12歳でサックスを始めて、リー・コニッツやチャーリー・パーカーも聴いていましたが、やはりコルトレーンに心を奪われました。

それからもうひとり大きな影響を受けたのはデューク・エリントン楽団のポール・ゴンザルヴェスです。僕の高校では週に4〜5日はエリントンの音楽を演奏していました。当時の音楽監督ドン・ケラーがエリントン楽団のトランペッター、ビル・ベリーと親しくしていて、彼から譜面を譲り受けていたんです。当時は高校や大学でオリジナルのエリントンやストレイホーンの譜面を演奏するのは珍しいことでした。14歳の頃にニューポートのライブ盤での「Diminuendo in Blue」でのゴンザルヴェスのソロを聴いたことは、僕にとって大きな出来事でした。

その後、ジョー・ヘンダーソンからも強く影響を受けました。彼は当時サンフランシスコに住んでいて、演奏を聴く機会もありましたし、よく聴いていました。あとはマイケル・ブレッカーですね。10代の頃は本当に夢中になっていました。

――ポール・ゴンザルヴェスのソロのどんなところに惹かれたのでしょうか?

彼のソロの感覚ですね。ソロがどんどん盛り上がっていき、それに合わせて観客の反応もどんどん熱狂的になっていく。そのソロの高まりと観客の高まりがぴたりと重なって、ライブならではの完璧な瞬間が生まれるんです。彼が演奏を続ければ続けるほど観客もついていく、その一体感を聴いていると多幸感に包まれます。子供の頃、それを聴いて感情を揺さぶられたのを覚えています。スタジオ録音ではなく、観客との有機的なやり取りが音楽の中で大きくなっていく、その美しさに心を奪われたんです。

それに彼の音色は本当に美しい。ブルースの要素がとても自然に、人生を体験してきた人間そのもののように響くんです。エリントンの他のアルバムでも彼の演奏は素晴らしいんです。「Such Sweet Thunder」や「The Far East Suite」など、どの演奏も表現力にあふれ、魂がこもっている。無駄な音が一つもなく、すべてが物語の一部になっている。彼の演奏は本当に美しいんです。

――その頃はやっぱりジャズを中心に聴いていたんですか?

はい、ジャズをたくさん聴いていました。でも、ロックも聴いていましたよ。サンタクルーズには小さなロック・クラブがあって、地元やベイエリアのバンドをよく観に行っていました。たとえばサンタクルーズに住んでいたとき、サンフランシスコからくるバンドを見て、エネルギーに圧倒されました。そうしたロックの生演奏からも影響を受けています。

――どんなロックを聴いていたんですか?

ティーンの頃はレッド・ツェッペリンをたくさん聴いていましたし、ジェネシスも好きでした。ジェネシスは特にピーター・ガブリエルが在籍していた頃ですね。その後、ラッシュ(Rush)にもすごくハマりました。あのプログレッシブな世界観や演奏の複雑さは、とても刺激的でした。

・マイケル・ブレッカー

――その後はマイケル・ブレッカーに強く影響を受けたと。どんなところが好きでしたか?

彼の演奏のすべてですね。音色も好きだし、フレージングやリズムの扱い方も素晴らしかった。あと、超絶技巧にもかかわらず、どこか人間味を感じさせるところがすごく魅力的でした。ブレッカーはハーモニーの扱い方も独特で、モーダルなソロの展開もすごく斬新でした。私にとっては常に大きなインスピレーションでしたね。


最初に知ったのは『Blue Montreux』というアルバムだったと思います。マイク・マイニエリが参加していて、ステップス・アヘッドではなく、モントルー・ジャズ・フェスティバルで演奏したオールスター・バンドでした。私はコルトレーンに夢中になっていたので、コルトレーンから大きな影響を受けたように感じられるマイケル・ブレッカーの演奏は、とても大きな衝撃でした。

そこには、感情表現の豊かさ、驚くべきハーモニーの内容、超絶技巧、そして素晴らしいタイム感がすべて揃っていた。まさに楽器を完全に支配している人がいるんだ、という感覚でした。彼が奏でる言語は非常に興味深くて耳を刺激し、「彼は何をしているんだ?」と知りたくなる。とてもモダンでありながら、しっかりとした基盤がある。タイム感は最高で、音色もその時代にとてもフィットしていました。テナーサックス奏者にとって「今の音楽」だと感じられるようなサウンドだったんです。だから彼を聴いたとき、私の目は完全に輝いていました。圧倒的に魅力的だったんです。

・ソニー・ロリンズ

そして20代のある時期に、ソニー・ロリンズに魅了されました。彼との出会いは、私の音楽の捉え方や即興表現の在り方を大きく変えました。それまでの人生が流れていた方向があったとすれば、ロリンズに出会って突然全く違う方向へと舵を切ったような感覚です。彼から学んだのは、リズム言語の探求、そしてテーマとヴァリエーションの発展です。ロリンズはその点で絶対的な達人でした。彼を通して「自分の頭の中をハーモニーのことばかりで埋めるのではなく、自分の声を見つけるために別の道を行く必要がある」と気づいたんです。ソニー・ロリンズは僕にとって新しい可能性を切り拓く大きな転換点でした。

・ポール・ジャクソン

もう一人挙げるとすれば、ザ・ヘッドハンターズのベーシスト、ポール・ジャクソンです。彼は私が子供の頃サンタクルーズに住んでいて、16歳のときに彼のバンドに参加し、毎週一緒に演奏していました。彼はベースを弾きながら歌い、キーボードも弾いていましたが、その体験は本当に目を開かされるものでした。彼のグルーヴ感は素晴らしいし、音楽的な美意識もとても開かれていて、スタンダードと自由即興を融合させたりしていました。これも貴重な経験でした。

振り返れば、私の音楽のDNAは子供時代にすでに芽生えていたと思います。父のバンドで聴いたグレート・アメリカン・ソングブック、サルサバンドでの経験、そこからアフロ・キューバンやアフリカ、ブラジル、アルゼンチン、ペルー、ベネズエラ、パナマといった音楽を学んでいった。そして父と一緒にR&Bを演奏する中でモータウンやスティーヴィー・ワンダー、アレサ・フランクリン、マーヴィン・ゲイを常に聴いていました。これらすべてが多様なバックグラウンドとなり、今の自分のハイブリッドな音楽性につながっていると思います。

私は常に自分の創造的な無意識(Creative Unconscious)が導く方向に耳を澄ませ、ジャンルにとらわれずにオープンであろうとしてきました。その結果、思いがけない場所に導かれることもあります。時に不安や違和感を覚えることもあるけれど、仲間と一緒に私らしい新しい音楽を作っていく中で最終的には必ず面白い形になると信じています。

これはデヴィッド・ボウイから直接聞いた話とも重なります。彼が私に「僕はある音楽ジャンルを独自の視点から眺めるのが好きなんだ。なぜなら、自分の音楽言語のあり方を通じてそこにアプローチすることで、最終的に面白くてユニークなものに必ずつながると信じているから」と語ってくれたのを覚えています。そして彼のキャリアを振り返ると、それが実際にどのように形になったのかがよくわかる。私自身を彼と比べるつもりはないけれど、その考え方は本当に大きな意味を持っています。

◎ バークリーでの経験

・ジョージ・ガゾーン

――バークリー音楽大学に行ってからは様々な講師から指導を受けたと思います。そのころについて聞かせてもらえますか?

バークリー時代は本当に素晴らしい経験でした。ジョージ・ガゾーンからは「パターン」と呼ばれる練習課題を渡されました。そこには「Cメジャー」と書いてあるのに、実際には広い音程の跳躍やCメジャーには含まれない音がたくさん入っていたりするんです。最初は「彼は一体何を考えてるんだ?狂ってるんじゃないか?」と思ったくらい(笑)。でもそうした課題に取り組むことで耳が開かれ、より多様な音や色彩を聴けるようになりました。それがとても大きな学びでした。その後、自分なりに何年もかけてそうしたアイデアを発展させ、自分にとって意味があり興味深く、他の人があまりやっていないと感じられるパーソナルな言語を築こうとしました。

・ジョー・ヴィオラ

それから、ジョー・ヴィオラ(Joe Viola)からは大きな影響を受けました。彼は即興演奏家ではなくクラシック系のサクソフォン奏者でしたが、アンブシュアの作り方や基礎的な奏法を徹底的に指導してくれて、僕の演奏は完全に変わりました。今でも自分の学生たちに当時の練習法を話すくらい、決定的な影響を受けました。

・ビリー・ピアース

ビリー・ピアースからは、当時知らなかった様々なプレイヤーのソロを紹介してもらいました。バークリー時代は本当に学ぶことが多かったし、同時に素晴らしい時代でもありました。カート・ローゼンウィンケル、ロイ・ハーグローヴ、ジェフ・キーザー、アントニオ・ハート、マーク・グロス、トミー・スミス、ジム・ブラック、ジャヴォン・ジャクソン……多くの才能が同時期に在籍していたんです。

その時期に小曽根真とも出会いました。彼のコロンビアからのアルバム(たぶん2枚目)が出た頃で、ツアーに参加する予定だったビリー・ピアースが体調を崩してしまい、急遽僕に声がかかったんです。それで日本ツアーに参加しました。小曽根さんの曲はとても高度で、当時の僕には慣れないハーモニーの動きでした。「Yellow Fever」「Kato’s Revenge」「If You Know Sushi」など、あの時代の素晴らしい楽曲を演奏することができたのは本当に貴重な経験でした。

◎ ステップス・アヘッドでの活動

――その後、ステップス・アヘッドのメンバーとして(マイケル・ブレッカーの後任で)演奏していた時期もありますよね。その経験について教えてください。

とても興味深い経験でした。加入したときのレパートリーは、マイケル・ブレッカーがいた時代の名曲が多かったんです。だから突然、僕はマイケルの伝説的なソロを耳にして育ってきた曲を、自分がソロを取る立場で演奏することになった。まるでピカソの絵を前にして「じゃあ自分はどう描くか?」と問われるようなものです。

音楽の美学を尊重しながらも、それを自分自身の声で表現しなければならない。私はマイケルから強い影響を受けていましたが、同時に彼を真似することはしたくなかった。だからこそ「土台や美学は守りながら、どうやって自分らしい演奏をするか」という挑戦に向き合うことができました。とても貴重な機会でした。

◎ 自分の物語を語ることへの意識

ここから先は

7,082字 / 2画像
この記事のみ ¥ 500
Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

音楽に関するテキストを書きます。最低週1本で更新していけたらと思っています。インタビューを沢山公開し…

*review is a diary - standard

¥500 / 月

**review is a diary - support

¥800 / 月

このnoteの執筆や編集の費用や通訳への支払いなどは皆さんの記事購入で賄っています。制作費用のサポートをお願いします。