* interview Jahari Stampley:ピアノはビデオゲームのボタンの感覚で覚えた(11,000字)
2023年のマカヤ・マクレイヴンの来日公演には、馴染みのないピアニストの名前があった。あまり気に留めずにライブに行ったのだが、この日の最大の衝撃は、この謎のピアニストだった。めっちゃくちゃうまいのだが、そのスタイルが誰にも似ていないどころか、やることなすこと、何が何だかよくわからない。とんでもないのが出てきたなと思った。
終演後、楽屋に行ってマカヤに紹介してもらい話したら、まだ23歳だという。信じられない…となったが、「日本のコンビニのおにぎりがおいしくてヤバイ」みたいなことを言っていて、素朴な若者の面影も感じられた。それがジャハリ・スタンプリーを知った瞬間だった。
後から調べると、デリック・ホッジの『Color of Noise』に起用されていたことを知る。あのバッキバキの演奏をしていたピアニストかと気付く。
そんな経緯で知ってからは追いかけていたのだが、ハービー・ハンコック・コンペティションで優勝し、その後もさまざまなところで話題になり、調べなくても動画が流れてくるような存在になった。
そして、2024年にはコットンクラブで、2025年にはブルーノート東京で来日公演を行い、大成功を収めた。2023年には『Still Listening』、2025年には『What A Time』とアルバムも制作し、着実にキャリアを重ねている。
ただ、今も何が何だかわからない謎っぷりは解明されておらず、来日公演だって、ただただとんでもない演奏に圧倒されてしまって、ただただ唖然とするしかないような状況だった。そろそろこのバケモンが何者だか知りたい。そんな時に、ジャハリの側から「インタビューしない?」と連絡があった。僕は渡りに船だと思った。
取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 現場通訳:染谷和美
◉ ピアニストの手の動きをコピー!?
ーー まずはどんなふうに音楽を始めたのかを教えてください。
両親は家でたくさんのレコードを流してはいたんですけど、僕が音楽を始めたのはかなり遅くて、高校に入ってからでした。今となっては、それをありがたく思っています。小さい頃からやらされると、音楽に対して嫌悪感を持ってしまうこともある。でも僕の場合は、自分を見つけたあとに音楽と出会った感じだったんです。14歳、高校のときですね。
当時、吹奏楽部のディレクターがピアノを演奏しているのを見て、音符なんてわからなかったけど、手の形を見て真似することができた。ピアノをビデオゲームみたいに「ボタン」を押す感覚で、彼の指の動きをコピーしたんです。それを毎日練習していました。そのうちYouTubeでも同じように真似をするようになりました。何年もそうやって形を模倣しているうちに、「ボタン」でできることはもっとあるんだと気づいた。逆にしたり、いろんなパターンを試したりできるんだって。そうやって広がっていきました。
ーーわー、既に初めて耳にするケースで動揺しています(笑)それはそうと 子供の頃に教会で演奏した経験はなかったんですか?
祖母は教会で演奏していたし、母はオルガンを弾いていました。だから僕もずっと教会の音楽に囲まれて育ったけど、教会で演奏していたわけじゃないんです。両親は音楽を強制しなかったので。母はオルガンでゴスペルも賛美歌も全部弾けるんです。それを自然に聴いていたので、身体に染み込んではいました。
でも僕が最初に学んだのは、実はYouTubeで見たポップソングでした。Coldplayの「Paradise」。P Millerというクラシック系ピアニストがいて、彼のカバーが信じられないくらい素晴らしかった。メロディだけじゃなく、ホーンのリフや対旋律も全部両手で弾いていて、まるでバッハがポップソングを演奏しているみたいだったんです。それを真似して練習しました。
だから僕は典型的な「教会上がり」のミュージシャンじゃなかった。17歳くらいになってから教会で弾き始めましたが、その頃にはすでにYouTubeや他の音楽の影響を強く受けていて、「どうしてそんな独特なサウンドになるの?」とよく聞かれていました。つまり、教会音楽とYouTubeのミックスが僕の出発点だったんです。
ーー YouTubeでは他にどんな音楽を聴いてましたか?
最初は「Paradise」でしたが、音楽はもともと心の中にずっとあって、たまたまその曲が特に響いたんです。当時はピアノを弾けるなんて思ってもいませんでした。でもそのYouTubeの人が僕と似ていたんですよ。黒人で、メガネをかけていて。自分と同じような人がこんなに素晴らしい演奏をするのを見て、「自分にもできるんじゃないか」と思えたんです。
Herbie Hancock や Chick Corea の演奏は小さい頃から聴いていたけど、当時は自分と結びつけられなかった。でもColdplayの「Paradise」には共感できて、その曲がピアノであんなふうに再現されるのを聴いて、ピアノ観が完全に変わりました。「ピアノって退屈なものじゃなくて、歌のようにダイナミックで、エモーショナルなんだ」と。14歳でその気づきを得てから、自分の演奏でも「どうやったら歌っているみたいに聴こえるか」を探し続けています。
ーーってことは YouTubeで見たその人がピアノじゃなくて別の楽器を弾いていたら、別の楽器をやっていたと思いますか?
それはよく考えるんです。でもピアノを選んで本当によかったと思っています。ピアノは自分の頭の働き方にすごく合っていると思えるんです。僕はビジュアルで考えるタイプ。もともと絵を描くのも得意で、頭に浮かんだ人の姿をそのまま描けたりしました。ピアノは鍵盤がすべて目の前に並んでいて、形やパターンを覚えれば、そのまま頭の中で弾けるんです。
だから練習も、頭の中に見えた形を繰り返すような感覚でした。毎日ピアノに夢中になって、パズルみたいにいろんな組み合わせを試していました。例えるならチェスをやっているような感じです。だから僕は無限にある鍵盤の並べ方や音の配置をずっと考えていました。
◉ 高校時代:ロバート・アーヴィングの指導
ーー そんな特殊なスタートなんですか。音楽専門の高校や大学に通った経験はありますか?
本格的に音楽教育を受けたのは、高校のときです。吹奏楽部のディレクターのおかげで、高校生対象のバンド・コンペティションに出場できました。そこでジャズ即興ソロ部門で1位を取ったんです。そのときに地元の優秀な高校生ミュージシャンを集めるプログラムにスカウトされました。僕もそこでシカゴの同世代の優秀な音楽家たちと学ぶ機会を得ました。
そこでの講師の一人がMiles DavisとツアーしていたキーボーディストのRobert Irvingでした。彼はシカゴに住んでいて、母とも一緒に演奏したことがありました。母はミュージシャンなので、家には常に最高の演奏家たちが出入りしていて、自然とその環境に囲まれて育っていたんです。RobertのいとこのTony Gazzoも素晴らしいオルガニストで、母と一緒に教会でも演奏していました。
その後は音楽に特化したアフタースクール・プログラムにも通い、最終的にはニューヨークのManhattan School of Music(MSM)にフルスカラーシップで進学しました。
MSNのオーディションを受けたころ、僕は楽譜をほとんど読めなかったんです。オーディションのときも視奏(初めて見る楽譜を、事前に練習することなく、その場で読み取って演奏すること)はひどかったけど、演奏自体は高く評価されて、「読むのは学校で教えるから問題ない」と言ってくれて、合格することができました。実は僕がその学年で受かった唯一のピアニストだったんです。とても不思議な経験でしたね。
ーー Robert Irvingは大きな存在だと思いますが、彼とのエピソードや学んだことを教えてもらえますか?
Robert Irvingは僕のピアノ観を大きく変えてくれました。当時の僕はInstagramやYouTubeの短いクリップから断片的なフレーズを拾って、それを全てのキーに移調して練習していました。でもそれらはバラバラで、自分ではどう繋げていいかわからなかったんです。
初めて会ったとき、彼は「まずは弾けるものを全部弾いてみろ」と言いました。僕は「断片はあるけど、どうまとめればいいかわからない」と答えたんですが、彼は「大事なのはそれをどう繋げるかだ」と。ひとつの小さなアイデアも、いろんな文脈で使えるし、音楽は頭の中ですべて繋がることを教えてくれました。
クラシックの世界では譜面通りにしか弾けない人も多いけど、実際はその音を全く違う文脈で再構成することもできる。彼はそれに気づかせてくれました。自分が思っていた以上に既に音楽の知識を持っていたこと、そしてそれをどう応用するかで自分の音楽を広げることができることを彼が教えてくれたんです。Robertとの時間は、まさに視野を広げてくれる経験でした。
◉ ロバート・グラスパー、上原ひろみ、角野隼斗
ーー Robert Irvingとの出会いを通じて出会ったミュージシャンはいますか?
Robert Irvingから学んだあと、僕は進学できたのですぐにNYに行きました。そこですぐにRobert Glasperに出会いました。そこからKeyon Harold、Stanley Clarkeとも知り合い、一緒に演奏もしました。その後にはHerbie Hancockとも会いました。自分のヒーローたちに一人ずつ出会っていったんです。
18歳のとき、ニューヨークで初めて「Giant Steps」を弾いた動画を投稿したんです。それがバイラルになって、最初に連絡をくれたのがRobert Glasperでした。
その後、Hiromi(上原ひろみ)やHerbie、Stanley Clarkeともつながっていきました。動画がきっかけで子供の頃から聴いていた憧れの人たちに次々と出会えたんです。
P Millerにも、何年も後に直接コンタクトを取ることができて、会話することができました。それは本当に人生を変えるような経験でした。
Cateen(角野隼斗)ともコラボ動画を撮りました。彼とは今でもよく連絡を取っています。まさか自分がこんな人たちに会えるなんて想像もしなかった。そのすべては高校時代にRobert Irvingに出会ったことから始まっていると思っています。
@jaharistampleymusic @Cateen かてぃん & I, duo piano vibes! Chick Corea tribute 🙌🏿❤️ #hayatosumino #fyp #piano
♬ original sound - Jahari Stampley
◉ 大学時代:マンハッタン・スクール・オブ・ミュージック
ーー MSMでは、どんなことを学んでいましたか?
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