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* interview Ashley Henry:ヒップホップやグライムを取り込んだ"現代を生きる物語"としてのUKジャズ(11,000字)

以前、UKジャズの相関図を作った。その際に重要人物をリストアップして配置していったのだが、一人だけぽつんと離れて置くことになったのが、ピアニストのアシュリー・ヘンリーだった。

彼はエズラ・コレクティヴやヌバイア・ガルシアと同じように、2016〜2017年にEPを発表し、UKジャズ・シーンの注目株として語られていた。
しかし、『We Out Here』に名前がないことからもわかるように、彼は少し異なる位置にいる。

ここ10年のイギリスのジャズ・シーンは〈Tomorrows Warriors〉出身者が主流を占めており、今やその系譜に属さないミュージシャンを取材する機会はほとんどないほどだ。そんな中で、アシュリーはそこから生まれていない数少ないトップ・アーティストのひとりだった。だからこそ、見えない部分も多かった。

でも、マカヤ・マクレイヴン『Universal Being』のセッションにも起用されていることからもわかるようにUK屈指の実力者であることは誰もが知っていた。

アシュリーはホセ・ジェイムズのヨーロッパ・ツアーに抜擢されたり、自身の作品でシオ・クローカーやキーヨン・ハロルドといったアメリカのミュージシャンを起用したりと、他のイギリス勢とは異なるスタンスで活動しているように見えたことも大きかった。その態度も含めて、その存在がどこか謎めいて見えたのだと思う。

そして、着実に成長しているアーティストでもあった。特に最新作『WHO WE ARE』はこれまでの印象を更新するような出来だった。

そんなアシュリーに、ようやく話を聞く機会が訪れた。

https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/ashley-henry/

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 現場通訳:染谷和美 | 協力:コットンクラブ


◉ サウス・ロンドンのアフロ・カリビアン・コミュニティ

――ロンドンのジプシー・ヒルという場所で育ったと聞きました。

僕はサウス・ロンドンのアフロ・カリビアン・コミュニティの中で育ちました。父は友人たちと一緒にサウンドシステムを所有していて、他のチームと競い合っていたんです。誰が一番新しいレコードを持っているかが重要だった時代で、毎週末、僕は父と一緒にブリクストンなどのレコード店に行っていました。だから音楽は常に生活の中心にありました。家でも、パーティでも、友人が集まる時でも、音楽が流れていたんです。
 
家にはいつもピアノがありました。父はクラシック・ピアノも弾いていたので、僕もクラシックのレッスンを受け始めました。でも同時に、家で聴くレコードの音を耳でコピーしようとしていたんです。そうやってレコードを聴いて耳を鍛えながら、ハーモニーの構造や、音楽がどのように進行していくかを自然に学んでいきました。今思えば、本当に幅広い音楽に触れられる環境に恵まれていましたね。

――その「アフロ・カリビアンのコミュニティ」ってどんなものでしたか?


両親は二人ともジャマイカ系です。母はジャマイカで生まれて、ティーンの頃にロンドンへ移住しました。父はイースト・ロンドン生まれですが、祖父母はジャマイカ出身で、「ウィンドラッシュ世代」としてイギリスに移り住んできた人たちです。祖父母はロンドンのダンスで出会ったそうですよ。その世代の人たちは互いに近くに住んでいて、家族ぐるみの強いつながりがありました。

そのコミュニティでは、音楽も多様でした。ジャマイカ音楽——レゲエ、ロックステディ、ダンスホールはもちろん、アメリカの音楽もたくさん流れていました。90年代のヒップホップやR&B、70年代のジャズやソウルも多かった。父はジョージ・ベンソンやアース・ウィンド&ファイア、スティーヴィー・ワンダー、ドナルド・バードが大好きで、家にはそういうレコードがずらっと並んでいました。だから、リズムやアレンジ、サウンドの質感まで、いろんな要素が混ざり合っていたんです。まさに多文化のミクスチャーでしたね。

――お父さんがやっていたサウンドシステムについてもう少し教えてください。子どもの頃、どんな音楽が流れていたんですか?

サウンドシステムはすごく身近でした。サウス・ロンドンの近所で行われていて、時には家の外でもやっていました。うちは袋小路にあったので、天気のいい日には家の外にスピーカーを出して、みんなで音を鳴らしてパーティをしていたんです
 
僕にとってサウンドシステムは、音楽とどう向き合うかを教えてくれた最初の場でした。音楽の「スピリット」とつながる感覚、音が人に与える力、音楽を通して気持ちがどう変わるのか——そうしたことを自然に感じ取っていました。どんな状況でも、良い音楽をかければ、すべてを忘れて別の世界に連れていってくれる。そんな音楽の力を子どもの頃から肌で感じていたんです。

◉ ブリット・スクールや音大での経験

――ジャズを始めるきっかけは?

ティーンエイジャーの頃、本格的に音楽を聴き込みはじめて、スティーヴィー・ワンダーの『Innervisions』や『Songs in the Key of Life』、『Talking Book』、『Music of My Mind』などを熱心にコピーしていました。彼の曲にはジャズ的なハーモニーが多く使われていて、それがジャズの入り口になったんです。

それからブリット・スクールに通っていた頃、友人が聴かせてくれたジャズのレコードに衝撃を受けました。「この人たちは、どうやって楽器だけでこんな複雑な感情を表現しているんだろう?」と。音を通して感情が伝わってくる感覚は、初めての体験でした。どんどん惹かれていって、もっと知りたい、もっと聴きたいと思うようになったんです。

その頃よく聴いていたのが、ハービー・ハンコックが参加したマイルス・デイヴィスの『Seven Steps to Heaven』。毎週金曜日、友人の家に集まって当時はまだ新しいサービスだったSpotifyで音楽を掘って、次々に新しいジャズを聴いていました。まるで無限に続くトンネルに入り込んでいくようで、もう後戻りできないくらい夢中になっていったんです。

――最近のUKジャズ・シーンでは、Tomorrows Warriorsに代表されるようなNPOでジャズを学んだという人も多いですよね。アシュリーさんはそれとは違うルートをたどっているように思います。

違うけれど、すごく似ているとも言えます。というのも、ブリット・スクールはイギリスで唯一の“授業料無料”のパフォーミング・アーツ・スクールなんです。誰でも音楽教育を受けられる環境がある。あの学校では、それまで知らなかった音楽や場所にたくさん出会いました。たとえば、当時はロニー・スコッツやバービカンといった会場の存在すら知らなかったんです。そういう場所は裕福な家庭で育たないと触れる機会がなかった。でもブリット・スクールは資金もあり、僕らをいろんなコンサートに連れて行ってくれた。ハービー・ハンコックとラン・ランがクラシカル・ブリット・アワードでピアノ・デュオをしたときも、学校の企画で観に行きました。 

17歳の頃にはロニー・スコッツに通い始めて、セキュリティの人と仲良くなって、年齢制限をうまくやり過ごして(笑)ライブを観ていました。そうやって生のジャズに触れ、ライブの現場で音楽を体験するようになったんです。だからたしかにルートは違うけれど、最終的にたどり着く場所は似ているのかもしれません。

――その後、リーズ・カレッジ・オブ・ミュージック、そしてロイヤル・アカデミー・オブ・ミュージックに進学しました。

リーズではピアニストのレズ・チズナル(Les Chisnall)に師事しました。彼は多くの優れたピアニストを育てた人で、僕にとって本当に大きな存在です。彼の教え方の特徴は、「自分で学ぶ方法を教えてくれる」ことでした。多くの教師は自分のやり方を押し付けがちですが、彼は僕の進みたい方向や創造的な側面を理解して、それを育ててくれたんです。
 
リーズは街としても最高の環境でした。友人たちとトリオを組んでたくさんのライブをしましたし、学生の街なので観客も若かった。8つくらい大学があるので、いつも若い人たちが集まってくれる。そうやって同世代のオーディエンスと交流しながら、自分のジャズに他のジャンルを混ぜるようになっていきました。 南ロンドンを離れて暮らしたことも良かったです。違う土地で自分を見つめ直し、人生のスキルを学べた。若い時期にあの経験をできたのは大きかったですね。
 
ロイヤル・アカデミーに進学してロンドンに戻ってからは、昼は学校、夜はロニー・スコッツのレイトショーという生活でした。朝9時から授業なのに、明け方の5時まで演奏していることも(笑)。でも、その現場で多くの先輩ミュージシャンにかわいがられ、鍛えられました。彼らは僕をバンドに呼んでくれて、実践的に教えてくれたんです。学びと実践が同時進行していたあの時期は本当に大変でしたが、人生でいちばん充実していた時間でしたね。あの頃の経験が、今の自分の基礎をつくってくれたと思います。

◉ アシュリー・ヘンリーに影響を与えた先輩たち

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