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* interview Tyreek Mcdole:スピリチュアルジャズを歌い、ブラック・アメリカン・ミュージックを継承すること(14,000字)

2020年代のジャズ・ヴォーカリストは次々に才能が頭角を現し、常に充実している。サマラ・ジョイの大ブレイクを筆頭に、マイケル・マヨ、ガブリエル・カバッサなど、個性の異なるヴォーカリストがデビューしている。そんな中でまた新たな才能が現れた。

タイリーク・マクドールはデビューしてすぐにシーンで話題になった。まだデビュー作を一枚出したのみだが、既に世界中のジャズフェスにも引っ張りだこ。トップアーティストの仲間入りをしている。

彼の特徴は近年現れなかったスタイルを継承している点にある。例えば、ジョー・ウィリアムスやバブス・ゴンザレスのようなパワフルで温かみがある伝統的な男性ジャズ・ヴォーカルを身に着けていて、スタンダードも上手いし、ブルースを情感たっぷりに歌うこともできる。そして、スキャットも上手い。

その上で彼はいわゆる「スピリチュアルジャズ」と呼ばれるようなスタイルを継承している。この言葉はアメリカのジャズ・シーンでは使われず、イギリスや日本を中心に中古レコード市場やDJの間で流通していた言葉だったが、まだ20代半ばでYouTubeやSpotifyで育った世代のタイリークにとっては馴染みのある言葉なようだ。そんな彼はファラオ・サンダースやレオン・トーマス、70年代以降のホレス・シルヴァー、アリス・コルトレーンなどをレパートリーにしている。

アルバム・タイトルもスピリチュアルジャズに分類される時期のホレス・シルヴァーの曲から取っている。

TSFJAZZ CHANTILLY FESTIVAL 2025/08/06 撮影:柳樂

スピリチュアルジャズっぽいと言うところだと最初期のグレゴリー・ポーターにもそんな部分があったが、タイリークは「っぽい」ではなく、「ど真ん中」の歌唱を受け継いでいる。なぜ、こんなヴォ―カリストが出てきたのか、しかも、それがシーンの注目株なのか。僕はタイリークに話を聞くことにした。

取材・執筆・編集:柳樂光隆 | 現場通訳:染谷和美 | 協力:コットンクラブ

https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/tyreek-mcdole/

◉ 10代のころの話

――十代の頃はどんな音楽を聴いていましたか?

父と母、それぞれが聴いていた音楽にとても影響を受けました。父のおかげで初めてA Tribe Called Questを知りました。父のウォークマンのラジオで聴かせてもらったんです。母はディアスポラの音楽が好きで、マーク・アンソニーやワイクリフ・ジョン、セリア・クルースなどをよく聴いていました。そうやっていろんな音楽が家に流れていたんですが、家に「ジャズ」を持ち込んだのは僕自身でした。

――どんなきっかけでジャズを聴くようになったんですか?

映画とテレビがきっかけでした。子どもの頃、カートゥーン(アニメ)をたくさん観ていたんです。特に『トムとジェリー』は僕にとって大きなインスピレーションでした。あの音楽を聴いて、「あ、いつも同じような音がするな」と気づいたんです。サックスやトランペット、ピアノ、ベース、ドラムがいて、みんなスウィングしている。それがとても印象的でした。『リトル・ビル』という子ども番組や、ディズニー映画『プリンセスと魔法のキス』もそうでしたね。そういう作品を通して、ルイ・アームストロングやマイルス・デイヴィスなど、その音楽の源になっているミュージシャンたちに興味を持つようになりました。

――最初から歌だったんですか?

最初はトランペットをやっていました。そのあとクラシック打楽器も習いました。でも歌い始めたのは偶然なんです。高校のミュージカル『イントゥ・ザ・ウッズ』でオーケストラ・ピットの一員として演奏していたとき、リハーサル中に役者の一人が体調を崩したんです。僕は家に帰りたくて仕方がなかったので(笑)、もう全部の曲を覚えていたし、「代わりに歌ってもいいですよ」って言ってみたんです。それで歌ってみたら、監督たちがうなずいていて「あれ?僕って意外と声がいいのかも」と気付きました。そのときにジャズバンドのディレクターが僕の歌を聴いて、ボーカリストとしてバンドに参加しないかと誘ってくれたんです。そこからボーカリストとしてのキャリアが始まりました。

――例えば、それ以前にチャーチなどで歌うような経験はありましたか?

実は、教会で歌って育ったわけではないんです。僕はカトリック(ゴスペルは基本プロテスタント)として育ったので、歌うといっても礼拝の中で会衆として一緒に歌うくらいで、ソロや聖歌隊の一員として歌ったことはありませんでした。でも、音楽はいつも耳に入っていて、聴くことが好きでした。

――お父さんがA Tribe Called Questを聴いていたという話がありましたが、ヒップホップ文化の影響を受けて、ラッパーになりたいと思ったことは?

ははは、いやー、それはなかったですね(笑)。ラッパーには今でも本当に驚かされます。彼らは即興的に言葉を操って物語を紡ぐ、まさに詩人だと思います。僕も即興演奏をするけれど、あれは別次元の表現です。それに僕は、正直なところ歌詞を聴き取るのが苦手で、子どもの頃はラップでもポップスでも、何を言っているかよくわからなかったんです。歌詞の内容よりも音楽そのものを楽しんでいました。実際にボーカリストとして活動し始めてから、初めて「言葉を理解し、物語を伝える」ことを意識するようになったくらいなので。

◉ オバーリン音楽院

――高校を卒業してからはオバーリン音楽院に進学したんですよね。

オハイオ州のオバーリン音楽院(Oberlin Conservatory of Music)で4年間学びました。そこで素晴らしい巨匠たちに出会いました。たとえばゲイリー・バーツ──彼はマイルス・デイヴィス、フレディ・ハバード、フィリス・ハイマンなどと共演してきた偉大なサックス奏者です。
そしてドクター・エディ・ヘンダーソン──彼はゲイリー・バーツと長年の仲間で、マイルスのそばで育ち、ルイ・アームストロングからレッスンを受けたこともある人です。彼はセロニアス・モンクに電気ショック療法を施したことでも知られていて(笑)、本当に何でもできる“スイス・アーミーナイフ”のような人物です。

それにビリー・ハート ── ハービー・ハンコックの『Mwandishi』バンドでも知られるドラマーですね。彼はジョン・コルトレーンとジェームズ・ブラウンの両方から誘いを受けた、唯一無二の人でもあります。
オバーリンという場所は、音楽がまるで溢れ出しているような環境でした。シオ・クローカー、カッサ・オーバーオール、サリヴァン・フォートナーといった素晴らしいアーティストも同校の出身で、僕もそこで得た経験に本当に感謝しています。

・ゲイリー・バーツ

――ゲイリー・バーツからはどんなことを学びましたか?

彼からは、とにかく「考えること」を教えられました。特に印象的だったのは、「自分がやっていることの価値や意味を疑え」と言われたことです。

あるとき僕が「ジャズが大好きなんです」と言ったら、彼は「いや、君はジャズが好きなんじゃない。音楽が好きなんだ。君はまず“ミュージシャン”なんだ」と言いました。その言葉で、僕の考え方は大きく変わりました。


それまでの僕は「ジャズとはこういうものだ」と思い込み、ある“型”に自分をはめようとしていた。自分で自分を制限していたんです。たとえば若い頃の僕には、後期マイルス・デイヴィスの作品がジャズに聞こえなかったし、ゲイリー・バーツやフィリス・ハイマン、ファラオ・サンダースの音楽も理解できていませんでした。でも彼と学んだことで、今では自分を「ジャズ・アーティスト」とは呼ばなくなりました。むしろ「ブラック・アメリカン・ミュージックの継承者」として音楽を続けているという感覚に近いです。彼はいつも「ジャンルの名前なんて気にせず、とにかく創造しなさい」といってくれましたね。

――実はゲイリー・バーツは先月ちょうど来日していて、僕もライブを観に行きました。彼の作品の中で特に好きなアルバムはありますか?

『Precious Energy』というEthell'sでのライブ・アルバムです。ゲイリーとエディ・ヘンダーソンが参加していて、「Precious Energy」が収録されています。僕はその曲にとても刺激を受けて、自分なりに再解釈して「The Sun Song(Precious Energy)」として録音しました。

それに面白いのは、A Tribe Called Questはゲイリーの「Gentle Smiles (Saxy)」を(「Butter」で)サンプリングしているんです。だからゲイリー・バーツは、ジャズであると同時にヒップホップの世界にも深く根ざした存在なんですよね。

・エディ・ヘンダーソン

――さきほどエディ・ヘンダーソンの名前も出ていましたが、彼からはどんなことを学びましたか?また、印象に残っている作品などがあれば教えてください。

実のところ、ドクター・エディ・ヘンダーソンから正式にレッスンを受けたことはないんです。でも、トランペットを学んでいた友人のレッスンにこっそりついて行って、彼と話をさせてもらったりしていました。彼は本当に紳士的で、ユーモアもあって、いつもあたたかい人です。

彼が語ってくれた話の中でも特に印象に残っているのは、彼自身の師匠でもあるマイルス・デイヴィスのことです。あるとき、彼がオバーリンで演奏していたのを聴いたんですが、その瞬間に「これだ」と思いました。ライブの場で、マイルスの“精神”そのものを感じさせるような演奏をする人は他にいませんでした。それは、彼がマイルスを実際に知っていたからこそできる表現なんだと思います。
もちろんレコードを聴いて学ぶことも大切ですが、やはり「生きた経験」が音楽に宿るんです。エディは10代の頃からマイルスを知っていて、人生そのものが音楽に反映されている。彼と話すことで、音楽と人生の関係を深く考えるようになりました。

――オバーリン大学の卒業生には、シオ・クローカーやカッサ・オーバーオールのような個性的なミュージシャンが多い印象があります。そして、彼らはブラック・アメリカン・ミュージックの歴史にも明るい共通点がある。そういう人たちを多く輩出するのは、何か特別な教育プログラムがあるからでしょうか?

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