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命題「努力とは仮説の検証である」

信念の後には「曲げない」が来るけどこれはあまりにも的確な組み合わせで、信念とは曲げなくて初めて成立するものだから。
これは他者に対する説明責任などではない。
自分を信じるということがどれだけ重要なことかこの世界の奴らまだ気がついていない。私だけが最近気がついた。

「自分を信じないものに努力する価値はない。」
ガイ先生は言いました。
蓋し名言ですね。
私が思うに、自分を信じるっていうのは本当は、世間で言われてるような粘り気のある湿度の高い観念とはかけ離れたものなんじゃないか?って思うんですよね。

…ロックリーが本当に信じ続けたただ一つのことってなんだと思いますか?
「自分は夢のためにこれから先も厳しい不断の努力をする人間であることを誓う」
みたいな己やガイ先生に対する熱い忠誠だと思いますか?
私は違うと思いますね。
「たとえ忍術や幻術が使えなくても、立派な忍者になれることを証明したいです!」
というセリフからわかる通り、ロックリーが唯一信じ続けたものは、実は"仮説"や"命題"のことなんじゃないか?と思うわけですね。
「たとえ忍術や幻術が使えなくても自分は立派な忍者になれる」
というただ一つの命題が、仮説が、すべてのその他の意志や誓いよりも何よりも一番手前にあるんですね実は。

ガイ先生が怒ったシーンもよく考えると、リーが
「こんな僕は本当に立派な忍者になんかなれるんでしょうか?」
という弱音を吐いたことに対して、「自分を信じない者に努力する価値はない」、と言ったんですよ。
これって
「自分で立てた問いを信じられなくなって放棄した上での努力などなんの意味も為さない」
にも読み替えられると思うんですよね。

人生って自分の存在価値の証明じゃないですか。証明をするためにはまず仮説/命題が必要ですよね?
自分を信じて努力するっていうのは、自分で立てた仮説の検証をして、最後まで証明を試みるってことなんですわ。
そう思った方がよっぽど頑張れそうな気がしてこないか?なんだか知らんけど天才数学者のようなクールかつ熱い気持ちになってくる。私の数IAのセンターの点数こそ47点でしたけど。

熱意は冷めるものだし意志は萎えるものだが命題はそうではない。
証明できない、破綻してるとわかるまでは消えたりしない。途中で諦めたとしてもそれは意思の問題であって、証明されていない命題自体はこの宇宙空間に存在し続けるのです。
努力っていうのはつまりそういうことなんですな。証明するまでの試行錯誤。書き殴られた黒板。湯川先生に急に小石で書き殴られたアスファルト。
スラスラ書き起こせる証明なんて、参考書何回もやり込んで手順暗記しただけでしょ。そんなものを人生の本質と思ってはいけない。それより誰も解いていない問いを証明したほうが遥かにかっこよくないか?


私はこのnoteの命題について真に驚嘆すべき証明を見つけたが、ここに書くには余白が狭すぎる。


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