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20世紀、アンカレッジ経由での初めての海外旅行! 前編

 初めての海外旅行! とは言ってもはるか昔、ボクが高校一年生の頃で時は1989年である。受験勉強をしていた昭和64年から元号が変わり平成へ… 僕らの世代では政治に興味がない高校生でも官房長官の小渕恵三さんの顔だけは知っていた。バブル景気に沸く一方で、消費税(3%)が導入され、ソビエト連邦軍はアフガニスタンから撤退、中国では天安門事件が起こり、欧州ではベルリンの壁が崩壊。独裁者だったルーマニアのチャウシェスク大統領は夫婦ともども銃殺、処刑の画像(遺体)がメディアで流れたのも驚いた。マルタ会談で東西の冷戦は終結… 激動の年といって間違いないであろう。

 ボクは新宿区にある二流の私立男子校(滑り止めで有名だった)の一生徒、小金持ちが多い学校で、校則もユルく、皆が高校受験から解放されてノンビリと毎日を過ごしていた。正確な時期は覚えていないが、恐らく入学してまもなくの頃であろう、母方の祖父がヨーロッパへ行ってみたい、との事で祖父・母・ボクの三人で夏にJTBのツアーで旅行するコトが決まった。

 インターネットもない時代、今よりも情報収集は難しく、欧州は遥か遠い国。On Timeで情報が伝わるなど望むべくもない。別段ヨーロッパに親しみがある訳ではなく、また海外に憧れもなかったボクは”ああー 旅行行くんだぁ”、程度の気持ちでしかなかった。しかし、これをきっかけにボクの人生は大きな転機を迎え、その後、オーストリアに15年近く住むコトになるとはその当時、夢にも思わなかった。

 この時点では、ソビエト連邦の上空を西側諸国は飛べないため、日本からの国際線は基本的にアンカレッジ(アラスカ)経由であった。時間も16、17時間とかなり長く、後に直行便で11,12時間になった時には感激したものだ。そのアンカレッジ空港、現在では主に貨物を扱う空港として利用されているらしいが、この頃は日本人の間では乗り換え時に空港でうどんを食べるのがメジャーとのコト。ベテランの添乗員さんに教えて貰ったのを覚えている。起立したシロクマの剥製が飾られていたのも印象的であった。並んで撮った写真はどこかにあるかもしれない。

 初めての国際線、というか飛行機に乗るのも二度目。正直言って機内の記憶は残っていない。まあ、三十年以上前だしね… 初めての海外旅行なので、日程表は取っておいたハズだが、引っ越しの折にどこにしまったのか忘れたので、正確な旅行日程は分からない。ただドイツ→オーストリア→フランスと回った事だけはしっかりと覚えている。

ドイツ 

 恐らく、到着したのはミュンヘンのフランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港であろう。ミュンヘンの市庁舎を中心に市内を観光した。初めて見るヨーロッパの街は確かに印象的であったが、正直な所、この時点ではそれほど感動はしなかった。記憶が薄っすらとしているのは、その故であろう。

 翌日は日本でも有名なノイシュバンシュタイン城を見学、入場するまでにお城の外壁部分を触ったが、”なんて安っぽい作りなのだろう!” と驚いたコトを鮮明に覚えている。狂気の王であるルートヴィッヒ2世が国家財政を圧迫しながら建てた夢の城… 実際には鉄骨とモルタルの上に作られた虚構の世界だ。生活空間としても防御施設としても城の機能を全く有していないのは有名な話。内装は、ゴシックの悪い部分を強調しているような過度な装飾で、チープな派手さに満ち溢れている。悪口を書くのは気が引けるが、彼が大好きであったワーグナーの世界観とはそれなりに合致するのであろう。ワーグナーが大好きな人(ワグナリアン)は別として、大概の客には全てが過剰で食傷気味になるのがワーグナーの音楽(オペラ)だからだ。一回聞けばもう十分となる。

 個人的には向いにひっそりと構えているホーエンシュバンガウ城の方が外観も内装も格段に素敵に見えるが、観光客が少ないのは何故であろうか? まあ、話題性か… ただ、権力を持った狂気の人間が突き進んだ道を辿れるという意味ではノイシュバンシュタイン城は貴重な存在であろう。自分の趣味で城を立ててしまうのだから…

 デカダンスの毒気に当てられた後は陸路、オーストリアへ! 祖父が楽しみにしていたザルツブルク音楽祭でのオペラ鑑賞だ。   続く…


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